軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

女神の梯子2

「カレン……君は何を持っているのだい?」

ユリウスに訊ねられて、カレンははっとしてユリウスを見た。

「見えないの?」

「見え……てはいると思う。だが……霞む、というか、焦点が……」

「そうなんだ。焦点が合いにくいんだね。普通の人には見えにくいから誰にも見つけられなかったのかな?」

以前、ユリウスはカレンに置いていかれたことがある。

無魔力地帯に向かうカレンに、ユリウスはついていくことができなかった。

だが、今のユリウスはカレンについていく方法を知っている。

カレンもピンときた顔をして焦ったように言った。

「ユリウス、魂を壊してまで見る必要なんてないからね? ただの卵だから! ちっちゃい卵! 手のひらに乗りそうなくらいのちっちゃいヒヨコが生まれそうな感じの!」

「危険なものではないのかい?」

「危険ではないと思う。――間違ってるけど」

「間違っている?」

「何もかもが間違ってるって感じるの。魔力がないを通り越して、むしろマイナス? それが不自然で、ありえないのにありえてる」

その白い卵はとても丸くて真っ白で美しいのに、何かがねじれていてこんがらがっていて、ひん曲がっていた。

「無魔力地帯はただ魔力がないだけだった。でも、これは違う。すごく違和感があって、なんだか、壊したくなる魔物の気持ちがわかるような――?」

その時、カレンの言葉を遮るように死体置き場の天幕の外から悲鳴が響いた。

続いて、見張りの騎士が天幕の中に駆け込んでくる。

「魔物が再び襲ってきたようです! 先程よりも多数! こちらに向かっているようです! お二人とも急いで避難をしてください!!」

天幕の外側では断続的に悲鳴が聞こえた。

身を守るすべを持たない平民の商人や使用人たちの声だろう。

カレンがこうしている間にも犠牲者が出ているかもしれない。

魔物がこちらに向かってくるのはこの卵のせいだとわかっている。

だから、カレンはこれを壊さないといけない。

「カレン、その卵を殺さねばならないのだね? 私がやるよ」

「ユリウスはよく見えてないんでしょ? それに、わたしだって弱いスライムくらいなら倒したことがあるし、コッコだって絞めたことがあるから平気だよ」

ただ、自分を襲ってきた魔物を返り討ちにしたのでも、食べるためでもなく殺すのは初めてで、カレンはごくりと息を呑む。

魔法や弓矢で魔物の不意を打って殺すのとも違う。

まだ産まれていない生き物の入ったその卵の殻はとても薄そうで、カレンでも簡単に割れてしまいそうだった。

「カレン?」

「大丈夫」

幸い、手袋をしているおかげで感触はない。

カレンは深呼吸すると、卵を握り潰した。

「――ピイ」

握った手のひらの中から鳴き声がして、息を呑んでカレンは手を開いた。

カレンの手の上には、割れた卵の殻と、小さな小さな魔物のヒナがいた。

真っ白な何らかの魔物のヒナだった。

ふわふわの真っ白な羽毛に包まれた、小さな小さな鳥系の魔物だ。

そのヒナは頑丈だったのか、カレンの力が弱かったのか、見た目には少しも傷ついていなかった。

真っ白な目を見開いたそのヒナは、もう一度鳴こうとして白い嘴を開き、白い舌を振るわせたが――その鳴き声は出てくることなく、カレンの手の上で事切れた。

カレンの目からボロっと涙がこぼれ落ちた。

「カレン、大丈夫かい? やはり、私に任せてくれれば――」

「違うの。これはこの子を殺したのが辛くて流してる涙じゃないの」

ユリウスは驚きに目を見張る。

カレンはボロボロと泣きながらヒナをそっと両手で包んだ。

「この子を孵化させちゃったのが、可哀想で……!」

「孵化させたのが、可哀想……?」

「魔物なのにこの子、魔力がない。そんなの、魔物としてありえないのに……成立していないのに。そう、ブラックドラゴンだって魔力のない卵だって言ってたんだから、そんなことは最初からわかってたのに――この子、すごく辛かったんだと思う」

存在するべきではない者にとって、この世界はひどく辛い場所になる。

きっと、魔力をすべて使いきったカレンがダンジョンの五十階層に存在するよりも、このヒナは卵として産み落とされた瞬間から、ずっと辛かっただろう。

魔物として、間違いすぎているために。

「わたし、もっと急いであげればよかった」

カレンはヒナを胸に抱く。

殻を割られることでようやく死ねた、憐れなヒナを。

ユリウスはカレンの肩をそっと抱きしめた。

「――君が何を『理解』したとしても、君は何も悪くない。そうだろう?」

カレンは目に涙を浮かべてうなずいた。

体の中で昂ぶりはじめた魔力をはっきりと感じる。

カレンはブラックドラゴンの意図によって彼ら魔物たちの真理を強制的に『理解』させられ、今まさに階梯を昇ろうとしていた。

しかし、それはこれまでに階梯を昇った時の感覚とは違っていた。

「うっ」

「カレン、どうしたのだい?」

口許を抑えて体をくの字に折るカレンを、ユリウスは支えた。

「……き、気持ち悪い、かもしれない。これまで階梯を昇った時と、なんか、違う」

「これが呪いではなくて何なのだ?」

「うん、さすがにこれは、ブラックドラゴンの人間への仕返し、かも?」

青ざめるカレンに、ユリウスはぎりりと奥歯を噛みしめた。

「……どうしてカレンだったのだろうか。私に理解させてくれればよかったものを」

「無魔力への、理解が、必要そう。ユリウスじゃ理解させられなかった、ん、じゃないかな……だから、わたしなら見つけられるって言ったんだね」

高揚感に似て非なる、酔った時のような気持ち悪さに襲われて、カレンは目を回す。

「いくら人間に恨みがあろうと、助力を申し出たカレンにこのような仕打ちをするとは――」

「いいんだよ、ユリウス」

「カレン、いくら何でも人が良すぎる」

ユリウスは鋭い目をしてカレンを見据えた。

「君の心優しいところが好きだよ、カレン。だが、他者のため、まして魔物のために自分を犠牲にしようとする君の行動は受け入れられない。せめて、それが君自身のための行動ならばともかく――」

「わたしのためなんだよ、ユリウス」

カレンは脂汗をかきながら、笑った。

そんなカレンを見下ろしてユリウスは虚を衝かれた顔になる。

「カレン……?」

「わたし、おかげで気づいちゃった。前から薄々、気づいてたけど。ヴァイス、そう、ペガサスの子や、この小鳥の子をめちゃくちゃにしたやつさ……賢者の石を作ろうとしてる」

魔物を黒く腐らせたり、魔物の魔力を浄化し尽くして真っ白に漂白したりして。

その工程は、カレンが前世に学んだ賢者の石の作り方とどこか似ていた。

盛大な二日酔いのような吐き気に苦しみ、脂汗をかきながらも、肉体の苦しみを蚊帳の外に置き、カレンは爛々と涙に濡れた目を輝かせる。

「このやり方は間違っているのに!」

カレンの『理解』に応えるかのように大気が震えた。

「間違ってるんだって、ブラックドラゴンがくれた『理解』のおかげで、気づいちゃった……!」

空から降りそそぐ虹色の光の粒が天幕を通り越してカレンに降りそそぐ。

すると、途端にカレンの苦痛が和らいでいく。

ブラックドラゴンの呪いが、女神の祝福で塗りつぶされていくかのように。

まるで、救われるべき死者のために降ろされた女神のはしごのように光の帯が天幕を貫いていた。

カレンの手の中で眠りについた小鳥がその光の梯子に触れられるよう、カレンはそっと手を掲げた。

「ごめんね。ありがとう……おかげでわかったよ。理解したよ。Bランク錬金術師になっていくら調べてもわからなかった、賢者の石の作り方の一端を――」

光の粒に触れると小鳥の魔物のヒナも苦痛が和らいだかのように安らかな表情になった気がして、カレンはほっとして微笑むと、ぐらりとその場に倒れこんだ。