軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

階梯の酔っ払い

「カレンが、あの子が階梯を昇った――?」

「え? 今、魔物を倒してはいないよな……?」

爆発を起こしたことでトレントの油も魔石も飛び散ったのか、アパートの火は消し止められた。

焦げ臭い匂いのただよう中、誰かがささやいた。

「カレンが正しいと、女神がお認めになったんだ」

そのささやきは漣のように広がっていく。

カレンは、それは違う、と思った。

カレンは薬草のことを考えていた。その過程で、カレンは気づいた。

この世界の、魔法の、錬金術の何かを『理解』した。

それを女神が認めてくれた。

魔物を倒さなくても、女神に近づいた証としてカレンに階梯を昇る許可を与えた。

だが、そんな誤解は今のカレンにはどうでもよく感じた。

全身を支配するのは何もかもが上手くいきそうな全能の感覚。

怪我人も、燃え残ったアパートも、焼け出された人たちも、今のカレンにとっては遠かった。

今一番したいことをするために、カレンはユリウスに向き直った。

「ユリウス様、申し訳ありませんがわたしはあなたとの約束を破ります」

「……カレン?」

「あなたは危ないことはやめてほしいとわたしに言いました。わたしはうなずきました。あなたの魅惑的な微笑みに抗えなくて……最初に心配していた通りでした。あなたがいると、わたしは錬金術どころではなくなってしまう」

体に満ちる魔力の熱のもたらす高揚に、カレンは頬を紅潮させ、空色の目を爛々と輝かせながら言う。

ユリウスは眉をひそめた。

「だけどやっぱり、わたしはわたしのやりたいことをするために、必要なら危ない橋を渡ります。無茶だってします。あなたに心配をかけるようなこともします」

「だから私と別れたいとでも言うのかい? カレン」

「え? 違いますよ?」

ユリウスの言葉にカレンはきょとんとして言った。

「わたしからは絶対にあなたと別れてはあげません」

「……おや?」

「だけどあなたの言うことを無条件で聞きもしない。わたしはあなたに願われても危ないまねをするし、無茶をするし、心配もかけます。錬金術師としてわたしは何一つ諦めません! だけどあなたに心配されること自体はとても嬉しいので、身勝手なわたしをこれからももっとずっと心配してほしい」

「カレン、魔力酔いで本音がダダ漏れになっているわ。魔力酔いが収まったあとで後悔するわよ」

近づいてきたナタリアの忠告を無視して、カレンは体に満ち満ちた魔力に酔っ払いながらユリウスに指を突きつけた。

「ユリウス様! 身勝手なわたしが嫌でわたしと別れたいのなら、逃げることですね! 逃がさないですけどね! わたしは全力であなたを引き留め、あなたの彼女の座を死守する!!」

ビシッと決めポーズつきで宣言したカレンを見下ろし、ユリウスはくすりと笑った。

「君の魔力酔いは可愛らしいね、カレン」

「可愛いと思っているのならキスくらいしてもいいと思いまぁす!」

「君に口づけてもいいのかい? 耳から脳が溶けて出てしまうと言われて、断られるものとばかり思っていたけれど」

目を細めて顔を近づけてくるユリウスの首に抱きついて、カレンは不敵に微笑んだ。

「余裕です。……だけど、ユリウス様が嫌なら逃げてくださいね?」

「まさか、嫌がるはずがない。狙いをつけていた獲物が手に落ちてきた魔物の気分だよ。魔力酔いする君に付け入るようで申し訳ないくらいだ。あとで後悔しないかい?」

「するわけありません。魔力酔いしているおかげで、妥協のだの字もないほどの本心がほとばしっている状態です!」

「――そうだね。どちらにせよ君の本心だ」

ユリウスはにっこりと微笑むと、カレンの頬に手を添えた。

目を閉じるカレンに笑みを深めたユリウスは、その唇に唇を重ねた。

「穴があったら埋まりたい……!」

「はじめて階梯を昇った際の状態としては可愛い方よ、カレン」

頭を抱えて丸くなるカレンをナタリアは優しい微笑みで慰めた。

体中に満ちた魔力の影響は、すぐに収まっていった。

階梯を昇ったカレンの魔力の器は以前よりも大きくなり、取り入れた魔力はすべてそこに収まったからだ。

その後に襲い来るのは地獄の羞恥心である。

カレンは幸か不幸かユリウスの妙に長い口づけの最中に『あれ? これおかしくない?』と正気を取り戻しはじめ、みるみるうちに顔も体中も真っ赤に染めあげていった。

ユリウスの金色の瞳は、そんなカレンを見て細められたかと思うと、抵抗しようとしたカレンの腕を取って口づけの角度を変え、カレンが制止の声をあげようとする隙を完全に塞いだ。

「あ、あの時のユリウス様、絶対にわたしが正気に戻ってるって気づいてたのに……! なんで……なんで……!!」

「カレン、気を取り直しなさい。お客さんよ」

ナタリアに声をかけられカレンが身もだえるのをやめてはっと顔をあげると、そこには大柄な女性と女性に助けられて立つ男性の姿があった。

ぐったりとした男性は先程カレンが煙るアパートから助けだした人だった。

うずくまっていたカレンは慌てて立ち上がった。

「今いいかい?」

女性に声をかけられて、カレンはぶんぶんうなずいた。

「も、もちろんです」

「あたしはウルテだ。うちの夫はアーロン」

「この度は、巻き込んでしまって――」

「おっと、その先は言わせないよ」

ウルテはカレンの口を大きな片手でむんずと掴んで黙らせると、苦笑した。

「あんたの家が燃やされたのは、あんたが悪いわけじゃない。それぐらいのこと、あたしらにだってわかってる。だろう? アーロン」

「そうだ……まあ、オレはまさに死にかけたところなんで……ちょっぴり恨みはあるものの」

「助けてもらっておいてなんて言い草だい! この子が行ってくれなきゃあたしは共倒れ覚悟であんたを助けに行っていたんだよ!?」

「そ、それはやめてくれよウルテ!! いや、本当にありがとう……カレンさん、だったな?」

「そう、ここはあたしらが礼を言うべきところなんだ。ありがとう、カレン」

痩せた男性は咳払いをするとカレンに向かって微笑んだ。

体は魔力で守っていたようでほとんど火傷はなかったものの、先程までは息が苦しそうだった。

だが、今ティムとハラルドが配っている小回復ポーションで無事に回復したらしい。

ひどい火傷を負っている人がいたら小回復ポーションでは間に合わなかっただろうが、幸いにも、そういう人はひとりもいなかった。

感謝の言葉を告げられて、カレンは顔をくしゃりと歪めた。

「……でも、わたしがもめ事を起こさなければ、こうはなりませんでした」

「だからって、言いたいことを何も言わずに誰とも争わずに、自分の望みを押し殺していくわけにはいかないだろう? 前に進めば必ず誰かとぶつかるもんだ。あたしもCランクの冒険者だからね。そうなるまでの間も色んなやつらとぶつかって、周りに迷惑をかけてきた。だからって、あたしに前に進むななんて言う権利は、誰にもありはしないんだよ」

妥協して妥協して妥協して。

そうやって生きていけば誰ともぶつからずに生きていける。

だからもめ事は起こらないし、こんな風に誰かに迷惑をかけることもない。

カレンはそういう生き方をやめると決めて、ここにいる。

だけど、そのことが今は、心苦しくてたまらない。

「謝るんじゃないよ、カレン。あたしたちは余所から来た冒険者なんだけどね、うちの夫がダンジョンで手酷くやられちまって動けなくなっちまったもんで、旅をやめて王都に定住することにしたんだよ。そうしたら、このアパートを勧められたんだ。ここのやつらは甘っちょろくて、役立たずがいる家にも嫌がらせをしないって聞いてね――ここをそういうアパートにしてくれたの、あんただったんだねえ、カレン」

「そんな、わたしは別に――」

「謙遜をするんじゃないよ。今回のもめ事だって、あんたが誰にも省みられない子どものために踏ん張ってるから起きたことなんだろう? ……うちのアーロンのために頑張ってくれているようなもんだ。それを、あんたはちょっと死にそうになったくらいで、恨むだって!?」

「ハイ、すんません」

アーロンが萎れて謝る姿にカレンはつい笑ってしまった。

笑った拍子に涙が出て来た。

「あはは……ちょっと死にそうになったくらいって……ごめんなさい、笑っちゃって。アーロンさんだって恐かっただろうに」

「笑ってくれてありがたいよ。情けない人間で、お恥ずかしい限りなんでね」

「そうだよ。体が弱ってからこの人、気持ちまで弱っちまってねえ。あたしが何とか解毒の特大回復ポーションか万能薬を見つけてくるから、頼むから腐った男になるんじゃないよ」

「あい」

「あたしが好きになった男は勇敢なんだ。そうだろう?」

「ああ、オレの好きな女が好きになった男は、たまに情けないところが玉に瑕だが、好きな女を幻滅させるような真似はしない」

二人の世界に入る夫婦から視線を逸らし、カレンは周囲を見渡した。

死人はいなかった。でも、ひどい目にあったのに、巻き込まれてしまったのに、誰もがカレンと目が合えば明るい笑顔を返してくれた。

カレンは泣き笑いながら、みんなに笑顔を返していった。