軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

34話 どうか幸せに

「……本当に? 本当にユアン兄様?」

「うん。ユアンだよ。ちょっとやばい組織から抜けられなくて、秘密にしてもらってたんだ」

アマリリスは弾けるように立ち上がり、ユアンに飛びつく。

ユアンは一瞬ふらついたが、しっかりとアマリリスを受け止め破顔した。

「ユアン兄様……! ずっと見守っていてくれたの……?」

「ははっ、そんな大層なもんじゃないよ。ただ、リリスに会う方法が他になかったから」

アマリリスがクレバリー侯爵家でつらい思いをしていた時、ユアンは性別を偽ってまで助けに来てくれていた。

もらったのは金平糖だけではない。時にはアマリリスに必要な化粧品をもらったり、心理学に関する本をもらったりした。

アマリリスが挫けそうな時や、自信をなくした時はたくさん褒めてもらった。

いつも温かな青緑の瞳を細めながら、表情を隠しアマリリスに嘘がばれないようにして。

ユアンは兄だと打ち明けることもできず、もどかしい思いをしたに違いない。それでも、ずっと会いにきてくれていた。ほんのわずかな逢瀬のためにユアンは危険を犯してもアマリリスのために行動していたのだ。

これまでにアンネから、ユアンから与えられた優しさが、アマリリスの心を一気に埋め尽くす。

「ユアン兄様……兄様だって、大変、だったのに……!」

「まあ、リリスのためならなんでもできるって。それよりも、あの時みたいに守れないのが嫌だった」

あの時。十四歳で屋敷から追い出されたユアンの行き先は南の国だった。テオドールと同様に養子の話など通ってなく、ユアンは王都のスラム街で浮浪孤児としての生活を余儀なくされた。

生き延びるために泥水を啜り、わずかな賃金のために犯罪すれすれのこともした。だからイルシオ商会の裏のボスだった人物に拾われて、大きな恩義を感じていた。

だが、組織は犯罪も厭わないクズの集まりばかりで、ユアンはどうしたら犯罪に手を染めないでのしあがれるか考えた。

それもこれもアマリリスに会うためだ。金を稼いで国に戻り、必要ならアマリリスを屋敷から連れ出さなければならない。

ユアンはアマリリスに兄として胸を張っていたい一心で、犯罪に手を染めなかった。

また、ユアンはさまざまな状況に対応する能力が非常に高く、イルシオ商会が直面する危機を次々と解消していった。

そのことが商会長の目に留まり、右腕として、また商会の裏の顔である情報専門の闇ギルドのマスターとして活躍することになる。

多少の自由を得るまで三年もかかってしまい、久しぶりにアマリリスと再会して妹の現状を知り、屋敷を燃やしてやろうかと思ったくらいだ。

「本当はもっと早く助け出してやりたかったけど、リリスまであの組織に引き込みたくなかった。だからこんなに遅くなってごめん」

「いいの。ユアン兄様が無事でいてくれたら、それでよかったの……!」

「うん、ちゃんと無事だったよ。それになかなかいい女だったろ?」

アマリリスはユアンの言葉にぷっと吹き出した。それがきっかけとなって、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。

「あーあ。リリスを泣かせたくなかったのになあ」

「だって……うっ。ちゃんとユアン、兄様に……会えだがら……うう。ふっ、ゔゔ。ずっと会いだがっだ……! ユアン兄様にも、ずっと……!!」

ついにアマリリスの涙腺が崩壊して、ユアンの腕の中で滂沱の涙を流した。

都市グラティムでルシアンとテオドールが隠したかったことはこのことだったのかと、アマリリスはようやく理解する。

きっとユアンが組織から完全に抜けて、アマリリスと接触しても安全だとわかるまで秘密にしていたのだ。

やっと生き別れたふたりの兄に会うことができたアマリリスは、今までの苦労がすべて報われたような幸せに包まれる。

アマリリスのブレスレットは、鮮やかなショッキングピンクの光を煌々と放っていた。

前回同様、ふたりの兄とルシアンはアマリリスが泣き止むのを優しく見守り、落ち着きを取り戻したところで侍従にお茶の準備を頼んだ。

侍従が用意してくれた紅茶を口に含み、アマリリスは紅茶の芳醇な香りを堪能する。ポーカーフェイスを保ったまま、内心ではこう思っていた。

(今度はユアン兄様の衣装をぐちゃぐちゃにしてしまったわ……! もう、絶対に、絶対に、人前で泣かないから……!)

ユアンの深い愛情を知って、心が満たされたアマリリスはそう決心する。

「はあ、ユアンに持っていかれたな」

「テオ、最初からわかってただろう?」

「ねえ、まさか、これで終わりだと思っていない?」

ところが、ルシアンがこの感動的な空気に横槍を入れた。

「どういうことだ? 納得いかないが、今回はユアンの勝ちだろう」

「は? オレがこれだけリリスを幸せにした後で勝負できると思ってんの?」

テオドールとユアンの言葉を聞いたアマリリスは、まだ隠されていることがあるのだと察する。

(ユアン兄様の勝ちとか勝負ってなに? もしかして、ルシアン様とテオ兄様の空気が微妙だったけど……関係あるの?)

アマリリスは静かにことの成り行きを見守ることにした。

「僕がなにも手を打たずにいると思う?」

黒い笑みを浮かべるルシアンに、テオドールとユアンは焦りを感じた。ルシアンは油断ならない相手だとふたりとも理解している。

ルシアンは執務机の引き出しを開けて、薄いガラスに挟まれたメモ紙を取り出した。それがなんなのか三人はわからず、どう反応していいのかわからない。

「これは僕がカッシュに頼んで探してもらった、ある事件の物証なんだけど。今回は特別に持ち出してもらった」

「ある事件とは……?」

テオドールでも心当たりがないのか、首を捻っている。

「今から約九年前、ある侯爵夫妻が商談のため、リオーネ王国へ向かう途中で馬車の事故に遭った」

ルシアンの言葉に三人は固唾を飲む。

「夫妻には三人の優秀な子供がいて、とても愛情深く育てていたんだ。しかし、山道で落石に巻き込まれて、馬車は崖の下へと転落。大怪我を負った侯爵は最後の力を振り絞り、胸元のポケットからメモ帳を取り出して、こう綴った」

ルシアンは、ガラスを反転させてメモ紙をアマリリスたちに向けた。

ボロボロのメモ紙に書かれていたのは。

【お前たちを愛している。どうか幸せに】

たったひと言。

だが、そこに思いの丈が込められていた。

震える文字は赤黒く、メモ紙には土汚れもついている。

最後の文字の末尾はメモ紙からはみ出すように斜め下に伸びていた。

「これはランドルフ・クレバリー侯爵の最後の手紙だ」

ガラスに挟まなければ保管できないようなメモ紙を、ルシアンは手紙だと言った。

アマリリスはそれがたまらなく嬉しい。

両親の死はあまりにも突然のことだった。アマリリスが最後に交わした言葉は、お土産が欲しいとねだる言葉だ。

もっと他に伝えられることがあったのにと、今も後悔が残っている。どうして事故に気を付けて、元気で帰ってきて、と言えなかったのか。

両親に伝えたのは、アマリリスのことばかりで、彼らを思いやる言葉ではなかったのに。

(それでも、お父様は私たちの幸せを願ってくれた)

アマリリスはこのひと言で、どれだけ救われただろう。子供だったとはいえ、自分のことしか考えられなかったアマリリスを許してもらえたような気がした。

それはアマリリスだけでなく、テオドールとユアンも同様だった。

後継者として育てられてきたテオドールは、未成年というだけでなにもできずに屋敷から追い出された。大切な家族だけでなく、クレバリー侯爵家すら手放さなければならず、どれほどの無力感を味わっただろう。

ユアンもまた、国に戻ってはきたがアマリリスの現状を知っても手を打つことすらできず、指を咥えて見ているだけだった。闇社会につながる組織と関係を持った自分を、何度呪ったことだろうか。

だが、クレバリー侯爵は、両親は、最後の時まで純粋に子供たちの幸せを願ってくれたのだ。

三人の瞳は潤んで、必死に涙をこらえている。

こんなにもアマリリスの心に寄り添い、深く愛してくれる人が他にいるのだろうか?

この手紙ひとつで、アマリリスだけでなく、テオドールとユアンの心も救ったことに気が付いているだろうか?

確かに探したのはカッシュかもしれない。でも。

(ルシアン様が、この手紙を私たちに届けてくれたことに違いはない……)

アマリリスはそっとルシアンの元へ歩み寄る。

「ルシアン様……」

「リリス、喜んでくれたかな?」

ルシアンの声かけに、アマリリスは行動で答えを返した。陶器のようなルシアンの頬へ両手を添えて少しだけ引き寄せつつ、アマリリスはグッと背伸びをする。

宝石のような琥珀の瞳を閉じて、アマリリスはルシアンに口付けした。

ルシアンは驚きで両目を見開く。アマリリスが喜ぶことは想定していたが、まさか愛しい婚約者から口付けをもらえるとは考えていなかった。

熟れた果実のような唇が離れ、アマリリスは極上の笑みを浮かべる。

そこで、アマリリスのブレスレットが光を放った。

まるで紅蓮の炎と見違えるような、深いブライトピンクの光が大きく広がる。

アマリリスの赤髪を艶やかに染め上げ、まるで春の女神が舞い降りたようだった。

「僕の勝ちだね」

テオドールもユアンも、ルシアンの執念にも似たアマリリスへの愛を認めるしかなかった。