作品タイトル不明
イヴの願い
俺たちは、崖の途切れ目に辿り着いた。
イヴたちを待機させると、再び俺はスレイと少し先の様子を見に行った。
「いけそうだ」
戻ってきた俺はそう告げた。
この先も問題なさそうだった。
多分、大幅な遠回りは避けられる。
大きな予定の狂いは回避できた。
この一帯は湿地めいていた。
ただ、泥に足を取られるほどではない。
小さな水たまりが点在していた。
その水は泥で濁っている。
俺たちを囲むのは代わり映えしない鬱蒼とした木々。
変化といえば、この辺は針葉樹なくらいか。
空を確認する。
厚ぼったい雲に、空が覆われていた。
空気が湿り気を帯び始めている。
セラスやイヴが少し前に言及していたが、そのうちひと雨きそうだ。
「いよいよここまで、来ましたね」
セラスが言った。
うむ、とイヴが頷く。
彼女はリズへと首を巡らせた。
「リズもよくがんばったぞ。トーカとセラスには……なんと礼を言ってよいものか。我とリズだけでは、絶対にここまで辿り着くことはできなかった」
「おねえちゃん」
「ん?」
「ピーちゃんと、スーちゃんもだよ?」
リズに言われ、イヴが反省する。
「む、そうだな。ピギ丸とスレイにも心から礼を言わねばな……この旅では、そなたたちにも助けられた」
律儀に一礼するイヴ。
「ま、俺たちもイヴの持つあの地図が必要だった。言っただろ? 善意だけで助けたわけじゃない」
くすっ、とセラスが笑みをこぼす。
「だから気にするな、と――お優しいですね、トーカ殿」
「まあな」
もぅ、と眉を八の字にして苦笑するセラス。
優しいと言われて特に照れたりはしない。
善意だけじゃないのは事実だしな……。
嘘を判別できるセラスには謙遜でないのも分かっているだろう。
だからこそのあの苦笑。
嘘を見抜く力を持つセラス・アシュレインとの会話。
これがけっこう、ちょっとした会話の訓練になる。
と、イヴが遠い目をした。
憧憬の念。
それが感じられる目つきだった。
「小さな家でもいい……戦いとは縁のない平和な土地でリズと静かに暮らす……血闘士の日々を終えて手が届くかと思った瞬間、その夢は消え去った……しかし、再びその夢に希望が出てきた。ようやく……我の願いが、叶うのかもしれん」
表情を和らげるイヴ。
今、その豹の瞳はリズを優しく見つめている。
「万事の片がついたら、いずれ二人で何か作物でも作ろうと話していたな……それもそう遠くない未来に叶うのかもしれぬぞ、リズ」
「うん……そうだね、おねえちゃん」
リズは少し感極まっていた。
目尻に、涙が浮かんでいる。
「――――――――イヴ」
それは、反射的に突いて出たような、セラスの声だった。
イヴの頭上。
あまりに唐突な出没だった。
認識外からの出現、とすら言えた。
現出。
音も、気配も。
何もないところから、現れた。
それは浮遊していた。
奇妙な形状。
表現するなら、人間の鼻から下しかない感じの生物。
下アゴと口だけの魔物。
前歯のやや長い二本だけが金色だった。
あれが――目か。
大きさは、全長2メートルくらい……。
その金色の前歯は触手のように揺れている。
リズが青ざめる。
「おねえ、ちゃ――」
「――――」
なんだ?
あの魔物……。
「くっ……!」
呆気に取られていたセラスが、意識を引き戻して剣に手をかける。
が――それよりも速く、イヴが流れるような動作で鞘から刃を抜き放つ。
剣を抜いた勢いそのままに、彼女は頭上に閃の弧を描いた。
どこか居合いにも似た動作。
綺麗に速度の乗った斬撃が、魔物の身体を捉える。
「!」
俺は、気づいた。
「イヴっ、待っ――」
ズバンッ!
「ギょェ!」
濁った悲鳴を吐き、魔物が血を噴き上げる。
そのまま落下し、魔物は地面に身を打ちつけた。
青い血がイヴの足元に広がっていく。
剣を振り切った体勢のイヴが、戸惑いを見せる。
「ど……どうした、トーカ? 我の攻撃を制止しようとしたように見えたが……」
「――、……まだ、息はありそうか?」
「いや、息絶えているようだ。ピクリとも動かぬ」
「……一応、離れておけ」
「わ、わかった」
「…………」
イヴの判断は間違っていない。
不意をつかれての接近。
ましてやあの超近距離。
身の安全を考えれば、あれが最善手で間違いない。
しかし……。
仰向け(?)になった魔物の死体を見据える。
「あいつの、あの感じ……」
生に執着がない者の”それ”に感じられた。
が、攻撃性は漂わせていた。
そう、まるで――
殺(・) し(・) て(・) く(・) れ(・) と(・) 、 誘(・) い(・) 込(・) ん(・) で(・) い(・) る(・) か(・) の(・) よ(・) う(・) な(・) 。
ピクッ
魔物が動いた――ように、見えた。
次の瞬間、魔物が光を放つ。
「し、ィ、ぃ……、ィ゛――」
俺はいち早く呼びかけた。
「全員、ここから離れろ!」
「ぃギぇェぃェぇエえエぃィぃィんェぇェえエえエえエろロろロろロぃヒぃィぃィぃイいイいイいィぇィえエえエえエ―――――――っ!」
耳をつんざかんばかりの、金切りさながらの 大音声(だいおんじょう) 。
あまりの声の鋭い高さと大きさに、両耳を塞ぐ。
――まさか、こいつ。
不意に脳裏をよぎったもの。
それは、五竜士にまじっていたあの全身包帯男だった。
死後に発動する術式。
シビトに、強敵の存在を知らせるための術式。
悪い予感。
それは、思うより当たってしまう。
いや、勘からくる予測とも言えるのだろうか。
声が、止んだ。
光も、収まった。
イヴが耳から手を離す。
「な、なんだったのだ今のは……」
「もう力尽きているようですが……断末魔の叫び、でしょうか」
「しかし、なんという音量の――」
最初に”それ”に気づいたのは、最も耳がよいイヴ・スピードだった。
「――――これ、は」
――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ――
近づいて、きている。
全(・) 方(・) 向(・) か(・) ら(・) 。
こ(・) こ(・) を(・) 目(・) 指(・) し(・) て(・) 。
俺は膝をついて目を閉じ、気配に集中した。
地面に指先を添える。
幾重にも折り重なる耳障りな鳴き声。
遠距離からでも地を揺るがすほどの絶え間ない微震動。
拷問道具を現出させたような凶悪性。
墨汁のように塗りつぶされたドス黒い悪意。
ドロドロのコールタールのような嗜虐心。
「……そうかよ」
チッ、と舌打ちが出た。
しっかり、まじってやがる。
「人面種ども」
口内が、すでに、渇きを、覚えていた。
唾を飲み込む、その余裕すら、剥ぎ取られて。
確かに先日、魔群帯の人面種を攻略はしたが――
「これは……」
―――――――――――― あ(・) ま(・) り(・) に(・) 数(・) が(・) 、 多(・) す(・) ぎ(・) る(・) 。