軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

83 知らない顔と知った顔

リーシェは不意に思い出した。

侍女の人生で、彼女はたった一度だけ、一緒の寝台で眠るリーシェに話したことがあったのだ。

『――あのねリーシェ。私、人には言えない力があったの』

『……今は使えなくなっちゃったし、どんな力かは、パパとの約束で言えないけれど……でも、本当なのよ』

普段は天真爛漫で、勝気な表情も多かったミリアが、その話をしたときは表情を曇らせていた。

あの不安そうな告白は、先ほどのミリアが口にした『呪い』と関係があるのだろうか。

(魔法は無いし、呪いなんて存在しない。……普通なら、そんな意見も出てくるところなのでしょうけれど……)

リーシェはそれを断言できない。そもそもが他ならぬリーシェこそ、不思議な力で人生のやり直しを繰り返している。

ミリアにどんな言葉を掛けるべきか、考え込んだそのときだった。

「――!」

空気がぴりっと張り詰めるのを感じた。

ほんの一瞬のことであり、他の誰も気が付かなかっただろう。けれども確かに感じたその気配に、リーシェは振り返る。

(アルノルト殿下?)

公爵とのやりとりを終えたらしきアルノルトが、少し離れた場所からこちらを眺めていた。

どうしてか、ひどく冷たい目をしている。けれども彼の視線は、リーシェに向けられているのではない。

冷酷なまなざしは、真っ直ぐにミリアへと注がれている。

(――どうして)

とてもではないが、初対面の少女に向けるようなまなざしではない。その冷え切った双眸は、とある人物を思い出させた。

(五年後の、『皇帝』アルノルト・ハインと同じ表情……)

未来で教会を焼き払うアルノルトが、ゆっくりとこちらに歩き始めた。

反射的に、ミリアのことを振り返る。ミリア本人は、アルノルトが自分を見ていることなど気が付いていないようだ。

「私、もう馬車に戻るわ。……ぬ、ぬいぐるみ、ありがとう……!」

「あっ、ミリアさま!」

ぱっと駆け出した少女の背中は、馬車の中へと消えてしまった。

公爵がこちらを見て、深々と頭を下げる。こちらもスカートの裾を摘み、礼を返したあと、ふうっと息を吐き出した。

「リーシェ。出立するぞ、こちらに来い」

「――はい、アルノルト殿下」

アルノルトは、いつもの無表情に戻っている。彼に呼ばれたリーシェは、大人しく馬車に戻り、アルノルトの向かいに座った。

窓の外を見ると、公爵たちは馬車に乗らず、道の両脇に控えていた。

巫女姫の代理を乗せているといえど、あちらは公爵家の馬車だ。

他国の皇族に追従しないよう、しばらく距離を置いてから馬車を出すつもりだろう。

(大神殿に到着するのは、私たちが先になりそうね)

リーシェはそんなことを考えつつ、アルノルトをちらりと見た。

(さっきの表情。……もしかしてアルノルト殿下は、『あのこと』に気が付いている?)

ジョーナル公爵家のとある事情を思い浮かべ、眉根を寄せる。

(いくらなんでもそれはなさそうだけれど、アルノルト殿下だし。……多少あからさまでもいいから、探りを入れるべきね)

リーシェはじっと見つめてみた。

すると、動き出した馬車の中で書類仕事を再開しようとしていたアルノルトが口を開く。

「……なんだ」

「さっき。ミリアさまを見て、怖いお顔をなさっていたでしょう」

まさか、直球で踏み込むとは思わなかったのだろう。アルノルトは書類から視線を上げ、リーシェを見る。

「別に、普段とそう変わらないと思うが」

「そんなことはありません。いつもの殿下はもっと、穏やかな表情をなさっていますよ」

「……」

「え。ど、どうかなさいました?」

妙なタイミングで顰めっ面をされたので、リーシェはたじろいだ。彼が渋面を作るとしても、もう少し先の会話だと思っていたからだ。

「俺のことをそう評するのは、お前くらいのものだぞ」

「そんなことはない気がしますけど……」

「……もういい」

リーシェが首をかしげると、アルノルトは手にしていた書類を座席の横に置いた。

窓枠に頬杖をつき、目を伏せてから口を開く。

「さしたる理由があったわけではない。ただ、子供が好きではないだけだ」

(なるほど、そうくるのね)

この際なので、もう一歩踏み込むことにした。

「子供と言っても、ミリアさまは十歳だそうですよ。確か、アルノルト殿下の三番目の妹君も同じくらいですよね?」

「興味はないし、覚えてもいない」

(本当かしら……)

アルノルトはそう言うものの、いまのリーシェが鵜呑みにすることはない。

何しろ彼は、弟であるテオドールに対しても、表向きの振る舞いと内心が違っていたのだ。

疑いの視線を隠さずにいたら、アルノルトは小さく息を吐き出したあと、無表情のままで言った。

「――血縁者だからといって、誰しもが無条件に情を結べるものではない。血の繋がりは、良好な関係性を築けるかどうかには、一切影響しないものだ」

「それは、仰る通りだと思いますが」

リーシェだって、実の両親とは分かり合えていない。家族といえど他人なのだという、アルノルトの意見はもっともだ。

(それにしても、いまのは妹君というよりも、お父君のことを仰っているような気がするのよね……)

窓の外を眺めるアルノルトが、とある一点を見つめている。

そちらにリーシェも視線をやれば、遠くの方に荘厳な石造りの建物が見えた。あれこそが、目的地である大神殿だ。

皇帝アルノルト・ハインはきっと、リーシェが命を落としたあとの未来で、あの大神殿も焼き払うのだろう。

いまはまだ静かなまなざしが、美しい神殿に注がれるさまを見て、リーシェは深呼吸をする。

(大神殿に滞在できるのは、せいぜい数日だわ。婚約破棄の手続きを終えるまえに、探るだけ探っておかなければ)

――そこから一時間ほどが経ち、馬車は大神殿へと到着した。

アルノルトに再び手を引かれ、馬車を降りる。このあとは、神官の案内によって控室に向かう予定だ。

異変が起きたのは、そのときだった。

「止まれ!! おい君、一体どうしたんだ!?」

後方の騎士たちが声を上げ、馬のいななきが聞こえてくる。

振り返れば、十歳前後の少年が、乗っていた馬から転がり落ちるようにして地面に降りたところだった。

相当消耗しているのか、少年は肩で荒く呼吸をしている。アルノルトの近衛騎士たちは、警戒と介抱のために少年を囲んだ。

リーシェも近付きたいところだが、アルノルトにしっかりと手首を掴まれている。しかし、異常事態であることは一目瞭然だ。

(馬の鞍に描かれた紋章は、ジョーナル公爵家のものだわ。一体何が……)

少年を観察しようとしたリーシェは、そこで息を呑む。

(あの子は……)

騎士人生のリーシェには、気がかりな少年がひとり居た。

リーシェよりも四歳年下で、いまならば十一歳のはずだ。さらさらとした茶色の髪に、あどけない印象の顔立ちだが、暗く澱んだ目で大人を見つめる癖がある。

そしてその目の片方は、黒い眼帯で塞がれていた。

(まさか……)

その少年によく似た子供が、リーシェの目の前にいる。

見間違いかとも思ったが、それにしてはあまりに似過ぎている。記憶より少しだけ背が低い気もするが、出会う時期が半年後であることを考えれば当然だ。

(でも、そんな話は聞いたことがないわ)

侍女だった人生でも、騎士だった人生でも。

そして少年は、荒い呼吸の中から必死に声を絞り出し、騎士たちに告げる。

「けて……ください。助け、て……」

「落ち着いてくれ、話せるか? ゆっくりでいいから」

「こっ、しゃく……が……」

「駄目か……おい、誰か水を持って来てくれ!」

「っ、アルノルト殿下、私も……」

リーシェが懇願する前に、アルノルトの手が離された。

かと思えば、アルノルトはリーシェよりも先に歩き始め、少年の前に膝をつく。それを見て、騎士たちが慌てて声を上げた。

「殿下! お下がりください、子供といえどどのような危険があるか……」

「声を出せないのであれば、俺の質問に首を振って答えろ。――ジョーナル公の身に何かあったのか」

「……っ」

少年が大きく頷いて、リーシェの心臓がどくりと嫌な音を立てた。

「公爵は既に死んでいるか」

少年はぶんぶんと首を横に振る。

「なら、命の危機にある状況は継続しているか」

もう一度、否定を込めて首が横に振られた。

ひとまずは安堵したものの、アルノルトの次の問い掛けに、リーシェは青褪める。

「娘の方も同様か?」

「……っ」

息を呑んだものの、少年は大きく頷いてくれた。

(よかった……)

アルノルトはすっと目を細め、立ち上がる。とりあえずは、聞き取りに一秒を争うほどの緊急性ではないと判断したのだろう。

そこに一杯の水が運ばれてきて、騎士が支えながら飲ませてやった。

「っ、は……」

「声が出せるようになったのなら、状況を説明しろ」

「……ば、馬車が……」

なんとか紡がれたその声は、やはりリーシェの知る、レオという名の少年の声だ。

少年は泣きそうな顔をして、言葉を続ける。

「馬車の車輪が、急に外れて」

(え……)

「旦那さまが、お嬢さまを抱いて外に飛び降りたけど。馬車と馬は、谷を滑り落ちたし、旦那さまは腕を怪我して……」

ミリアの声が、脳裏によぎる。

『大神殿に行くのに、こんな子供っぽい馬車は嫌なの。それなのに、パパは分かってくれないわ』

『私はパパを呪えるのに。……私に呪われた人たちが、みんなみんな死んじゃうってことを、パパはまだ信じていないのだわ』

ミリアが駄々を捏ねたあと、彼女が嫌った馬車が滑落してしまった。

そして、それを咎めた公爵が怪我をしたのだという。まるで、ミリアが言った『呪い』が現実となったかのように。

(……これは一体、どういうことなの……?)

リーシェは無意識に、ドレスの裾を握り締めるのだった。