軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

52 かつての患者に再会します(◆アニメ8話ここまで)

そして午後。

リーシェは男装を解くと、湯浴みを済ませて身支度を整えた。

緩やかなウェーブを描く珊瑚色の髪を、清楚な雰囲気のハーフアップにする。

淡い月色のドレスを纏い、真珠の耳飾りをつけたリーシェは、爪紅で指先を淡いピンク色に彩った。

そして、普段の軍服にマントと白い手袋を着けたアルノルトと共に、応接の間に向かう。

主城内を歩きながら、リーシェはそっと尋ねてみた。

「カイル王子殿下は午前中、皇帝陛下と皇后陛下にご挨拶なさったのですよね。その際に、何か変わったことはありましたか?」

するとアルノルトは、いかにも面倒くさそうな顔をして口を開いた。

「父帝は、コヨルの王子が当面の間この国に滞在することを許可したらしい」

「え。当面とは、具体的にどのくらい?」

「さあな。婚姻の儀には『事情があって』参加できない人間が、どれほど長く滞在する気かは知らないが」

彼の言葉に棘があるので、リーシェは苦笑する。

とはいえ、今回礼を欠いているのはカイルの方なので、何も言えない。

(でも、そこが変なのよね)

カイルは本来、とても生真面目で礼儀正しい人物だ。リーシェはそのことをよく知っている。

『――カイル王子。お薬を飲んだあとの体調について、細やかな記録をありがとうございます』

あれは確か、薬師だった人生で、師からカイルの治療を引き継いだ直後のことだっただろうか。

その日の公務を終えたカイルは、なおも書斎に籠もって机に向かい、ペンを走らせていた。

『ですが、どうか早めにお休みになって下さい。そのためにあなたが体調を崩されては、元も子もありません』

『安心してくれ。もちろん無理はしていないさ、ヴェルツナー』

リーシェのことを名字で呼んでいた彼は、一文字一文字丁寧に書き綴りながら言ったものだ。

『この新薬を作り出すために、君や君の師がしてきた苦労は知っているつもりだ。だからこそ、僕に出来る方法で報いたい。手を抜く訳にはいかないんだ』

『……うちの師匠なら、苦労なんて、薬が出来た瞬間に忘れていると思いますよ』

『では、君は?』

『カイル王子が完治して下されば、すぐにでも忘れられるかと』

リーシェが冗談めかして言うと、一方の彼は大真面目に、『善処する』と頷いたのだ。

(薬師以外の人生でお会いしたときも、誠意と礼節を持って接してくれたわ。少なくとも、訪問先の都合をなにも考えず強行突破するような方ではないのに……)

あれこれと考えているうち、応接の間に辿り着く。

見張りの騎士が扉を開けてくれたので、アルノルトと揃って入室した。

ここは以前、リーシェがアリア商会との商談に使ったのとは別の部屋だ。

良く磨かれた大理石の床に、飾られた沢山の花々。

テーブルや椅子、暖炉などの調度品はすべて、白と金色を基調に揃えられている。

来客の数に合わせ、椅子などの位置はその都度変えているのだろう。

いまは奥側に一脚と、手前側に二脚の椅子が置かれ、向かい合っている。そのうち手前の一脚に、アルノルトだけが着座した。

リーシェはまだ椅子に座らない。アルノルトと婚約中の身とはいえ、まだエルミティ国公爵家の令嬢に過ぎないからだ。

だからこそ、今回のような皇太子と王子の対面において、最初から同じ椅子につくことはない。

彼らの挨拶が一通り終わるまでは、こうして隅に控えている。

「コヨル国王子、カイル・モーガン・クレヴァリー殿下がお見えです」

その言葉に、リーシェはすっと頭を下げた。

アルノルトとカイルの挨拶が終わるまで、顔を上げることはない。そのためしばらくは、彼らの声だけを聴いている形だ。

アルノルトが立ち上がった気配のあと、靴音がする。衣擦れの音がして、カイルが一礼したことが分かった。

「このたびはご婚約おめでとうございます、アルノルト殿下。このカイル・モーガン・クレヴァリー、コヨル国王である父の名代として、お祝いをしたく馳せ参じました」

「遠路はるばるご足労いただいたこと、心より感謝申し上げる。貴国からの祝福は、我らの前途を照らす標となるだろう」

まずはお互いに、ある程度形式の決まった挨拶を交わしている。

皇太子と第一王子、立場上はどちらも対等なはずだが、ふたりの話している雰囲気はそうではない。

コヨル国の方が、皇国ガルクハインに比べて、遙かに立場が弱いのだ。

(国力に差があるのは明白だわ。コヨル国は宝石が産出されて、金鉱を有する国でもあるけれど……)

問題は、それ以外の物資についてだ。

(冬は雪に閉ざされて、食料の確保や流通が難しくなる。生活必需品である薪の消費も激しくて、食料も燃料も自国だけでは補えない)

金銭的に裕福だが、他国から狙われる要素を大いに含んでいる。

その危うい立ち位置を、活発な外交と政略結婚でなんとか保ってきた国だ。

そんなコヨル国にとって、海を挟んだ向かい側にある軍事国家ガルクハインは、絶対に敵に回してはいけない国だろう。

(いまから五年後、コヨルは各国と同盟を結んで、ガルクハイン国と敵対する。――そして敗北し、侵略される)

今のコヨル国が抱える問題といえば、軍事的な脆さと、世継ぎであるカイルの体の弱さだ。

そのカイルが、過酷な船旅を経てでも無理矢理やってきたということが、問題の厄介さを想像させる。

やがて、アルノルトとカイルによる挨拶の応酬が終わり、アルノルトがこちらを見たのが気配で分かった。

「リーシェ」

「はい。アルノルト殿下」

アルノルトに名前を呼ばれ、顔を上げた。

隅に控えていたリーシェは、まだ着席していないアルノルトの隣へと歩み出る。

「妃となるリーシェだ。以後よろしく頼む」

「お初にお目に掛かります」

リーシェは正面のカイルを見た。

陶器のような肌に、銀色の髪。短く切り揃えられた銀髪は、表面に光を帯びている。

瞳は薄い水色で、清らかな湖の水面に似ていた。

そしてそこには、意思が固そうな強い光が宿っている。

(本当に、氷の精霊のようだわ)

少女たちが頬を染め、彼の噂をしていたことを思い出した。

「リーシェ・イルムガルド・ヴェルツナーと申します。カイル王子殿下にこうしてお目に掛かれますことを、大変光栄に感じております」

「――……」

リーシェが微笑んだ、次の瞬間。

「カイル・モーガン・クレヴァリーと申します」

「!」

カイルは淀みなく膝をつき、リーシェの前にすっと跪いた。

まるで本職の騎士のような、完璧な所作である。

彼が目を伏せると、氷で出来ているかのような睫毛が光に透けた。

カイルはその体勢のまま、ごく自然にこう述べる。

「――まるで麗しき女神のようだ」

(あっ)

大真面目な顔をして、カイルがリーシェをまっすぐに見上げた。

「お目に掛かれて恐悦至極。このような美しきお方の前で、口を開く無礼をお許し下さい。アルノルト殿下の細君ともあれば、さぞかし佳麗な姫君に違いないと考えておりましたが、これほどのお方とはどうして想像できましょうか」

(あ、ああー……)

「我が国が誇る黄金も、リーシェ殿の溢れんばかりの輝きには敵いません。満開に咲き乱れる花々ですら、貴女の前では己の存在を恥じるでしょう」

真摯な表情で告げられる賛辞を聞き、リーシェは思い出す。

(そうだったわ……)

かの国では、『男性が女性を褒め称える』という文化があるのだ。

子供たちは幼いころから、日常的にその手法を教え込まれる。

女性がコヨル国でぬかるんだ道を歩こうとすれば、見知らぬ男性が足を止め、危なくないよう紳士的にエスコートしてくれるのだった。

(先生いわく、『家から出られない冬の時期が長いから、家庭円満で過ごすために編み出された』ということだったけれど)

それが本当か嘘かは分からないが、とにかくコヨルの男性たちは、身分が高いほどその文化を尊重する傾向にあった。

つまり、王子でありとても生真面目なカイルは、真顔でそれを完遂するのだ。

あくまで礼儀としてであり、カイル自身に他意はない。

しかし、彼があまりにも真摯に褒めるので、女性たちからは『儀礼的なものだと分かっていても、つい真に受けそうになる』と評判だった。

「勿体ないお言葉です、カイル殿下」

リーシェは微笑み、その賛辞を受け入れてから流す。

謙遜はしない代わり、大袈裟に受け止めないことも、コヨル国の流儀だ。

(そんなことより)

リーシェには、どうしても気掛かりなことがあった。

(――カイル王子の顔色が悪すぎるわ……!!)

跪いているカイルを見下ろして、絶望する。

(ただでさえ白いお肌が、いっそ青白く見えるくらい。人差し指の爪が割れているし、横に線も出ている。眼のふちに見える粘膜の色も、ちょっと白すぎじゃないかしら!? 姿勢にも普段より元気がないし、声のトーンが明らかに低いし!)

いまの彼に必要な栄養素と薬草を、頭の中で素早く計上した。そうこうしているあいだにも、カイルはリーシェを褒めたたえる。

「アルノルト殿下の選ばれた花嫁は、指先までもがお美しい。まるで宝石を纏っていらっしゃるかのようです」

「ありがとうございます。この爪紅は今後、ガルクハインで製造する予定の品となっておりまして。ゆくゆくはコヨルの皆さまにもお楽しみいただきたいですわ。ね、アルノルト殿下――」

「…………」

(え!?)

隣に立つ婚約者を見た瞬間、リーシェはびっくりする。

アルノルトが、ものすごく冷たい目でカイルを見ていたからだ。

(私、何か見落とした!?)

いまのカイルとリーシェの会話に、何か重要な真相が隠されていたのかもしれない。

分からなかったことは悔しいが、アルノルトのいまの表情は、第三者が見たら怯えて泣き出しそうなほど冷ややかなものだった。

カイルはリーシェのみを見ているため、アルノルトの表情には気が付いていないようだが、これはいけない。

リーシェは微笑みを貼り付けたまま、さりげなく彼の方に手を伸ばす。

「あ、アルノルト殿下……」

「……ああ」

リーシェが上着の裾をつんっと引くと、アルノルトは若干表情を和らげて、カイルに着席を促した。

「口上はこのくらいとしよう。どうか楽にし、貴国の城だと思ってくつろいでいただきたい」

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます。――リーシェ殿。女神にも等しきお方の御前で、見苦しい真似をお許しください」

「滅相もございません。それから、私は未だ皇族の末席にすら加わっていない身の上。どうぞお気遣いなくお話しいただければと」

そんなやりとりを踏まえた上で、椅子に掛けて世間話をする。

会話が始まってみれば、アルノルトは普段通りの不愛想さだったものの、先ほどのような冷たさはない。

そのまま数十分ほど会話をしてみたが、カイルの目的は掴めないままだった。

「――それでは、このあとは城の者が、貴殿の部屋へと案内させていただく。旅の疲れが癒えるよう願うばかりだ」

「勿体ないお気遣い。ありがたく頂戴いたします」

会談が終わり、カイルが退室したあと、リーシェとアルノルトはふたりで応接の間に残った。

(ふー……)

椅子の背もたれに身を預け、深呼吸をする。怒涛の社交辞令を浴び続け、リーシェはすっかり疲れてしまった。

アルノルトとふたりきりになると、なんとなく人心地ついた気持ちになる。

もっとも、ここまでアルノルトと居るのが馴染んできているのも、なんだか不思議な気持ちだけれど。

「……何か分かりました? アルノルト殿下」

「掴めないな。今の会話では無難な発言ばかりで、カイルの真意のかけらも出ていない」

「え。じゃあさっき、視線だけで人を殺せそうなお顔をなさってたのは一体!?」

驚くと、アルノルトはどうでもよさそうな表情で頬杖をついた。

「そんなことより、カイルは今回の訪問に際し、何人かコヨルの学者を連れてきているらしい。この国の学者と情報交換をする場が設けられることになっているが、お前も話を聞きたいのであれば調整するぞ」

「よろしいのですか?」

思ってもみない提案に、リーシェは目を輝かせた。

「接待の面倒を掛けられる分、こちらも得るものがなければ割に合わない」

「い、一応名目上はお祝いに来てくださってるんですよ! でも嬉しいです。実は、病弱だとお聞きしていたカイル王子に是非飲んでいただきたいお薬がありまして」

この時期になったのは予想外だが、カイルは元より婚姻の儀の招待客だ。

彼がこの国に訪れた際、病を治す薬を提供できるよう、リーシェは準備を進めてきた。

彼の完治に必要な薬草は、すべて頭に入っている。

「コヨルの学者の方に説明して、効用を納得いただければ、私がこっそり一服盛る必要もなくなりますから」

「……なに?」

「いきなりお薬を差し出しても、怪しすぎて飲んでいただけないでしょう?」

薬師以外の人生では、薬学の師匠であった人物宛に匿名の手紙を書き、カイルを治すための薬についてを伝えていた。

あの師は、薬の研究のためならなんにでも手を出す人物なので、不審さが満載なリーシェの手紙もきちんと実行に移してくれていたようだ。

「お薬は、なるべくなら早めに飲み始めていただきたいですから。しばらくは食事に混ぜる戦法で、さりげなく服薬していただくしかないかなと考えていたんです」

「……」

リーシェが言うと、アルノルトが眉根を寄せた。

「……冗談ですよ?」

「お前が言うと冗談に聞こえない」

いつだったか、リーシェがアルノルトに言ったような台詞をそのまま返される。

実は半分本気だったことは、この際黙っておくべきだろう。

「……ひとまず、次の面倒ごとは明日だ。カイルを歓迎する夜会を開くことになっているので、不本意だが俺たちも出席する」

「はい。支度を進めて参ります」

「カイルとローヴァインに顔合わせをさせるのは、その夜会が最も自然だろうな。カイルも牽制に勘付くだろうが、外交上の…………おい、なんだその愕然とした顔は」

硬直したリーシェを見て、アルノルトが顔をしかめた。

しかし、テオドールとの約束がある以上、動揺の理由を明かすわけにはいかない。

(カイル王子を迎える夜会に、ローヴァイン伯が参加するということは……!!)

考えてみれば当然の流れに、冷や汗をかいた。

それはつまり、リーシェだってローヴァインに会わなくてはならないということを意味するのだ。

(私が『ルーシャス』であることが、ローヴァイン伯にバレちゃう!!)