軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

43 ご指導ください、皇太子殿下

***

「……本気でやるんだな?」

「はい、もちろん」

アルノルトの問い掛けに、リーシェは笑って頷いた。

ふたりが立っているのは、皇城の隅にある小さな訓練場だ。リーシェの護衛をしてくれている騎士たちが、心配そうな顔でこちらを見ている。

アルノルトの寝室から訓練場に移動したのは、先ほど、こんなやりとりがあったからだ。

『私と剣術の手合わせをしていただけませんか? 殿下』

寝室の案内を終えたリーシェは、アルノルトにそうねだった。

三週間ほど前の出来事であり、忘れられているかもしれないと思ったが、彼は思い出してくれたらしい。

『そういえば、以前の夜会でそんな話をしたな』

『覚えていてくださって嬉しいです。……私、今回の件で痛感いたしました。この体は体力に乏しく、早急に鍛錬をする必要があると』

婚姻の儀まではおよそ二か月半しかなく、そのあいだにやるべきことは山積みだ。

それを片付けるのに必要なのは、時間と体力である。

体力も筋力も心肺機能も、騎士としての人生には遠く及ばない。

始めてすぐに身に付くものではないが、これからのことを考えれば、少しでも早く鍛錬を始めたかった。

『殿下がご多忙なのは承知しておりますし、つきっきりで稽古をお願いするつもりはありません。でも、一度だけご指導いただきたいのです』

リーシェはアルノルトの目を見つめる。

『アルノルト殿下や、近衛騎士の方々が行っている「特別な訓練方法」を、私にもお教えいただけませんか?』

『……へえ』

アルノルトは、面白がるように口の端を上げる。

『何故分かった?』

『私の畑は、騎士団訓練場の近くにありますから。何度か各隊の訓練風景を拝見しましたが、アルノルト殿下の近衛騎士だけ、明らかに動きの熟練度が違いました』

訓練のときだけではない。

彼らがリーシェの護衛をする際、ふとした瞬間の体捌きひとつ取っても、彼らには一切の隙がないのだ。

ガルクハイン国の騎士が全員そうだというわけではない。

アルノルトの近衛騎士だけが、その卓越した技術を持っている。そうくれば、その状況を作り上げた男が誰なのかは明白だ。

何せ、その近衛騎士たちよりも遥かに隙のない人物が、彼らの主君なのだから。

『訓練方法を確立されているのであれば、それを是非知りたいのです』

『……』

とはいえ、「自分の技術として身に付けたい」という理由だけではない。

リーシェが思い出すのは、ひとつ前の人生で目にした光景だ。

(ガルクハイン国軍を敵にしたとき、もっとも脅威だったのはアルノルト殿下。……だけど他の騎士たちだって、十分に厄介な相手だったのよね)

彼らは恐ろしく強かった。

各隊の将だけではなく、最前線に立つ下位の騎士だって、ひとりひとりが戦場での技に長けていたのだ。

(今はまだ、アルノルト殿下の近衛騎士が突出して強いだけ。ガルクハイン国の騎士が全員あんな強さを持っている、というわけではなさそうだわ)

つまり、と考える。

(アルノルト殿下は、これからたった五年ほどで、あの強靭な騎士団を作り上げる)

本当に、恐ろしい話だった。

あれはきっと、騎士としての才能がある人間ばかり集めたというわけではない。人数規模からして、そんなことは不可能だ。

(なにか特別な訓練方法を確立しているはず。であれば、知っておかないと……)

『……』

リーシェがじっと見つめると、アルノルトはしばらくのあいだ黙り込んだ。

恐らくは、断ろうとしていたのだろう。

しかし、諦めるつもりのないリーシェがその瞳を見つめ続けているうち、彼はやがて短く息を吐きだした。

『……分かった』

『え!?』

あっさり頷かれるとは思っておらず、リーシェは目を丸くする。

アルノルトが以前了承してくれたのは、普通の稽古のつもりだったはずだ。

『よろしいのですか? お願いした私が言うのもなんですけど、軍事機密に当たることなのでは……』

『皇太子の妻が知ることに、何の不都合もないだろう。――お前が望むことは、なんでもしてやると約束したしな』

『!』

そう言った声音が、いつもより少し柔らかい気がする。

なんだか妙な心地がして、リーシェは若干慌てた。

『ええとありがとうございます。嬉しいです、とても』

『嬉しい? 何故』

『何故って』

まったく分からないという顔をされて、リーシェは返事をする。

『私が知る限り、あなたの剣術が世界中で最も美しく、最も強いからです』

『――――……』

そんな相手に教えてもらえるのだから、元騎士としての喜びが芽生えないはずもない。

アルノルトは一瞬だけ目をみはったあと、ふっと笑った。

『世界中、か』

『……も、もちろん例え話で! ただの比喩表現ですよ!?』

怪しまれてはいけないと思い、慌てて付け足す。

するとアルノルトは、自嘲めいた響きのある声でこう言った。

『人間を殺すだけの技術に、美しいも何もないだろう』

『……殿下』

『先に訓練場へ向かう。動ける服に着替えて来い』

***

そんなやりとりをした後、いまに至るのだ。

「拘束具を持て。リーシェに一、俺に三だ」

「――はっ」

アルノルトに命じられた近衛騎士たちが、きびきびとした返事のあとに動き始める。

しかし、従順に動く彼らがリーシェに向けた視線は、ひどく心配そうなものだった。

騎士は木箱を抱えて戻ると、頭を下げながら主君に差し出した。

アルノルトはそれを受け、中に入っていたあるものを手に取る。

(……ベルト?)

「これを着けろ」

手渡されたものを、リーシェは素直に受け取った。

それは、サスペンダーとベルトが一体になった形の装具だ。

アルノルトに説明をされながら、まず、輪になった二本のベルトに両腕を通す。

その二本と垂直に交わるベルトは、腰に巻いて留め具で固定した。

「終わったら後ろを向け」

言われるがままに背を向ける。

すると、黒い手袋を嵌めたアルノルトの手が、リーシェの左手を掴んだ。

手首に細いベルトが巻かれる。

かと思えば、アルノルトはそのままリーシェの左手を背中へ持っていき、腰のベルトと手首のベルトを金具で固定した。

「これは……」

この状態では、左手を動かすことが出来ない。

「特別訓練は、体の一部を拘束し、四肢の動きに支障がある状態で行う」

アルノルトはそう言いながら、彼自身も同じ拘束具を身に着け始める。

違うのは、リーシェが利き腕である右は自由なのに対し、アルノルトは利き腕の右側にベルトを巻いたことだった。

「いつも、この方法で訓練をなさるのですか?」

「そうとも限らない。妙な癖をつけては、元も子もないからな」

慣れた様子でベルトを着け終わったアルノルトは、背中と手首を固定する前に、箱の中から別の道具を手に取った。

膝当てにも似ているが、見たままの用途ではないようだ。

アルノルトは、革製のそれを左の膝に巻き付ける。

(……左足を、曲げられないようにしているんだわ)

続いて彼が手にしたのは、黒い眼帯だ。

アルノルトはその眼帯で右目を覆い、後ろ手に紐を結んだ。

最後に、近衛騎士が恭しく歩み出て、アルノルトの手首を腰のベルトに固定する。

これで、アルノルトは利き腕である右手と左足、それに右目が使えない状態だ。

一方のリーシェは、左手のみが拘束されている。

「この状態で手合わせとする。――剣を」

アルノルトの合図を受けた騎士が、リーシェに木剣を差し出した。

リーシェはその騎士にお礼を言うと、受け取った木剣を片手で構えてみる。

「……なるほど」

左手が使えないというだけで、重心が狂うのがよく分かった。

それに加え、普段両手で持っているものを片手のみで支えるのは、筋肉にも負担が掛かるだろう。

だがこれは、そう単純な話ではなさそうだ。

「四肢を封じるのは、条件をより戦場に近づけるためですか?」

「……ほう。分かるのか」

「ただ体幹を鍛えたり、筋力を付けたりするためにやっているのであれば、殿下が片目を塞ぐ理由にはなりませんから」

騎士から木剣を受け取るアルノルトを見ながら、リーシェは尋ねる。

「これは、戦場で体の一部が使えなくなったときも戦い続ける――そのための訓練ですね?」

「……っ、はは!」

アルノルトは心底楽しそうに笑い、木剣の切っ先をリーシェに向けた。

「いつもながら、大層な観察眼だ」

リーシェと違い、彼が自由になるのは利き腕の方ではない。

しかもその腕は、肩口の古傷により、右より若干動きが鈍い左腕だ。なのに、隙が生じる気配すらなかった。

「とてもではないが、本物の戦場を知らない令嬢とは思えない」

「……っ」

張り詰めた空気に、肌がぴりぴりとするのを感じる。

近衛騎士たちが、無意識のように後ずさった。剣士としての本能が、彼らをそうさせるのだろう。

「負傷をすれば、腕が動かなくなる。返り血を目に浴びれば、その目はしばらく使い物にならないだろう。だが、その状況でも戦いは続き、敵は迫り来るものだ」

リーシェの脳裏に、鮮烈な戦場の記憶が蘇った。

「腕が千切れても剣を振るう。足が砕かれても前進する。たとえ両目が潰れても、最後まで、敵に斬り込む道を探す」

アルノルトが、リーシェを見据える。

「これは、そのための訓練だ」

その眼光はとても鋭い。

眼帯で片目を覆っているというのに、この重圧はなんだろう。

「――そうすることが、生き延びる道に繋がる」

「!」

告げられた言葉に、ごくりと喉を鳴らす。

(……敵わなかったはずだわ)

リーシェの知る騎士道とは、一種の美学だった。

剣を握り、国のために戦う中でも、そこには気高さと美しさが求められる。

『正々堂々と剣を取り、敵にも恥じぬ戦いをし、最後には主君のために死ぬこと』が尊ばれた。

かつて騎士だったリーシェさえ、王家を護るために命を懸け、そして結局は死んだのだ。

(どんな状況になっても、醜く足掻いてでも生き延びる。――そのために、敵を殺す。それが、ガルクハイン国軍の騎士たちを作り上げたのね)

過去のリーシェは、この男を敵に回していたのだ。

そして、この先の運命によっては、再び敵対する可能性だってあるかもしれない。

リーシェがぐっと木剣を握り直すと、アルノルトは笑った。

「本来なら俺との打ち合いは、基礎訓練を重ねたあとで経験させるんだがな。今回はお前が相手だから、両目ではなく片目のみを塞いでいる」

「……光栄です、殿下」

「心配しなくとも、婚姻の儀を前にした婚約者を相手に、怪我のひとつも負わせるつもりはない」

アルノルトがそう言い切れるのも、圧倒的な実力差があるからこそだ。

リーシェは少し考えて、それから口を開いた。

「私が殿下に勝ったら、私の知りたいことをなんでもひとつ教えていただけますか?」

「……何?」

「その代わり、私が負けたら、殿下のお望みをなんでもひとつ叶えて差し上げます」

アルノルトは意外そうな顔をしたあと、リーシェの企みごとを楽しむように笑った。

「いいだろう」

「それでは、よろしくお願いします」

そして、近衛騎士が始まりの合図を下す。