軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アルノルトとリーシェの手のお話

テーブルの上には、愛らしい小瓶が並んでいる。

色とりどりの液が入ったそれらを眺めながら、リーシェはううんと考え込んでいた。

「これが、アリア商会との契約を成立させた商品か」

「はい。ちょうどいま、この件で少し悩んでいまして」

目の前のアルノルトに告げながら、様々な案を書き留めた紙を広げる。

彼は興味深そうにそれを眺めながら、リーシェの話を聞いてくれた。

ことの起こりは、つい先ほどだ。

リーシェがアリア商会と結んだ商談について、アルノルトに仔細を尋ねられた。

彼はどうやら休憩中で、執務の合間にリーシェの様子を見に来たらしい。

珍しいこともあると思っていたが、それが知りたかったのかと納得した。同時にリーシェは思い出す。

アリア商会との交渉がどうなったのか、アルノルトにはすでに話してあった。けれど考えてみれば、肝心の商品を見せていない。

だからリーシェは、離宮の庭にあるテラスでアルノルトを待たせ、自室から資料と小瓶を取ってきたのだ。

いまはふたり、テラスに設置されている白いテーブルの席で向かい合っている。

リーシェは小瓶のひとつを手に取り、光に透かしながら言った。

「雇用拡大へ繋げるべく、この品を大々的に売り込みたいんです。そのためにも、小瓶のデザインや色名について色々考えたりしたのですが……」

「色名?」

リーシェの言葉を聞いて、アルノルトは訝しげだ。

「色の名も何も、それは紛うことなく赤だろう」

「もちろんそうですが、ただの『赤』では味気ないでしょう? この商品はせっかく花から染料を取っているので、今回は花の名前を付けることにしました」

手にしていた小瓶をテーブルに置くと、リーシェはひとつずつ指さしていく。

「赤色は『薔薇』で、この元気いっぱいな黄色は『向日葵』。少し紫の混じったこの青は『デルフィニウム』。こうやって花の名前がラベルに書かれていると、ますます愛着が湧きませんか?」

お客さんに連想してもらいたいのは、花屋の店頭だ。たとえば色鮮やかな花たちが、日差しを受けてきらきらと輝いている光景。

それと同じような華やぎを、自室の棚にも並べられる。そんなわくわくした気持ちを届けたくて、リーシェはこの名前に決めた。

「呼び方ひとつでも、商品の魅力はぐっと増すんですよ」

「そういうものか」

「そういうものです」

力説すると、椅子の肘掛けに頬杖をついたアルノルトが「なるほどな」と呟く。

「俺にはない発想だが、確かにそういった命名は適切なんだろう。瓶の意匠を見るに、この商品は女性に向けた品のようだし――」

「問題はそこなのです、殿下!」

思わず前のめりになったリーシェに、アルノルトが少し驚いたようだ。

「……問題とは」

「殿下の仰る通り。この商品は主力購買層が女性であると見込み、全力で可愛さを追及しています。だけど個人的には、殿方にも手に取っていただきたいんですよね……」

装飾品を身に着けて着飾るのは、なにも女性の特権というわけではない。きっと男性の中にだって、この商品が気になる層もいるだろう。

そんなとき、あまりに女性的なデザインでは手に取りにくいかもしれない。だからこそリーシェは悩んでいるのだった。

女性にしか買われない品より、男女ともに買ってもらえる品の方が売り上げは良いに決まっている。タリーに仕込まれた商人として、自ら顧客の間口を狭くすることはしたくない。

しかし、ほとんどが女性客であると想像できる以上、美しいデザインで女性の購買欲を刺激するという路線も捨て切れなかった。何事も中途半端が一番よくないのだ。

「せめて誰か、影響力のある男性に塗ってもらえたりすると宣伝になるんですけどね」

ふと思いついて、リーシェは笑う。

「たとえばアルノルト殿下とか。なんて――」

「別に構わないが」

「えっ」

思わぬ答えを耳にして、リーシェは固まった。

「……いまなんと?」

「別に、俺の爪に塗りたいのであれば構わない、と言った」

「え……」

どうやら、聞き間違いではなかったようだ。

「えええええっ!?」

完全に冗談だったのだが、アルノルトは本気で言っている。それが分かり、リーシェの方が慌てた。

「い、いいんですか!? 爪に色とかついちゃいますし、なかなか落とせませんけど!」

「それで何か問題があるのか?」

「……!」

真顔でそう返され、リーシェは驚く。

アルノルトは指輪や耳飾りの類いをつけていないし、装飾品に興味もなさそうだ。だからこそ、爪に色を塗る行為も嫌がりそうだと思ったのに。

(意外と柔軟なのかしら。それとも、こだわりがないとか……?)

恐らくその線が濃厚だ。これだけ外見が整っているのだから、普段は着飾る必要もないというだけなのだろう。

そう考え、リーシェは納得した。

彼が男性向けに宣伝をしてくれるというのであれば、これほど心強いことはない。あの『皇帝アルノルト・ハイン』に宣伝役のようなことをさせていいのかは、悩むところだけれど。

「でしたら是非お願いします。殿下が広告塔になってくだされば、宣伝効果は抜群かと」

「それは分からないが。まあ、好きにしろ」

「ありがとうございます!」

リーシェは早速道具を手に取り、アルノルトに頼んだ。

「では、私が下地液の準備をしているあいだに手指の消毒を。手袋を外していただけますか?」

「ああ」

頷いたアルノルトが、着けていた黒い手袋を左手から外す。

彼に消毒液を渡そうとしたリーシェは、彼の手にふと視線を奪われた。

「……」

アルノルトの手の形は、とても綺麗だ。

全体的に手が大きい。その指はすらりと長く、甲の辺りは筋張っている。節々の骨や血管のラインが浮き出ていて、彫刻のようだ。

日常的に剣を握っているから、皮膚の一部が硬くなっているところもあるらしい。

しかしその武骨さは、これが作り物の芸術品ではなく、確かに生身の人間なのだと証明しているようでもあった。

(お顔も世界で一番っていうくらい整っているけれど、他もそうなのよね。これで頭も切れて剣術もすごいんだから、とんでもないというか何というか……)

民を救うための執務で、ペンを取る手だ。

それから、敵を殺すための戦場で剣を握る手でもある。

かつてのリーシェはその剣によって、自らの心臓を貫かれた。

(遠い昔のことのよう。だけど、とても最近のことにも感じる……)

そんな風にぼんやりとアルノルトの手を眺めていたリーシェだが、はっとする。

なんだかいま、とんでもない事実に気付いたのではないか。

(待って。……もしかして、殿下の爪に染料を塗るには、この手をずっと触っていないと駄目なのでは……?)

そう気が付いて青ざめる。

考えてみれば当然だ。少なくともリーシェには、自分の手で固定せずに他人の爪を塗るなど無理だった。

(え、でもこの手に触るの!? ……いえ、そんなに複雑に考える必要はないはずだわ。これは施術に必要なことで、仕方ないんだから……!)

「どうした?」

「いえ、ちょっと、何色を塗ろうか考えてまして! その前に下地液を準備しますから、お待ちください!」

別に忘れていたわけではないのだが、慌てて準備を進める。そのあいだ、自分に『落ち着いて』と言い聞かせながら。

(別に、なんでもないことのはずじゃない! なのにどうして動揺してしまうの!? 自分を殺した男の手だから!?)

ともかく冷静にならなければ。そう思いながら手早く調合していると、アルノルトが突如口を開いた。

そして、こう言い放つ。

「お前の手は、見ていて飽きないな」

「はい……!?」

こんなときに、突然なにを言い出すのだ。

自分の考えていることを見透かされたように思え、リーシェはひどく混乱する。しかしアルノルトは構わず続けた。

「てきぱきと良く動く。手際にいつも迷いがないし、眺めていると小気味良い」

「ど、どうも……」

「お前は爪に何も塗らないのか? どれもよく似合いそうだが」

「いえ、私は色々あるので大丈夫です!」

変装をするときのために、落としにくい爪紅は使えない。そこを省略して雑すぎる説明をしてしまうが、アルノルトから追及はされなかった。

(もう、こうなったら……)

これ以上心臓に悪いことを言われる前に、急いで彼の爪を塗ってしまいたい。そう決意して、リーシェは意気込む。

「では殿下! 右手を貸してください!!」

「ほら」

「!!」

目の前に、アルノルトの手が差し出された。

別にこれくらいなんでもないと、そう思うのにリーシェは怯む。この綺麗な手へ触れることが、いまはどうしても憚られたのだ。

「…………ごめんなさい、殿下……」

やっぱり無理だ。

俯いて自分の顔を隠したあと、リーシェは蚊の鳴くような声で言った。

「やっぱりこれは、またの機会に」

「へえ?」

「お申し出は本当に有り難かったです。そのうち……そう、殿下にもっとお似合いの色を開発したら! そのときにまた、よろしくお願いします!!」

弁解をしながら、急いで道具を片付ける。アルノルトは納得してくれたようで、「そうか」と手袋を着け始めた。

(よかった。変に思われなかったみたい……)

ほっとして息を吐きだした。リーシェはすっかり油断してしまい、そのままアルノルトを見た。

そしてすぐさま後悔する。

アルノルトが、その整った顔にひどく意地の悪い笑みを浮かべていたからだ。

「お前から俺に触れる分は、別に構わないんだがな」

「……っ」

咄嗟の言葉は、なにも出てこなかった。

アルノルトは何故か満足そうで、「そろそろ執務に戻る」と立ち上がる。

(なんだったの、色々と!)

自分でも訳の分からない感情を見透かされ、リーシェはとても悔しい気持ちになるのだった。