作品タイトル不明
316 巡る策略
「勿論だとも。リーシェ殿」
リーシェより前に出て振り返ったザハドは、人懐っこい笑みを浮かべる。
「先ほどのガーデンパーティーで、あなたは俺に誘い掛けをした。アルノルトの秘密を話せ、と」
「誘い掛けだなんて。ただ、婚約者への純粋な好奇心からお尋ねしたのですが」
商人の人生を経て、知っていた。
挑むように見える振る舞いは、ザハドの好奇心を掻き立てる。こうした心理的な駆け引きで遊ぶのが、この王は好きだ。
「実のところな。……アルノルトが城下に出た旨を耳にすれば、あなたはきっと来ると信じていた」
「…………」
立ち止まったリーシェは、目の前のザハドを真っ直ぐに見上げる。
商人の人生では、こんな風に立ちはだかられた機会など、ほとんど無かった。
「アルノルトの秘密を知りたいと、そう仰っていたな」
「……ザハド陛下」
「俺も同じだ」
ザハドの声音が、低さを帯びる。
砂漠の夜と同じだ。昼間は灼熱の陽光であらゆるものが照らされるのに、それが沈めば凍えるほどに寒い。
「アルノルトの胸を捌いて、そこから引き摺り出さねばならぬものがある。……友としてな」
(やっぱり、ザハドは何かを知っている)
「そうするためには、アルノルトに最も近しい人物の協力が、必要不可欠となるだろう」
いくつもの指輪に飾られた美しい手が、リーシェへと差し出された。
それはまるで、素晴らしい未来へ 誘(いざな) うかのように。
「――――同盟を組まないか?」
「…………」
これと本当によく似た言葉を、リーシェも以前口にした。
雪の国コヨルの王子、カイルに向けた提案だ。告げられた方はこんな気持ちになるのかと、何処か複雑な気持ちになる。
その上で、少しだけ微笑んだ。
「ごめんなさい、ザハド陛下」
「……ほう?」
リーシェの返事は、ザハドにとって予想外のものだったらしい。
「あなたも、俺の力を必要としていると感じたのだが。よもや、俺の自惚れだったとは」
「もちろん、アルノルト殿下のことは知りたいです。けれど、それをザハド陛下と分かち合う訳にはまいりません」
リーシェは小首を傾げながら、なるべく心が読まれない微笑みで返す。
「夫の秘密は、私だけのものにしておきたいので」
「――良い女だな」
ふっと笑ったザハドの表情に、リーシェの返答に対する怒りは無い。
不躾と取られかねない振る舞いでも、ザハドなら興味を持つと知っている。分かった上で駆け引きをする不平等さに、左胸の奥がちりっと焦げついた。
(ごめんね、ザハド)
かつての『親友』として語り掛けるのは、リーシェの心の中でだけだ。
「……私が城下の捕り物のことを知れば、抜け出してくると読んで下さったのですよね」
「五分五分と見ていたがな。アルノルトほど確信を持っていた訳ではないのだぞ?」
「アルノルト殿下には、事後処理というお役目がある。そうなれば必然的に、ザハド陛下が私の護衛をしてくださることに……そんな風に考えていらっしゃいましたか?」
「そうすればアルノルトに怪しまれることなく、あなたと話すことが出来るだろう?」
リーシェは真っ直ぐに彼を見据える。
「――私にそう思わせることこそが、アルノルト殿下の策でしょう?」
「……なに?」
ザハドが僅かに目をみはった。
「私が今、こうしてザハド陛下とふたりだけになった理由です。……私にそれを悟らせないように、ザハド陛下や私自身の計略でこうなったように、見せ掛けられている」
先ほど、アルノルトがリーシェを振り返らなかった姿を思い出しながら、言葉を続けた。
「確かに私は、ザハド陛下とふたりっきりでお話ししたいと望んでいました。ですが、私だけが策略を巡らせても、今の状況は決して実現しなかったはず」
「……ふむ」
「かといってザハド陛下だけの思惑でも、きっとこの形にはなりません。――私について来て下さるのが、この国の城下をよくご存知である、テオドール殿下でもない限り」
リーシェは堂々と、ザハドに言い切る。
「アルノルト殿下は絶対に、ご自身で私を連れ帰って下さいますから」
「――――……」
ザハドはくっと喉を鳴らす。絶対的強者の動物が、遊びながら狩りをするときのような表情で。
「……アルノルトが敢えて城下にリーシェ殿を呼び出し、その上で俺とふたりだけにした、と?」
「いいえ、少し違います。私をここに呼び出したのは、ザハド陛下だけの思惑ですよね?」
仮にアルノルトが、ザハドとリーシェを会話させることを目的としていたのなら、わざわざリーシェを城下に向かわせる必要はないのだ。
「ここに来てしまった私を、自然な形ですぐに帰す。私がザハド陛下と話したがっていることや、ザハド陛下が私に交渉しようとなさっていることを利用して。――それが、アルノルト殿下の策です」
「…………」
「先ほどの路地裏でのお話。私が聞いていると察していて、敢えて言葉になさったでしょう?」
戦争の、借りを返すと言っていた。
ハリル・ラシャの兵力を貸し出すという提案も、ザハドが口にした発言だ。
(アルノルト殿下は、私の存在に気付いていらっしゃった。きっと、ザハドも)
皇都を冷やす夜の風が、路地へと強く吹き込んだ。
ローブの裾がはためいて、鳥の羽ばたきのように音を立てる。
「あなたが視察したと仰っていた地下水路は、既にハリル・ラシャに存在します。砂漠の地に適した有りようの、万全な設備が」
砂漠の国とガルクハインは、水や土壌を取り巻く環境も違うのだ。
「この皇都にある水路が、あなたの国のための視察に不要であることは、ザハド陛下が誰よりもご存知のはず」
「……随分と、博識なお方だな」
「ザハド陛下」
風に煽られたフードが外れ、リーシェの髪がふわりと靡いた。
ずうっと前に親しかった王に、真っ向から問い掛ける。
「あなたとアルノルト殿下は、『水路を見た』と仰った昼間の視察において、本当は何を目的になさっていたのですか?」