軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

騎士の人生 ヨエルが恋した後輩のお話

「――――ヨエル先輩?」

その日、とんでもない事実に気が付いて沈黙していたヨエルのことを、同室のルーシャスがそう呼んだ。

「………………」

これは半年ほど前にやってきた、ヨエルの後輩だ。

兄と姉がいる末っ子のヨエルは、慣例よりも早く騎士団に入った。物心ついて以来、周りが常に年長者ばかりだったヨエルにとって、唯一の『身近な年下』である。

「……ルーシャス。お前」

「?」

寝台に腰掛けたルーシャスが首を傾げると、短く切られた珊瑚色の髪が揺れる。

長い睫毛に縁取られた目は丸く、エメラルドの色をしていて、硝子玉を水に濡らしたみたいだ。昔よく一緒に昼寝をしていた近所の猫も、ルーシャスとおんなじ色をしていた。

「………………」

すべての言いたいことを一度殺したヨエルは、ひとまずこんな風に言葉を続ける。

「…………お前、風呂掃除を毎日やるって引き受けてるのはいいけど、あんまり遅い時間に行くのはこれから禁止。分かった?」

「え!? ご、ごめんなさい!! ついでに自分もお風呂に入る所為で、時間が掛かってしまい……戻ってきたあとにうるさかったですか!?」

「……うん。そう。俺の睡眠の邪魔になるから、俺が起きてる時間に行くこと」

「はい! 以後、気を付けます!」

ルーシャスがこくこく頷きながら言ったので、ヨエルも頷く。

「それじゃあ早速いま行ってきて、先輩たちもう全員終わってるから。自主訓練はこれから夜じゃなくて、朝にやりな」

「分かりました! ヨエル先輩、明日も一緒に早起き頑張りましょうね!」

「え。それはやだ」

「ふふっ」

ヨエルがはっきり断ると、ルーシャスは何故か楽しそうに笑った。そうしている間にもてきぱきと動き、タオルや着替えを支度している。

「それじゃあ、お風呂とお掃除に行ってきます!」

「…………」

部屋を出て行ったルーシャスの、足音と気配が遠ざかってゆく。

ヨエルは、二段ベッドの横にある椅子にどさりと腰を下ろすと、いま理解した状況を反芻した。

(――――――――あいつ、女の子だ)

そう確信するに至った出来事については、一旦記憶から消しておく。

椅子に真っ直ぐに座らず、ずるずると体を横に傾かせたヨエルは、壁にごつりと頭を当てて瞑目した。

(風呂掃除なんて、元々は当番制だったのに。ルーシャスが『修行の一環として』なんて訳分かんないこと言って、毎日ひとりで引き受けてる理由が分かった……)

訓練場への移動や早朝訓練、任務の準備だって誰より早い。けれどもそれは、更衣室での着替えなどを誤魔化すにあたり、最善の選択と言えるだろう。

「はーーーー……」

ヨエルはここで生まれて初めて、世の中の人がつく『溜め息』なるものをつくことになった。これまでの人生では、こんな悩みとは無縁だったからだ。

(……別に、あいつが男だろうと女だろうと、どっちでもいいんだけど……)

そうは思いつつも実際のところ、ルーシャスが女の子だと気が付いた瞬間に、服の下ではぶわっと冷たい汗をかいている。

心臓が物凄い音を立てていて、戦闘後よりも鼓動が大きいほどだ。

(団長め。知ってて俺と同室にしたな、性悪)

ルーシャスがこの国の騎士団に入ったとき、ヨエルはひとりでこの部屋を使っていた。

そこに新入りとしてやってきたのが、華奢で小柄なルーシャスだったのだ。

あれから六ヶ月ほども経ったのに、まったく筋肉がつく様子も背が伸びる気配もなかった後輩の、すべての謎が解けたような気分になった。

(ルーシャスは元は貴族で、色々あって家を追い出されたって言ってた。それが事実だとすると、女の子だと旅が出来ないから、男のふりしてた? ……だからって、なんで騎士に。意味分かんない)

やっぱり謎だらけだったと思い直す。

ヨエルの唯一の後輩は、考えも行動もまったく読めない存在だ。

(――『ルーシャス』は多分、本当の名前じゃない)

きっと女の子としての名前が、彼女には存在しているのだろう。

(……このくらいで胸がざわざわするなんて、変なの。名前なんて、なんでもいいじゃん)

自分の思考がよく分からず、ヨエルはひとりでそう拗ねた。

(あいつが今、呼ばれたい名前を名乗ってるはずだし。本名と似た偽名を名乗ってる可能性もあるし……)

取り止めのないことを考えていたら、少し時間が経ってしまったらしい。

外からノックの音がして、ヨエルは目を丸くする。

「ルーシャス、ただいま戻りました!」

「……え」

立ち上がって扉を開けると、そこには雫が落ちそうなほど髪が濡れているルーシャスが、息を切らしながら立っていた。

「……早。どうしたの、普段もっと時間掛かるでしょ……?」

「僕のお風呂が遅くなると、その分ヨエル先輩の眠る時間が減ってしまうので……!」

「…………」

先ほどルーシャスに言った『睡眠の邪魔』とは、実のところ大した問題ではない。

ヨエルたち下っ端の居るこの棟は、風呂場のある棟から遠い。消灯時間の間際になると、人通りのない真っ暗な場所だってある。

(女の子だって分かっちゃったから、お風呂上がりに暗いところ、歩かせない方がいいと思って嘘をついたんだ。それだけなのに)

ルーシャスはとても真剣な顔をしつつ、ヨエルに向かってこう言った。

「お掃除は完璧に終わらせてきました! これ以降はうるさくしませんから、ヨエル先輩はぐっすりお休みください!」

(……俺のために、こんなに急いで……)

ヨエルは少し考えて、ルーシャスに入室を促した。

「……たまには俺が髪拭いてあげるから、こっちおいで。『ルー』」

「ヨエル先輩? ……ルーって、もしかして……」

これまで『ルーシャス』と呼んできた後輩が、驚いて目を丸くする。

「お前の名前。ルーシャスってそのままだと微妙に長くて、呼びにくいから」

再びの嘘だ。

だが、ヨエルはそれを顔に出さないままこう続けた。

「これからは、俺が付けたあだ名のルーって呼ぶ」

「あだ名……」

「いいでしょ? もう、他の名前じゃ呼んであげない」

どうせ本当の名前でないのなら、ヨエルが手を加えたものがいい。

それが一種の独占欲であることに、ヨエルは自覚的だった。

(だって、この子は)

ヨエルはタオルを手に取って、珊瑚色の濡れた頭に被せてやる。

「……お前は俺の、たったひとりの後輩なんだから」

「……!」

その瞬間、嬉しそうに瞳を輝かせたルーの双眸は、陽だまりに置いた宝物のような色をしていた。

「――はい! 嬉しいです、ヨエル先輩!」

「…………ん。いい子」

それからの日々はヨエルの方が、ルーに振り回されながらの生活だった。

なにしろルーは何にでも挑戦する。鍛錬に全力なだけでなく、任務外でも困っている人々を助けようと奮闘して、各隊への酒宴にも参加していた。

そして何か新しい経験をする度に、きらきらと幸せそうに笑うのだ。

「ねーレオ。ルーのこと知らない?」

「……ルーシャスさんなら、綺麗な女の人たちに呼び出されていましたけど」

「ふうん」

本当は女の子だからなのか、誰よりも女性への気配りが細やかで、騎士然とした振る舞いが人気を集める。それでも揉め事に発展しない対応を、先輩たちは不思議そうに眺めつつ、感心していた。

「ヨエル先輩! おはようございます、朝ですよ!」

「……今日は夢の中で訓練する。それも立派な訓練だから、だいじょうぶ……」

「それだと僕が参加できないじゃないですか! 先輩としてご指導お願いします、夜にまた髪を乾かして差し上げますから!」

ヨエルはずっと、傍で見ていたのだ。

「――ガルクハインの皇太子が、父親を殺して皇位を簒奪したんだって」

「…………」

そんな事実を告げたときのルーが、本当に悲しそうな顔をしたことも。

ぎゅっと衣服を握りしめたその手が、剣を握り続けてまめだらけになりながらも、やっぱり華奢で繊細な造形をしていることも。

(……この子が戦場に、来ないと良いな)

俯いたルーの頭を撫でてやりながら、内心でそんなことを考えた。

(絶対に守ってやれないから。……どれだけ俺がダメダメで、剣術しか出来ないって皆に言われても、それでも俺は騎士だから)

そんな身勝手な願いごとが、頭の中にいくらでも湧いてくる。

珊瑚色をした短い髪はさらさらで、ヨエルたちと同じ石鹸を使っているとは思えないほどだ。

(俺が守るべきは国、陛下、王子殿下たち。一介の騎士なんて、振り返りも出来ない)

そんな未来が分かっていても、口には出さなかった。

なにしろヨエルは、同じく騎士であるルーの『先輩』なのだ。

(――そんな人生を、俺もルーも選んだ)

彼女が騎士であるために、どれほどの努力を続けてきたのかを、誰よりも傍で見てきたのである。

「……もっともっと強くなってよ。ルー」

「ヨエル先輩……」

「ね」

ヨエルはルーの前にしゃがみ込んで、膝の上に頬杖をついて笑った。

「俺が毎日、お前のために稽古をつけてあげる。……先輩だから」

「……!」

先輩だから、死なないでほしいという言葉をかけられない。

それでも先輩だからこそ、ヨエルにしか出来ないやり方で、ルーに希望を与えることも出来るのだ。

「……ありがとうございます、ヨエル先輩!」

(……本当に、厄介な子を好きになっちゃったな……)

微笑んだルーの双眸は、やはり陽だまりのエメラルド色だった。