軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

256 鉄の牢獄

***

その日、運河の傍らにある屋敷で行われた商談に、『リゼ』というひとりの令嬢が現れた。

昼間の外出だったこともあってか、彼女は護衛を伴わず、侍女をひとり連れてその場所にやってきた。

そして商談中、ドレスの試着にと小部屋に案内されたあと、忽然と姿を消したのである。

しかし、令嬢が消えたことは決して大きな騒ぎにはならず、ベゼトリア街はいつも通りの午後を迎えたのだった。

***

「――――……」

奴隷商人たちの気配が遠ざかったあと、薄闇の牢に閉じ込められたリーシェは、双眸をぱちりと開いて起き上がった。

手首は後ろ手に縄で縛られ、足首も同様に固定されている。布の猿轡を咬まされたまま、リーシェは自身の状態を確かめた。

(ここまではなんとか、想定通りね)

令嬢『リゼ』を演じた商談で、出されたお茶を飲み終えたリーシェは、ドレスの試着室へと案内された。

そこで気絶したふりをしたところ、見事にこの牢へと運び込まれたのである。

(多少は乱暴に扱われることも覚悟していたけれど、痣ひとつ出来なかったわ。商品を大切に扱う鉄則が守れるのに、どうしてこんな犯罪を……)

清らかな令嬢のみを扱うという条件ゆえか、衣服を乱されることもなかった。リーシェは息をつき、眉根を寄せる。

(武器を隠し持っているかどうかすら探られない。……奴隷に対する警戒心が薄過ぎるわ)

違和感を覚えるものの、それをこうして利用しているのも事実だ。

牢の中から周囲を見回しても、光源は鉄格子の向こうにあるランプしか存在しない。

リーシェはもぞもぞと牢の隅に寄ると、一緒に連れてこられた侍女姿の人物を、後ろ手に小さく揺り起こした。

(ヨエル先輩……)

「んむ……」

侍女の衣服に身を包んだヨエルは、眠そうに身じろぐ。

袖口の膨らんだブラウスと、随所にフリルのついたエプロンで、男性らしい体格を少しでも隠す格好だ。

男性としては華奢で小柄といえども、そのままでは女性に見えにくい部分を、ラウルの助言によって工夫した。ヨエルの顔立ちは中性的で、女性の格好をして少しの化粧を施せば、問題なく女性にも見えるのだ。

(先輩!)

「んむ……」

ヨエルに女性の姿をしてもらうことを提案した張本人であるリーシェは、最初にヨエルを起こすことを諦めた。

その代わりに、ヨエルの耳元になんとか手を伸ばす。

(……届いたわ!)

彼の耳からそっと外したのは、金属製の耳飾りだ。

実のところ、この耳飾りは小さな刃と開錠ピンを組み合わせたものになっていて、縄を切ったり鍵穴を細工したりといった用途に使える。

リーシェがたまたまこの街に持ち込んでいたものを使い、手持ちの耳飾りに組み合わせただけだが、なかなか優秀な働きをしてくれそうだった。

(縛られるとき、手首の交差具合や位置を工夫した甲斐があったわね。これだけ可動域が確保できれば、縄を切る動きも……)

耳飾りにした刃を指先で摘み、鋸のように前後へと動かして、手首を縛っていた縄に切り込みを入れてゆく。

ある程度のところで手首を捻り、回すようにして引っ張ると、ぶつんと大きな手応えがあった。

両手が自由になったリーシェは、猿轡を解いてから足首の縄も切る。

その上で同じくヨエルの猿轡を取ると、先ほどよりも大きな動きで揺さぶった。

「ヨエルさま。……ヨエルさま」

「……」

ヨエルがゆっくりと目を開ける。その双眸は相変わらず眠そうだが、これはいつものヨエルだった。

「よかった。解毒薬はヨエルさまにも、問題なく効いていますね」

「……君」

「手首の縄を引っ張るように、両手に力を入れていただけますか? その方が早く切れますので」

起き上がったヨエルは、リーシェの言う通りにしてくれる。

まずは手首の縄を切り、続いて彼の足首も自由にすると、ヨエルは奇妙なものを見るまなざしを向けてきた。

「君って本当に何者なの? 『侍女の方にもどうぞ』って出されたお茶を飲んだのに、本当に眠くなんなかった……。後ろ手に縛られた状態で、この小さな刃を使うのも簡単なことじゃないし」

「拘束手段が縄だったのが幸いでしたね。これが鉄枷なら、開錠用のピンがあってもそれなりに時間は掛かったでしょうし」

「まあ、捕まえた人間に対する管理が甘いのは否定しないけどさ。捕虜に最低限やるべきことは――……」

ヨエルが言おうとした言葉に、リーシェも重ねる。

「――『目を離さずに監視。身体検査を行い、服を脱がせ、拘束した手足を柱に括って四肢を折れ』」

リーシェとヨエルの声がぴったり揃うと、ヨエルは目を丸くする。

その後に、ますます奇妙なものを見るまなざしをした。

「君、本当に何者?」

「ふふ」

騎士人生で団長からこの言葉を叩き込まれたとき、ヨエルは訓練場の片隅で、変わらずに眠っていたように思う。

しかし実際は、きちんと団長の言葉に耳を傾けていたのだろう。そのことを今になって知ることが出来て、なんだか嬉しかった。

「……まあ、戦えれば俺はなんでもいいや。このひらひら服、もう脱いでいいよね?」

ヨエルは侍女の制服を脱ぎ捨てると、中に着ていた薄手のシャツとズボン姿になる。リーシェと同じように脚へと隠した短剣は、少々不満のようだった。

「こんなに身体検査が雑なら、もっと長い剣でも持ち込めた気がするけど」

「見つかっては一大事ですから、このくらいで。……ですがやはり、攫ってきた対象への警戒心が薄すぎますね」

リーシェは鉄格子の前に膝をつくと、外側に手を伸ばして鍵穴を探る。二本のピンを差し込み、耳をつけて音をよく聞きながら、ヨエルとの確認を続けた。

「私たちが攫われた地点を、ラウルが監視してくれていました。事前に準備が出来ている状態でラウルが追えば、私たちを見失うはずはありません」

「えー……。じゃあ、俺が戦う前に助けが来ちゃう……?」

「残念ながら、それは難しいかと」

リーシェは辺りを見回した。ひとつだけのランプで照らされた薄暗い場所は、よくよく見れば牢ではない。

「なにせここは、船の中」

リーシェたちを閉じ込めているのは、鉄の檻だ。

そしてリーシェたちの周りには、他にも十数個の檻があり、それぞれに女性が眠っている。

「――恐らくは既に運河を出て、海の上です」