作品タイトル不明
250 先輩
その日の演習は、船がいくつも浮かべられた大海原で行われた。
訓練の相手は、シャルガの同盟国である砂漠の国ハリル・ラシャである。
あちらの一番大きな船には国王ザハドの姿もあり、リーシェは時折彼のことを懐かしく見上げながらも、ヨエルの話を真剣に聞いていた。
『俺たちの船は誰にも負けない。そしてその船には、世界で誰よりも海戦に通じる騎士団が乗っているんだもの』
両翼を広げた鳥のような陣形の中で、リーシェたちの船は、くちばしとなる先端に配置されている。風の動きは追い風だが、潮の流れは真逆だった。
『潮の流れは俺たちに不利。ただし、陣形は考えうる限りの最善』
演習が始まれば、この船は真っ先に相手と交戦する。
敵船の中に真っ先に突っ込み、そこで戦闘が始まるのだ。
『陸での戦いと違って、揺れる船から落とされて死ぬって危険もあるけど。……ルーも今日まで散々、落ち方の練習したもんね?』
『はい! 何度か海面にお腹を打ちつけたり、気を失ったりしましたが、お陰で自信があります!!』
元気いっぱいに答えると、それを聞いていた周りの騎士たちが苦笑した。
『初めての落下訓練で、ルーシャスみたいに躊躇なく飛び降りる奴も珍しいよなあ。というか、ヨエル以外では見たことがない』
『さすがはヨエルにとって初めての「後輩」だ。先輩譲りだな? ルーシャス』
『ちょっと、先輩たち……。俺のこと揶揄ってるでしょ』
少し拗ねた顔をしたヨエルは、改めてリーシェを振り返る。
『お前の傍に居てあげるのは、今日はここまでだよ。ルー』
双方の王が乗った船の甲板で、訓練の開始を知らせる旗が上がる。
王たちは戦いに参加しないものの、臣下たちの戦闘をそこで見守り、有事に備えた戦略を考え続けるのだ。
『始まったら、俺はお前も置いて行くから』
『え! ですがヨエル先輩、僕とふたり一組で行動するようにと団長が……!!』
『演習でも戦場。いくらお前でも、誰かと組んだら弱くなる』
無数に浮かんだ船の帆が、両軍ともに一斉に広がる。ぱんっと音を立てて張った帆が風を受け、一気に前進を始めた。
『――死なせないためには、ひとりで戦う』
(っ、本当に速い……!)
海上とはいえ、こんなに重い船体が進む速度に息を呑む。今日の波は高く、荒れ始める手前のうねりを帯びていて、非常に揺れた。
『来るよ』
『……っ』
想像していたよりも早く、演習相手の船が眼前に迫っている。リーシェは一度身を伏せ、甲板に張られた縄を掴むと、訓練した通りに衝撃に備えた。
次の瞬間、大きな衝撃が船を襲う。
まるで落雷や崖崩れ、地震などの天災を思わせる揺れだ。厳重に固定したはずの樽などの浮き具が、いくつも振り飛ばされて海に落ちる。
(掴まった腕が、千切れそう。……だけど……!!)
リーシェは直ちに体勢を立て直し、甲板を蹴って前進した。
誰よりも小柄で身軽な分、素早く動けると教わったのだ。けれども次の瞬間、リーシェの目の前には、遥かに自由な背中が見えた。
(……ヨエル先輩……)
すでに剣を抜いていたヨエルが、騎士のマントを翻して駆ける。
『お前の先輩をよく見てろよ。ルーシャス』
先輩のひとりが、自慢の弟を見せびらかすかのように笑った。
『あれが、我が軍の自慢の斬り込み隊長さまだ』
『――――……!』
太陽を反射した波の飛沫が、星屑のようにきらきらと光る。
剣を抜き、真っ先に道を切り拓くヨエルの後ろ姿に、リーシェは心が躍るのを感じた。
敵船に飛び降りたヨエルの背中を、迷わずに追い掛ける。
あの日の演習は、不利な配置だったにもかかわらず、シャルガ国の勝利に終わった。
「……ヨエルさま」
七度目の人生を送る今世のリーシェは、後輩としてヨエルの世話を焼くことはない。
そしてヨエルも、先輩だからと稽古をつけてくれることや、リーシェに戦術を教えてくれる訳ではない。それが分かっていて、鍋を混ぜていたスプーンを置く。
「ヨエルさまにしか出来ないお願いが、あるのです」
そう告げると、ヨエルは想像した通りの答えを発した。
「やだ」
「ふふっ」
かつてを思い出しながら、リーシェは続ける。
「どうかそう仰らず。――実はこのお願いとは、特殊な環境下での戦いを差します」
すると、ヨエルはぴくりと反応してリーシェを窺った。
「……剣術の?」
「ヨエルさま、正統な剣術での戦闘はもちろんですが、遊戯のような制約下での戦いにも興味がおありでしょう?」
「…………」
リーシェはにこりと微笑んで、くちびるの前に人差し指を当てる。
「アルノルト殿下との手合わせの場をご用意することも、少し先になりそうですので。その分是非とも遊んでいただきたいのです」
「……………………」
ヨエルがどんなことを喜ぶか、リーシェは既に知り尽くしているのだ。
それからもうひとり、狩人集団の頭首であって飄々として振る舞うこの人物が、それなりに世話焼きだということも。
「ラウルが手伝ってくれるのも心強いわ。……これも私の知る限り、世界で『ラウルにしか出来ないこと』だから」
「……おいおい、麗しのお妃さま……」
ラウルは何処かげんなりした顔で、苦笑のような表情を浮かべて言った。
「人たらしをいい加減にしておかないと、あんたの殿下が色々と怖いぞ」
「どういうこと?」
リーシェが首を傾げても、ラウルは仔細を教えてくれない。
そして薬が完成した頃、朝食や朝の支度を終えた面々は、屋敷にある談話室へと集まったのだった。