軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

240 その血によるもの

けれども包帯の結び目は、どうやら少し特殊な形をしている。これは恐らく戦場を経験したアルノルトが身につけた、独自の結び方のようなのだった。

床に座り込んだままのリーシェは、時間を掛けて結び目をほどく。

それを見兼ねたらしきアルノルトが、リーシェの代わりに包帯を緩めてくれた。衣擦れの音と共に包帯が外れ、おうとつのはっきりした腹筋が現れる。

リーシェのまなざしは、その側腹部に刻まれた傷口へと釘付けになった。

「……っ」

ぱっと振り返り、サイドテーブルの傍に置かれた消毒薬を手に取る。この薬はオリヴァーに頼み、リーシェの荷物からアルノルトに渡してもらったものだ。

リーシェはそれで手を清めながら、アルノルトにねだる。

「目を閉じてください。殿下」

「…………」

するとアルノルトは何も言わず、リーシェの望むまま瞑目してくれた。

リーシェは彼に痛みを与えないよう、慎重に傷口の周囲に触れる。そしてアルノルトの肌を、つうっと優しくなぞって問うた。

「私がいま何をしたか、お分かりになりますか?」

「……上から下に、指先でなぞった」

その答えに、感覚はあるようでほっとする。

傷口の周辺は明らかに熱を帯びていたものの、内出血による変色も少ない。リーシェはもう一方の手でアルノルトの手首を握り、脈拍を確かめた。

(少し早い。……けれど刺されてすぐの状況下では、落ち着いている方だとも言えるわ)

アルノルトが強い痛みや苦しみを感じていれば、心臓の鼓動は乱れているはずだ。アルノルトの顔をじっと見つめても、リーシェを淡々と見下ろす表情に変化はない。

傷口の血は確かに止まっていて、切り口を見れば角度も浅かったようだ。

リーシェは甲板に落ちた短剣の刃を思い浮かべる。赤色に濡れていた範囲から、何処までが刺さったのかを推測した。

「やさしく、ゆっくりと押しながら動かします。痛むのは、ここまでですか?」

「……ああ」

(ここからこの角度で短剣が刺さって、痛みのある範囲が本当にここだけなら。アルノルト殿下の仰る通り、傷は深刻なものではないとも言えるけれど……)

それにしても、血が止まるのが早すぎる。

アルノルトが苦痛を堪えている状態を、リーシェが見落としているだけなのだろうか。だとすれば見逃す訳にはいかないと、念入りに確認しようとしたときだった。

「――女神の血が」

「!」

アルノルトの声で、思わぬ言葉が紡がれる。

「恐らくは、傷の治りを早くしている」

アルノルトの母は、『巫女姫』と呼ばれる特別な身分の女性だ。

この世界のほとんどの国が信仰するクルシェード教は、女神を祀っている。

そして巫女姫の一族こそが、その女神の血を引く末裔だと信じられているのだ。

アルノルトは、その無表情に少しだけ自嘲的な笑みを滲ませ、リーシェに尋ねた。

「……そう言えば、真に受けるか?」

「…………」

リーシェが知っている限り、アルノルトは現実的な思考を持った男性だ。

本来ならば冗談でも、こんな発想をするような人物ではない。

ましてやそんな戯れを、他人に告げたりもしない。

けれどもリーシェの頭の中で、いくつかのことが鮮烈に結び付いた。

(アルノルト殿下の、首筋の傷……)

左の首に無数に付けられたのは、惨たらしいまでの刺し傷だ。

何度も繰り返し刺された傷跡を思えば、命が助かったことさえ奇跡である。

たとえ一命を取り留めても、こんな場所を滅多刺しにされていれば、身体機能に悪影響が出る危険性は高い。

けれどもアルノルトは、傷跡のことなど誰にも悟らせず生きている。

それどころか、卓越した剣技すら身に付けて、過酷な戦場で敵う者はいないのだ。

(お小さい頃のアルノルト殿下が、並大抵ではない努力をなさったのは間違いないわ。けれど、そもそも殿下がお持ちの治癒能力が、常人よりも格段に優れているのだとしたら?)

思い出すのは侍女人生で、ミリアに仕えていたときのことだ。アルノルトの母方の血縁者であるミリアも、同じく女神の血を引いている。

(ミリアお嬢さまも。大怪我をなさったことは無くともお転婆で、あちこち元気良く動き回っていらっしゃるのに、擦り傷や痣はあんまり無くて)

リーシェはこくりと喉を鳴らす。

(女神の血が特別な治癒力を持っているのだとしたら、辻褄が……)

「…………」

アルノルトはそんなリーシェを見下ろして、ふっと息を吐くように穏やかに笑った。

「――お前がそうまで本気にするとは、思わなかった」

「だ、だってこうなると、他に理由が考えられません。事実、あんな風に刺されたとは思えないほどの傷の浅さで……」

「つまり理由はどうであれ、傷が浅いこと自体は納得したんだな?」

「それは……!」

アルノルトの言う通り、この目と指で確かめた。

これが通常の診察であれば、患者に微笑んで『安心してください』と励ましている場面だ。

けれどもリーシェの心臓は、嫌な早鐘を打ち続ける。

(……分かっているのに、すごく怖い……)

診察の間は集中していて、指先すら震えることはなかった。

それなのに、こうして少しでも安堵が混じると、途端に強い恐怖心が襲ってくる。

「ごめんなさい。アルノルト殿下」

床に座り込んだリーシェは、寝台に腰を下ろしたアルノルトの膝に縋り付くように上半身を伏せた。

「私を、庇って下さった所為で……」

「…………」

小さな溜め息が上から聞こえる。

かと思えばアルノルトは身を屈め、あやすようにリーシェを抱き起こした。

そのままアルノルトの膝に乗せられて、されるがままに抱き竦められてしまい、リーシェは目を丸くする。

「っ、アルノルト殿下……?」