軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

236 船上で揺らぐ

(ランプの油があるのだとしても、炎の広がる速度が早過ぎるわ!)

船員の男たちが甲板に駆け上がり、広がった炎を見て引き返す。恐らくは、船内に積んである水樽を取りに戻ったのだろう。

(あの女性は……)

リーシェが目を凝らしたその先で、女性はどこか呆然と立ち尽くし、目の前に燃え上がる炎を見つめていた。

彼女は奴隷商人から解放し、リーシェが夕刻に話をしたばかりの女性だ。

『そうしたら、私は今度こそ嫁がねばなりませんのね』

『親が決めた結婚ですの。お相手の方は自他に対して厳格なお方で、少し……怖くて』

あの微笑みに、踏み込むことは出来ないと感じてしまった。

だが、それは間違いだったのだ。

(どうしてあのお方が船にいるのかは分からない。けれどとにかく、身の安全を)

リーシェは転がった桶を見付けると、それで川の水を汲んで頭から被る。石畳の隙間に捩じ込んだ靴のヒールを梃子の原理で折り、少しでも走りやすいようにした。

太ももにベルトでつけた短剣を抜くと、動けるようにドレスの裾を裂く。そして布をそれぞれの手に巻き付けると、先ほど確保した鉤つきのロープを掴み、遠心力を利用して回す。

こうしたロープの扱いは、狩人人生で習得済みだ。獲物を狩る際に、そして隠密活動のための壁登りに、リーシェは幾度もこうした技術を用いてきた。

鉤を近くの建物の屋根に引っ掛け、急いで登る。リーシェが屋根の上に立ったころには、燃え盛る船が目の前に流れてきていた。

(もう一度!)

鉤を外してロープを回し投げ、今度は帆船の帆柱に引っ掛ける。しっかり固定されたことを確かめると、リーシェは布を巻き付けた手でそれを握り、振り子のようにして船へと飛び移った。

「リーシェさま!」

見ていたらしい近衛騎士たちが驚いて叫ぶが、リーシェは急いで船を登る。腕力の足りない体が震えるものの、船の側面はおうとつも多く、それを利用すればいいことは知っていた。

(これでもかつては、シャルガの騎士だったのだもの。海上戦、船での戦闘だけでなく、人を守る方法も叩き込まれた……)

そうしてどうにか甲板に登り、船員たちの動きを確かめる。水樽を抱え、大声で互いに指示を飛ばし合う彼らに向かい、リーシェも大きな声で叫んだ。

「この場での消火は諦めてください!」

突然現れたリーシェの姿に、当然ながら彼らは驚く。しかし甲板を燃やす炎は、凄まじい勢いで広がるばかりだ。

「甲板によく燃える薬品が染み込んでいます! これはすぐには消えません、その水は皆さまが被って!」

「あんたは一体……それに、薬品だって!?」

「錨を下ろし、船を河岸に寄せましょう! 岸ではすでに皇太子アルノルト・ハイン殿下が、救護と消火のための指揮を取っていらっしゃいます!!」

アルノルトの名前を出すと、船員たちはますます驚いたようだ。しかし目の前の炎を見て、すぐさま頷いてくれる。

「この子の言う通りだ! 岸に寄せれば鉄梯子を渡して道が作れる、消火はそれからでいい!!」

「まずは船員が生きて船を降りることが最優先、錨を下ろすぞ!! 岸に向かって風が吹いている、誰か帆を張ってくれ!」

その号令が掛かるころ、すでにリーシェは帆柱へと登り始めていた。先ほど鉤を引っ掛けたロープを使えば、一番低い位置の帆にはすぐに辿り着く。

運河を下って海に出る途中だった船は、その帆をまだ畳まれていた。固定する縄を丁寧に解く余裕はなく、リーシェは短剣で縄を切る。

「……っ」

ぱんっと音を立てて勢いよく広がった帆にぶつからないよう、ロープを使って滑り降りた。手に巻き付けていたドレスの切れ端が摩擦で熱くなるが、手のひらは火傷をせずに済む。

「でかした嬢ちゃん!! この風を受ければ帆が焼き切れる前に、船が岸に寄せられる!」

「船内の連中は上がって来れてるか!? この甲板の高さだ、間違っても運河に飛び込むなよ!」

船乗りたちが動き回る中で、リーシェは急いで辺りを見回した。けれども探している姿は、一向に見付けられそうもない。

「あの……! 他に女性を見ませんでしたか!? この火が上がる前、甲板に立っていたはずなんです!」

「女だって!? この船は貿易船だぞ、客なんか乗せる訳がない!」

近くにいた船乗りはそれだけ言うと、火災の対処に行ってしまった。そちらに加わる前にまず、あの女性を助け出す必要がある。

(まさか、火から逃げるために河へ……?)

この高さから飛び込めば、よほど慣れている人でなければ、衝撃には耐えられない。

リーシェが青褪めたそのとき、炎の向こう側に翻るドレスが見えた。

(よかった……!)

安堵して息を吐く。彼女がどうしてこの船に乗っているのか、それを確かめるのは今ではない。

「こちらにいらっしゃったのですね! お待ちください、すぐにお助けしに……」

「来ないで!!」

「!」

拒絶の言葉に息を呑む。彼女は怯えた表情で、リーシェを拒むように立っていた。

「ごめんなさい、リーシェさま……」

「……落ち着いてください。私はあなたを安全な場所にお連れしたい、それだけです」

炎は黒煙を上げて燃え盛り、張られた帆やロープを燃やし始めている。

それでも少しずつ近付いている河岸には、他の船乗りたちや騎士が集まり、甲板に登るための梯子や消火用の水を確保している様子が分かった。

「炎の傍から離れて。どうか、こちらへ」

リーシェが手を伸ばすのを見て、女性は泣きながら首を横に振る。

「いいえ。私はもう、そちら側には戻れませんわ」

「そのようなことはありません。大丈夫です、必ず……」

けれども女性は自らの体を抱き、振り絞るようにして叫ぶのだ。

「私が、皆さまを奴隷商に攫わせる手引きをしたのです……!!」

「!」

思わぬ告白に、目を見開いた。