作品タイトル不明
154 現在の婚約者が見てくれます
「うぐおうっ、僕は……僕は……!!」
だが、アルノルトに一切の容赦はない。
それどころか、泣いているディートリヒを蔑んで、その冷ややかさは増すばかりだ。
「一介の令嬢からすべての後ろ盾を奪い、繋がりもない地へ追い出すことが、死刑宣告と同義だと分かっていたのか?」
「し、死刑!?」
「そのつもりが無かったと宣うのなら、愚かさにさらに輪を掛ける。あまつさえ自分の無能を棚に上げて、リーシェに責任転嫁をするなど言語道断」
「ちょわ……っ、あの、アルノルト殿下……!」
リーシェは慌ててアルノルトを止め、こしょこしょと彼に耳打ちをする。
「なっ、何故この状況で追い討ちを……!?」
「なんだ。先ほどの視線は、俺がとどめを刺しても構わないという許可じゃなかったのか」
「違います! というか殿下、絶対に分かってらっしゃるでしょう……!!」
アルノルトも小声で話すのは、リーシェがそうするのを真似たのだろうか。青い瞳がリーシェを見て、こう告げる。
「俺がこの男に配慮してやる理由はない」
(仰る通りです……!)
しれっとした表情で言い切られ、リーシェは額を押さえた。
「むしろお前は寛容すぎる。ここにいるのは、お前を婚約破棄した相手だぞ」
「だって……ディートリヒ殿下の婚約者という立場は、『私にとって心底いらないもの』ですし。不要なものを剥奪されたからといって、怒る必要が一体どこに……?」
「……俺よりも、お前の方が辛辣じゃないか……?」
ディートリヒを放置したまま、リーシェたちはふたりで内緒話を続けていく。
そのうちにディートリヒが、ぶつぶつと小さく呟き始めた。
「僕は……生まれる環境がもっと違えば、もっと僕らしく輝けるはずだったんだ……! 好きで王太子に生まれたわけじゃないのに……」
そんな発言も、アルノルトの言葉で遮られる。
「では、リーシェが好きでお前の婚約者として生まれて来たとでも思うのか」
「そ、それは……!」
アルノルトは脚を組みかえて、心底嫌そうにディートリヒを眺めた。
「仕方ないから尋ねてやるが。……お前が羨んでいるリーシェが、これまでなんの苦心もなく、人生を送って来たとでも?」
「……っ」
ディートリヒが気まずそうに目を逸らす。対するアルノルトは、肘掛けに頬杖をつきながら言った。
「リーシェがこの国に来て、僅か二ヶ月だ。しかし彼女を夜会に連れて行くと、その場に居る全員の顔を覚えていて、それぞれの好む会話をすることが出来る」
そんなことをアルノルトが口にしたため、リーシェは目を丸くする。
「そ……それはそうだろう。リーシェは昔から記憶力が良いんだ」
「違う。記憶力だけに頼っているわけではない」
ディートリヒの言葉を否定して、アルノルトは続ける。
「どれほどくだらない会話でも、リーシェは誠実にそれを聞いていた。その上で、次回までに会話の内容を調べているんだ。それで彼女の利になることなど、なにひとつないにもかかわらずな」
「アルノルト殿下……」
「性根の腐った貴族のひとりが、ガルクハインのあまり知られていない歴史について、話題を振ったことがあった。――それに対して淀みなく答えられたのは、彼女が睡眠時間を削り、この国のことを独学で学んでいるからに他ならない」
そうして青色の双眸が、リーシェのことを静かに見下ろした。
「体力のつく食品や酒を、定期的に兵舎へ差し入れていることを知っている。自分自身に必要のないことでも、俺のためになるならばと、ほとんど面識のない俺の近衛騎士にまで気を配っているんだ」
(……アルノルト殿下が、そんなところまで見ていて下さったなんて……)
柔らかなまなざしを向けられて、頬が火照ってしまうのを感じる。
「彼女のそういった振る舞いを、俺はいくらでも挙げることが出来る。俺の目が届かないところにさえも、無数に存在しているだろう」
「か……買い被りすぎです殿下。そんな風に言っていただくほどのことでは」
「お前はもっと、自分が積み重ねてきたものを誇っていい」
「!」
大きな手がリーシェの輪郭を包み、親指でするりと頬を撫でる。
「皇太子妃として努力をしてきたことを、この男にもちゃんと教えてやれ」
「う……」
確かに、アルノルトがいま挙げた話については、戦争回避の目的以外にも色んな思惑があったのだ。
婚約者として夜会に出る以上、アルノルトの汚点になる振る舞いはしたくなかったし、せっかくならばきちんと勤めたい。
近衛騎士を全員覚えたのは、アルノルトがどんな臣下を選び、どんな風に彼らと接するのか知っておきたかったからだ。
(……自分でやりたくてそうしているのだから、褒められて嬉しいのは変なはずなのに……)
心の中に、ほわほわと花が咲いたかのようだ。
アルノルトの手が、頬からゆっくりと離れる。けれども火照りを隠すために、リーシェは自分の手で顔を押さえた。