軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

148 誓いと仲直り

「ここ数日、殿下が忙しくしていらっしゃる間、ひとりでじっくり考えました」

リーシェはドレスの裾をぎゅっと握り、アルノルトに告げる。

「やっぱり、一方的な我が儘を言っているのは私だと、実感したので」

「――違う」

思わぬ否定が返ってきて、ぱちりと瞬きをした。

「そもそも、俺の言葉が足りなかった」

「……殿下?」

「俺がお前に取った手段は、忌むべきものだ」

アルノルトがこちらに手を伸ばし、リーシェの頬に掛かった横髪を耳に掛けてくれた。

そして彼は、ゆっくりとこう話す。

「他国から、妃を連れて来て人質にする。……それは、父帝がこれまでに取ってきた手段だった」

以前、彼が話してくれた。アルノルトの父は、さまざまな国から花嫁となる女性を献上させ、それを人質にすることで他国を抑制してきたのだと。

「そのやり方を嫌悪してきたはずだ。だが、結局は俺も同じような手段を用いて、お前を妻にしようとしている」

アルノルトの表情に、はっきりとした感情は浮かんでいない。

けれどもそのまなざしには、さまざまな想いが去来しているように見える。

「――俺の元に嫁がせて、お前の未来を奪った」

リーシェは思わず息を呑んだ。

「これ以上、俺がお前に望むものなどない。……そんな資格もない」

アルノルトの眉根が、ほんの僅かに寄せられる。

どこか苦しそうな、その苦しさを抑えつけているかのような、そんな表情だった。

「だから、もういいんだ」

「……っ」

心臓の近くが、きゅうっと音を立てて軋んだような気がする。

きっとこれまでのアルノルトは、自分から何かを望むことなど許されなかったのだ。

何かを欲しがることも、それが与えられることも無かったのだろう。たとえ大国の皇太子であろうと、アルノルトがこれまでに手に入れたものは、数えるばかりだったのかもしれない。

はっきりと語られていなくても、リーシェにはそのことが分かってしまった。

「……私が一番反省しているのは、殿下が仰ったその点なのです」

そう告げると、アルノルトは訝るようにこちらを見る。

「私に、何も望まないと。……殿下がそうお考えになる理由について、そもそもの原因は、私に問題があったのだと気づきました」

「……リーシェ?」

「アルノルト殿下が、私に求婚をして下さったときのことを思い返していたのです」

あの夜、アルノルトはリーシェの前に跪いた。

『貴殿への突然の無礼を詫びよう。そして、願わくはどうか――』

リーシェの手を取り、間近に目を見据えて、彼は言ったのだ。

『どうか、俺の妻になってほしい』と。

「私はあのとき、『お断りします』とお返事しましたよね」

「……ああ」

リーシェは俯き、大きく深呼吸をしてから、再びアルノルトの目を見上げる。

「あの求婚を、もう一度やり直したいと思います」

「……?」

彼に何かを言われる前に、アルノルトの左手へと手を伸ばした。

大きくてとても綺麗な手だ。爪の形や、手の甲にまで浮かぶ筋だけでなく、武骨な印象を受ける剣だこまでもが美しい。

「リーシェ」

一生懸命に言葉を紡ぎながら、アルノルトの指に自分の指を絡めてみる。

「あなたへの、あのときの無礼をお詫びします。そして、願わくはどうか――」

彼の左手を、リーシェ自身の口元へと引き寄せた。

アルノルトから指輪を贈られた際、それを着けるときにしてくれたことを真似るのだ。勇気を出し、アルノルトの薬指の付け根に、リーシェの方から口付けを落とす。

「……っ」

ちゅ、と小さな音がした。

それがものすごく恥ずかしい。手の甲にキスをしただけなのに、心臓がどきどきして壊れそうだ。

一気に顔が火照るのを感じる。その赤さを隠したくて、アルノルトの手を自分の頬へと押し付けた。

そうして、アルノルトをまっすぐに見詰める。

「どうか、私の夫になってください……」

「――…………!」

選んだのは、あのときのアルノルトと同じ言葉である。

そのことに、彼は気付いてしまっただろうか。リーシェが告げた求婚に、アルノルトは目をみはっていた。

「……何を……」

「っ、これで!」

声が震えそうになるのを堪えながら、真っ赤な顔でアルノルトに告げる。

「これで、あなただけが結婚を望んだのではありません。そして、断った私を、無理矢理ガルクハインに連れて来たということにはならないはずです……!」

あのときのリーシェは、アルノルトの求婚を拒んでしまった。

ひとりの寝台でぐるぐると考えた結果、あのときのリーシェの拒絶こそが、アルノルトの負い目になっているのではないかとも思えたのだ。

けれどもアルノルトは、こちらを見下ろしたまま、何も言わない。

「だ……駄目ですか……?」

「……」

「殿下がお望みになることは、私が叶えられる限りなんでも聞きます。あなたが私にして下さることより、出来ることはずっと少なくて、拙いものかもしれませんが」

リーシェはぎゅうっと眉根を寄せて、言葉を重ねた。

「私だって。――アルノルト殿下の我が儘を、たくさん叶えて差し上げたい……」

けれども恐らく、変わらないのだとは思う。

アルノルトが心に決めていることは、いまのリーシェには底が知れない。リーシェに求婚した理由も、彼が未来の戦争で成そうとしていることも、なにひとつ分かりはしないのだから。

(でも、どうか)

リーシェが願った、その瞬間だった。

「……!」

指同士を絡めていた手が、アルノルトの方に引き寄せられる。

やさしいけれど、強引な力でもあった。アルノルトはリーシェを抱き止めると、背中へ腕を回す。

閉じ込めるように、ぎゅうっと強く抱き締められて、耳の横で小さく囁かれた。

「その求婚を、受け入れる」

「……っ!」

低く掠れているけれど、はっきりとした声だ。

「……俺の元に、嫁いで来てくれるか?」

「う……」

耳元を擽るような優しい声に、思わずびくりと身を竦める。

手の置き場所が分からなくて、リーシェは散々迷った挙句、アルノルトの腰付近のシャツを弱く握った。

「もう、とっくに来ているじゃないですか……」

「まだだろう。……正式な妻にはなっていない」

淡々とした言い方が、ほんの少し拗ねているようにも聞こえて困る。

だが、それは仕方のないことだった。

リーシェの故国も、この国も、女性は十六歳にならなければ婚姻を結べない。リーシェの十六歳の誕生日は、いまから三週間ほど先だ。

すぐには願いを聞けない代わりに、リーシェはちゃんと言葉で誓う。

「あなたの妻になります。……アルノルト殿下」

「……」

そう告げると、ますます強く抱き込まれた。

けれども決して苦しくはなくて、加減されているように錯覚する。アルノルトは更に、こう重ねてくるのだ。

「――もう一度言ってくれ」

「……!」

告げられて、これこそが彼の我が儘だと気が付いた。

「リーシェ」

「……っ、あ」

ねだるように名前を呼ばれ、リーシェは慌てて彼に尋ねる。

「あと一度しか、駄目ですか……?」

「……」

「殿下さえお嫌でなければ。これから先、何度でもお伝えしたいのですが……」

彼の初めての我が儘だと思えば、それに応えたいと思ってしまう。

それでも冷静に考えてみれば、おかしな頼みだと気が付いた。求婚めいた言葉の返事を何度も重ねるだなんて、そんなことは明らかに不合理だ。

「ご、ごめんなさい。変ですよね」

「……いいや」

アルノルトが、かすかに笑った気配がした。

「聞きたい」

「~~~~っ」

その瞬間、いっそう顔が熱くなった。

数日前にもこの海で告げられた言葉だ。顔が赤いのを気付かれないよう、アルノルトに額を押し付けるのだが、こんなにくっついては迷惑かもしれない。

「ご、ごめんなさい……。もう少しだけ、この体勢で」

「構わないが」

アルノルトは、リーシェをあやすように背中を撫でたあとで、こんなことを言った。

「……お前は、もう少し肉をつけた方がいいんじゃないか」

「え……!!」

思わぬ言葉に、リーシェはびくりと肩を跳ねさせる。アルノルトの顔を見上げそうになったけれど、抱き締められていて身動きが出来ない。

「ひ、貧相ですか!?」

「そうではなくて」

皇太子妃として見栄えが悪いと言う話ではなさそうなので、ひとまずは安堵する。

アルノルトは、リーシェの肩口に頭を預けるようにし、彼にしては小さな声で言った。

「下手に触れると、壊しそうだと言っている」

「……!!」

そんなことを告げられて驚いたあと、なんだかおかしくなってしまう。

「壊れたりなんかしないから、大丈夫ですよ」

だが、アルノルトは何も言わない。言葉だけでは伝わらないと気が付いて、リーシェはそこで自分からも、ぎゅうっとアルノルトを抱き返してみる。

「ね?」

「……」

アルノルトは、納得したようにリーシェの背中をとんっと撫で、それからそっと体を離した。

「大切にする」

「……はい」

そんな言葉にどきりとした。

どうやら、リーシェがそれなりに頑丈だということは、やっぱり伝わっていないらしい。

(……夫婦喧嘩は、あんまり上手に出来なかったけれど)

それでも仲直りの方は、なかなか上手く出来たのではないだろうか。

そう思い、リーシェはアルノルトを見上げて笑った。夕暮れ色の浜辺でも、アルノルトの青い色をした瞳は、やっぱり世界一美しい。

「風が強くなってきた。……戻るか」

アルノルトは言い、リーシェに手を差し出してきた。

当たり前のようにエスコートを示されて、緊張してしまう。この動揺が気付かれないように、アルノルトの手にそうっと触れた。

そして、ふたりで歩き始める。

(この方の抱えていらっしゃるものは、きっと私には窺い知れない。私がどれほど願っても、そう簡単に変えて下さることはない……)

そのことはきちんと理解していた。けれど、と祈ってしまうのだ。

(それでもいつの日か、アルノルト殿下が、幸福な望みを口にして下さいますように)

たとえ、この婚姻がどんな思惑の元に結ばれようとしているものであろうとも。

(その相手が、私でなくても構わないから)

アルノルトが起こす戦争を、リーシェは絶対に止めてみせる。

そのときに、リーシェはアルノルトの敵となるのだろう。その目的を隠したまま傍にいることは、彼に対する裏切りに他ならないと分かっていた。

(それでも。――私は、どうしてもこの方を、幸せにしたい……)

戦争という、彼を含めたさまざまな人が傷付く手段でなく。

アルノルトが心から何かを望み、それが手に入る、そんな世界を目にして欲しかった。

「リーシェ。どうした?」

「……いいえ」

歩調が遅れてしまったのを、アルノルトに気付かれて苦笑する。

「帰ってご飯を食べましょう。……婚姻の儀のドレスを着るためには、体型を変えるほど食べるわけには参りませんが」

「安心しろ。万が一のときは、国中の職人を集めて仕立て直させる」

「アルノルト殿下が真顔で仰ると、冗談に聞こえなくて怖いですね……」

そんな話をしながらも、胸の奥がほわりとくすぐったくなった。

夕焼け色の砂浜を歩きながら、時々海の方を振り返る。

きらきらと水面に光が散り、その眩しさに目を細めて、リーシェはアルノルトの手をきゅうっと握り締めたのだった。

***

すっかり夜に染まった海辺の城に、静かな波音が響き渡る。

足音をひとつも立てずに歩き、その部屋の扉を開けたラウルは、無人の応接室を見回した。

誰の許可をも得ることはなく、長椅子の一脚に座ってみる。すると数分もしないうちに、硬質な靴音が響いて来た。

そうして扉が開け放たれる。

ラウルは口の端を上げ、敢えて軽口を叩いてみた。

「……人が静かに来てやったのに、あんたはこそこそ隠れる気もないってか?」

「……」

上半身だけ振り返り、椅子の背凭れに肘を掛けると、その男は冷たい目でラウルを見下ろす。

そうして何も言わないまま、ラウルの向かいに腰を下ろし、肘掛に頬杖をついた。

その様子を見て、ラウルは更に言い募る。

「不愛想だな。これから協力関係になるんだし、もうちょっと友好的になっても良いんじゃない?」

「お前の軽口を聞く気はない」

「まあいいさ。俺はあんたたちに恩がある、ご命令は聞きますよ。……たとえそれが、溺愛する奥さんにも言えないような、後ろ暗い話でもな」

そう告げて、目の前の男を煽るのだ。

「予定通り、内緒話を始めようか? ……アルノルト・ハイン殿下」

「――……」

冷たいほどに整った顔立ちの男は、より一層冷ややかなまなざしを、ラウルへと向けてくるのだった。