軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13 人生の価値を決めるものは(◆アニメ2話ここまで)

エルゼと別れてから離城に戻ったリーシェは、汲んできた水を使い、掃除の続きに戻った。

しばらくすると、騎士たちが寝台を運んできてくれる。大きくてふかふかな寝台には清潔なシーツが掛けてあり、見るからに寝心地が良さそうだ。

きりのいいところまで雑巾掛けを終えたリーシェは、この辺りで一休みすることにした。寝台を運んでもらった最上階の一室に向かうと、バルコニーに出てみる。

そこから見下ろす皇都は、夕暮れの光で金色に染まり始めていた。

先ほど少し雨が降ったため、空気が透き通っていて遠くまで見通せる。掃除で汗ばんだ肌に、春の風が心地よかった。

バルコニーの手すりに腕を掛けると、その上に頬を乗せて目を瞑る。

このまま眠ることが出来れば素晴らしいのだが、お風呂に入らなくてはならない。とはいえ、ここから見下ろす景色と春風からは離れがたい。

そう思いながらぼんやりしていると、不意に母の声が脳裏に過ぎる。

『リーシェ。あなた自身の想いなど、あなたの人生には必要がないのです』

かつて言われてきた言葉を思い出し、眉をひそめた。

『忘れてはいけませんよ。王家に尽くし、忠義を貫く生き方こそが、我が公爵家の使命なのです』

『どれだけお前が優秀でも、女に生まれてはすべて無意味なのだ。お前は王太子殿下をお助けするため、それだけのために生きていればいい』

『勉学? 社交の場を取り繕える程度の知識があればそれで十分です。そんなことより花嫁修行を。もっと愛想よく笑うことを覚えるのですよ』

我ながら、よくもここまで仔細に覚えているものだ。リーシェはふうっとひとつ、息を吐き出した。

(そうだったわ。十五歳の私は、お父さまやお母さまに言われたことを、こうして何度も思い返していたっけ……)

その癖が抜けないのか、婚約破棄まで巻き戻った直後のリーシェは、度々幼いころの記憶を揺り返してしまう。

父や母はいつも、子供だったリーシェに繰り返し説いてきた。

『世間に認められる相手との結婚。女の本当の幸せとは、そんな相手と結ばれて子を産むことだけなのです』

『……ですが、おかあさま……』

あのころのリーシェに、反論は許されなかった。

そもそも他ならぬ両親こそが、リーシェの価値を、『いずれ王妃となって世継ぎを産む娘』という一点でのみしか感じていなかったのだ。

価値なんて、他人に決められるものでもなければ、肩書きによって与えられるものでもないのに。

「……」

ぴくりと無意識に指先が動いて、リーシェはゆっくり目を開けた。

そして、そのままの姿勢で問い掛ける。

「……よろしいのですか? 公務を途中で抜け出して」

「まったく、お前には毎度驚かされるな」

楽しむような声がしたのを聞き、体を起こして振り返る。

そこには予想した通り、アルノルトが立っていた。バルコニーの入り口に凭れかかっていた彼は、笑いながら言う。

「気配を消していたつもりだが。これだけ距離があっても気取られるのか」

「どの口が仰るのです? 少しずつ気配の濃さを調整して、私がいつ勘付くかを測っていらしたでしょう」

「は。やはり分かるか」

アルノルトがこちらに歩いてきて、リーシェの隣に並ぶ。少々警戒したが、彼は不思議そうに城下を見下ろしただけだった。

「何を見ていた」

「街を。……あそこにあるのはなんでしょう?」

「図書館だろう。国が出資し、各国から集めた書物が保管されている」

「まあ! あんなに大きな建物が?」

それは、さぞかし豊富な蔵書を抱えているのだろう。近々是非行ってみたいと、リーシェは目を輝かせる。

それから、他にも気になっていたものを指差した。

「あちらの尖塔は? とても美しい建物ですけれど」

「教会だ。時計塔の役割も兼ねていて、朝と夜に定刻を告げる鐘を鳴らす」

「わあ、素敵……! そういえばあの辺りには、大きな市場があるようですね」

「皇都で最も大きな商店通りだ。早朝には屋台も並び、その日に仕入れたばかりの物を扱っている」

「素晴らしいです! では殿下、あちらの綺麗な山は――……」

アルノルトに説明してもらうたび、リーシェはわくわくして仕方がなかった。

頭の中に想像が膨らみ、実際を確かめてみたくなる。広大な図書館も、刻を告げる美しい教会も、瑞々しい果物などを売り買いする朝の市場も。

そんなリーシェを、アルノルトは興味深そうに眺めてきた。

「な、なにか?」

「いいや。ただ、何がそれほど楽しいのかと思ってな。――不本意な状況で嫁がされてきた国に、それほど興味が湧くものなのか」

「ええと……」

尋ねられて、どんな風に答えるべきか迷ってしまった。

(どうしようかしら。こういうのって、普通に答えても大丈夫なものなの?)

嘘をつくようなことではないのだから、そのまま話せばいいのかもしれない。

しかし、かつての人生で敵対していたアルノルトに話すのは妙な気持ちだ。そしてその違和感が、ある種の気恥ずかしさを呼んでしまう。

結果、リーシェは少し顔を赤らめ、口ごもりながら答える羽目になった。

「……憧れ、だったのです」

その顔を見て、アルノルトは意外そうな顔をする。

「憧れだと?」

「はい。私はずっと、ずうっと前から、いつかこの国に来てみたかった」

貿易商人だった最初の人生で、リーシェはひとつの夢を持っていたのだ。

この世界にある、すべての国に行ってみること。けれどその夢は、最後の一カ国を残したところで終わってしまった。

その最後の国こそが、ここ、皇国ガルクハインだったのだ。

ガルクハイン国の土を踏めなかったのは、商人だった人生だけではない。

どの人生でも、リーシェは最初に自分が生きていく手段を得なくてはならなかった。しかしその見通しが立つ頃には、ガルクハイン国には気軽に出入りできないような情勢に変わっている。

リーシェにとって今回の結婚は、ガルクハイン国を訪れる初めてのチャンスだったのだ。

「殿下との結婚を決意した理由の、最後の一押しは、その憧れがあったからかもしれません」

「……」

アルノルトは眉根を寄せた後、城下を見下ろして口を開く。

「お前が憧れるようなものは、この国にはないぞ」

「いいえ、そんなことはありません! 先ほど簡単に教えていただいただけでも、魅力的な場所はたくさんありましたわ。街の人たちの顔はきらきらしていましたし、騎士の皆さんもやさしいです。それに……」

対象がなんであれ、素晴らしいもののことを考えるのは楽しいことだ。

リーシェがにこにこしながら指折り数えていると、アルノルトはいつのまにか、再びリーシェを見つめている。

その表情が妙にやさしい気がして、理由が分からずに戸惑った。

「私、何か変なことを言っていますか?」

「自覚がないなら大したものだな」

(し、失礼な……)

「お前のような女は見たことがない。発言の内容も、持っている知識も身体能力も。単なる令嬢には、そもそも必要がないものだろう」

アルノルトの言葉に、リーシェはむっとする。

『リーシェ。あなた自身の想いなど、あなたの人生には必要がないのです』

過日の母の言ったことが過ぎり、思わず口を開いていた。

「……他者から見て必要がなかろうと、すべてが私の宝物。絶対に失くすことのない財産であり、大切な人生の一部なのです。たとえ、誰かが無意味だと断じても」

アルノルトに正面から向き直り、背の高い彼を見上げた。

「私の人生にとって価値があるものが何かは、私自身が決めること」

かつて両親に注がれた呪いを、リーシェは絶対に受け入れない。

女に産まれたってなんでも出来るし、妃になるためだけに生きて、自分の得たい学びを諦めるようなことは二度としない。

その炎を宿したまま、アルノルトを見つめる。すると彼は、驚くほどやさしいまなざしでこう言った。

「――分かっている」

そして、大きな手でリーシェの頬に触れた。

その親指は、肌の表面を柔らかく拭う。リーシェは瞬きをしたあとで、自分の顔が掃除によって汚れていたのだと思い当たった。

「お前はこれからこの国で、望むことを自由にやればいい。俺はその望みを支え、力になり続けると誓おう」

「え……」

思わぬ許容を向けられて、リーシェは驚く。

こんなことを言ってみたものの、アルノルトはリーシェに『妃らしく』を求める権利があるのだ。だってこれは、双方の国に力の差がある政略結婚であり、リーシェの本質は人質なのだから。

なのに、アルノルトはリーシェの自由を許すどころか、それを支えるとまで言うのか。

「どうして、そんなことを?」

「言っただろう。俺はお前に惚れ込んだと」

アルノルトが、相変わらずの嘘を繰り返す。

「それと、お前は他者からの言葉など望んでいないかもしれないが。――俺はお前の底知れない能力を、無意味どころか、心から好ましく感じている」

「……っ」

「それくらいは、伝わっていると思ったが」

そう言ってリーシェから手を離し、背中を向けて歩き始めた。

入口のところで足を止めると、呆然としていたリーシェを振り返って言い残す。

「なにか、欲しいものでも考えておけ。『指一本触れない』と言う契約を、今度こそ破ってしまったからな」

「……」

アルノルトがいなくなったあと、リーシェは何故だか力が抜けてしまい、バルコニーにぺたりと座り込んだ。

(……ぜんっぜん読めないわ! あの男が、アルノルト・ハインが、いったい何を企んでいるのか……)

ガルクハインの皇都に、静かな夜が訪れようとしている。