軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

102 幼いその手が望むもの

***

大神殿の大部分から、人の気配が消えていた。

ドレスを着替えたリーシェの靴音が、静寂の廊下に反響する。

客室棟から一番近い聖堂を覗いてみたものの、そこもやっぱり無人だった。昨日までは、女神に祈りを捧げる司教や、祭典の準備に追われる修道士たちが忙しなく行き交っていたのに。

(誰もいない。ミリアさまやジョーナル閣下だけでなく、アルノルト殿下もオリヴァーさまも)

ひょっとして、大聖堂へと向かったのだろうか。

祭典の儀式には、一般信徒の参列は禁止されている。アルノルトであろうと例外なく、大聖堂には近づけないはずだ。

(どうして胸騒ぎがするの?)

大聖堂への回廊を駆けながら、リーシェはぎゅっとくちびるを結ぶ。

(未来の『皇帝アルノルト・ハイン』は、教会や神官を焼き払う。それでもいまのアルノルト殿下であれば、教団相手に無茶はなさらないはず。……でも、教団の人を私にすら近づかせないように命じていたのは何のため?)

そもそもが、未来で教団を敵に回すことにも理由はあるはずだ。

過去の人生では、単純に邪魔なのだろうと考えていた。

教団は強い権力を持っており、世界中の人々の拠り所となる。支配者にとっては目障りでしかなく、存在を見逃す理由はない。

(とはいえきっと、それは理由のひとつでしかないのだわ)

遠くの方で、祭典の始まりを告げる鐘の音が鳴り響いた。

大聖堂に急ごうと、リーシェがドレスの裾を掴んだ、その次の瞬間。

「っ、レオ!!」

「……」

目の前に少年が飛び出してきて、リーシェはどうにか立ち止まる。

現れたレオは、向かい合ったリーシェを真っ直ぐに見上げていた。

(本当に、まったく足音が聞こえなかった。それどころか気配さえ……!)

こくりと喉を鳴らす。

レオはリーシェを観察しながら、警戒心を滲ませて口にした。

「……大聖堂の方に、行くつもりか」

「ええ。だって、もうじき祭典が始まるのでしょう?」

すると、レオは眉根をぎゅっと寄せる。

「アルノルト・ハインは、大司教に至急の会談を申し入れたそうじゃないか」

「アルノルト殿下が? でも、祭典の直前にそんなことをしたって……」

「どうせ契約を利用する魂胆だろ。教団は、『ガルクハインが会談を申し入れた場合、それを断れない』って決まりになってるって聞いてるぞ」

思わぬことを告げられて、リーシェは目を丸くした。

(教団とガルクハインのあいだに、そんな契約が結ばれているというの?)

リーシェのその反応を見て、レオはふんと鼻を鳴らす。

「やっぱりあんた、知らないんだな」

(……いくら契約があろうとも、祭典の儀式より優先されるわけがないわ。アルノルト殿下の目的は、本当に会談をしたいわけではなくて……)

リーシェはぐっと顔を顰める。

(……教団に、『契約違反』を犯させること?)

それは、ほとんど確信に近い結論だった。

(契約を反故にした場合、どんなことが起こるのかは分からない。けれどももしかするとアルノルト殿下は、それを口実にして祭典に……)

嫌な予感が、ぞわぞわと背筋を這い上がる。

皇帝アルノルト・ハインはともかく、リーシェのよく知る十九歳のアルノルトは、不用意に教団と敵対することはしないと思っていた。

だが、その前提がそもそも違うのかもしれない。

ガルクハインと教団は、何かしらの協定を結んでいるのだ。

教団の側にそれを破らせれば、アルノルトは動きやすくなる。恐らくはその状況を狙っており、実現するはずもない会談を申し入れたのだろう。

(その上に、アルノルト殿下の行動には正当性が付属する。――あの方が、ミリアお嬢さまを助けてくださる限りは……!!)

教団から、巫女姫の命を護るため。

そんな正義が存在する限り、世界中の信徒はアルノルトの側につくだろう。

(アルノルト殿下はやさしい人。……だからこそ、何かを守るために、非道な振る舞いが出来るお方)

彼はきっと、リーシェの願いを叶えるため、ミリアを助けようとしてくれている。

――それこそ、どんな手段を使ってでも。

「行かないと……」

ミリアを助ける必要がある。

だからといって、アルノルトに非道な真似をさせるわけにもいかない。

彼に助けを求めたのが間違いだったと、そんなことは考えたくないけれど、自分の軽率さが苦々しかった。

先を急ごうとしたリーシェの前に、レオの小さな体が立ちはだかる。

「駄目だ。これ以上は大聖堂に近付くな」

「レオ……」

「あんたはなんとなく放っておけないから、仕方なく警告してやってる。あんたがアルノルト・ハインの味方をするなら、見逃してやれない」

「……」

物悲しい気持ちでいっぱいになって、リーシェは両手を握り締めた。

「……私は、アルノルト殿下の味方になんてなれないわ」

「!」

「心配してくれてありがとう、レオ。……だけどごめんね」

彼に対し、まっすぐに告げる。

「あの人の敵になってでも、お傍でやらなくてはいけないことがあるの」

「……せっかくの、忠告を……!!」

駆け出そうとしたリーシェの前に、小柄な体が飛び込んできた。

手首を掴まれそうになり、リーシェはすぐさまそれをかわす。後ろに一歩引き、レオから十分な距離を取って、呼吸を練ろうとした。

「!」

その間合いへ、すぐさまレオが飛び込んでくる。

(速い!!)

目を丸くするような暇すらなく、襟首にレオの手が伸ばされた。ドレスを掴まれた瞬間に、くるりと身を回してそれを外す。

すぐさま掴み直されそうになるも、手首に軽い一撃を入れた。リーシェに手を弾かれたレオが、間合いを空けながら構えを取る。

「……本当に身代わりが下手だな。そんな動きをしてたんじゃ、本物の皇太子妃じゃないってすぐバレるぞ」

「あなたこそ、普通の子供のふりはもういいの?」

「あんたたち相手じゃ意味がない。人の動きを観察しながら、注目されたくないところばっかり注目しやがっ、て!」

一気に間合いを詰められて、すんでのところでそれをかわした。

レオはそのまま追撃をやめない。リーシェの腕を掴み掛けたと思ったら、回避した瞬間に足払いを掛けてくる。リーシェがそれを避け、身を翻した瞬間に、再び懐へと飛び込まれた。

(っ、息をつく暇も……!)

考えてみれば、敵はいつだってリーシェよりも大柄な相手だった。

レオのように、自分より小さな人間を相手にした経験は少ないのだ。その所為かいつもと勝手が違い、翻弄されてしまう。

(この素早さ。少しでも気を逸らしたら、その瞬間に絡め取られる!!)

手を伸ばされ、それを回避し、体術で弾いて遠ざける。

レオの横を走り抜けられないかと隙を探るも、その瞬間を狙って踏み込まれた。レオのまだ細くてしなやかな腕が、リーシェを捕らえようと迫り来る。

「……っ!」