作品タイトル不明
276.謝って終わりにしろ
彼が落ち着いたところで、唯一挨拶が済んでいなかったヘンリック様が声をかけた。真っ赤な鼻のオイゲン様は、ご迷惑をおかけしますと挨拶する。きちんと躾ができているじゃないの。ティール侯爵夫人ハンナ様は、彼の教育に成功していた。ただ、反発して悪ぶった理由があるのでしょう。
忙しいお母様の気を引きたかったとか、または叱ってほしかったとか。そう尋ねたら、恥ずかしげに頬を染めて「両方です」とか細い声で返ってきた。もう大きくなったんだから、と周囲に言われて素直に甘えられなくなったのかも。
幾つになっても子供は子供、親にとって庇護対象だった。私、自分がお婆ちゃんになっても、レオンに「風邪を引くわよ」と注意するはずだもの。
「レオン様に、謝らせてください」
「きちんと謝って終わりにしろ。それでいい」
公爵であるヘンリック様が決めたなら、誰も異論はない。終わりという単語に、オイゲン様は視線を彷徨わせた。怖がったのではなさそう。
「子供の喧嘩は仕方ないわ。これからは、自分より弱い子や幼い子に優しくできたらいいわね」
あなたは許されていいのよ、そう伝えた。貴族社会は厳しくて、一度の失敗で人生を台無しにすることもある。ただ、今回は両家が納得して終わらせるのだから、外部に口出しはさせない……あっ。
「バルシュミューデ公爵夫人にはお詫びをしてほしいの」
ユーリア様はお茶会の主催者だから、さすがにご挨拶なしは無理ね。
「安心しろよ、俺がついてってやるからさ」
ユリアンが安請け合いするけれど、伯爵家の次男がついていけるわけないでしょ。よくて、馬車で待つくらいね。それでも一緒に行ってもらえたら心強いのかしら。
いい友達になれそうな二人だった。オイゲン様は二回深呼吸し、レオンに向き直る。ところが、レオンはまだお尻を向けたまま。私の膝でうとうとしている。
「レオン、起きて。きちんとお座りできる?」
「うん……できゆ」
ふらつきながら身を起こし、レオンは当然のように膝に座った。ヘンリック様は肩から離れて姿勢を正しているのに、ちゃっかりしているわ。レオンは顔を上げて、オイゲン様を見つめた。
「こないだは、ひどいことを言ってしまい……申し訳ありません。二度としません」
許してくださいと言わないところは、ご実家の教育かしら? 侯爵家の教育係なら、立派な先生方をお呼びしたはず。許す権利は相手にあるのだから、加害者から求めてはいけないの。被害者が許せると思ったときに、受け入れるべきだわ。私はそう思っている。
「もうち?」
言い回しが大人すぎて、レオンには理解できなかったみたい。首を傾げる仕草に、私は噛み砕いて説明した。
「レオンに嫌なことして、ごめんなさい。もうやらないと言ったのよ」
「……うん、いいよ」
本当にいいのか重ねて尋ねたら、再び頷く。
「だめは、なくの」
泣きたくなるから、ダメと言いたくないし言われたくない。驚く返答だけれど、子供は大人が思うよりすべてを理解しているのかもしれない。だから、私が伝えるのはこれだけ。
「ありがとう、優しいレオンで嬉しいわ」
「俺、悪いこと……なのに、いい、の?」
ぐずぐずと鼻を啜りながら、オイゲン様はまた泣いてしまった。涙腺は一度緩むと、しばらく止まらないみたい。好きなだけ泣きなさい。