作品タイトル不明
閑話36 雨宮家に潜む悪霊
巨大な、それを生物と認識するのが困難なほど巨大な異形の足元に、二人の人影がいた。
『行ってきます』
一つは辛うじて人型ではあるが、それと同じく異形の存在。
『あいあい』
そして行ってらっしゃいと手を振る、黒いが赤ん坊と幼児の間位の大きさの人影だ。
見送られた異形は、そのまま真っ直ぐ巨大な異形に近づいて行き……そのまま音も無く溶けるように一体化する。
だが、すぐに、巨大な異形から別の異形が生えて分離した。
『バンダー、おおバンダー、こバンダー』
『ただいま、めー君。それは大きい方の俺と、俺と言う意味でしょうか?
それで、説明は要りますか、俺よ?』
…………。
『要らないようですね。どちらも俺自身なのですから、こうして一瞬でも再接続が叶った以上、記憶と能力のアップグレードは問題なく行われましたし』
…………。
『でも、もう一つ俺を作って彼に与える事は流石に無理ですか。まあ、仕方ありませんね』
『にーにー』
…………。
『……では、そのようにしましょう。丁度、使いどころのない異物もあるようですし。使いこなせるかは、彼次第ですが』
最初その夢を見た時は、最近見るようになった怖い夢だと博は思った。
あの事件があった時から見るようになった、突然悪者に捕まって、苛められ、最後は殺される悪夢。
実際には博達は誰も殺されなかった。途中で意識を失って、気がついたら病院のベッドの上で、事件は解決していた。
両親には平気だと答えたし、学校の友達には「全然怖くなかった」と強がって見せた。しかし、本当は怖くて仕方なかった。なのに、嘘をついた罰のように夢であの事件が、現実よりも残酷に繰り返される。
今夜も、暗い闇の中、気がつけば捕まって身動きが取れない状態から夢が始まるのだろうと博は思った。
『……あれ? これって、海か?』
だが、博を暗闇が包んでいたのは一瞬だけだった。気がつけば、彼は不思議な空間に居た。
明るい海の底を思わせる場所で、淡く、そして色鮮やかに輝くサンゴやイソギンチャクのような物が無数にあり、その間を海藻のような物が踊るように波打っている。
博はそこで溺れる事もなく泳いでいた。
『力は欲しくありませんか?』
そして唐突に話しかけられた。四つの目と耳まで裂けた口の、黒いローブの怪人に。
化け物だ。そう思ったが、博は不思議とその化け物に恐怖を覚えなかった。妹の冥の落書きにこの化け物が何度も描かれていた事を思い出したからか、それとも、守られた事があった事を薄っすらと覚えていたからか、夢に過ぎないと高を括っていたのか。彼自身にもどれが正解なのか分からない。
『欲しいよ、欲しいけど……俺じゃ、父さんや母さんみたいな特別な力は無理なんだ』
両親のような、特別な力が欲しい。特別になりたい。それが博の願いだった。彼は同い年の子供達に比べれば、数段優秀だ。勉強やスポーツだけではなく、魔術も両親の素質を良く受け継いでいる。
だが、チート能力だけは無い。両親が転生者で、チート能力はロドコルテから与えられた力である事を知っている転生者達はそれを不思議には思わず、当然だと受け入れる。
しかし転生者について真実を知っているのは、転生者自身だけだ。大人達も、学校の子供達も、そして博自身も知らされていない。
『そうですか。欲しいのなら、俺がその力の源をあげましょう。それに、今なら特殊な魔術の使い方も教えます』
「本当!?」
『ええ、本当です。ではまず、これを食べなさい』
化け物はそう言うと、博に向かって新鮮な臓器っぽい物を差し出した。その途端、博の顔が青ざめる。
『な、何だよそれぇ? ぬるぬるしてそうだし、ビクビク震えてるし、絶対ヤバイ物だろっ!』
『大丈夫、大丈夫、着色料や化学薬品は全く使っていない、自然由来の……物だから』
『物って何だよ!? そんな怪しい物、俺絶対食べないからな!』
『むー、とても健全な感性を持っていますね。……こうなったら仕方ない』
化け物はそう言って一度内臓を引っ込めると、代わりに懐から鍋を取り出した。そして博の見ている前で、何と調理を始めた。
海藻っぽい物で炎を起こし、近くに生えていたイソギンチャクっぽい物を一本引き抜いてそのまま搾り、紅い汁で鍋を満たす。そして先程の臓器っぽい物を適度な大きさに切り分け、鍋に投入。
そしてグツグツ煮込む。
『え、ええー……』
困惑する博の前で、妙に手慣れた様子で調理を続ける化け物。
『考えてみれば、初対面の相手から手渡しで受け取った生物をそのまま食べるのは、教育上良くありませんでしたね』
『ええっと……バンダー、だっけ? 化け物の世界で生の肉やホルモンを手渡しするのって、普通なのか?』
『よくわかりましたね、俺の名前』
『え? うん、冥があんたの絵を描いて、バンダーだって言っていたから、そうだと思ったんだ』
『そうですか。さて、それはそうと完成です』
化け物……バンダーはやはり何処からか取り出した皿に、鍋の中身を盛りつける。異様な食材を使った割に見た目は、やや赤みが強いビーフシチューのように見えた。
しかも、夢なのに何故か匂いまでしてくる。
『う、美味そう!?』
信じられないと驚く博に、バンダーはスプーンを差し出して改めて誘った。
『特別な力が欲しいのなら、これを食べなさい。さらに望むのなら、特殊な魔術の使い方も教えましょう。この世界では誰も存在に気がついていない、無属性魔術を』
目覚まし時計が鳴る数分前に、博は目覚めた。
「……何だ、ただの夢か」
『言い忘れました』
「っ!?」
不意に聞こえた声に驚いて顔を枕元に向けると、そこにバンダーはいた。四つの目で彼を見つめ、耳まで裂けた口から牙を覗かせて。
『夢で見た事は全て秘密です。俺が教える魔術も、人前で使ってはいけません。ご両親にも。分かりましたね?』
博が頷くとバンダーはすっと音も無く消えようとした。
「ま、待てっ。お前って、『第八の導き』なのか? 俺達が誘拐された時、助けてくれたのか!?」
しかし博に呼び止められたバンダーは立ち止まり、ぐるりと首を傾げてから答えた。
『残念ですが、それを今話す事は出来ません』
「な、何で!?」
『長い話になるので、最後まで話すと学校に遅刻するからです』
博にとって残念な事に、今日は平日だった。
【ブレイバー】の雨宮寛人と【エンジェル】の成美、二人の子供が何者かによって拉致され、そして救出されてから一カ月以上の時が過ぎていた。
匿名の通報によって駆け付けた警察が見たのは、攫われた子供達とボディーガード、ベビーシッターの無事な姿。そして一人を除き、惨たらしく殺された犯人達の死体。
そして、その犯人達の血で描かれた『第八の導き』のマークだった。
捜査機関はすぐさま報道管制を敷き、両親である雨宮夫妻を筆頭に『ブレイバーズ』が招集され、各国の捜査機関が情報提供と引き換えに捜査の協力を申し出た。
「……なのに、協力を申し出た捜査機関が調べるのは『第八の導き』の生き残りばかり。実行犯を操って博と冥を攫った黒幕は野放しのままだわ」
しかし、その捜査力は誘拐犯ではなく、『第八の導き』の方にばかり向けられていた。
確かに、犯人とは言え人間なのだから、それを惨殺した容疑者を追う事自体は間違っていないのだが……その姿勢はあからさまに過ぎた。
「確かに。あの犯人達を、ただの営利誘拐目的の外国人犯罪グループで片付けようとするのはやり過ぎだよな。退役軍人や傭兵経験者が全員分の銃と移動手段のトラックまで用意して、外国で営利目的の誘拐なんてする訳がない」
【タイタン】の岩尾一樹が、そう言って成美に同意する。
「でもまあ、安心してくれ。奴らが『第八の導き』を追うのは勝手だが、俺達の邪魔はさせない。ウーって言う運転手役から情報を引き出して、ちゃんと調べているからさ」
「それに成美、『第八の導き』について捜査するのも間違ってはいない。彼女達の生き残りが本当に存在するのか、そして何の意図があって冥達を助けたのか……はっきりさせないといけない」
岩尾の言葉に、雨宮寛人がそう続ける。彼の言う通り、形としては『第八の導き』のマークを残した何者かは冥達を助けている。しかし、その意図が不明過ぎた。
単純に助けてくれてありがとうと感謝していいのか、分からない。プルートーが成美を殺そうとし、体内に小さな命が宿っている事に気がついて止めた。冥がその時の小さな命だと言う事は、一般には公開されていない情報だ。
知っているのは各国の捜査機関に所属する者達の中でも、情報にアクセスする事が出来る限られた者達。そして雨宮夫妻とあの時作戦に参加していた『ブレイバーズ』のメンバーだけである。
死体が見つかっていない『第八の導き』が実は生きていて、逃げ延びていたのか? それとも、未知のメンバーが存在するのか? それとも、何者かが捜査側を攪乱するために『第八の導き』のマークを使っただけなのか?
「それに、彼等は『協力』しているだけで僕達や警察の指揮下に入った訳じゃない。実行犯の黒幕については僕達が調べれば良い。彼らには、このまま姿を消した何者かについて追ってもらおう。
僕達には、もっと重要な問題もあるが」
「そうね、冥は何も覚えていないようだったけれど、博はまだ夢でうなされる事があるようだから」
「実行犯と話したそうだしな。奴らが死ぬところは見ていなかったとしても、楽しい経験じゃないよな」
博は強がっていたが、成美には【エンジェル】を使うまでもなく、彼の心に傷が残っている事が分かっていた。同じ経験をすれば、大人でもトラウマを負う。それが悪夢にうなされる程度で済んでいるのなら、まだ軽い方なのだろう。
「私に、心を癒すような力があればどれだけ良かったか……」
成美の【エンジェル】は、五感を共有し、心の声で会話する事を可能にする。だが、心の傷を直接癒すような力は無い。それを嘆く妻を励まそうと、寛人は彼女の肩に手を添えた。
「そう悲観する事はない。最近は博がうなされる事もなくなってきたようだ。さっき寝顔を見た時――!」
だがその言葉の途中で寛人は突如椅子から立ち上がり、子供達が眠っている二階へ向かった。
「どうした!?」
「妙な魔力を感じる。二階に……!?」
階段を駆け上がった寛人が立ち止まり、二階を見回す。だが何も起こっていなかった。
「今度はどうした!?」
「魔力が、消えた。気のせい、だったのか?」
岩尾にそう答えながらも、寛人は子供部屋で眠っている博と冥の姿を確認し、次に事件の後増やした警備員に異変はなかったか確認したが、彼等は何も気がついていなかった。
「あなた、セキュリティシステムが一瞬だけど不審な魔力を捉えているわ。これは……本当に何なのかしら? 風属性と光属性の魔力が一瞬現れて、ぱっと消えたけれど……」
だが、寛人の気のせいではなかった。セキュリティシステムを調べていた成美が、魔力を検知した事に気がついたのだ。
「寛人が神経質になっていた訳じゃなさそうだな。しかし、意味もなく、一瞬で魔力が現れて消えるなんて……実は、博が寝たふりをしながら魔術で悪戯でもしたとか?」
子供の悪戯を疑う岩尾に、成美は首を横に振って「違うわ」と言った。
「最近、博は私達に隠れて、魔術の練習を熱心にしているようだけれど、まだ子供よ。この大きさの魔力は出せないはずだわ」
雨宮家には土水火風と光と生命、そして空間の七つの属性の魔力を検知するセンサーが付けられている。時属性は存在せず、無属性は未発見。そして死属性はそもそも検知し難い性質を持つ上に、生きたサンプルが現在では存在しないためセンサーを簡単には作れない。
そんな状況の『オリジン』では、十分なセキュリティシステムだ。
だが、それでも、何が起きたのか分からない。
「たしか、こういう事には六道や守屋が詳しかったな。守屋は丁度明日来るはずだし、聞いてみるか?」
博と冥が攫われてから、雨宮家には『ブレイバーズ』の人員が交代で護衛にやってきていた。岩尾がこの日雨宮家に居たのも、そのためだ。
「……そうだな。だが、念のために死属性の魔力を検知できるセンサーを調達できないか、交渉してみよう。もしかしたら、本当に『第八の導き』の生き残りが居るのかもしれない」
そう相談しつつ眠れぬ夜を過ごす三人だったが、翌朝早い段階で【シャーマン】の守屋から連絡がもたらされた。任務が発生したため、雨宮家にはいけないと言う連絡が。
雨宮寛人達が相談している頃、冥の部屋でバンダーは先程の出来事について首を傾げていた。
『あの、妙なのは何だったのだろう?』
睡眠の必要がないバンダーが姿を消したまま雨宮家を徘徊していると、自分と同じように肉眼では捉えられない魔力の塊が二つある事に気がついた。
それは壁を幽霊のようにすり抜け、子供部屋の方に向かって来た。しかし、明らかに幽霊ではない。魔力の塊で出来た、使い魔のような存在だとバンダーは見抜いた。
そして、その使い魔を攻撃し、一瞬で倒した。姿を消したまま魔王の欠片で出来た身体で殴っただけで、正体不明の使い魔はあっさりと砕け散った。
その際、魔力が空気中にばらまかれ、雨宮寛人に気がつかれた時は胆が冷えたが、すぐに姿を消したので気がつかれなかった。
『六道がちょっかいをかけて来たのか、それとも別口か……捜査機関の放った秘密の護衛の可能性もあったかな? だとしたら早まったかも。
博君も俺になじまなかった部分を、それなりに上手く吸収したようだし、無属性魔術を覚える前に本格的に手出しをしてくるでしょうか?』
ヴァンダルーが転生者達の魂を喰った時、吸収できなかった部分をバンダーは博に鍋料理にして与えていた。
魔力を回復させる能力らしいが、ヴァンダルーから見るとその回復量は少なすぎて、使い道を見いだせなかったようだ。
そして、博に移植された今では、オリジナルの状態よりも、さらに回復量は低くなっている。しかし、『オリジン』の子供にとっては無限の魔力を手にしたに等しい。
その魔力を使って博が【無属性魔術】を習得するまで、必要な時間は大分縮まっているはずだ。
夢の中に出た時に、少しでも印象が良くなるようにと本体に頼んで楽しい夢を演出した甲斐もあり、バンダーの事を若干怪しみつつも、指導は素直に聞いてくれている。
【魔王の発光器官】と【魔王の墨袋】で角や骨をサンゴに、触手をイソギンチャクっぽくして、体毛を海藻のように揺らめかせた。アドリブで料理した事も含めて、我ながら良い演出だったとバンダーは思っている。
そこまで上手くいったので、できれば、博にはこのまま【無属性魔術】を習得して欲しい。
『都合が良いように誤解してくれると、助かるのですが』
「う~っ?」
『ああ、起きちゃいましたか、めー君。ほーら、にょろにょろですよー』
「にょろにょろ~!」
バンダーは【魔王の触手】を生やして冥が再び眠るまで、あやすのだった。
一方、その頃、雨宮家から離れた場所に居た【シャーマン】の守屋幸助は、驚愕で青ざめていた。
「私が放った人工精霊が、二体とも一瞬で消滅しただと!?」
守屋幸助の能力、【シャーマン】は自身の魔力を用いて精霊を人工的に創り出し、それを使い魔として操る事が出来るような能力だ。
特定の属性の魔力が集まり、知能や感情があるように動き回る。それがオリジンの精霊だ。生物ではなく、自然現象の一部だと解釈されている。
守屋はその精霊を自分の意志と魔力で創り出し、通常の使い魔よりも巧みに操る事が出来る。
最新のセキュリティーを突破し、ターゲットの盗聴や盗撮を行い、観察する事も容易い。その力で、雨宮家の様子を、特に子供達の身の回りを探るつもりだったのだが……その試みはたった今、守屋のプライドと共に砕け散ったのだった。
「いったい、どうやって私の精霊に気がついた? 雨宮寛人や成美じゃない、岩尾は論外だ。まさか、本当に『第八の導き』の生き残りが、子供達の周りに潜んでいるのか? だとしても、私の精霊に見られる前に攻撃し、二体とも消滅させるなんて事が可能なのか?
……もしや、敵も私と同じタイプの力を持っているのか!」
目に見える悪霊を操る呪い師の話は、古来より伝わっている。その伝説に極めて近い性質の死属性魔術が存在し、それを『第八の導き』のメンバーの一人が使えるのかもしれない。
「だとしたら……私が今雨宮家に近づくのは拙い。奴らが私の人工精霊に近い性質の、しかし遥かに強力な人工悪霊を操っているのだとしたら、私を邪魔者と見なし攻撃してくるかもしれない。それに私は対抗できるかどうか……。
雨宮達に怪しまれるとしても、護衛の件は断らなければ。六道さんの判断を仰ごう」
バンダーの願いどおり、守屋は都合良く誤解した。これによって、今しばらく雨宮家の平穏は表面上保たれる事になった。