軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第8話 沈黙の騎士

俺の罪は、何もしなかったことだ。

他の六人は、それぞれ何かをした。聖女は密告した。宰相は法をねじ曲げた。侍女は手帳を渡した。公爵は勘当した。神官長は嘘の鑑定をした。殿下は判決を下した。

俺は何もしなかった。

何もしなかったことが罪になるのかと、八ヶ月前までは思っていた。今はわかる。なる。

名前はレオナルド・ヴェルナー。近衛騎士団の副団長だった。平民の出だ。今は何だろう。肩書きはまだあるが、辺境への異動願いは保留のままだ。

フローラ様の護衛を命じられたのは、三年前。殿下から直接「婚約者を守れ」と言われた。任務だ。命令だ。だから従った。

嘘だ。途中から、任務じゃなくなっていた。

最初の一年は、本当にただの護衛だった。

フローラ様は毎朝五時に薬草園に行く。俺は三歩後ろについて歩く。温室でフローラ様が水をやっている間、俺は入口に立って周囲を警戒する。それだけだ。

変わったのは、薬草園で精霊を見た日だ。

フローラ様が月下草に水をやりながら、何かに話しかけていた。独り言かと思った。だが——空気が揺れた。温室のガラスの内側に露が浮かび、土の匂いが変わった。冷たかった空気が、ぬるま湯みたいに柔らかくなった。

フローラ様の手の上に、銀色の光が一瞬だけ灯った。小さな。手のひらに乗るくらいの、光の塊。あれが精霊だったのだろう。

フローラ様が振り向いた。俺と目が合った。

「……見ましたか」

「……ああ」

あの人は少し困った顔をした。怒ったのでも怯えたのでもない。ただ困った顔。秘密を知られてしまった子どもみたいな。

「誰にも言わないでいただけますか」

「任務外だ。報告の義務はない」

嘘ではない。精霊の存在は護衛任務の報告対象外だ。だが本当のことを言えば、報告する気が起きなかっただけだ。あの光を見たとき——あの柔らかい空気の中で、フローラ様が微笑んでいるのを見たとき、俺は「これを壊したくない」と思った。

そこから、秘密を共有する関係になった。

北方語の練習に付き合うようになったのは、二年目の冬だ。

通訳室で北方の辞書と格闘しているフローラ様を、護衛の持ち場から見ていた。あの人は声に出して練習する癖があった。発音が正直に言えば、ひどかった。北方語の巻き舌がうまくいかなくて、何度も同じ単語で詰まる。

俺は北方の辺境で一年任務についたことがある。北方語の日常会話くらいならできた。

「……そこ、舌を上顎につけてから弾く」

気づいたら口を出していた。フローラ様が目を丸くして振り向いた。

「レオナルドさん、北方語がお分かりに?」

「多少」

「教えてくださいますか」

「任務外だ」

「……でしたら、お願いします」

噛み合っていない。だが、あの人はいつもそうだった。断られても笑顔のまま、別の角度から入ってくる。断り方がわからなかったのではない。断る気が失せたのだ。あの笑顔で「お願いします」と言われると、俺の口が勝手に「……わかった」と言う。

結局、夜の護衛の合間に北方語の発音を教えることになった。通訳室の窓から月が見えた。フローラ様は辞書を膝に置いて、俺の発音を一語一語繰り返した。

銀木犀——シルバモンド。フローラ様は三回言い間違えた。「シルバノント」「シルバモンド……ト?」「シルバ——あ、もう」。四回目に自分で笑い出した。あの笑い方を、俺は忘れられない。鼻にかかった、少し間の抜けた笑い声。公爵令嬢らしくない笑い方だった。隣にいるだけで、肩の力が抜けるような声。

辞書に花の名前を書き込んだのは、俺だ。フローラ様が好きだと言った花の名前を北方語で何と言うか調べてきた。聞かれるまで自分からは言わなかった。フローラ様が辞書を開いて「あら、これは……」と首を傾げるのを横目で見た。

名乗り出る気はなかった。護衛が仕事の範囲を超えてはいけない。

——護衛は不要だ、とフローラ様は何度か言った。「一人で大丈夫ですから」。

大丈夫なわけがない。あの人は一人にすると薬草園にたどり着けない。通訳室に行くのに三回曲がるところを五回曲がる。方向音痴というより、歩きながら考え事をして、足が勝手にどこかへ行くのだ。

だから俺がいなきゃ。と、そう思った時点で、もう護衛じゃなかった。

処刑が決まった日。

殿下が裁判の結審を宣言した。フローラ様は被告席で黙っていた。俺は法廷の隅に立っていた。護衛騎士としていや、護衛対象が被告になった時点で、俺の立場は何だったんだ。

「もう少し調査の時間をいただけませんか」

殿下に進言した。声が震えなかったのは、訓練の成果だ。

「却下する。護衛騎士が判決に口を挟む権限はない」

殿下の言葉は正しい。権限はない。

権限がなくても、声を上げることはできた。騎士団の仲間に訴えることもできた。禁書庫の調査を求めることもできた。

しなかった。

声を上げれば。俺も処罰される。そう思った。思って、黙った。

処刑の朝。

俺は任務として立ち会った。南庭の処刑場。灰色の花崗岩の石畳が朝日に濡れていた。フローラ様が連行された時、足取りは乱れていなかった。白い囚衣を着ていたが、背筋が伸びていた。あの人はいつだってそうだ。怖くても、痛くても、姿勢だけは崩さない。

一瞬だけ目が合った。

あの人は笑った。

俺を見て、微笑んだ。薬草園で精霊と話している時の、あの穏やかな顔で。まるで「大丈夫ですよ」と言っているみたいに。何が大丈夫なんだ。何も大丈夫じゃない。

俺は動けなかった。動け。動け。足が動かない。指一本動かない。声を出せ。出せ。口が開かない。耳の奥で、自分の血が流れる音だけが聞こえていた。

何を考えていたのか、俺にはわからない。わからないまま、八ヶ月が過ぎた。

処刑の前夜、看守を通じて封書が届いた。フローラ様から。封蝋にローゼンベルク家の冬薔薇の紋章が押されていた。

開けていない。

八ヶ月間、俺の鎧の内ポケットに入ったままだ。封蝋が体温で少し柔らかくなって、また冷えて、を繰り返して、もう角が丸くなっている。

開ける勇気がない。勇気がない、と認めるのは、騎士として最も恥ずかしいことだ。剣を持って戦場に立つことはできるのに、薄い封書一つ開けられない。あの人の最後の言葉を読むのが、怖い。

フローラが最後に笑ったのは、俺を見てだった。

俺は、何もしなかった。