軽量なろうリーダー

浮気病のせいで浮気が止められない? それならその言い訳、完璧に利用して差し上げます

作者: 春樹凜

本文

「頼むジェニファー、許してくれ!」

私は目の前で頭を必死に下げる夫を見つめる。

彼が浮気をしたのはこれで七度目だ。

いや、私が把握しきれていないだけで、実際はもっとあるのかもしれない。

だけど呆れてため息を漏らす私に、彼は決まって同じことを言う。

「悪いとは思ってる、でも仕方ないだろう!? 俺は病気なんだから」

と。

――最近男性たちの間である病が流行っている。

その名も多情性愛着障害。

通称、『浮気病』とも呼ばれている。

これは、特定のパートナーがいるにもかかわらず、その相手以外と関係を持ってしまうという病だ。

なぜか男性にしか発症しない病で、診断書も存在している。

この病が世間に知れ渡ったのは、今から一年前のこと。

我が国きっての遊び人として知られている第二王子のエドウィン殿下が、何度目かの浮気がばれた際、婚約者の公爵令嬢ソフィア様に一枚の書面を突きつけた。

それがこの、浮気病の診断書だった。

しかもそれを書いたのが、高名で誠実と噂のハンス医師だったこともあり、余計に真実味を増した。

そんな医師の診断書まで見せられたら、ソフィア様は何も言えなかった。

しかしこの一件を聞いた貴族男性たちが、これは便利だと使い始めたのだ。

私の夫であるアンドレもまたその一人のようだ。

彼は、新婚であるにもかかわらず浮気が発覚した際、この病名の診断書を出してきたのだ。

しかもその診断書は、病気の配偶者として法の保護を受けるため、教会と婚姻局にも正式に届け出られていた。

正直に私は怒りで腸が煮えくり返りそうになった。

別にアンドレを好いているからではない。

法律上、病気のパートナーとは離縁できないからだ。

その病がそもそも本当にあるのか疑わしいが、せめて結婚前に分かっていれば婚約を解消できたかもしれないものを。

そう苛立っても後の祭りだった。

まして私は子爵家で、アンドレは伯爵家。

格上の貴族との婚姻の解消を、そう簡単にうちの父が認めるはずがない。

父の浮気で苦しめられた母ですら、我慢するしかないのですと言ったほどだ。

その後アンドレは、堂々と浮気をするようになっ た。

しかも相手も相手で、

「私たちが看病してあげているの」

「病気なのだから仕方ないわ」

と開き直り、夫から巻き上げた金で贅沢を尽くして、正妻である私を鼻で嗤う始末だった。

楽しそうに私以外の女性と歩いていた、という話を耳にするたびに、私はどうしたらアンドレと離縁できるか、そのことだけを考えていた。

浮気病のパートナーを持つ女性たちは、私と似たような境遇にあるらしい。

私は自分と同じく苦しめられている女性たちと、密かに『白薔薇の会』を結成した。

表向きは、花と緑を愛でる淑女たちの集いだ。

月に二度、会員の邸宅を持ち回りでお茶会を開く。

初めは私と同じ子爵家の友人が中心だったが、今では人数もかなりの規模になっていた。

参加者は立場も年齢も関係ない。

公爵夫人もいれば、男爵令嬢もいる。

共通点はただ一つ、夫や婚約者に浮気病の診断書を突きつけられた女性であること。

「気を付けて行っておいで」

妻は美しい花の話をしに行くのだと、そう思っているんだろう。

夫は私をいつも笑顔で送り出す。

けれど実際のところは違う。

いつか薔薇の棘のように、あの人たちをひと刺しできる日のために、様々な情報交換を行っているのだ。

その日のお茶会も、いつものように始まった。

窓から差し込む午後の光の中で、会員たちがカップを手に思い思いに話している。

その時、扉が開く音がした。

遅れてやってきたのはソフィア様だった。

公爵令嬢でありながらこの会の一員でもある彼女は、入ってくるなり部屋を見渡して、いつもより少しだけ真剣な顔をして口を開いた。

「皆さん、少しよろしいかしら」

その声に、ざわめきがぴたりと止まる。

ソフィア様は席につくと、お茶に手を付けることもなく、持参した封筒をテーブルの上に置いた。

「実はハンス医師の件で、分かったことがありますの」

誰かが声を呑む音がした。

ハンス医師といえば、多情性愛着障害という病名を発見した当の本人でもある。

「結論から言います。――ハンス医師は、エドウィン殿下に弱みを握られておりましたわ。彼には重い病を患う幼い娘がいて、殿下はその高額な治療費と、国が禁じている特効薬の密輸を盾に彼を脅迫していたんですの。よって、多情性愛着障害という病名は、医師が作り上げた架空のものであり、診断書もすべてでっち上げですわ」

一瞬、沈黙が落ちた。

だけど次の瞬間、部屋の空気が一気に変わった。

「やっぱり」

「そうだと思っていましたわ」

「信じられない、本当に病気なんかじゃなかったのね!」

怒りとも安堵ともつかない声が、あちこちから上がった。

私も胸の奥で何かがぐらりと揺れるのを感じた。

怒りが再燃するというよりも、ずっと抱えていたもやがすっきりと晴れていくような感覚だった。

「では、すぐにでも公表を……」

一人の令嬢がそう言いかけたその時。

ああ、やっとこの忌まわしい嘘が暴かれる。

そう安堵しかけた私の脳裏に、ふと、今まで幾度となく見え透いた言い訳をしてきたアンドレの顔が浮かんだ。

待って。

もし今、病気が架空のものだったと世間に発表したら、あの厚顔無恥な男たちはどう立ち回るだろうか?

考えるまでもない。

絶対に、自分も被害者ぶるに決まっている。

それに気付いた瞬間、背筋がスッと冷え、同時に頭が冴え渡っていくのを感じた。

単に嘘を暴くだけでは、私たちは本当の意味で救われない。

「少し待ってください」

だから私はここで声を上げてその提案を止めた。

「公表してどうなりますか」

一体どうしてだと言わんばかりに、全員の視線が一点に集まる。

「もし今、病気は嘘だったと公表すれば、彼らはどんな反応を見せると思いますか?」

「それは……」

『俺もハンス医師に騙されていたんだ!』

『誤診の被害者だ、これからは心を入れ替える!』

……そんなことを言って逃げ道を作るのが、容易に想像できる。

「そうなると、結局私たちは離縁できないまま、一生彼らの顔色を窺って生きていくことになります」

私の言葉に、何人かの令嬢がハッとして息を呑んだ。

男たちは卑怯だ。

自分に非がないとなれば、見え透いた嘘でも平気で並べるだろう。

しかも、ただでさえ、浮気したというだけでは女性側から離縁を訴えても難しく、仮にできたとしても微々たる慰謝料しか渡されないのが現状だ。

だから、私の母も、他の女性たちも、ずっと耐えているのだ。

「じゃあ、どうすれば……」

私は不安げな声を上げるみんなを制し、ソフィア様に向き直った。

「ソフィア様、ハンス医師が抱えている問題は、ソフィア様のご実家の力で秘密裏に解決できますか?」

「ええ、造作もないですわ。エドウィン殿下に気取られる前に動くことも十分可能よ」

「では、ハンス医師には娘さんの病状回復の手助けをすることを条件に、私たちに協力していただく、というのはどうでしょうか」

「構いませんけれど、一体どんな協力をおねがいするんですの?」

「彼には、医師としての威信をかけて『新たな研究発表』をしていただきます」

私はにっこりと微笑み、扇を口元に当てた。

「例えばこういうのはいかがでしょう。多情性愛着障害は、『男性の間で、時間をかけてゆっくりと伝染していく可能性のある恐ろしい病』である、と」

「……伝染病!?」

誰かが驚いたように声を上げる。

「ええ。瞬時に感染するわけではありませんが、患者と同じ空間で長く過ごすことで、徐々に伝染していく不治の病。しかも恐ろしいことに、進行するとやがて理性を失って凶暴化します」

「ですが、それでは私たちも感染していると疑われる可能性が……」

「幸い、女性には発症も媒介も一切しない完全な免疫があるため、私たち妻は安全ですが……。まだ可能性の段階とはいえ、もしこのまま放置すれば、国軍の兵士や、果ては国王陛下にまで感染する恐れがある。国家存亡の危機になり得ると発表していただくのです」

部屋中が、しんと静まり返った。

しかしそれもわずかな間だけだった。

ソフィア様が口元を歪め、クスクスと笑い始めた。

それを皮切りに、淑女たちの間に華やかな、それでいて酷薄な笑い声が広がっていく。

「それは……大変ですわね。一刻も早く、患者たちを『隔離』しなければ」

「ええ。彼らは重病人ですもの。愛する夫がこれ以上苦しまないよう、そして国を守るため、私たちは妻として悲しみを堪え、彼らを辺境の特別療養院へ送り出さなければなりませんわ」

こちらの言いたいことはみなまで言わなくても、伝わったらしい。

私たちは優雅にお茶を飲み干し、反撃の狼煙を上げた。

――もっとも、この反撃は私たちの力だけで完結できるものではなかった。

白薔薇の会に名を連ねる者たちは、それぞれの伝手を使って教会、医師会、宰相府へ水面下で働きかけた。

また、後にソフィア様から聞いた話では、王族の不始末から生まれた病名が貴族社会にまで蔓延し、婚姻制度そのものを揺るがしていることを、陛下はひどく問題視なさっていたらしい。

だから、あの病名が嘘だとソフィア様が伝えると、陛下は大変激怒されたそうだ。

とりわけ、以前から素行不良のエドウィン殿下の扱いに頭を悩ませておられた陛下にとって、これは第二王子に公然と責任を取らせるための、またとない大義名分となった。

そのため、白薔薇の会の申し出にも、陛下が協力を約束してくれたという。

◯◯◯◯

それから一カ月後。

王城で開かれた夜会の最中、突如として完全武装の近衛騎士たちが会場の出入口を固めた。

そんな中、

「皆も知っての通り、『多情性愛着障害』なる病は、これまで王国の婚姻秩序を大いに乱してきた」

壇上に立った国王陛下は、沈痛な面持ちで会場内の人々に宣言した。

「しかもハンス医師の追加報告により、この病が男性間で緩やかに伝播する可能性があると判明した。よって王家は、診断書を提出した者すべてを、治療法確立まで、辺境の王立特別療養院に隔離収容することとする。それまで一切の外出は許されない」

「なっ……!?」

会場にいた、浮気病の診断書を盾にしていた男たちの顔から一気に血の気が引いた。

エドウィン殿下や、私の夫であるアンドレも例外ではない。

「待ってください! 嘘です、俺は病気じゃありません!!」

「そうだ、あれはただの浮気だ! 病気なんかじゃない!!」

騎士たちに両脇を抱えられ、男たちは必死に叫ぶ。

しかし、騎士団長は冷酷に首を横に振った。

「ご無理をなさるな。ここにハンス医師直筆の診断書がある。病のせいで錯乱しておられるのだ、早くお連れしろ!!」

「いやだぁ――――っ!!」

騎士たちに取り押さえられながらも、男たちはなお見苦しく喚き続けていた。

そんな彼らが無様に引きずられていくのを、私たちは悲痛な面持ちでハンカチを目元に当て見送った。

「どうかしっかりご養生なさってくださいませ。お留守の間のことは、妻である私が責任をもってお預かりいたしますわ」

私が涙声でそう告げると、アンドレは絶望したように白目を剥き、その場で気を失った。

その後、辺境に送られる前に、診断書を提出していた男たちは別室へ移され、記録官立ち会いのもとで改めて取り調べを受けることになった。

夜会の混乱の中で浮気病を否定した者たちもいたが、喚き散らした言葉だけでは正式な供述とは認められない。

だが、何としてでも療養院送りだけは免れたいのだろう。

彼らは必死に抵抗し、口々に「病気ではない」と言い張ったそうだ。

だが、騎士たちは淡々と書類を広げて言った。

「ですが、こちらはご自身が提出された診断書です。病でないと仰るのであれば、偽りの診断書を盾に婚姻法を悪用し、配偶者を欺いていたことになりますな」

さらに畳みかけるように、冷ややかな声で続けたという。

「病人として療養院へ入るか、それとも健常者として不貞と詐欺の責を負うか――どうか、お選びください」

彼らの逃げ道は、もうどこにもなかった。

やがて観念した男たちは、次々に病の虚偽を認めた。

その供述は正式な記録として残され、彼らの行為は単なる不貞ではなく、婚姻法を悪用した悪質な行為であると判断された。

すべての虚偽が明るみに出た後、ハンス医師もまた公の場で真実を証言した。

彼は偽診断書を作成した責で一定期間の診療停止処分を受けたが、エドウィン殿下の脅迫を受けていたことと、その後の証言協力が考慮され、医師資格の剥奪だけは免れた。

こうして、偽診断書を盾にした不貞はすべて有責とされ、その後に行った私たちの離縁請求は正式に認められた。

男たちにはさらに、多額の慰謝料の支払いと持参金の返還が命じられた。

しかしながら、この一件がもたらした影響はそれだけではなかった。

王立特別療養院への収容命令が下るや否や、浮気病の診断書こそ使っていなかったものの、こっそり不貞を働いていた世の男性たちも、すっかり震え上がってしまったのだ。

無理もない。

もし今、浮気が露見すれば、浮気病への感染を疑われ、自分もまた療養院へ送られるかもしれないのだから。

彼らはその可能性を恐れて、しばらくのあいだ夜遊びをぴたりとやめた。

そして後に、病そのものが虚構であったと公になってからも、今度は悪質な不貞は厳しく裁かれるかもしれないという現実のほうを恐れ、以前のような放埓には戻れなかったそうだ。

私の父もその一人のようだ。

母は離縁する気はないみたいだけど、以前よりも随分と生き生きとした表情になっていた。

私たちを馬鹿にしていた愛人たちもまた、後ろ盾を失って社交界から姿を消した。

中には新たな庇護者を求めて他国へ渡った者もいたという。

後に残ったのは、正当な慰謝料と自由を手に入れた私たちだけだった。

◯◯◯◯

数カ月後、白薔薇の会は変わらず開かれていた。

その目的は、親交を深め、純粋に庭の花を愛でるためである。

私は庭の美しい白薔薇を見つめながら、

「ほら、薔薇には棘があると言うでしょう? 彼らも、綺麗な花だけを見て油断しなければよかったのに」

と優雅に微笑む。

テーブルを囲む夫人たちが、くすりと笑う。

厄介な男たちと離縁し、慰謝料と自由を手に入れた私たちの笑顔は、あの日よりずっと晴れやかだった。