軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

わたしは、ここに、在る

何も、憶えていないの。

自分が何をしていたのか。

自分が何者だったのか。

でも。

わたしを抱く腕の主を。

この人を。

────愛しい、と。

とても、愛しい、と。

気持ちが溢れて。

想いが湧き出てきて。

貴方に伝えたいのに、 言葉が出て来なくて(伝えられなくて) 。

だから、あの日、わたしは泣いたの。

泣くことでしか、貴方に伝えることが出来なかったから。

「ああ、ヴィ、今日も綺麗だね! 一見するとまるで白銀のような髪なのに、光に当たるとうっすらと金色にきらきらと輝いているよ! 絹糸のように真っ直ぐで細い髪だね。今僕は、髪の手入れや髪型の勉強をしているんだ。きっと可愛く結ってあげるからね」

ディーに囁かれ続けて、ヴァイオレットは自分の髪が好きになった。

「ああ、ヴィ、昨日以来だね! 君の紫水晶の瞳をいつでも見ていたいのに、夜が来ると別れさせられることが悲しいよ。無力な僕を許しておくれ。ほら、見て。君の瞳と同じ色の紫水晶でブローチを作ったんだ。ヴィの美しい瞳と同じ色を見つけるのは中々難しいけど、頑張って僕のアクセサリーは全て君の色にするからね」

ディーに褒められ続けて、ヴァイオレットは自分の瞳が綺麗なのだと知った。

ディーも、家族も、使用人たちも、みんなヴァイオレットを可愛い、綺麗だ、将来が楽しみだと褒めてくれた。

ヴァイオレットは、自分は可愛くて綺麗なのだ、と認識した。

だから。

「へんなかみの色だな」

知らない男の子に笑われて、ヴァイオレットは不思議だった。

「へんじゃない。でぃーもほめてくれるもの」

「へんだよ」

「へんじゃない」

「そいつ、うそついてる」

「うそじゃない」

ディーがわたしに嘘をつく筈がないのに、何を言っているんだろう? とヴァイオレットは首を傾げた。

「へんだって、いってるだろ!」

叫び、癇癪を起したように、突然髪を掴まれ、引っ張られた。

「やーっっ!」

ヴァイオレットは驚いた。生まれて初めての衝撃だった。実際に受けた痛みにではなく、他人から向けられた悪意、怒り、力の差、為す術もない自分の非力さ。そういった事実に、ヴァイオレットはどうすれば良いのか分からなくて、混乱し、叫び声をあげた。

「ヴィオラ様!」

侍女のジェインがヴァイオレットを抱え上げて走り出した。ぎゅっと抱き着いて後方を見れば、ディルニアスが手から大きな炎を出していた。

ディーがいる……。

その事実に、ヴァイオレットはとても安心して、落ち着きを取り戻した。

「ヴィ、とても怖かったね」

その後、ディルニアスは屋敷の中でヴァイオレットを抱いて離さなかった。髪に、頬に、指先に口づけをしてヴァイオレットを宥めるように頭や背中を撫でていたけれども、ディルニアスの手が微かに震えているのをヴァイオレットは感じた。

「大丈夫、大丈夫だよ。もう君は、理不尽に暴力を受ける事は無い。万が一そんなことがあれば、倍にしてやり返しても良いし、僕が十倍にしてやり返す」

君は、どうしたい?

問われて、ヴァイオレットは悩んだ。本当の所、自分はもう大丈夫だった。ディルニアスが居てくれたし、こうやって抱っこをしてくれているから平気になっていた。

「わたしは、へいき」

ヴァイオレットは、震えるディルニアスの手の上に、自分の手を重ねた。

「だいじょうぶ、だから。でぃーは、だいじょうぶ?」

ディルニアスは一瞬、何かを堪えるように眉を顰めて、唇をぎゅっと固く結んだ。

「……じゃあ、おあいこにしておこうか?」

「おあいこ?」

「同じ想いをしてもらう、ってことだよ。ヴィがとても怖くて痛い思いをしたんだって、相手に分かってもらったほうが良いだろう?」

それは、確かに分かって欲しい、とヴァイオレットは頷いた。

「じゃあ、後は、私に任せてね」

にっこりと笑うディルニアスに任せたヴァイオレットは、何も悪くなかった。

まさか、ディルニアスが王太子という立場でありながら、相手の家に忍び込み、寝ている男児の髪を根元から切り落として枕にナイフを刺すとは思わないではないか。いや、もしも、ヴァイオレットが望んだとしても、三歳の子供が望んだことを止めるのが社交デビューを果たしている十六歳の役割であろう。

後年、その時の事実を知ったヴァイオレットは、「これからは油断せずにディーに対する返事は気を付けなければ」と自戒した。

ヴァイオレットが四歳になった時、「同年代と遊ばせないなんて!」と珍しく怒った母親のマリーベルと、ディルニアスのやり取りの末に、二つ年上のダイアナ・ブルーム子爵令嬢とお友達として遊ぶことになった。

ダイアナは、ヴァイオレットに新しい世界を見せてくれた。

ヴァイオレットは公爵家の令嬢で、王太子の婚約者で王家は親戚でもあるという、この国で最高位の御令嬢であった。王弟である祖父と東の島国の姫である祖母、両親、王太子である婚約者、使用人と全てから愛され、屋敷の奥深くでとても大事にされていた。

そんなヴァイオレットは、ダイアナと遊ぶようになって初めて、庭の芝生の上に靴を履かずに直接足を下ろして歩いたり寝転んだりした。チクチクとした草の感触と土の温かさをヴァイオレットは感じた。庭の噴水の中の水に触り、素足を浸し、足を上げて水飛沫を飛ばした。木の幹に抱きつき、ヴァイオレットでも届くような低い枝の上に座らせてもらった(これは、渋々とディルニアスがやってくれた)。

薔薇や百合は知っていたが、初めて知った白詰草という地面の低い所に生える花で、花冠や指輪を作ってもらい、頭に載せてもらった。くるりと回ると風が起こって、スカートがふわりと広がることを知った。

大事に大事にされていたヴァイオレットにとって、全て、初めての経験だった。

土の上を歩くこと、水に濡れること、花を頭に飾ること、風に吹かれること。

────ああ、なんて素晴らしい!

ヴァイオレットは興奮し、初めて、子供らしく声を上げてダイアナと遊び、両親もディルニアスもそんなヴァイオレットを見て驚いた。

両親は、声を上げて笑うヴァイオレットに安堵し、ダイアナに感謝した。ディルニアスは「ああ、そうだよな」と納得したように小さく呟き、城の日当たりの良い場所に、白詰草や蒲公英や菫などの野草を植えて、冠を作る練習を行った。

ヴァイオレットは暫くの間、嬉しそうに花冠に埋もれることになった。

「ディー、ダイアナを紹介してくれてありがとう!」

そうお礼を言ったら、ディルニアスが珍しく引き攣った笑みを浮かべた。背後でライアンが顔を青褪めさせていた。

成長するにつれて、同じ年頃の女子のみの最低限のお茶会には、ヴァイオレットも出席するようになっていった。

ヴァイオレットは外面的には何の問題もない令嬢であったが、王太子妃を狙う者などから少なからず攻撃をされたりした。

「王太子殿下から、本気で愛されていると思っていらっしゃるの?」

「思っていますし、事実愛されておりますが?」

あのディルニアスの態度を見て本気ではないと思えるなんてどんな目をしているのだろうと、ヴァイオレットは逆にその令嬢を心配した。

「たいして綺麗でもないのに」

「美の基準は人によって違いますものね。でも、多くの人と基準が違っていますと大変ですわね?」

皆が「美しい」と思うものに「醜い」と言える勇気は凄いわね、とヴァイオレットは感心した。

「あなたなんか、嫌いよ!」

「では、わたくしの姿が見えないように頑張って避けてくださいね」

「どうしてわたくしが!」

「それこそ、どうしてわたくしが? わたくしは貴方がいても周囲の景色の一部として気になりませんもの」

だから、気にする方が避けるべきではないのか、とヴァイオレットは心の底から思ったのだ。相手はかなり怒って去って行くことが多かったが、ヴァイオレットは何故怒るのかよく分からなかった。

「わたしって、醜いのかしら?」

ディルニアスや家族や使用人たちは身贔屓をするだろうからと、ヴァイオレットは第三者のダイアナに訊ねてみた。

「天地が逆さまになっても、太陽が西から昇っても、空から飴玉が降ってくることがあっても、地面から雷が湧きあがることがあっても、ヴァイオレット様が醜いだなんて有り得ない!」

叫ぶダイアナに、「そうよね」とヴァイオレットは納得した。第三者のダイアナがこう言うのだから、やはり自分は醜くはないのだと考えた。

何しろ、生まれた時からずっとディルニアスの顔を見て生きてきている。家族も皆美形と評判の顔立ちである。ヴァイオレットは、人の容姿の美醜についてよく分からなかった。容姿だけで、人を好きになるという感覚が、よく分からないのだ。

なので、ディルニアスが女性から人気が非常に高いのも、「王太子だからかしら?」と考えていた。

「そうだねえ。多分、私の顔を焼くなり切るなり潰すなりすれば、もう他の女性は寄って来なくなると思うんだけど。余りにも煩くなったらそうしようかな」

本気なのか冗談なのか。

ディルニアスの言葉に、ヴァイオレットは顔を顰めた。

「ヴィは、私の顔が醜くなるのは嫌かい?」

長椅子に二人並んでお茶をしていた時、ヴァイオレットは隣に座るディルニアスを見上げる。

「醜くなるのは別に構わないわ。だけど、ディーが痛いのは嫌なの」

ディルニアスは目を丸くして、小さく微笑んだ。

「……ありがとう。何、大丈夫。君が好きなこの顔は、何が何でも守ってみせるさ」

ヴァイオレットは、そっとディルニアスの頬に手を伸ばした。

「ええ、好きよ」

ディルニアスは、驚いたようにヴァイオレットにされるがままに、硬直した。

「貴方の顔、好きだわ。とても、安心できるの」

小さな細い指先が、ディルニアスの頬をするりと撫でた。そうして、ディルニアスの顔を覗き込むようににっこりと微笑みかけると、ディルニアスは我に返ったように真っ赤になり、珍しくヴァイオレットから慌てて顔を引き離した。

「ヴィ……。お願いだから、揶揄わないでくれ」

「あら、揶揄ってなんかいないわよ?」

真っ赤になった顔を隠すように、両手で顔を覆って俯く二十四歳のディルニアスに、十一歳のヴァイオレットはあどけなく笑いかけた。

ディルニアスが成長するにつれ、その美しさや優秀さによって、姫のいる国は何とかして大国ウィンダリアに嫁ぎたい、と婚約者を排除しようとする国や、外交に力を入れるディルニアスを目障りに思い、脅しや嫌がらせとして婚約者を襲おうとする国もあった。

「ジェイン、護ってくれるのは嬉しいのだけど、スカートを捲って大腿部に取り付けている武器を取り出すのは、どうかと思うのよ? お嫁に行けなくなったらどうするの?」

「大丈夫です! 見た奴は全部殺しますから!」

「それなら大丈夫かしら? ああ、でも、証人は残しておいてね」

「お任せください!」

結婚する気があったのか! と妹の発言に助っ人に来ていたジェフリーは驚いた。暗殺者の来襲に巻き込まれたライアンは、「慣れって怖い!」と二人の会話に部屋の隅で震えていた。

「よし、あの国潰そう!」

ディルニアスは笑顔でキレた。

「戦争は、良くないと思うの」

顔を顰めたヴァイオレットに、ディルニアスはとても良い笑顔で断言した。

「大丈夫、戦争は起こさない。起こしてやらない」

ディルニアスはその国のレジスタンスに幾重にも人を介して、武器を与え、情報を与え、技術を与え、人手を与えた。周囲の国にも圧力や外交によって、情報や食料や武器の輸出入の調整を行った。ディルニアスは決して表に出ずに、周囲に小麦や鉛や鉄などの貿易調整をこまめに行っただけだった。

数年後、その国は潰れ、共和国が誕生した。

戦争を起こすと、その国の王が降伏した場合にそれ相応の対応をし、王族として遇しなければこちらが非難されるし、別の国にこちらに攻め込む理由を与えてしまう。そういったことも考えて、ディルニアスは戦争をする気はなかったのだ。

ディルニアスがチェスで遊ぶようにあちらこちらの国を動かしていた間に、ヴァイオレットは十二歳になった。

王妃教育を受ける歳になっていた。

「『金髪金目の王は賢君である』と言われているのは知っていると思うけど」

そう言って、王妃は書物や紙の束が入った箱を、机の上に出した。

「これらは、その代々の賢君たちが書いたと言われる書物なのだけど、今はもう失われた言葉で書かれているから読めないの」

促され、ヴァイオレットは一番最初の王が書いたという紙の束を手に取った。

「あら……」

ヴァイオレットは、微笑んだ。

「どうしたの?」

「……とても、可愛らしいことが書いてあるので」

ヴァイオレットの言葉に、王妃は驚いた。

「読めるの、貴方?」

「ええ、読めますね?」

何故だか自分でも分からないが、ヴァイオレットは読むことができた。

日記のように。

毎日、毎日。

貴方に会いたい、と。

今日は、王を殺した。

王妃を殺した。

王子を殺した。

王族を根絶やしにした。

毎日、毎日。

誰を殺した。

何人殺した、と。

律儀に報告しては、ごめんなさいと謝っている。

会いたい、と。

貴方が生まれ変わったら、貴方は歩けるようになっているだろうか。

足はあるだろうか。

手を繋げるだろうか。

普通の人間の容姿だろうか。

もう誰も、貴方を迫害しないだろうか。

そう心配して、一緒にやりたいことを書き連ねていた。

多くの人を殺しながらも、謝り、「怪物のような姿の彼女」が無事に人の姿をして生まれ変われるのかを心配し、生まれ変わったら手を繋ぎたい、散歩をしたいと要望を書き連ねている。大量殺戮を行いながら、子供のようなささやかな望みを願う「金髪金目」の賢君を、ヴァイオレットは可愛らしいと感じた。

ヴァイオレットは、次々と書物を手に取った。そうして、一番最後の、一つの言葉で埋め尽くされている書物を手に取り、目を丸くした。

「……何て、書いてあるの?」

見守っていた王妃は、恐る恐ると訊ねた。

「今ではもう失われた単語ですね。強いて言えば、怨むとか憎むとかを合わせたような意味でしょうか」

言葉の意味に、王妃は息を呑んだ。

だが、ヴァイオレットは、嬉しそうに微笑みを浮かべ、静かに涙を流した。

────なんて素敵な恋文でしょう……!

ヴァイオレットは、そう思った。

会えなくて怨むほどに、彼女に会いたかったのかと。

傍にいなくて憎むほどに、彼女に傍にいて欲しかったのかと。

怨み、憎むほどに、彼女を渇望していたのかと。

ヴァイオレットは、生まれる前のことは何も憶えていない。

自分が何をしていたのか、何者であったのかは分からない。

けれども。

この「怪物のような姿の彼女」が自分のことだと分かった。

「金髪金目」の賢君は、全て同じ人間なのだと分かった。

一人の人間を、何度も生まれ変わらせて、歪ませている。

歪んでも、求めてくれていることを喜ぶ自分がいる。

嬉しい、と涙する自分がいる。

ああ、確かに、自分は「怪物」なのだ、と理解した。

彼が人を大勢殺したことよりも、彼女との約束を破ってしまったと気にしていることが、誰にも心開くこともなく、彼女に会うことだけを願っていることが、堪らなく嬉しかった。

一人。

孤独に。

歪み。

狂い。

それでも。

何度も。

幾度も。

生まれ変わる。

ただ、約束を果たす為だけに。

約束とも言えない彼女の我儘を、叶える為だけに。

ヴァイオレットは、約束なんて覚えていない。

彼女が、何と言ったのか、知る由もない。

だけど。

────歓喜が、湧き上がった。

狂うほどに愛されて、嬉しくない筈がない。

嬉しくて。

嬉しくて。

ごめんなさい、と心の中で謝った。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

わたしは、どうやってもあなたを手放すことが出来ない。

自由にしてあげることが、出来ない。

唯一の人なの。

あなたしかいないの。

あなたが存在しなければ、生まれ変わった意味はないの。

それだけは、分かる。

そうだと、 わたし(怪物) が叫んでいる。

わたし(怪物) は、 ここに(自分の中に) 、在る────。

自分の中にある 存在(怪物) を自覚しながら、ヴァイオレットは静かに涙を流し続け、愛し気に書物を抱きしめた。