軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

40.幸せな日々

私はドレスを着て姿見の前で首を傾げた。

「似合っているかしら?」

「もちろんです! ヴァンス様はきっと見惚れて昏倒してしまいますよ」

ヴァンスは私のドレスの試着に一度も立ち会っていない。当日の楽しみにしたいそうだ。試着のたびに侍女が誉めてくれるのは嬉しいが、さりげなくハードルを上げないでほしい。

「昏倒……いくらなんでもそれは……」

このドレスはウエディングドレス……ではなく、それより先に作ってもらっていたアイリーンとワイアット殿下の結婚式で着るドレスなのだ。淡いオレンジ色のドレスで胸元とスカートのところにオルブライト公爵家の家紋であるカサブランカが美しく刺繍されている。

「オルブライト公爵家ヴァンス様の婚約者ここにあり! と示すに相応しいです」

「ありがとう」

華美なドレスに腰が引けそうだが、頑張って着こなさなければ。ヴァンスの婚約者として立派にそして華やかに振る舞う必要がある。そうしなければヴァンスを狙う女性を牽制できない。心の中で「しっかりするのよ!」と自分を鼓舞する。

最終確認が終わるとドレスを脱いで身支度をした。

午後からはお楽しみの時間だ。オルブライト公爵家でアイリーンとエイダと私とでお茶をすることになっている。

アイリーンの結婚がいよいよ一週間後に迫った。多忙であることは変わらないが、やるべきことは終わり時間が取れることになったアイリーンと、王宮のお茶会に出席できなかったエイダと交流を深めることになった。

現在スコットは領地にいる。本当は王都で自宅謹慎三か月だったのだが、ベイリー侯爵が息子を甘やかしすぎたことを猛省し、領地で手加減なく厳しく鍛えなおしているそうだ。スコットにはいい薬になるだろう。一応、表向きは体調を崩し静養していることになっている。王都での仕事はベイリー侯爵夫人とエイダが頑張っているそうだ。エイダも忙しくしているが、アイリーンのお茶の招待に喜んでいた。

オルブライト公爵邸のサロンの窓の外からは美しい花々が見える。

テーブルにはオルブライト公爵家で輸入した高級なお茶とエイダが持ってきてくれたベイリー侯爵家の料理人が作ったチーズケーキがある。三人とも話を始めるよりも先にお茶とケーキを堪能し満足したところで口を開いた。

「エイダ様。その節は助けてくださりありがとうございました」

アイリーンがぺこりとエイダに頭を下げる。エイダは慌てて手を横に振るとアイリーンに頭を上げてくれと頼んだ。

「アイリーン様、大袈裟です。それにお礼は多すぎるほど頂きましたし」

「その節?」

私は首を傾げた。するとアイリーンが教えてくれた。

「学園でエディット王女様がいた時のことなのだけどね。王女様とその取り巻きと学園のカフェでお茶をすることになったの。そのとき給仕の女性が王女様にぶつかって、王女様がハンカチを床に落としてしまったのよ。給仕の女性は真っ青になって震えていたから私が拾って王女様に渡そうとしたの。そしたら床に落ちたものは汚くて触れないと怒りだして。床は綺麗に掃除されているので大丈夫ですよと言ったら王女様はお皿の上のスコーンをわざと落として、私に拾って食べろと言ったの。掃除されているから綺麗なのでしょうって」

「え……わざとですよね? ひどいです」

「さすがに私も怒りでカッとなったわ。言い返そうとしたらエイダ様が来て拾ってくれて……その……」

「食べたのよ。焼きたてのレーズン入りスコーンはとても美味しかったわ。家では固いパンしか食べさせてもらえなかったから、バターがたっぷりと使われたスコーンなんて何年ぶりだったかしら。美味しさに涙が出そうだったわ」

私は目を丸くした。

「エイダ。お腹は壊さなかった? 大丈夫だったの?」

「あら、セシル。六十秒ルールって知らない? その時間内だったら落としても綺麗なのよ。さすがに場所によるけれど。だから大丈夫。あの時のエディット王女様の顔は面白かったわね。私を不思議な生き物を見るように見ていた。そして呆れ顔で『あなた落ちたもの食べるなんて恥ずかしくないの?』っていうから『その恥ずかしいことをエディット王女様がアイリーン様に命じたのですよね? それは恥ずかしくないのですか?』って言い返したの。そうしたら怒って出ていきましたね」

「ふふふ。私、エイダ様のおかげですっきりしたのよ」

「私はラッキーでしたよ? アイリーン様がお礼にと卒業まで学食のお昼を無料でごちそうしてくださったのですもの。だから私は生き延びられたのよ。こちらこそありがとうございました」

エイダがアイリーンにぺこりと頭を下げてにこりと笑った。

「それくらいしかお礼ができなくて申し訳なかったと思っているわ」

私は切なくなって言葉が出ない。アイリーンも複雑な顔をしている。エイダは特段気にした様子はない。でも私たちの表情を見て重くなった空気を変えるために話題を変えた。

「アイリーン様。いよいよですね!」

エイダの言葉にアイリーンは胸に手を当て小さく頷く。

「今からドキドキしているわ。王太子殿下の結婚式ですもの。失敗は許されない。エイダ様は結婚式で緊張しました?」

エイダは肩を竦めてさらっと言う。

「全然しなかったです。それよりも実家から解放されることに酔いしれていました。スコットの表情が良くないのは気付いていたけど、結婚すれば観念するだろうと思っていましたし。あの日の教会の鐘が自由への合図に聴こえて嬉し涙が零れてしまいました。きっと参列者は花嫁が感動していると思ったでしょうね。申し訳ないけど心の中はまともな生活ができるという喜びに震えていたわ」

キラキラと瞳を輝かせるエイダを見て、私とアイリーンは困ったように眉を下げた。あまりにも切ない。私は生きてきた中で一度も食事の心配をして暮らしたことはない。アイリーンだってそうだ。貴族階級の令嬢が服も食事も満足に与えられないのは普通ではない。

スコットはエイダと結婚する少し前に私に駆け落ちを持ち掛けてきた。さらに結婚後は、エイダに従順になるよう説得してくれと頼まれた。それを知ってもエイダはスコットを支え続けることを選んだ。

「エイダはスコット様に対してわだかまりはないの?」

「別にないわ。スコットは自分に甘いだけ。小さな子供を相手にしていると思えば許せた。実は私、婚約した頃は複雑な気持ちだったの。スコットに感謝していると同時に、恵まれた境遇にいながら学べることの幸せを理解しないことに腹が立ったわ。八つ当たりだけどずるいって。きっとそれが態度や言動に出ていたから、スコットは私に対して苛立っていたのよね。そこは反省して、今後は上手に彼を操縦できるように心がけるわ。セシルには迷惑をかけて、ごめんなさい。本当にもう怒っていないの?」

エイダからは散々謝ってもらった。今となってはヴァンス以外の人と歩む未来は想像できないし、したくない。結果的にエイダは私に幸運をもたらしてくれた。怒る理由はない。

「怒っていないというか、どうでもいいかな? 私の記憶の中からスコット様と過ごした記憶がなくなったみたい」

まるで私の人生にスコットが始めから存在していなかったかのような感じ?

「そう」

エイダは複雑そうな顔で苦笑した。

「それよりもセシルも半年後には結婚式を挙げるのよね。準備は順調? 招待してもらえることになって嬉しいわ」

今回エイダが活躍してくれたので、スコットとエイダを私たちの結婚式に招待することになった。両家が円満な付き合いをしているアピールができるとヴァンスから言ってくれた。スコットはどうでもいいけどエイダが来てくれるのは嬉しい。

「ええ、順調よ。公爵家の人たちが張り切って進めてくれるから私はされるがままだけど」

フローレンスが仕切ってくれているが、ヴァンスも多忙な中細かく確認してくれるので私の出番はあまりない。

「さすが公爵家ね。それにしても声の威圧だけで犬を止めたヴァンス様はすごいわね。セシルは知っている? あの勇姿は社交界で噂になっているのよ。命を懸けてセシルを守ったって! ヴァンス様を諦めていない令嬢たちへの牽制に役立ってまさに怪我の功名ね」

「ふふ。そうね」

私は目を見開いた。命を懸けて守った? それは聞いていない。アイリーンとエイダが目を見合わせて、にんまりと笑う。噂の出所はこの二人のようだ。恥ずかしいけれど私のためだと思うと文句は言えない。

「エディット王女様も結婚が決まってよかったですね。でも遠くの国に嫁ぐ、しかも言葉が違うから大変でしょうね」

「散々甘やかされてきたのだからいいお灸になるでしょう。努力次第で幸せになれるのだから、この結果に感謝するべきだわ」

アイリーンの言葉は刺々しい。エイダは同意するように頷いた。

「私は犬を使ったことが許せないわ。犬は主人の命令に従うしかない。その結果、犬も罪を問われるなんて酷いわ。でも王太子殿下とヴァンス様のおかげで犬が命拾いをして本当によかった」

そうなのだ。犬の意思とは関係なく、貴族に危害を加えようとしたことで処分されるはずだった。でも犬に罪はないとワイアットが助けたのだ。書類上は処分されたことになっているが、実際は近衛の騎士団長の自宅に引き取られた。団長は無類の犬好きで犬も懐いてよく言うことをきくらしい。エイダは動物が好きなので犬が無事だと知り胸を撫で下ろしていた。

「ワイアット様は本当に慈悲深くてお優しいのよ!」

アイリーンがどうだ! と胸を張る。その姿が可愛い。扉がトントンとノックされた。

「はい」

アイリーンが返事をするとヴァンスが顔を出した。

「お邪魔してもいいか?」

「お兄様ったらセシル様の顔が見たくて我慢できなかったのですか?」

アイリーンが揶揄い交じりに言うとヴァンスは至極真面目に返した。

「ああ、そうだ。我慢できなかった」

「っ!!」

ヴァンスが真顔で頷いた。私はヴァンスの甘い言葉に慣れるために努力しているが、まだ無理……。顔を赤くして俯いた。気恥ずかしくてみんなの顔が見られない。ヴァンスは当然のように私の隣の腰を下ろす。

「はあ」

アイリーンが溜息を吐くと立ち上がった。

「エイダ様。この後は私の部屋で過ごしませんか? 新しい画集が手に入ったので一緒に見ましょう」

「ええ。ぜひ」

二人はニヤニヤしながら部屋を出て行った。私は顔を上げヴァンスをキッと睨んだ。

「ヴァンス様。人前ではあまり恥ずかしいことを言わないでください。居た堪れないです!」

「別に恥ずかしいとは思わないが?」

ヴァンスはすまし顔のまま、私に顔を寄せそのまま頬に口付けた。

「!!」

「両親もワイアットもこれが通常運転だ。だからセシルも慣れてほしい」

「……善処します」

ヴァンスが嬉しそうに顔を綻ばせる。この顔が見られるなら羞恥心を捨てられる気がする……かもしれない……。

ヴァンスが私の体に手を伸ばしそのまま抱き寄せる。私は心臓が大きな音を立てていることを悟られないように、慎重に彼の胸に顔を預けた。

照れくさくて窓の外に視線を向けると、庭の花が微笑むようにそよそよと揺れていた。