軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37.危機一髪

私たちはエディット王女をお見送りするために通路まで移動した。

先頭にいるアイリーンとともに私たちが頭を下げると、エディット王女は頷き先導の侍女とともに客室に向かう。たとえ押しかけてきた相手であっても、国賓として丁重に扱わなければならない。でもアイリーンはきっと頭を下げながら心の中で舌を出していると思う。私も段々アイリーンの性格が分かってきた。

このお茶会に出席した令嬢たちは、厄介事から解放されてほっとした顔をしている。エディット王女が来なければアイリーンを囲んで楽しくおしゃべりできたはずだったのに残念だ。

エディット王女が見えなくなると集まっていた令嬢たちもアイリーンに挨拶をしてから順次解散していく。私は事前にお茶会が終わっても残るように言われていたのでアイリーンの側に控えている。手には先程エディット王女から頂いた扇子の入った箱を持っている。あとでエイダにも見せてあげよう。

アイリーンはほっと息を吐くと私を見て苦笑いをした。

「セシル様、お疲れ様。エイダ様は間に合わなかったわね」

「アイリーン様もお疲れ様でした。エイダは残念ですが、もしかしたら参加できない方がよかったのかもしれません。でも想像していたよりも平穏に終わりましたね」

「そうね。もっとうるさく突っかかってくると思っていたから拍子抜けしたわ」

「エディット王女様も成長されたのでしょう。嫌味を言いながらも私にお祝いをくださったのですもの」

「そうだといいけれど。さて、このあとは三人でお茶にしましょう。エイダ様には侍女に頼んで空いている部屋で待っていてもらうように伝えてあるの」

「はい」

「でもブリアナ様はまだお兄様に執心している様子で驚いたわ。いい加減、諦めて他の人を探した方が建設的なのにね。セシル様、ブリアナ様の言ったことは気にしないでね?」

アイリーンが溜め息交じりに苦笑した。

「はい。ブリアナ様のことは事前に教えてもらっていたので大丈夫です」

「よかった」

ヴァンスの美貌なら婚約者だろうと妻だろうと苦労は付いて回る。両想いになった時に覚悟は決めてある。

フローレンスはいまだにローマンに言い寄る女性と戦っているとおっしゃっていた。結婚してお子様も生まれて、何年も経っているのにまだローマンに秋波を送る女性がいるのだ。ヴァンスはローマンにそっくりだから同じ未来をたどることになる。

でも戦ってばかりだと疲れてしまうから、基本的には嫌なことは忘れる、嫌味は聞き流すことが重要だと教えてもらっている。これは経験を積むしかない。

私たちはエイダの待っている部屋に移動することにした。先導の侍女がやや困惑気味に口を開いた。

「エイダ様がお待ちいただいている部屋にいらっしゃらないのです」

別の侍女がエイダにお茶を出そうと、待っている部屋に入ったら姿がなかったらしい。アイリーンは首を傾げる。

「いない? それならお手洗いかしら。とりあえず部屋に向かいましょう」

「そうですね」

エイダのいるはずの客間に向かうために庭園を出て大きな通路を歩く。

しばらくすると通路の奥から女性の大きな悲鳴が聞こえた。近衛騎士がすぐにアイリーンを庇うように立つ。

「アイリーン様こちらに」

「何ごとなの?」

悲鳴の上がった方を見ると黒くて大きな何かがこちらに一直線に走ってくる。すごい速さで近づいてくる。それは犬だった。

(犬、どうしよう。怖い。逃げないと)

私は子供の頃に犬に追いかけられたトラウマがある。あの時の犬は仔犬でじゃれていただけだったが、きっとこの犬は違う。アイリーンも息を呑んでいる。

私は犬と目が合った気がした。あれは獲物を狙う目……犬は私に狙いを定めて走ってきている。護衛騎士はアイリーンを最優先で守るから、私は自分の身を自分で守らなくてはならない。でもどうやって? 頭の中で「逃げろ」と警鐘が鳴っているのに体が動かない。あっという間に犬は目の前に来てしまった。犬は獰猛に口を開け歯をむき出しにしている。

「っ……」

私は嚙みつかれる覚悟をして目をぎゅっと閉じた。

「止まれ!」

獰猛な犬を一喝で服従させてしまうほどの、低く圧のある鋭い声が響いた。恐る恐る目を開くと私の二歩前で犬は止まっていた。体を伏せている。犬は声の主を自分より強い相手だと判断したのだろう。

呆然としていると後ろから大きな腕が私を抱きしめた。

「セシル、大丈夫か?」

「ヴァンス様? は、はい……」

伏せているとはいえ目の前の犬が怖くて声が震えてしまう。犬は体を伏せているが顔を上げ私に視線を固定している。低く「ぐゅるる」と唸っている。隙を見せれば襲い掛かられる。思わず身をすくませるとヴァンスが抱きしめている腕に力を込めた。

「動くな!」

再びヴァンスが鋭く命じると、犬は今度こそ動きを止めて顔を伏せた。私は安堵して足の力が抜けてしまい、ヴァンスの体にもたれかかった。警備の騎士がやってきて犬を捕獲した。

「セシル。もう大丈夫だ」

「は……い。ありが……」

助けに来てくれたお礼を言いたいのに突然涙が溢れ出して声が出ない。ヴァンスは私の頬に唇を寄せ口付けた。

「ええええええええっ!?」

びっくりして涙は一瞬で止まった。顔は真っ赤になって口をパクパクとする。

「お兄様。こんなところでいちゃつかないでください。目のやり場に困ります」

「そうか? 前にワイアットがお前にしていただろう? 駄目なのか?」

「う゛っ!!」

ヴァンスが不思議そうに問いかけると、アイリーンは頬を染めてスイっと目を泳がせた。どうやらヴァンスの行動は無自覚らしい。

(何? 何? アイリーン様のそのシチュエーションが気になる!)

私は怯えたり、ショックだったり。びっくりしたり、気になったりと頭の切り替わりが忙しい。感情が大混乱している。

アイリーンを守っていた近衛騎士が通路の奥へ視線を向けてヴァンスに耳打ちした。

「ヴァンス様。あそこに」

そちらを見るとそこにはエディット王女が佇み、悔しそうにこちらを睨んでいる。

「あの女が犯人か。部屋に閉じ込めてワイアットに報告をしてくれ……覚えていろ、拷問してやる」

「はっ!」

ヴァンスらしからぬ恐ろしい言葉は聞かなかったことにした。

「はあ、はあ、はあ、はあ、ぜえ、ぜえ、ぜえ……ヴァンス……さま……セ……シルは……無事? 間に……合った?」

後ろを振り返るとエイダが髪を乱しぜえぜえと息を切らしていた。靴は履いていないし、顔には汗が滲んでお化粧が崩れている。すごい姿に目を丸くする。ヴァンスはエイダに向かって力強く頷いた。

「ああ、大丈夫だ。あなたが知らせてくれたおかげだ。感謝する」

「いえ、それならいいのです」

何がどうなって、ヴァンスがここに駆けつけてくれて、エイダがよれよれになっているのだろう? 聞きたいことがいっぱいでヴァンスを見上げると、ヴァンスは甘く微笑んで私のおでこにちゅっと口付けた。

(えっ? 今そのタイミング? わけがわからない。もう限界……)

緊張の糸がプツンと切れて、私はそのまま意識を失ったのであった――。