軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

179.すごいのは陛下

夜、皇后オードリーの部屋。

こっそり帝都を離れようと思った俺は、オードリーにだけはその事を伝えようとやってきた。

前もって行くと宦官を通して伝えていたから、部屋に入った俺が見たのは正装姿のオードリーだった。

「お待ちしておりました、陛下」

「うむ」

オードリーに案内されるような形で、部屋に備え付けられた上質なソファーに腰を下ろした。

俺が先に座って、オードリーに目配せする。

それだけでオードリーは何かを察したような表情で、わずかに残していた二人の使用人も下がらせた。

そうして、部屋の中で俺とオードリーの二人っきりになった。

「何かありましたでしょうか」

「早くて明日から少し都を空ける。その間は上手くごまかしておいてくれ」

「かしこまりました。いつものようにでよろしいでしょうか」

「ああ」

オードリーはまったく驚く事なく受け入れた。

俺がこっそり都を離れる事は多くて、その度にいろいろ皇后であるオードリーに協力をしてもらってきたから、彼女にとっても慣れたもんだろう。

そして彼女の良いところは。

俺がそうしても何も聞いてこないところだ。

オードリーは皇后である。

帝国法、特に「内法」では皇后を始めとする、後宮の政治への口出しは禁じられている。

そして俺がこっそりどこかに行くのは内政で何かをする事が多い。

だからオードリーは度々「家を空ける」俺には何も言ってこない。

そのかわり、俺も「内事」、つまり後宮の事は一切口出ししないでオードリーに一任している。

その役割の分担をきっちりすることによって上手く関係が保てている。

とは言え、まったく事務的な関係というわけではない。

「また少しの間寂しくなります」

オードリーは世の中の妻のような、可愛らしい言葉も口にしてくれる。

「すまん。一件落着したらその分時間を作るようにする」

「お心遣い感謝致します。陛下が名君であればそれだけで充分ですわ」

「そうか。期待を裏切らないように努めよう」

俺はふっと笑い、オードリーも婉然と微笑んだ。

「そうですわ、陛下にお願いしたいことがございました」

「余に頼みごと? 珍しいな、お前にしては」

俺は少し驚いた。

言葉に出した感想そのままで、オードリーが今まで俺に何かを頼んできたことはほとんどない。

強いていえば妹のアーニャを側室にしてくれと言ってきた事くらいだ。

「はい、皇后としての……そうですね、正式な要請と捉えていただいて構いません」

「聞こう」

思わず背筋がピンとなった。

内事は皇后に全て任せている、そしてオードリーはその「分」をきっちり守っている。

だから「皇后としての」と言われたら真剣に聞かざるを得ない。

「もっと後宮の女を増やしていただくか、 御する(、、、) 回数を増やしてください」

「……ふむ。理由は?」

「王女が足りません」

「王女が?」

「現状、未婚の王女は陛下の最後の妹君であるクレア様だけです」

「……ふむ」

「王女の嫁ぎ先は政の領分ですが、嫁ぐまでの教育は私の管轄です。今のままでは二つの問題が発生します」

「二つ……」

少し考えてみた。

一つは直ぐに分かる、政略結婚のいわば「駒」だ。

皇帝は子作りも義務だ。

そして親王などの貴族と違い、男だけではなく女――つまり王女をたくさん生ませるのも義務だ。

親王の娘は政略結婚としての価値はそこまで高くないが、皇帝の娘の王女は違う。

アンガスと第十四王女アーリーンの一件、王女が降嫁した場合夫と地位が同じくらいになるように法から改めたが、それはあくまで帝国内の話。

外国に嫁がせることはこの先もある。

だから王女が足りないと外交面で問題が発生するのはすぐに分かった。

が――俺はオードリーをまっすぐ見つめた。

彼女は皇后で、皇后らしく振る舞うように努めている。

さっきも嫁ぎ先には口を出さないと宣言したばかりだから、問題視している本当の理由は別にあるはずだ。

そしてそれは皇后を頂点とする、後宮の出来事だ。

そこまで考えて――分かった。

「そうか、知識と技術の断絶か」

「まさにその通りでございます」

なるほどと頷き、理解した。

「そうだったな、それは思慮が足らなかった。王女らしく教育するための知識と技術も、実践していなければやがて失われるのは当然と言えば当然」

「はい。後宮の主として、その技術が自分の代で途絶えてしまう事は看過できません」

「道理だ」

「ですので、もっと子作りに励んでいただきたいのです」

「わかった、王女は増やす。約束する」

「ありがとうございます! 陛下」

オードリーは実に嬉しそうに微笑んだ。

「他の誰でもないお前の頼みだ」

「私だから……ですか?」

オードリーはいささか驚いたような表情を浮かべた。

「お前は良き妻だ、後宮をまとめられるものはお前以外不可能だと思っている。そんなお前が『後宮の主として』のためと言うのなら断れんし、賢后だと歴史に名を残せてやれるのなら大抵のことはしてやれる」

「ずるいですわ陛下」

「うん?」

「そこまで言われてしまっては、身も心も……魂さえも捧げたくなってしまいます」

「今まで以上にか? それはほどほどにな」

「はい……」

オードリーは潤んだ瞳で俺を見つめる。

そんな彼女の手を引いて抱き寄せた。

しばしの間、オードリーを抱き留めたままでいてやった。

「そういえば」

ふと、俺はある事を思い出し、オードリーに聞く。

「なんでしょうか?」

オードリーは顔をあげて、不思議そうに聞き返してくる。

「雷親王のほうから何か言ってきてるか?」

「いえ、なにも」

「なにも?」

「はい」

「そうか。何か聞いてもいないのか?」

「はい、なにも」

オードリーはあっけらかんと言い放った。

「だって私、『ただのオードリー』ですから」

「……ああ」

なるほどそう来たか、と俺はおもった。

王族、特に皇帝に嫁いだ人間は「除名の儀」という儀式を行う。

これによって嫁ぐ前の名字、つまり家名を取り除くことによって、帰る家がないという理屈にして、身も心も嫁いだ先の人間になると宣言するものだ。

彼女で言えば、本来は「オードリー・アララート」なのだが、俺の妻になる事で名字のないただのオードリーになった訳だ。

歴史上、皇后や妃を通して政治に干渉したり旨みを味わおうとする実家サイドの事例は枚挙に暇がない。

それを防ぐために出来たのが除名の儀だ。

当然ながら、それだけで防げるというものでもない――が。

オードリーはそれをしっかり守ろうとしてくれているようだ。

「陛下には包み隠さず打ち明けますわ」

「うん?」

「推測はできます。私が嫁いでくる前の事を考えれば」

「ふむ」

「だからこそ、余計に知らないように、耳に入れないように努めています」

「そうか」

「陛下の妨げになるわけにはいきませんから、少しでも理想的な皇后として振る舞うようにしてます」

「すごいな、お前は」

「ふふっ」

オードリーは口元を押さえて、いたずらっぽく笑った。

最初は褒められて嬉しがったのかと思ったが、褒められたからという笑い方ではなかった。

なにかもっと、おかしさで笑っているような、そんな感じの笑みだ。

「どうした」

「陛下がご自分で自分の事を褒めていると感じて、それがおかしかったのです」

「余が自分の事を?」

どういうことだ? と眉をひそめ不思議がる。

「私のしている事は全て陛下の模倣ですから」

「余の?」

聞き返すと、オードリーは指を立てて、まるで教え子に何かを諭す大人のような表情と、いたずらっぽい少女のような表情をない交ぜにした笑みを浮かべた。

「規則に厳しく、法にはもっと厳しく。他人に厳しく、自分にはもっと厳しく」

そうやって、数え上げるように言って、仕上げはいたずらっぽい笑みをさらに強めて言った。

「全て、間近で陛下を見て学んだものですわ」

「前の三つはともかく、最後の一つは言いすぎではないか?」

「いいえ、自分にも厳しいですわ陛下。でなければやせ我慢は貴族の特権だなんて、言えないし実行できもしません」

「むっ……」

「だから、本当にすごいのは陛下で、陛下は自分で自分を褒めていましたわ」

と、オードリーは少女の様に楽しげに笑ったのだった。