作品タイトル不明
136.斥候と斥候
暗闇の中、一人の男が物陰に隠れていた。
身につけている黒装束は、日中であれば目立っただろうが、夜間は完全に背景に溶け込む役割を果たしていた。
本人の技量もあいまって、至近距離からの凝視でもなければ発覚出来ないほど、完全に身を潜められていた。
男は気配を消すことを強く意識しつつ、目の前の天幕、その向こうから聞こえてくる全ての物音に聞き耳を立てていた。
「さすが陛下、すごい飲みっぷり。さあさ、もっとのんでくださいな」
「あはははは、今度はアリーチェ、お前が飲ませてくれ」
「もう! 陛下ってば。変なところ触らないで下さいな」
「よいではないか、よいではないか」
「もう! まだ、だめです」
「そうか『まだ』か。あはははははは。そうだ、いい物を見せてやろう」
「いいもの?」
天幕の向こうから聞こえてくるのは前情報通りの内容だった。
帝国皇帝が戦場にまで寵姫をつれてきて放蕩三昧を繰り返している。
権力者が戦場にまで女を連れてくる――というのはまったくない話ではないが、男は仕事柄、ちゃんと自分で確認するまでは決めつけはしなかった。
それも今、天幕越しに聞こえてくる乱痴気騒ぎの内容で確信にかわった。
鍛え抜かれた鼻はまだ男女の交わりをとらえていないが、それは今鼻の奥を刺激して止まない濃厚な酒臭さのせいだろうとおもった。
この酒臭さ、天幕越しにも伝わってくるくらいなのだから――と、男は完全に皇帝の放蕩っぷりを確認したしたと、自分の任務は半分完了したと確信した。
「……よし」
それが確認出来れば、と。
男は脱出することにした。
男は長年斥候をしてきた。
自分の一番の任務は、無事生きて情報を持ち帰ること。
だから彼は時間をかけた。
「帰る」事にとにかく時間をかけた。
巡回の兵士をしっかり確認し、安全に、確実に脱出出来る機会をうかがう。
やがて、隙が生まれた。
その隙をついて、男は帝国軍の野営地から脱出し、暗闇の草原に消えていった。
……。
…………。
………………
その姿を、二人の男が暗闇の中からじっとみつめていた。
☆
「行きましたな」
「うむ」
敵軍の斥候が立ち去っていったのを確認してから、俺とヘンリーは物陰からでた。
「ようやく来てくれたな」
「そうですな。こちらが流した情報とあわせれば、間違いなく陛下が暗君と思い込んでくれることでしょう」
「うむ」
俺がアリーチェを連れてきた一番の理由、それは敵軍を欺き、油断させることだ。
そのための情報を直間接問わず流していたのだが、相手の指揮官がそれなりの人間なら確認するための斥候を放ってくると予想していた。
それが今夜、待ちに待った斥候がきて、無事、俺が「放蕩」している情報を持ち帰った。
これで、第一段階クリア、ってところ。
「こうなると、エイラー・ヌーフと面識がなかったのが幸いしたな」
「ヌーフ家は傍流も傍流ですからな」
「うむ」
「しかし――」
「ん? どうした」
横を向くと、いつの間にかヘンリーがこっちを見つめてきていた。
ヘンリーは苦虫をかみつぶしたような、それでいてどこか感心しているような、そんな顔をしていた。
「陛下の御業、このような使い方もあったなどとは思いもよらなかった」
「ちょっとした応用にすぎんよ」
俺はふっと笑った。
ヘンリーがいったのはあの「気配逸らし」の技だ。
俺は斥候のために、そいつが逃げていく方角にある人間全ての視線を逸らした。
斥候は慎重に慎重を重ねて、「視線がそれた」瞬間とその合間を縫って逃げだした。
俺のフォローで、斥候は無事に逃げ出せたのだ。
もちろん、斥候の気配や足音を消す技術や、潜入離脱の技術は相当のものだと一目でわかったし何もしなくてもちゃんと逃げおおせただろうが、念には念を入れてサポートしてやったわけだ。
「他人のためにも使えたなどと」
「そもそもが他人の視線を誘導するものだ、余がどうとかは絶対条件ではないよ」
「やはりすごい……もっといろいろな使い道がありそうだ」
俺はふっと微笑んだ。
ヘンリーのいうとおり、様々な場面での使い道がある。
それを既に思いついているし、想定した場面――例えば今の斥候のアシストのような場面なら問題なく使えるだろうと確信している。
この技はこの先も色々役に立ってくれるだろうと確信している。
「それよりも――ヘンリー」
「はっ、なんでしょう」
「すんなりいきすぎても向こうが疑心暗鬼になるだろう。軽く追撃をさせろ」
「追撃……ですか? しかし……」
ヘンリーはそういって、斥候が去った暗闇をみた。
俺が斥候をほぼ完璧に逃がした。
この暗闇のなか、見つけようがない。
いまから追撃したらそれこそ怪しまれる、ヘンリーはそう言っている。
「余はこれから、連れてきた女の歓心を買うために、陣中であるのにも関わらず花火をあげる。彼女の名前がはいった花火だ」
『むむむ……そうだ、いい物を見せてやろう』
「……はっ」
斥候を無事に帰すためだから、ヘンリーは当然その時から近くにいた。
俺が発した言葉を思い出してハッとした。
「すごい……あれはこういう……」
「と、いうわけだ」
「御意!」
ヘンリーは頭を下げて、あわてて駆け去って行った。
それを見送った後、俺を手をかざしながら。
「バハムート」
と呼びかけた。
ほとんど間をおかず、俺の前に半透明の小さなドラゴンが現われた。
サイズこそ手の平に載せられる程度の小ささだが、炎を纏っているその姿は荘厳なるものだった。
『お呼びか』
「今の話を聞いていたか?」
『一部始終』
「曲芸師のまねごとをさせてすまない。やれるか」
『造作もなく』
炎龍バハムート。
彼は小さい姿のまま空に飛び上がった。
俺の手から離れて、月のない夜空に数と溶け込んでいった。
そして、数瞬の後――。
空に花火があがった。
炎を司るバハムートが、空に業炎ではなく花火を打ち上げた。
花火は空中ではじけて文字通り大輪の花をさかせた。
花の中からアリーチェの名前が浮かび上がる。
アリーチェの名前が入った花火が夜空を照らす。
そして地上をも、まるで昼間のように赤く照らし出した。
上がった直後、野営地にざわめきが走った。
直後にあっちこっちから呆れるような声が聞こえてきた
そして更に数秒経って。
「そこ! 止まれ! なにものだ!」
遠くからヘンリーの声が聞こえてきた。
それとともにけたたましいほどの足音が動き出した。
「もういい、バハムート」
ささやくようにいうと、それだけで空の上にいるバハムートに届いたようで、花火はピタッと止まった。
その場でしばし待つ。
数分後、ヘンリーが戻ってきた。
「どうだった?」
「はっ、陛下の采配で 無事見失いました(、、、、、、、、) 」
「そうか」
俺はふっと笑った。
今は夜だ。
そもそも斥候が簡単に逃げ出せるほどの月のない夜だ。
花火が止めばまた暗闇に戻り、逃げやすくなるのは道理だ。
人間は面白いものだ。
まったく同じものでも、苦労して手に入れた物の方がより価値があると感じてしまう。
あの斥候が持ち帰った情報はきっと価値のあるものとして扱われるだろう。
「あれはダメ押しになりましたな。チラリとだが、斥候が空を見上げて冷笑しているのが見えました」
「あはは、だいぶ余を見下してくれたわけだ」
仕掛けが上手くいってよかったと思った。
俺は表情を変えて、改めてヘンリーに視線を向けた。
「さて、ヘンリー」
「はっ」
「明日から警備は厳重にしろ。ネズミ一匹入り込めないように」
「御意。『反省して』二度と忍び込めないようにいたします」
「でも酒と嗜好品の消耗は増える予定だ」
「さすが陛下、その通りにいたします」
「余はしばらく留守にする」
「え?」
俺の命令にその都度応じていたヘンリーが驚いた顔で見つめてきた。
「留守にする……というのは?」
「言葉通りの意味だ。明日から馬車と天幕は空にする。余がいないことを悟られるな」
「どこに行かれるのですか?」
「斥候だ」
「え?」
口をぽかーんと開け放って、絶句してしまうヘンリー。
たっぷり十秒近く固まってから、俺の言葉をようやく理解したのか。
「なりません! 陛下自ら――ありえません!」
と、猛抗議してきた。
「意識そらしの威力はお前も見てきたとおりだ」
「それでもなりません! 陛下に万が一の事があっては」
「大丈夫だ。それよりも生の情報が欲しい」
「生の情報……」
「余が実際にどのように思われているのか、それが知りたい。出来るならエイラー・ヌーフの寝所まで忍び込みたいところだな。寝物語がきける」
最後は少しおどけて言ったが、ヘンリーはなおも食い下がろうとする。
「しかし……」
「ヘンリー」
なおも食い下がるヘンリーに向けて、俺は真顔で真っ直ぐ見つめ、名前を呼んだ。
ヘンリーは一瞬ビクッとして、「はっ」と応じた。
「余は黙っていなくなることも出来た。あの力があれば簡単に抜け出すことができる。そうだろう?」
「そ、それは……」
「今こうしてお前に話しているのは、お前を信用してのことだ」
「…………陛下はすごい……そしてお人が悪い」
「ん?」
「それはまったく別の話だ、しかしそう言われれば応えるしかなくなる」
「そうか」
俺はまたふっと笑った。
ヘンリーは賢い男だ。
俺が言った、ヘンリーを信用しているかどうかというのは、紛うことなき俺の論点ずらしだ。
ヘンリーを信用しているからといって、俺がする事の危険が減るわけではない。ヘンリーが受け入れるかどうかの追加材料にはならない。
それをヘンリーはしっかりと認識した上で、「そういわれてしまったら……」と渋々受け入れた。
そんなヘンリーだから任せられる、と俺はますます思ったのだった。
☆
ノアが天幕の中にもどっていくのを、ヘンリーは複雑な顔をして見送った。
ヘンリーは心の底から複雑そうな顔をしている。
ヘンリーの頭の中で、出征するまえにオスカーと交わし合ったノアの評価がよみがえった。
『陛下はおよそ人間らしくない』
「陛下、私を……人間を過大評価しすぎです」
複雑な表情のままつぶやいた言葉は、陣中の騒ぎ声に飲み込まれて、誰の耳にも届くことはなかった。