作品タイトル不明
八十六話 赤き夢④
シルフェイムはクゥドルの触手の拘束を振り解こうと身体を捩る。
その間にどうにか海上を進み、シルフェイムから距離を取ることができた。
シルフェイムの雷によって崩れていた木偶竜ケツァルコアトルの結界が再生していき、破損していた部位も自動で修復されていく。
この調子であれば、すぐに空を飛べるようになりそうだ。
シルフェイムは首を回し、背後のクゥドルを睨みつけた。
『ちょこまかとアベル・ベレークを使われては、キリがないな。私がメビウスを使ってやるつもりだったことを、貴様からされるとは』
シルフェイムの三つの目玉が、己の胸部の『赤き夢』へと目線を落とした。
……シルフェイムはあれを使えば、クゥドルの触手とて簡単に枯れさせることができる。
だが、シルフェイムとて気軽に使える技ではないはずだ。
クゥドルの説明が正しければ、『赤き夢』が完全に目覚めた時点でこの世界は崩壊する。
シルフェイムとてそれを望んでいるわけではない。
『しかし……それでこの私に勝てると思っているのならば、それこそただの幻想であることを教えてやろう! 神話時代は、貴様は何かの力を借りて戦う様なことはしなかった! ニンゲンを使っての戦闘を行わざるを得ないということは、貴様と私の力関係が入れ替わったという、その何よりの証左である!』
シルフェイムはクゥドルの触手を掴み、勢いよく引っ張った。
滞空していたクゥドルの身体が、ゆっくりとシルフェイムへと引き寄せられていく。
『……よもや、この我が力負けするとはな』
シルフェイムは触手を引くのとは別の腕でクゥドルへと掴みかかろうとする。
クゥドルは翼を前に回してシルフェイムへの盾とした。
シルフェイムの腕はクゥドルの翼に阻まれたが、爪で翼の表面を削ぎ取っていた。
『クゥドル……私はこの一万年……貴様を排除することだけを考えていた! ただ眠り続けていただけの貴様とは違うということを教えてやるぞ!』
空が光り、クゥドルへと雷が下った。
クゥドルは寸前で触手を上部へ回して固めて防いだが、外側の触手の体表が黒く焦げている。
……恐ろしい威力だ。
仮にシルフェイムにクソチート能力の『赤き夢』がなくても、地力だけで完全にクゥドルを上回っている様に見える。
『灰燼と帰すがよい!』
空が続けて光る。
続けて二発の雷がクゥドルへと直撃していた。
触手の一部が炭化し、砕け散っていた。
俺はクゥドルとシルフェイムの戦闘を観察しながら、攻撃する準備を整えていた。
再び木偶竜を空へと飛ばし、シルフェイムの死角側から回り込んで接近しつつ、再びオーテムコールで三発のアベルノコギリを構えていた。
アベルノコギリは当たりさえすれば、シルフェイムも『赤き夢』を使って消し飛ばさざるを得なくなる。
……もっとも『赤き夢』を使わせたとしても、本当にシルフェイムの撃破に近づいているのかは怪しい。
シルフェイムと一体化している『赤き夢』は世界のリセットスイッチである。
シルフェイムにダメージを与えればその衝撃で『赤き夢』が目を覚ますかもしれない上に、奴が自棄を起こせば自らの意思で『赤き夢』を起こす可能性だってある。
だが……だからといって、シルフェイムに無抵抗で殺されるわけにもいかない。
「三連アベルノコギリィ!」
三つの巨大な風の円盤が、シルフェイム目掛けて飛んでいく。
アベル球や神火球は竜巻で潰される。
攻撃を仕掛けるなら貫通力に特化したアベルノコギリの方がダメージを狙いやすい。
『チィッ!』
シルフェイムはクゥドルの触手と組み合いながらも、どうにか身体を動かしてアベルノコギリの一つを回避し、二つを二本の腕で受け止めた。
完全に受け切れていないらしく、どちらも指の根元付近で精霊体が削れていく様子が見えた。
『いい加減……貴様には退場してもらおうか。お返しするぞアベル・ベレーク!』
シルフェイムが、アベルノコギリを受け止めた腕を曲げる。
三つの目玉が俺を睨んでいた。
まさか……強引に投げ返してくるつもりか!?
背筋に冷たいものが走った。
アベルノコギリは貫通力に特化している。
とてもじゃないが、あんな破壊の権化のようなものを投げ付けられては、ヒディム・マギメタルも木偶竜の結界も持つわけがない。
作った俺だからわかる。間違いない。
アレを平然と受け止めるクゥドルやシルフェイムがおかしいのだ。
クゥドルが体重をかけてシルフェイムの体勢を崩す。
二つのアベルノコギリは軌道が逸れ、木偶竜の下へと飛来して海面に落ちて行った。
アベルノコギリの衝撃によって海が大きく割れていく。
……どうにかギリギリ生き延びているが、命がいくらあっても足りそうにない。
『抵抗など、無駄なことだとわからないのか! 私にこれ以上『赤き夢』を使わせるつもりか!』
シルフェイムが叫ぶ。
空が三度光った。
クゥドルの上部をガードしていた触手の塊が剝がれ落ちる。
そこへシルフェイムの大きな腕が、爪を立てて殴りつけた。
クゥドルの触手の根元、肉塊が、シルフェイムの爪によって大きく抉られた。
あれだけ頑丈だったクゥドルの精霊体が……ごっそりと持っていかれた。
今の一撃は無視できないダメージのはずだ。
だが、それで攻撃は終わらない。
シルフェイムの別の腕が、素早くクゥドルを殴り飛ばした。
シルフェイムに絡みついていた触手も引き千切れ、完全に拘束が解かれた。
『この私に……真の神の力を取り込んだ私に、勝てるはずがない! この世界の全ては私の思い通りなのだ! この『赤き夢』を突破する術などない! あるとすれば、私と世界を道連れに全てを消し去ることだけだが……貴様らでは、それすら叶わぬ! 大人しく死んでゆけ!』
「……本当にお前が、その神そのものならそうだろうな」
『今……何と言った?』
シルフェイムが俺の呟きを拾って振り返った。
「元がどれだけの存在なのかは知らないが……所詮、お前の用意した紛い物だ。造ることができたものなら、壊すことだってできる」
あれが本当に創造神だというのなら、確かにシルフェイムを殺せば世界の崩壊は免れないだろう。
だが、あれはただの仲介機のようなものだとシルフェイム自身が口にしていた。
事実として、別にシルフェイムがあの気色の悪い顔面を作ったからと言って、世界が増えたわけでもないはずだ。
だとすれば、必ず何か、突破できる術があるはずだ。
『かつて世界の全てを支配していた、このシルフェイムが万年の時を掛けて用意した『赤き夢』を……所詮は紛いものだと? 百年も生きられぬマーレンの魔術師が、これを壊そうと言うのか?』
シルフェイムが思念波を発する。
ほんの少しの間だったが、シルフェイムの歪な竜の頭部と目が合った。
俺を所詮人間だと馬鹿にしているのかと思ったが、シルフェイムは恐ろしい形相を浮かべていた。
嘲弄ではなく、憤怒があった。
顔が力んでおり、大きく裂けた口が震えている。
俺を睨む不均一な三つの目玉は激しく痙攣していた。
『こんな化け物を、私は今まで生かしていたとはな。本当に愚かであった。アベル・ベレーク……貴様は私とクゥドルの間を飛ぶ蠅などではなかった。考えを改めたつもりだったが、まだ甘かった。貴様はクゥドルと並ぶ、私の前に立てる最後の敵だ』