作品タイトル不明
八十三話 赤き夢①
とにかくそれは醜悪で、不気味なドラゴンだった。
いや、正確にはドラゴンを象った高位精霊だろう。
月(ディン) の狭間より抜け出し、そいつは完全に姿を現した。
巨大な翼に、人間の様な六つの腕を持っていた。
顔は抽象画の様に崩れており、大小異なる三つ目の目玉が雑に配置されている。
口は大きく裂けていた。
碧緑に鈍く輝く体表には、血管の様に赤黒い繊維が張り巡らされている。
そしてなにより……胸部に、瞼を閉ざした巨大な人間の顔のようなものがあった。
人間の顔は赤色をしている。どうやらここから身体全体へと謎の繊維のようなものが伸びているようであった。
三つの巨大な尾が大空を這う。
目にした瞬間、俺の中で警鐘が鳴った。
「まさか、お前……」
『私は大空の下の全てを統べる、空の神シルフェイムなり。クゥドルに敗北を喫して以来、一万年の時を掛けて 月(ディン) の重力によって精霊体を集め、自身の身体を再構築し続けて来た……。今、再び私は地上へと降臨し、この世界の全てを支配する』
シルフェイムの三つの目玉がギョロギョロと動く。
……四大神最強格、空の神シルフェイム。
ハイエルフは神騙りでいいように動かされているだけかと思っていたが、どうやら本当にご本人様であったらしい。
分霊を名前によって縛る法則から逆算して気が付くべきだった。
ジュレム伯爵達の名前の関連性と矛盾しない大精霊は、シルフェイム以外に存在しない。
絵画で見た空の神シルフェイムとは全く異なる。
伝承が正しければ、シルフェイムは単に巨大なドラゴンの姿をした精霊であるはずだ。
この醜悪な姿は、クゥドルに敗れて力だけを求めて無尽蔵に精霊体を集め続けた結果か。
いや……一見出鱈目な姿だが、胸部の人面だけは安定している。
ドラゴンの頭部でさえぐちゃぐちゃな顔になっているのに、あの胸部の顔はしっかりと整っていた。
それに……あの顔から、妙な禍々しい気を感じる。
何らかの魔法現象の塊のようなもの……だろうか。
弱点かもしれないが、だとすればあんなわかりやすく露出させるとも思えない。
下手に攻撃しない方がいいかもしれない。
『私は力をつけ過ぎた。この姿は簡単に世界の法則を壊しかねないので、できることならば使いたくはなかったが……貴様が私にこの札を切らせたのだ。異界の忌み子、アベル・ベレークよ。貴様の霊魂を喰ろうてやる。永遠に我が体内で苦しみ続けるのだ』
シルフェイムが六枚の翼を羽搏かせて空の彼方より俺へと向かってきた。
無数の 月(ディン) の断片が魔法樹アルベリュートの枝をへし折っていく。
俺は杖を振るう。
「かっ、神火球!」
木偶竜の口から、十近い数の白い光の連弾が放たれた。
『またそれか。ジェームとして一度受けたが……大した攻撃であった。無用に受けるのはナシであるな。掻き消してやることもできるが、魔力を捨てることはないか。『赤き夢』が目を覚ましても困るのでな』
シルフェイムは大きく軌道を変え、白い連弾の追尾から逃れた。
機動力が高すぎて、神火球の追尾能力では振り切られてしまう。
「逃げるぞ! 異論はないな!」
「わわわ、わかった! 勿論だっ!」
俺の言葉にオルヴィガが応じる。
俺が杖を振った木偶竜が方向を変えて速度を上げた。
魔法樹アルベリュートの枝をへし折って突き抜ける。
まさかメビウスを倒して、ジュレム伯爵を再び相手取って……ここまで来たのに、最後にこんな化け物が出てくるとは思わなかった。
近接戦に持ち込まれたらお終いだ。
追って来るだろうが……とにかく今は、逃げながら攻撃をし続けるしかない。
「最高速度おおおっ!」
木偶竜ケツァルコアトルの速度を引き上げた。
景色が目まぐるしく変わる。
あっという間に魔法樹アルベリュートを脱し、 天空の国(アルフヘイム) を超えて海へと出た。
俺は背後を見る。
……木偶竜ケツァルコアトルを最速で飛ばしてはいるが……後から追って来るシルフェイムとの距離は縮まる一方であった。
「バケモノめ……!」
俺は背後を睨んで舌打ちする。
アレに頼りたくはなかったが……ここまでくれば、後には引けない。
アイツも、目前にジュレム伯爵がいるならば、俺と敵対している猶予などないはずだ。
俺は自身の胸部にある召喚紋へと、服の上から手を当てた。
召喚紋が輝くのがわかる。
「 সমন(召喚) !」
木偶竜の上部に巨大な魔法陣が展開された。
俺の目前に一人の女が現れる。
恐ろしく整った容姿をしており、荘厳な衣に身を包んでいる。
青白い綺麗な髪は床につくまでに長い。
勿論、クゥドルの人間形態である。
クゥドルは目を開き、小さく首を振った。
「散々我が言葉を無視して勝手な真似をしでかしてくれたと思っておったが……まさか、ここまでやらかしてくれるとはな」
「……勝手な真似とは言ってくれますが、好都合なのでは? メビウスを封印して、あいつら片付けてシルフェイムを引き摺り出したんですから」
俺は一応下手に出つつ、クゥドルの反応を窺う。
言葉遣い一つで機嫌を損ねる程小さくはないだろうが、余計な反感は買いたくない。
……命令を無視して散々勝手に動いて砂を掛けた形なので、よく思っていないことは間違いないが。
クゥドルもさすがにこの場で俺をどうこうするつもりはないらしく、すぐに飛来してくるシルフェイムの方へと向き直った。
「しかし、まさか……あそこまで精霊体を肥大化させているとはな。一万年前より、数段規模が膨れ上がっている」
……や、やっぱり、神話時代よりも大分強化されているのか。
「その……勝算は」
「残念なことに、あまり高くはないな。……特にあの胸部の顔面が最悪だ。シルフェイムめ、とんでもないものを造りおったな。我の見立てが正しければ、あれは力押しではどうにもならぬぞ」
クゥドルがあっさりと言う。
俺は息を呑んだ。
参った……最悪クゥドルに泣きつけばジュレム伯爵相手はどうにかなるかと思っていたが、相手がクゥドル以上だとは想定していなかった。
俺が頭を抱えていると、クゥドルがシルフェイムの方へと一歩前に出た。
「が……今ならば、好機はあろう。我が白兵戦を引き受けてやる。貴様は距離を取りつつ、あれの打開策を探れ。役に立てば、貴様の愚行は全て水に流してやる」
「は、はい……やってみせますよ……」
さすがクゥドル、男前だ。
俺が貢献できなければ、どの道クゥドルがシルフェイムを突破できずに殺されるだろう。
実質的な無罪放免だ。
クゥドルからしても俺に少しでも手を抜かれたり、これまでの様に不信感を持たれて余計な真似をされても困るので、そうするしかないのだろうが。