軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二十九話 大神クゥドル③

「 কুর্দি(法神を) টাই(縛れ) 」

ペテロが呪文を唱える。

浮かべられていた大量の術式が、ペテロの用いたクゥドルの触手が分散した精霊の魔力を受けて、眩いばかりに光を放つ。

クゥドルと思わしき鼓動を続ける岩塊を囲むようにして、光の檻が現れた。

檻の格子が小さくなって中央に寄っていき、光がクゥドルの身体を全体から締め付ける。

巨大な単眼の瞼が硬く閉ざされた岩の塊の鼓動が弱々しくなり、苦し気に痙攣する。

法神縛りの魔術は、俺も今まで他に見たことがないほど高度な結界魔術だ。

俺も大神宝典を読んだので理論はわかってるが、構築に掛けた執念が凄まじかった。

さすがは後一万年において、大国ディンラート王国の国教の大神と崇められることとなる精霊兵器クゥドルを造りだしたヨハナン神官の編み出した魔術だけはある。

ど、どうなったんだ?

法神縛りの魔術は一見成功しているように思える。

ペテロはしばらく息を止めてその光景に見入っていたが、口許から小さく笑みを零し、肩を震わせる。

笑い声は段々と大きくなっていく。

「や、やったわ! ついに、ついにワタシが、クゥドルの力を手にしたのよ! これからは、四大創造神をも駆逐したクゥドルを操るこのワタシこそが、世界の法神となる!」

それからペテロは、ゆっくりと俺を振り返る。

「さて……と。これで本当に、アナタは用済みね。残念だったわね、アベルちゃん。アナタのことは嫌いじゃなかったし、助けてもらった恩もあるけれど、ワタシにはディンラート王国を守るという、大事な、だぁいじな、使命があるのよ。制御下に置ききれない程に膨大なアナタの魔力は、ちょっと危険すぎるわ」

仮面の奥の、無感情な瞳が俺を射抜く。

俺は唇を噛みながら後退る。

杖は、ペテロの命令で手元にない。

取り出すのにワンアクションを要する。

ラピデス・ソードも同じことだ。

ミュンヒの目もある以上、その隙を覆す術がない。

「ごめんなさいね。そして、ありがとう。マーレン族のアベル・ベレーク、アナタの名前は、ディンラート王国最大の貢献者として、覚えておいてあげるわ。アナタがいなければ、クゥドルは『 刻の天秤(バランサー) 』に利用されるか暴走するか、再封印されていたでしょう」

ペテロがゾロモニアの杖を振るう。

クゥドルに張り付いていた岩肌の触手が音を立てながら伸ばされ、魔力の格子の隙間から這い出て、先端の照準を俺へと向ける。

「うぐ……」

俺は後方にいるメアへと目を向ける。

メアはミュンヒに必死に抵抗していたが、ミュンヒは華奢な外見に拠らず、ペテロの側近としてかなり身体を鍛えているようであった。

メアとミュンヒでは、地力が違い過ぎる。

あの様子では、まともに隙を引き出すことも難しい。

どうにか、どうにか、ここから逆転できる術はないのか。

ペテロを説得するか、ゾロモニアと取り引きを行う程度しか思いつかないが、そのどちらも情報に大きく欠けていた。

「せめて、メアだけは、見逃してもらえませんか? あの子には、貴方の言う様な力もありません。殺す理由はないはずです」

「…………いいでしょう、アベル・ベレーク。無害なメアちゃんは、適当に折を見て解放してあげるわ」

ペテロが平坦な声で返す。

嘘は、なさそうだった。俺は少しだけ安心した。

「な、何を言っているんですか、アベル!? い、嫌です! メア、そんなの嫌です! だったら一緒に死にます!」

メアが暴れながら言う。

「ペテロ様! この娘はきっと、復讐に来ますよ!」

ミュンヒの言葉にも、ペテロはまともに取り合わない。

「だからどうしたと言うの? そんな小娘が来たところで、怖くもなんともないわよ」

クゥドルの閉じられていた目が、大きく開かれる。

巨大な水晶体が露わになり、同時に岩肌が剝がれ、グロテスクにも思える青黒い肉塊が露わになり、固い動きをしていた触手も、自在に蠢くようになる。

人間の上半身が生えていない以外は、絵画で見たクゥドルの姿に相違ない。

そこに存在しているだけで空間が歪むような、圧倒的な圧を感じる。

クゥドルが身体中の触手を持ち上げ、床に叩きつける。

同時に、クゥドルを中心に、衝撃波が放たれる。

耳を劈く様な音が響き――そして、クゥドルを押さえ付けていた、法神縛りの魔力の格子が、跡形もなく消し飛んだ。

「や、やっぱりダメじゃん……」

俺もてっきり成功したのかと思ったが、そんなわけがなかった。

ペテロは呆然と口を半開きにしたまま、クゥドルを眺めていた。

ミュンヒも同じである。

気を取られて腕に掛けていた力が緩んだらしく、メアが身体を曲げてミュンヒの腕に噛みついたが、それでも彼女の目は魔術拘束を強引に振り解いたクゥドルへと向けられていた。

「な、なんで……どうして? ワタシは、ワタシは……クゥドルを支配して、神に……魔術の行使が、不完全だったというの!?」

「だからっ! だから俺、言ったじゃないですか! 絶対に失敗するって!」

俺の叫び声を聞いて、ペテロがびくりと身体を震わせる。

俺をちらりと振り返り、即座に目を逸らし、傍らに浮かぶゾロモニアへと非難の目を向ける。

ゾロモニアはペテロを無視し、腕を組んで目を閉じ、『やはりこうなったか』と零していた。

ペテロが殺気立つ。

「ゾロモニア! ど、どういうこと!? アナタ、しくじったわね! アナタが、効果を保証したからワタシは、ワタシは……! よくもそれで、知恵の大悪魔なんて名乗っていたものよ! アナタのせいで、全部台無しだわ!」

ゾロモニアがペテロの言葉を受けて、ムッと表情を顰める。

『失敬であるな。この妾にその様な物言いをするとは。妾も、人間共の妾への評価を知らんわけではない。知っていることや、考えていることの全てを伝えるわけではないと、そちもわかっておったはずである。何故妾が辺境地に隠されておったのか、知らんわけではあるまい? こう見えて妾はプライドが高いのでな、発言の撤回を求めるぞペテロよ』

「知ってるわ! アナタのことは不確かな情報源と割り切っていたわよ! だけど、クゥドルの前に無防備に姿を晒せば、命を落とすのはアナタの方でしょう!? なんで、どうして、こんな真似をしたのかしら!?」

『妾は人間が大好きである。特に魔術師として高位で、身分不相応に貪欲で、我儘で自分勝手なそちの様な男を愛しておると言っていい。妾の知恵に頼られるのが心地が良いのでな、それでこそ尽くし甲斐があるというものよ』

ゾロモニアが顔を赤らめ、自身の身体を細い両腕で抱きながら、身を捩らせる。

「何の話よ!」

『ただ、目的を果たした後は厄介者扱いとなるのが常でな。結局のところ、人の欲には限りがあるのだ。散々利用した後で、妾を杖ごと焼き殺そうとした者もおった。逆に、夢を半ばで諦めたつまらぬ奴に、単なる話相手として飼い殺され、退屈な時もあった。何事も、長い年月は腐敗を招くのだ』

ゾロモニアは過去を懐かしむ様に、寂しげに口にする。

『やがて、妾は気が付いたのだ。最も盛り上がったところで、劇的に破滅するのが、一番妾にとって幸福であるとな。今回は妾も消滅するかもしれぬが、共に破滅しようではないか。最期の主が冴えないオカマなのは少々残念だが、規模としてはまぁ満足である。それなりに楽しませてもらったぞ、ペテロ。最期に一度だけなら、妾をぎゅっとしたり、愛称で呼ぶことを許可してやっても構わんぞ?」

ゾロモニアが片側だけ目を開き、白々しく恥じらう様な仕草を取りながらペテロを見る。

「ゾロモニアアァアアッ!」

ペテロが怒りの咆哮を上げる。

衝動に駆られる様にゾロモニアの杖を振るって壁を殴りつける。

無論、そんなことではびくともしない。

だから俺は言ったんだ。

精霊の正体は、マーレン族の宗教観において、あるゆる生命の魂の欠片だとされている。

外の世界に出てからも、それに近しいことを主張する論文や本を、俺は何枚も読んできた。

そして魂の断片である精霊の中でも、意志が強く、歪んだものがごった煮で集うと、悪魔や精霊獣となる。

そのためなのか、ロマーヌの街近辺の森で出会ったイーベル・バウンが神と呼ばれることに固執していた様に、悪魔は歪んだ妄執を抱えているケースが多い。

ゾロモニアも典型的すぎるほどにそのパターンであった。

『ヨハナンの結界か。あやつの失敗作で我を操ろうなどと、なんと愚かな。しかし、我の力を用いて世界の支配を目論む者が現れるとは、皮肉なものだな。ヨハナンが知れば、さぞ憤るであろう』

古代精霊語での、荘厳な思念波が響く。

発生源は、青黒い肉塊に埋められた、クゥドルの単眼である。

その思念波に、ペテロが凍り付く。

「あ、あれ、人格あったのか……」

あまりにバケモノ過ぎる外見なのと、ペテロが精霊兵器呼ばわりしていたことから、てっきり知性が薄く、暴れるだけなかと思っていた。

今思い返せば、法神縛りの結界が失敗してもどうにかなっていたようだったので、当然といえば当然なのかもしれないが。

ひ、ひょっとして、助かる……?

『神の領分を侵そうとする者には、神罰を下さねばならんな』

「ち、違うの……ワタシは、ワタシは……」

ペテロが手からゾロモニアの杖を落とし、恐怖によろめきながら後退る。

ペテロはヨハナンの言葉もエキサイト翻訳していたので古代精霊語を正確に理解できたわけではないだろうが、それでもクゥドルが何の理由で、何故自分に敵意を向けているのかは察したようだった。

クゥドルの触手が容赦なくペテロを薙ぎ払った。

軽々とペテロが吹き飛び、壁に背を打ち付ける。骨の折れる嫌な音が響き、ペテロがその場に身体をへし折って苦鳴を上げる。

「ペ、ペテロ様っ!?」

ミュンヒがメアを引き離し、ペテロの傍へと駆ける。

クゥドルの触手の一本が、床へと下ろされる。

触手に歪な腫瘍が八つほど生じ、それはどんどんと膨らんで行って本体から分離し、醜悪な異形の化け物、ディンイーターへと変貌した。

『あの男を、好きに喰らうことを許可する。行け』