作品タイトル不明
十九話 ハイエルフの魔術師、デヴィン⑫
「こ、このっ! 放してくださいっ!」
メアがデヴィンの腕を手で掴んで噛みつき、足を上げてデヴィンの足を蹴った。
だが、デヴィンはびくともしない。
デヴィンは俺を睨んだまま、メアの首に掛けていた腕の力を強めた。
「あうっ!」
「ハッ、ディンラート王国に飼い殺しにされて、平和ボケしてるとは聞いていたけど、貧弱にもほどがある。哀れだねぇ」
デヴィンが淡々と言う。
あくまでも狙いは俺であり、メアには何の感情も抱いていないようだった。
そのことはまずは安心だが、デヴィンの性格から考えて、何がきっかけでメアに怒りを向けるかわからない。
それに俺への恨みを晴らすために、メアに手を掛けるということも、全然あり得ることである。
あのストーカーエルフの性格の悪さは、普通ではない。
「メ、メア、と、とりあえず止まれ! これ以上怒らせたら、本当に殺されるぞ! お、落ち着けデヴィン! わかった! 悪かった! ほら、この法衣なら返す! 他に何か、つけてやっても……」
「今更そのくらいで許せるわけがないだろうが! ふざけたことを言っているんじゃない! 死を以て、我が至高の種族と空神様への償いとするがいい!」
デヴィンの見開かれた真っ赤な左目に、魔法陣が浮かび上がる。
いや、これは魔法陣というよりも……召喚紋か?
見たことのない、醜悪な紋章が瞳の中で渦巻いていたが、それが一気にデヴィンの顔へ、全身へと広がり、禍々しい赤の光を発する。
「 সমন(召喚) !」
魔法陣が浮かび上がり、その中央に黒い外套を纏ったナニカが現れた。
ひらひらと宙を舞う外套の両腕の部分からは、細長い刃のようなもの数本、うようようとが伸びている。
どうやら触手のようだが、金属質である。硬いのか柔らかいのか、見ているだけではいまいちわからない。
外套から覗く顔は、半透明の球体のようなものが浮かんでいるだけであった。
黒い外套に、そこから時折除く半透明なのっぺらぼうの顔、鋭利な金属製の触手。
俺はこの異様な外見に、見覚えがあった。
「まさか……死精霊タナトスか?」
ラルクの屋敷で見つけた高位精霊図譜に記されていた、大精霊の一体である。
落書きのような不気味な挿絵だとは思ったが、まさかここまでそっくりそのままの容姿だとは思いもしなかった。
端くれではあるものの、空神シルフェイムに仕えていたとされており、それが本当ならば神話時代から生き続けてきた数少ない大悪魔の一柱というこうことになる。
「よく知っていたねぇ。空神様から、夢の中で召喚紋をこの目に刻んでいただいたのだよ! 戦争まで取っておけとの神託だったが……アベル・ベレーク! 君だけは、 月祭(ディンメイ) の日を待たずに苦しんで死んでもらう!」
神話の中では、クゥドル以外の五大神は全員クゥドルに消されているとのことだった。
せいぜい信仰が残っているだけだと思っていたが、宝具だけではなく、手下まで寄越しているというのがどうにも不気味だ。
まさか、まだ本当に空神が存在しているとでもいうのだろうか。
水神リーヴァイが実際俺の前に降臨したこともあるし、今更なのかもしれないが……。
「せ、戦争……?」
「冥土の土産に教えてあげよう、アベル・ベレーク。私が不浄の地上へと降り立ったのは、 天空の国(アルフヘイム) がディンラート王国へと攻撃を仕掛けるその前準備のためだ。ディンラート王国に恨みがあり、また卓越した魔術の技量と知識を持つアルタミアを、 天空の国(アルフヘイム) へと招き入れるためなんだよ。不浄の地なんかに興味はないし、ノークスを引き入れるのも気が進まないけど、空神様の神託だからね。錬金術師一人の存在は、時に一万人の兵よりも役に立つ」
……ハイエルフの国が、ディンラート王国に攻め入ってくる?
別に両国の間に、諍いどころか大した干渉もなかったはずだ。元々、ハイエルフは排他的なのだ。
何かきっかけがあるとすれば、エベルハイドが対ハイエルフ用の浮上要塞を起動したことくらいしか、思い至らないが……。
「だから、君を殺した後、君のお友達も皆死ぬだろうから、安心して苦しんで死ね! 特にマーレンは、全員この私がじきじきに滅ぼしてやる!」
デヴィンの左目が、赤から碧になっている。
今は閉じている右目も碧色だったはずだ。
ということは、元々はオッドアイでもなかったのだ。
碧の左目に、薄っすらと赤い魔法陣の術式が浮かんでいる。
通常の召喚紋ならば、目が変色する様な事は起きないはずだ。
恐らく、あの死精霊タナトス……通常の契約ではなく、特殊な契約を結んでおり、平常時からあの真っ赤な左目をゲートにして、デヴィンに魔力の一部を分け与えていたのだろう。
「……う、嘘だろ」
「ハハハハハハハ! 嘘なものか! ここで死ぬ君に嘘を吐いてどうなる? 怖いだろう? 恐ろしいだろう! 地上が戦禍の中心となるのが! 我らハイエルフが、地上の民を蹂躙するのが!」
「そんな大層な精霊の加護まで受けてて、その程度の魔力だったのか……」
どこまでが本当なのかわからないが、空神はいったい、こいつの何に期待していたのだろう。
精霊を与え、魔力も与え、法衣まで与え、そうとう期待していたようだということは間違いなさそうだが……。
デヴィンは俺の言った言葉の意味がわからなかったのか、ぽかんと口を開けて、数秒黙り込んだ。
メアも眉を八の字にして、困ったように俺を見ていた。
つい先ほど、メアに、デヴィンをこれ以上怒らせたら殺されるぞと忠告したのは、他の誰でもない、この俺である。
俺はそっと、自分の口を手で押さえた。
「悪い、今のはなしで……」
「タナトス! 二度と奴の魂に安らぎがあらぬよう、奴を指の先から心の臓まで斬り刻み、呪言で永劫の苦しみを与えてやれ! 冥府の狭間で、永遠に彷徨い続けるがいい!」
タナトスは鋭利な触手を次々に外套から伸ばし、宙に広げる。
そして螺旋軌道を描きながら浮遊して、俺へと触手の照準を向ける。