作品タイトル不明
とある大神官の表裏②(sideネログリフ)
「では、ワシらはこれよりリヴグラスの作成に取り掛かる。アベル殿は、ゆっくりと休んでいてくだされ」
「ええ、後はお任せしますね」
ネログリフはアベルの提言で一度は席を外させていた一同を室内に呼び戻した後、互いを賞賛し合う言葉をにこやかに交わしていた。
そんな二人とは打って変わり、クロエは気が気ではなかった。
なぜここまでネログリフが平然とできているのか、最早理解しきれなかった。
こんなに山ほどリヴ・フォーグがあれば、リヴ・グラスはじきに完成してしまう。
見張り役であったオーゲン、カムラ、ソフィアが何の役にも立っていない。
隙を見て殺すなり、乱獲を止めるなり、運んでいた段階で焼き払ってしまうなり、何かとやりようはあったはずなのだ。
本当に突っ立って見張っていただけなのかと、今すぐ問いただしたいところである。
クロエはリヴ・フォーグの山を目前に気が遠くなりそうなところを、彼ら三人への怒りでどうにか意識を留めている段階であった。
こんな不安定な精神状態でも発狂せずに済んでいたのは、一重にトップであるネログリフが落ち着いてどっしりと構えているからである。
何か対応策があるからなのか、ネログリフはまったく取り乱す様子がないばかりか、一心にアベルを讃えているだけ余裕があるように見えたのだ。
「……では、惜しいところではありますが、こちらも急がねばなりませんからの。全てが終われば、またゆっくりと語らいましょう」
「いえいえ……。でも、いいんですか? その、色々と肩入れしてもらっちゃってるみたいで……」
アベルがやや声を小さくして言った。
他の者達には何の話かはわからなかったが、ネログリフにはすぐわかった。
アベルが問うたのは、リヴ・フォーグやリヴグラスの秘密を色々と横流しにしてもらったことについてである。
リーヴァイ教は閉鎖的であるため情報はあまり漏出していないが、『クゥドルを崇拝しているディンラート王国を深く恨んでいる』というイメージがディンラート王国の中にはあった。
彼らの信仰対象であるリーヴァイを歴史から葬り去ったのがクゥドルであるというのが通説であるためである。
それに、ラルクの親戚であるハイル村長の命など、本来ネログリフが危険を冒してまで助けるメリットなどないのだ。
「むしろ、ワシらの尻拭いをしてもらっているようで、アベル殿には本当に申し訳がございませんな。いつか、何かしらの形で恩を返させていただきたいところでございます。それに教えの壁などリーヴァイ様はお気になさらないでしょう。リーヴァイ様は、海のように広大な心を持っておられる」
そう言ってネログリフは、アベルへと手を差し出した。
アベルは一瞬躊躇った後に手を出し、ネログリフの手を握った。
「顔を合わせて笑い合い、同じ目的に進むことができるのだから、ワシらは友でございましょう。そのような小さなことはお気になさらずに」
ネログリフ、アベル、メアが笑い合っている間、カムラ、ソフィア、クロエは終始沈黙を保っていた。
特にカムラとソフィアは、死刑の執行を待つ囚人様な面持ちであった。
やがてアベルとメアが去った後に、ネログリフはそっと扉を閉め直した。
「ネ、ネログリフ様……もしや、計画は中止になさるおつもりで……」
クロエが声を掛けて来たのを、ネログリフは笑顔で手で制した。
それから部屋の四隅に魔法陣を浮かべ、音が決して漏れないよう強固な結界を丁寧に張った。
ネログリフがすっと手をクロエに出す。
アベルと握手した手とは、逆の手である。
掌を表に向けると、爪で抉ったような痕があり、血が溢れていた。
「ネログリフ様、これ……」
ネログリフは幼少時、リーヴァイ教関連の組織にて、感情が表に出ないよう特殊な訓練を積んでいた。
それでも抑えきれなくなったとき、掌を隠しながら親指で擦ることで気を紛らわせる癖があった。
しかし最後にその癖が出たのは十歳の頃――遡ること、五十年近く前のことである。
そのときでも、せいぜい皮が破ける程度であり、血を流すことはなかった。
しかし今は、掌の皮が破け、肉が抉れていた。心中煮えくり返っている、何よりの証明である。
「さて、アベル殿をどうやって殺すとするかの」
開口一番、ネログリフはアベルの抹殺を宣言した。
「ネ、ネログリフ様! 三人への処分は……」
クロエに訊かれ、ネログリフはカムラとソフィアを睨む。
「……必要はあるまい。その件に関してはワシのミスと言えよう。アレを、完全に見誤っておったわ」
それを聞いたカムラとソフィアが、強張っていた身体中の力を抜き、その場に座り込む。
クロエはその様子を見届けてから、ネログリフへと視線を戻す。
「しかし……殺すのですか? すっかりネログリフ様を信用しきっているように見えました。まだ利用価値はあるのでは? ネログリフ様も、力ばかりあり扱いやすく、道具としては最適だと先日までは仰られていたではありませんか」
「もう破綻が見えておる。道具として最適だというのは、好きなタイミングで殺せることが前提にあってこそのものである。こんな切れかけの綱に、これ以上乗っているわけにはいかん」
ネログリフは忌々し気に言い、首を振った。
「そもそも……クロエは、アレのことがまだわかっておらんようだな。いつ破裂するかわからぬボム・フォーグでトンネルを掘るようなものであるぞ。おまけに誤爆したときの被害とリターンがまったく噛み合っておらんわ。それに最悪……あんな化け物を放置しておったら、そのせいでクゥドルが目覚めかねん」
「に、人間の魔力などに、クゥドルが反応を示すワケがありません。遥か昔、神話時代から眠り続けているのですよ」
「ワシはアレの肩を抱いたとき、強引に体内の魔力を乱してそのまま殺そうとしたのだ。すぐに止めたがの」
「え?」
「奴は、常に全身に高周波の魔力を巡らせておる。それも、ほとんど減衰なしの、高精度での。魔力を鍛える修行の一環として、そういうものは確かにある。普通は目を閉じて集中しながら、日に十分程度行うものであるが……奴は恐らく、生活の中で、ずっとそれを続けておる。人間業ではない。少しでもあの魔力が乱れれば、即座に気が付いておったであろう。解析が得意であると言っておったが、納得がいった。あれでは、身体全身が高度な感覚器官のようなものである。街中を歩いておったら、全身目玉だらけの魔獣とすれ違ったような気分であったわ」
「ひぃっ!」
一度は同じ手でアベルの無力化を目論んだソフィアが悲鳴を上げた。
ソフィアは影からこっそりとアベルを仕留めるつもりであったが、それがドラゴンに正面から斬り掛るが如く愚行であったことにようやく気が付いた。
「そ、そうなると、毒殺でしょうか?」
「あんな怪物を想定した毒はない。身体を止めても意味はないし、即死させる必要がある。感知されたら吐き出されかねんから、遅効性は意味をなさん。が……即死毒は、微量ながらに魔力を帯びたものが大半である。感知の恰好の的である。口にさせることはまずできんであろう」
「もう、この場は穏便に別れるしかないのでは……。それに村でのあの歓声、すでにリヴ・フォーグの一件は知れ渡っているのではないですか?」
クロエがカムラを睨む。
カムラはがっくりと項垂れる。それは明らかな肯定であった。
クロエも思わずカムラ同様に項垂れた。
「それはできん。いずれは必ず衝突する相手……ならば、手中にある今のうちになんとしてでも処分しておかねば。二十手ほど考えてみたが、まともに使えるのは五つくらいであろう。その後、この村の統治に出る支障を最低限に抑えるためには、その中の一つといったところか。ディンラート王国で気を付けておかねばならんのは、あの胡散臭い仮面の男だけだと思っておったが、とんでもない化け物がおったわい」
「手はあるのですか?」
「悪魔裁判を行う。あれならば、村の統治に出る支障を抑えらえる」
「あ、悪魔裁判ですか!? あの神聖な儀式を穢すことは、さすがに同意しかねます!」
悪魔裁判とは、悪魔であるという疑いの掛かった者に対して行うものであり、聖なる炎でその身を包み、無事ならば人間、焼け死ねば悪魔というものである。
被疑者には、魔力を横流ししてあらゆる魔術を不発させる手枷を嵌めさせながら行うことになっている。
これならば裁判の行使まで騙して持っていくことができれば、魔術のゴリ押しで回避されることもない。
ただし、悪魔裁判を騙った冤罪による殺人は、後に発覚すれば背徳者として関係者全員が戒律により処刑される。
これは悪魔裁判時に用いる聖なる炎はリーヴァイの力を借りて行うものであるという建前があり、悪魔裁判自身が神聖視されているためである。
実際はただの魔術によって生成された精霊体のみを焼き払う特異な炎であるが、リーヴァイ教の中ではそのように信じられている。
「なぜ悪魔裁判を騙った際の罰則が重いか、クロエにはまだ教えてはおらんかったの」
「え……? それは、リーヴァイ様の……」
「いいか、クロエ。悪魔裁判を騙った殺人が発覚した際の罰則が重いのは、好きなときに好きな者を正義の元に処刑できる悪魔裁判の信憑性を落とさぬためである。こんな便利なものを失っては困るからの」
ネログリフに心酔し、リーヴァイに信仰を捧げていたクロエも、これにはさすがに言葉を失った。
口をぱくぱくとさせながらその場にへたり込む。
「不正な悪魔裁判が黙認されておることを知っておるのは、ワシの部下の中でも知っておるのは十人だけ……今クロエを合わせて、十一人になったがの。あまり公にできることではないのでな。万が一発覚すれば、ワシがリーヴァラス国より引き連れてきた者達からの信用を失うだけではなく、その場で背徳者として殴り殺されるやもしれぬ」
「そんな、このような……」
「そんな真似はできんと、そう言うか?」
ずいと、ネログリフはクロエへと顔を近づける。
クロエは何も言えず、ただ身体を委縮させた。
ネログリフは身を翻し、クロエに背を向けた。
「……ワシも、このような手は好かん。初めて知らされたときは憤り、間違っていると叫んで牢に入れられたこともある。しかし、綺麗ごとだけでは世は回らぬのだ……大邪神クゥドルの復活を阻止するためにも、心を鬼にせねばならん。クロエ……ワシの苦悩を知っておるお前ならば、わかってくれるであろうと思って話した」
肩を震わせ、涙声でネログリフは言った。
「ネログリフ様……」
クロエはネログリフが教会堂で孤児を育てていたときの姿を知っている。
だから、今の汚い仕事は乗り気ではないが、将来のリーヴァラス国のため、ひいては世界のために心を鬼にしているのだと、簡単に想像できた。
そのギャップに苦しんでいないはずもない。
そのことは、幼少期に教会堂でネログリフと生活を共にし、今は側近となっているクロエにしか十全には理解できないことであると、考えた。
それが本当に合っているかどうかはともかく、そう考えた。
「……わかり、ました。悪魔裁判を執り行いましょう」
「クロエよ……そこで一つ、頼まれてほしいことがあるのだ」
「なんなりと。ネログリフ様と共に手を汚すならば、私は恐れなど……」
「この悪魔裁判は、クロエが主体となって行ってほしい」
「え……わ、私が?」
「……協力はできるが、主体となるのは嫌か? それとも……ワシを、疑っておるのか? 最悪の場合は、クロエを切り捨てて自分だけ逃げようとしていると……」
「い、いえ! そんなことは決してございません! 承知しました。悪魔裁判は、私が執行します!」
「うむ……クロエはいい子である。心配はいらぬ、魔術さえ封じてしまえば怖いものなど何もありはせん。アベル殿を悪魔裁判の場へ引き出すのは、ワシがやってやる」
ネログリフはクロエの髪を撫でて励ましながら、頭では失敗したときのことを考えていた。
(失敗はせんはずだが……嫌な胸騒ぎがする。もしもここであの化け物を仕留めきれねば、本当にクゥドルを目覚めさせる引き金となりかねん。万が一に備え、リーヴァイ様より槍をお借りさせていただくよう交渉しておくとするかの)
リーヴァイの槍は神々が所有していたという八大神器の中でも最強の性能を誇っており、この世で最も強力な武器とされている。
リーヴァイは四大創造神最弱とされていたが、槍の力さえあれば地神と火神を圧倒し、空の神とも渡り合えるといわれているほどである。
故に四大創造神の優劣は単純な力比べならば、水神が最弱、地神火神と並び、槍神、空神であると、クゥドル教内部で揶揄されているほどである。
無論、このジョークはリーヴァイ教徒の前では禁句である。
リーヴァイの槍の力は恐ろしい魔力を秘めており、天に翳せば天候を自在に操作するかつて七日間掛けて海原を創造したとされる『天雨』、手を上げるだけでリーヴァイの手許へと戻る『所有者の刻印』、外したときに運命をほんの少しだけ書き換えて相手に命中させる『運命歪曲』の三つである。
(槍の魔力のせいでクゥドルの目覚めが早くなるかもしれんが……あの化け物を野放しにするよりはいくらかマシであろう)