作品タイトル不明
十話
ネログリフとクロエに連れられて教会堂へと足を運んだ。
中には所狭しとベッドが並んでおり、リーヴァイ教のローブで身を包んだ教徒達が、せっせと看護に専念している。
最早教会堂とは名ばかりのただの治療院である。
患者は意識がまったくない者と苦しげに呻いている者、半々といったところだ。
ネログリフは教会堂の中を一通り回ってから、俺の許へと戻ってきた。
「お待たせして申し訳ございません。ここの教会堂の中にいる患者達の容態を、そろそろ確認しておきたいと考えておりましてな」
「い、いえいえ、人命に関わることですし……当然そちらを優先していただいた方が……」
俺とネログリフは、また互いに頭を下げ合っていた。
俺は流されやすい性分なのだ。
相手が遜ったら、ついその分遜ってしまう。
「人手がギリギリみたいですね……」
看護に当たっている信者達も、疲れ果てている人が多い。
さっき馬車を囲んだ教徒達が攻撃的だったのも看護疲れや、人員を選んでいる余裕がなかったこともあるのかもしれない。
「ええ、ラルク男爵からの援助があればいいのですが……」
ネログリフが言えば、近くを通りかかった男教徒が同調する。
「ラルクはとんでもない奴ですね! 自分の領民が苦しんでいるというのに、まったく知らんぷりで……。本当ならば、治療のために人員を送るのは領主の仕事でしょうに! なぜネログリフ様が苦心されているのに、あちらが無視を決め込んでいるのか!」
ラ、ラルクは頑張ってたから!
向こうにも余裕がない上に、手紙がことごとく届かないから内情把握できてないだけだから!
つーか全部お前らリーヴァイ教のせいだから!
「やめなさいブラウチ。ラルク男爵にも、事情がおありなのでしょう」
「しかしですね! ここの村人達も皆、口を揃えて言っていますよ! ラルク男爵は、これを機にパルガス村がなくなってしまえばいいと考えているに違いない、と!」
なんであの人どこ行っても悪役に仕立て上げられてるの!?
俺も口を挟んでやりたいが、なまじ旅人ですと言ってしまったため下手にラルクの擁護はできない。
今更明かしても不信感を煽りかねないし、全体図が見えないせいで動きづらい。
「無為に病人の不安を煽るようなことを言うでない! 彼らは不安なのだ。悪い想像などいくらでもする。お前がそれに同調してどうする!」
ネログリフが大声で怒鳴った。
間近で聞いていた俺の背筋まで思わず伸び、教会堂中が静まり返った。
直接怒鳴られたブラウチという教徒は、身体が麻痺したかのように棒立ちで口をぱくぱくと開閉させている。
「ネ、ネログリフ様……もも、申し訳ありません」
ブラウチはそれだけ言って引き下がった。
ネログリフは数秒置いてから表情を緩める。
それから眉尻をやや下げて顔を赤くした。
「……申し訳ございませんな。病人が大勢いる中だというのに、つい興奮してしまい」
ネログリフはそう言うが、今のは正解だっただろう。
教会堂中にそういう悪い想像が広まっていたのならば、患者達の精神状態にも悪影響だ。
今の一喝で少しでも拭えたのならば、教会堂の中で大声を出すだけの価値はある。
それに……不安に付け入るのは、日本でも新興宗教の常套手段だ。
ネログリフを担いでいる奴がそれを狙っていたのならば、今のは大きな抑止力になっただろう。
やはりネログリフには何も知らされていない可能性が高い。
俺は少し時間を置いて周囲の注目が薄れた頃に、声を潜めてネログリフへと尋ねた。
「……完治した人はいますか?」
「完治したと言っていいまで回復した者は、五人ほど……まだ体調は万全ではありませんが。アベル殿の見立てでは病魔の悪魔はまだ生きておるという話でしたが、ワシとの戦いに敗れた後に距離を置いたのでしょう。そのお蔭で影響が弱まっておるのではないかと」
離れた……ね。
精霊は、人間と契約して召喚紋を付けていれば空間を自在に行き来できる。
リーヴァイ教徒の中で悪魔を飼っている精霊使いがいれば、一度離れて身を隠していたとしても、帰ってくるのも容易だろう。
恐らくは……ネログリフとは別の形でリーヴァイ教の中で権威を握っている奴が、その精霊使いだ。
とはいえマリアスのように村人に紛れ込んでいたり、位を隠して下っ端として入り込んでいるかもしれない。
尾を掴むことは容易ではない。
捕まえられるとしたら相手が悪魔を出さなければいけない状況にまで追い込むか、別方面からのアプローチを掛けてとっとと解決してしまうか。
「これはあまり他国の人間に漏らしてはならぬ話なのですが…………その若さで卓越した魔術の腕を持ちながらも驕らず謙虚に振る舞い、厄介ごとと承知の上でワシらに手を貸してくださった、アベル殿の人柄を見込んでお話しいたしましょう」
「あ、あんまりそんなふうに言われるとむず痒いんですが……」
「…………」
クロエは不満げに俺をちらりと睨んだが、目が合うとすぐに元の無表情へと戻った。
「実は……先ほど言った五人が病状から回復できたのは、悪魔の影響が弱まったこともあるのですが……リーヴァラス国に伝わる霊薬の力でもあるのです」
霊薬……そう聞いた途端、俺の中で思わず胸が高鳴った。
リーヴァラス国には不思議な薬があると本で読んだことはある。
「リ、リヴグラスですか!」
少し声を荒げてしまう。
周囲の教徒達から嫌悪の目を向けられ、慌てて俺は口を塞ぐ。
前を向き直すと、クロエも無表情のまま俺をガン見していた。
怒ってる、ちょっと怒ってるよあれ。
「ワ、ワシから後で説明しておきますのでお気になさらず……」
ネログリフは俺にそう言った後、周囲へ軽く手を振りながら誤魔化すように笑う。
す、すいません、本当にすいません……。
気軽に他国の人間に言っては駄目なのだがと聞いた傍から大恥を掻かせてしまった。
リヴグラスは世界三大霊薬の一つだとされている。
一つ目はアムリタといい、飲むものは永遠の命を得られるとされている霊薬である。
ハイエルフの住まう浮遊大陸、 天空の国(アルフヘイム) の中央にある魔法樹アルべリュートの雫を濃縮して造られるなのだが、たった一杯のアムリタを造るために千年は掛かるとされている。
二つ目はエーテルといい、飲むものには無限の魔力が齎されるとされている霊薬である。
一説にはクゥドル神の身体の一部を素材として錬金されたとも、クゥドル神が吞み残した水神リーヴァイのことであるともいわれているが、実体は不明である。
そして三つ目がリヴグラスである。
あらゆる呪いと病魔を退けるとされている霊薬である。
クゥドル神の呪いを受けた空神シルフェイムが、呪いを解くためにリーヴァイの許を訪れてリヴグラスを錬金させたといわれている。
呪いを解いた空神シルフェイムは他の神との戦いで弱っていたクゥドル神へと再戦を挑み、無事に空へと投げ飛ばされて 月(ディン) になったとされている。
……ただクゥドル神が大暴れするより先に 月(ディン) が空にあったことを示唆する書物や言い伝えは沢山あるので、さすがにクゥドル教徒が勝手に付け足したものだとは思うが。
「そ、その……治療に、リヴグラスを使ったんですか?」
「ええ。とはいえ、かなり薄められたものですし……他国の人が言うほど、大仰なものではないのですがな。高価な万病薬ではあるのですが、神話に名を残すほどのものであるとは……まぁ、あれは作り手がリーヴァイ様であった、ということもあるのでしょうが」
お、おお……そんなすごい薬が、手の内にすでにあったのか。
ただ五人という人数から察するに、量が足りていないのか、効き目に個人差が大きいのか……。
「ただ……あまりその、量がありませんでしてな。原材料の足が早く、おまけに希少なもので……。少数の病人にだけ与えるわけにもいきませんので、完治というよりは病状を遅らせることを目的に使っております。ただ、すでに病人達の間でも優れた薬のことが噂になっておりまして……少し取り合いというか、ギスギスした空気が広がっております。そのことで気が立っている病人やご家族も多いことだと思いますので、そのことを先に頭に入れておいてもらえたらと」
うわぁ……。
つーかそれ、洩らしたのリーヴァイ教徒なんじゃなかろうか。
薬を配分しきる量が足りないとなれば、リーヴァイ教に改宗して身内になって頭を下げていた方が助かる確率は跳ね上がる。
村人同士も対立するため、手を組み合うようなこともできなくなるだろう。
「因みに、リヴグラスの原材料はなんなんですか? 足がどれほど早いのかは知りませんが、調達に間に合ったということは、案外近くにあるのではと思いまして。自分、一応街の方で冒険者をやっていたこともありますので、原材料の収集も手伝えるのではないかと……」
伝説の霊薬である。
この機会を逃すわけにはいかない。
それにリヴグラスの量が揃えば、恐らく悪魔がどれだけ近くまで来ようと無関係に治療が行えるはずである。
村人の無事さえ確保できれば、後はリーヴァイ教徒くらいならば俺一人でもどうとでもなる。
信用も得られるだろうし、村人を一度避難させてからマリアスの引き起こした事件のことをネログリフに相談するなり、力任せに鎮圧するなり、好きにすればいい。
「それに俺、保存の結界にも心得がありますよ。別にその……自分が見てみたいとか、使ってみたいとか、常備しておきたいとか、そういう疚しい気持ちはあんまりないんですけど……えっと……」
俺がしどろもどろに説得していると、クロエがめっちゃ目を見開いて俺を睨んでいた。
ちょっと瞳孔が大きくなっている。
怒ってる、絶対怒ってる、さっきより怒ってる。
やっぱり駄目だったかと、俺が諦めようとしたそのときだった。
「おお、なんと! アベル殿はなんでもできるのですな! ……実はリヴグラスの主材料は、リーヴァラス国とディンラート王国の国境となっている山脈の、リーヴァラス国側に生息している小型種の奇形のフォーグなのです。ワシらの国では、リヴ・フォーグと呼んでおりまして……その姿から、リーヴァイ様からの贈り物であると……」
「ほう、小型種の奇形……」
俺はクロエから完全に目を逸らし、ネログリフの顔を必死に見ていた。
「移動の際に教徒達全員で必死に探して一体見つけたのですが、逃げられましてな……。今回持って来たのは、劣化している古い薬だけだったのです。あの取り逃した一体を捕まえることができれば、村人の五分の一は助けられるでしょう」
なるほどリヴ・フォーグを五体捕まえればいいのか。
ただそうなると、リーヴァイ教の中にいるネログリフを利用している奴らからの嫌がらせが少し怖いところだが……。
「ただあの辺りは危険な魔獣や悪魔が多いので、お気を付けくだされ。向かうのでしたら、信用を置いているワシの部下を三人付けましょう。道案内から、リヴ・フォーグを取り逃した場所まで頭に入っていますので」
……あ、何とかなりそう。