軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十一話 人を置く

人は、ただ集めれば力になるわけではない。

どれほど手が増えようと、腹を満たすだけで終われば、やがてその数そのものが重みになる。反対に、十人でも二十人でも、それぞれに置き場があり、為すべきことが見えていれば、その小さな集まりはやがて国の骨になる。

阿蘇へ流れて来た者らを前にして、惟種がまず考えていたのは、まさにそこだった。

受け入れは済んだ。

長屋も用意した。

飯も、水も、ひとまずは足りる。

ならば次に要るのは、帳である。

誰が、どこから来たか。

何が出来るか。

何を失い、何をまだ持っているか。

家族はあるか。

一人で来たか。

病みはないか。

手に職があるか。

言葉が通るか。

どこへ置けば、最もよく働くか。

それらを曖昧にしたまま人を抱えれば、やがて必ず綻ぶ。惟種は、それをよく知っていた。

朝の光がまだきつくなりきらぬうちから、職人と流民の町として定めた地には、人の列ができていた。

長屋は、立派とは言えぬ。

だが、雨露をしのげる。鍋を掛けられる。寝床もある。流れてきたばかりの者らには、それで十分に大きな違いであった。

惟種は宗運とともに、仮の帳場として整えさせた小屋へ入った。机が一つ、文机が二つ、帳面、筆、硯。脇には名を聞き取る者、荷を改める者、病の有無を見て回る者らが控えている。

宗運が一度、外の列を見やった。

「思うたより、減っておりませぬな」

「何がだ」

「夜のうちに逃げる者です」

惟種は小さく頷いた。

「寝る場所があり、飯があり、明日何をするか分かるからだ」

宗運は、わずかに口元を緩めた。

「若君の申す通りにございますな」

惟種はそれに答えず、帳面を開いた。

「始めるか」

その一言で、その日の仕事が動き出した。

最初に通されたのは、神屋寿禎があらかじめ「この者らは使える」と言っていた職人筋の者たちであった。

木地師。

塗師。

絵付けの職人。

惟種が欲していた者らが、まずは希望通り揃っていた。

木地師は、木を見る目が違った。運び込んだ材を見せれば、まだ手も触れぬうちに「これは椀向き」「こちらは盆か箱の地がよい」と言う。塗師は、乾きと湿りの具合を気にし、置き場に風が通りすぎぬかを先に問うた。絵付けの職人は、荷の中から細い筆を何本も大切そうに出し、ひび割れひとつにも顔を曇らせた。

いずれも、手を見れば分かる。

ただ流れてきたのではない。

持ってきた技で、もう一度立とうとしている手であった。

「名を」

宗運が問う。

答えが返る。

出身を聞く。

どこで覚えた技かを聞く。

家族の有無を聞く。

その間、惟種は黙って相手を見ていた。

声の張り。

道具の持ち方。

自分の仕事を語る時だけ、落ちた背がわずかに起きるかどうか。

言葉の端に、その技をまだ捨てておらぬ気配があるかどうか。

それを見ながら、一人ずつ置き場を決めていく。

「木地師は南の作業場へ。木を乾かす棚を増やせば、そこで回せる」

「塗師は少し分ける。湿りを見る者と、下地から入れる者とで置き場が違う」

「絵付けの者らは、まだ数が少ない。文官筋にも一度見せましょう。絵図や印判にも使えるかもしれぬ」

宗運が、その都度うなずき、脇の者へ指図を飛ばす。

職人らは、露骨に安堵を見せはしなかった。

だが、阿蘇がただ「来たから置く」のではなく、「何が出来るかを見たうえで置いている」ことは、すぐに伝わったらしい。受け答えの端が、少しずつ変わっていった。

もちろん、来た者が皆、手に職を持っているわけではない。

何も持たぬように見える者らも、列には多かった。

だが惟種は、何も持たぬ者とは思っていなかった。今は何も見えておらぬだけで、土を耕す手も、荷を運ぶ肩も、縄を綯う指も、見方を変えればいずれは役に立つ。

「名を」

「……助八にございます」

「どこから来た」

「肥前の外れより」

「田は触れたことがあるか」

「ございます」

「牛は」

「少しなら」

「なら、まずは農へ」

宗運が脇へ記す。

「次」

別の者が来る。

若い。

手に職は無いと言う。

だが荷の持ち上げ方が妙に慣れている。

「前は何をしていた」

「港で荷を」

「舟へ積み下ろしを?」

「はい」

「なら農ではなく荷役へ。いずれ船の手伝いもさせる」

また一人、また一人と、帳面へ名が増えていく。

宗運は、惟種の振り分けを横で見ながら思っていた。

若君は、人を見ている。

ただ哀れむでもなく、ただ数として数えるでもなく、その者がどこへ置かれれば最も役に立つかを見ている。

人を抱えるとは、こういうことかもしれぬと、宗運はあらためて思った。

昼に近づく頃、少し変わった者らが前へ出された。

明の言葉が少し通る者。

南蛮の言葉を、片端なりに聞き取れる者。

あるいは、その両方を少しずつ知っている者。

寿禎が言っていた通り、数は多くない。

だが、一人二人でもいるのといないのとでは、先々が大きく違う。

惟種は、その者らにだけは少し長く話をさせた。

「どこで覚えた」

「博多で耳にし申した」

「南蛮船へ荷を運ぶうちに」

「明人相手の市で、まねておるうちに」

言葉は粗い。

文として整うにはほど遠い。

だが、音を聞き取り、相手へ返そうとする癖が身についている。

「文官筋へ回します」

惟種は言った。

宗運が目を向ける。

「よろしいので」

「よい」

惟種は頷く。

「いきなり使い物になるわけではない。だが、今から少しずつでも覚えさせるべきだ。通詞は、ある日突然生えてはこない」

「は」

「市の言葉と、文の言葉と、両方を覚えさせる。いずれ海へ出るなら、そこで効いてくる」

宗運は、それをそのまま帳に記させた。

文官筋の中にも、こうした者らを珍しがる者は多いであろう。

だが珍しがって終わっては意味がない。

書き手と話し手の間へ橋をかける者として育てねばならぬ。

惟種の目は、もう少し先を見ていた。

列がだいぶ短くなった頃、惟種は一度だけ筆を置き、外の町を見た。

まだ始まったばかりである。

長屋は仮のものにすぎぬ。

作業場も、道具棚も、木を乾かす場所も、漆を置く蔵も、これから整えていかねばならぬ。

だが、何もなかった地に、人の声が重なり始めている。

木を削る音がし、鍋の湯が鳴り、子の泣き声も混じる。

町は、こうして生まれるのだろうと惟種は思った。

城や館のように、一度に出来上がるものではない。

人が根を下ろし、火を入れ、道具を並べ、隣の顔を覚えるうちに、だんだんと町になっていく。

「若君」

宗運が低く言った。

「どうした」

「来たいと望んでおった者らは、だいたい揃いましたな」

「うむ」

「木地師、塗師、絵付け――あたりは、まず悪くございませぬ」

「うむ」

惟種は答えた。

「寿禎殿の目は、やはり確かだ」

それだけでなく、寿禎は職人以外にも、阿蘇へ行きたいと望んだ者らをいくらか混ぜていた。事情を抱えた者、どこにも寄る辺を失った者、いまは何者ともつかぬ者。

惟種は、そういう者らの中にこそ、後で変わる芽があることを知っていた。

ただし、それは帳の上だけでは見えぬ。

しばらく近くへ置いてみねば分からぬ者もおる。

「次です」

脇の者が、列の末から二人を前へ出した。

その姿を見た時、惟種はわずかに目を止めた。

老いた男が一人。

衣はくたびれ、旅塵にまみれている。

その脇に、痩せた幼子が一人いた。

職人には見えぬ。

百姓とも、少し違う。

流民の列に紛れていても、そこだけ収まりきらぬような二人であった。

宗運が問うた。

「名を」

老いた男が深く頭を下げる。

「樋口重兼にございます」

「子は」

重兼は一度だけためらった。

それから答えた。

「新吉郎にございます」

「家は」

その問いに、老いた男の喉がわずかに詰まった。

ややあって、絞るように言う。

「……島にございます」

惟種の前に置かれた筆が、ほんのわずかに止まった。

(この者たちは京の辺りで、職人を探しているときに出会ったと有る…。島…もしや…)

宗運はそれに気づいたが、何も言わない。

「…申せ」

重兼は、額が畳に着くほど深く頭を下げた。

「恐れながら。幼名は新吉郎にございます。元服ののちは、清興と名乗るはずの子にございます」

惟種は黙したまま、男を見た。

島清興(しま きよおき) 「三成に過ぎたるものが二つあり、島左近と佐和山の城」のちに島左近の名で知られることになる、名であった。

続きを促され、重兼はなおも伏したまま口を開く。

「わしと、この子の父は……もと江北にて、京極家中の島筋に連なる者にございました」

惟種の指先が、かすかに動いた。

「されど家中乱れ、浅井の勢い募ってのちは、父もついに討たれ……残されたのは、わしとこの子のみ。のちに託され、連れ立って落ち延びてまいりましたが、もはやこれまでと思うた折、寿禎殿にお目にかかったのでございます」

惟種は顔には出さなかった。

だが、

(嘘だろ……あれ本当だったんだ……いや、絶対脚色だと思ってた……)

胸の内に、そんな言葉がかすめる。

もっとも、そう結びつけたところで、ただちに真とも限らぬ。

こうした話は、あとからいくらでも膨らむ。

京極に連なる遺児など、いかにも人の口が好みそうな筋立てでもあった。

だが、島の名。

幼子の年頃。

そして、ここまで零れ落ちるようにして、自分の前へ来たということ。

気にかかるには、十分であった。

「伏してお願い申し上げまする」

重兼は額を畳へ擦りつけた。

「何卒、何卒お側にお置きくだされ。この樋口重兼、新吉郎ともども、身を粉にしてお仕え申し上げます」

その声が落ちるより早く、幼子もまた、老人をかばうように半歩だけ前へ出た。

そして小さな手をついて、黙って頭を下げた。

惟種はその子を見る。

痩せてはいる。

旅の疲れも濃い。

それでも、目が死んでいない。

ただ怯えているだけの子ではなかった。

老人が伏せれば、自分も伏す。

しかも、ただ倣うのでなく、前へ出て庇うようにそうする。

その身に何が流れているにせよ、まず見どころはある。

「宗運」

「は」

「その子は、ひとまず近くへ。重兼殿には、当面、身の回りを見てもらう」

驚いたように宗運が惟種を見る。

「よろしいので」

宗運としては、身元の定かでない者を置くことには躊躇いがあった。

だが、若君の仰せとあればと、草の者を近くに配し、何かあった際に備えることとした。

「今すぐ何かをさせるわけではない。だが、土に埋もれさせるには惜しい」

宗運は静かに頷いた。驚いたことを言い出すのは今に始まっていない。

若君が言うのだから、何かしら有るのだろう。

「承知致しました」

重兼が、はっと顔を上げた。

驚きと、信じ切れぬような色とが、一度に浮かぶ。

「か、かたじけのうございます……!」

惟種は平らかに答えた。

「まだ何者とも知れぬ。ゆえに、近くへ置いて見る。それだけのこと」

京極に連なるという話も、どこまで真か知れたものではない。

島の名とて、今はまだ、拾い上げるための糸に過ぎぬ。

ならば、手元に置いて見ればよい。

違うなら、そのときはそのときだ。

だが、もし本当に何かを宿しているのなら、ここで土に埋もれさせるには惜しい。

惟種はあらためて、新吉郎を見た。

幼子はまだ伏したまま、顔を上げない。

それでも、その痩せた背には、妙に折れぬものがあった。

帳付けが終わる頃には、日もだいぶ西へ傾いていた。

帳面には名が増えた。

木地師、塗師、絵付けの職人は、それぞれの作業場へ振り分けられた。

手に職なき者は農や荷役へ回された。

言葉のある者は文官筋との橋渡しとして印を付けられた。

そして、その中には、いまはまだ何者とも定まらぬ者も、いくらか混じっている。

惟種は帳面を閉じた。

町は、まだ始まったばかりである。

だが、始まった以上、もうただの仮の置き場では終わらせぬつもりだった。

ここから、漆器が生まれる。

木が器になる。

塗りが重なり、絵が乗る。

言葉を持つ者が文官と交わり、海へ出る耳と口になる。

手に職なき者も、田を耕し、荷を運び、やがてこの地の暮らしへ組み込まれていく。

人を置くとは、そういうことである。

惟種が立ち上がると、宗運もまた帳面を抱えた。

「若君」

「何だ」

「町に、なりますな」

宗運の声は低かった。

惟種は外を見た。

長屋の間を、もう子らが走っている。

桶へ水を汲む者がいる。

木地師は、さっそく材木の置き場を見に行っている。

塗師は、日と風の当たり方を気にして、長屋の陰を眺めていた。

「なるな」

惟種は答えた。

「町にしてみせよう」

それは大きな声ではなかった。

だが、その静かな一言は、今日つけた帳面のすべてに、ひとまずの置き場を与える言葉でもあった。