軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

26 閑話 黒鋼鴉の飛行訓練

――それは、ヴィオレッタがまだ八歳の時――前世の記憶が戻る前の出来事。

父が王都の厩舎でヴィオレッタに 黒鋼鴉(ナイトレイブン) の雛を見せた。

「この子がヴィオの 黒鋼鴉(ナイトレイブン) だ。愛情を込めて育ててあげなさい」

「は、はい……」

黒く、ずんぐりと丸い身体。そのシルエットを可愛いと思った。

だが、雛なのに、ヴィオレッタを呑み込んでしまいそうなくらい大きな口を怖いと思った。

ヴィオレッタは父の後ろに隠れたまま、雛に近づこうとはしない。父は笑いながらヴィオレッタの頭を撫でる。

「大丈夫だ。ヴィオレッタもレイブンズ家の子なのだから。すぐに心を通わせられるだろう」

父は朗らかに言うが、ヴィオレッタは気が気ではなかった。

鋭い爪に、鋭いクチバシ。

「名前も好きにつけていいぞ」

「名前……」

責任重大だ。

ヴィオレッタは悩んだが、頭の中に自然と浮かんできた名前を付けることにした。

「――クロ! さあ、いっしょに練習しましょう」

十歳になったヴィオレッタは、土虫をバケツ一杯にあげたことで、クロととても仲良くなった。

そしてヴィオレッタは兄のオスカーと、調教師に頼んで黒鋼鴉に乗る練習をする。まだ父や母には内緒だった。いきなり乗って飛んでみせて、びっくりさせて、一人前と認めてもらう計画だった。

屋敷の裏で、厩舎から連れ出してきたクロと並ぶ。

オスカーと調教師が手慣れた動作でクロに鞍を取り付ける。

「いいか、ヴィオ。僕たちも黒鋼鴉もお互い命を預けるんだから、まずは信頼し合うことが大切だ」

「はい! わたくし、クロとすごーく仲良くなって、あちこち飛び回れるようになります!」

「ああ、いい心がけだ。そういや、お前の黒鋼鴉はどうして『クロ』なんだ?」

「直感です。これしかないって思いました」

雛に名前を付けてもいいと言われたとき、脳裏にその言葉が浮かんだ。

――いま思えば前世知識の「黒」から来ているのだろう。

だがそれを兄に説明するのは難しい。

この世界と、前世の日本との言語は違う。ヴィオレッタは自然と頭の中で両方理解できるが、誰かにそれを説明するのは難しい。

(時々、同じ意味と発音の言葉があるからびっくりするけれど)

日本とこの世界の繋がりを感じるから、そういう言葉に出会うと嬉しくなる。

「そういうお兄様の黒鋼鴉の名前はなんでしたっけ?」

「ブラックサンダー」

オスカーはとても誇らしげにその名を呼ぶ。

「……ブラックサンダー?」

「黒い稲妻だ。どうだ、格好いいだろう」

「わあー、すごくカッコいいです」

ヴィオレッタはパチパチと手を叩いて賞賛した。

(でも、どうしてでしょう。何か、とても懐かしい気持ちになります)

はっきりしないが、これも前世知識だろうか。

オスカーはとても満足げに頷いていた。

「それじゃあ、今日はまず乗ってみる練習だな」

オスカーは楽しげに笑っている。調教師は一歩引いたところから、少し心配そうな顔でヴィオレッタを見ていた。

事前に教わっていた通りに、あぶみに足をかけて鞍に乗ってみる。

身体を引き上げるのが少し大変だったが、何とか鞍に座った。

視界が一気に広くなり、別世界に来たような風景が見えた。

「……なんでだ」

「お兄様? 何か変でしょうか」

「どうしてあっさり乗ってるんだ? どうして振り落とされない?」

何故かショックを受けている。そしてとても悔しげだった。

おそらく――オスカーは慣れないうちは何度も振り落とされたのだろう。何度も何度も。

ヴィオレッタはクロの背に乗りながら、クロの頭を撫でる。つやつやとした毛並みが心地いい。そしてあたたかい。クロもリラックスしているようだった。

「きっと、クロが紳士ということでしょう」

「くそ……まあいい。お前にケガさせると大変だからな」

ぶつぶつと言ったあと、ぱっと顔を上げる。

「予定変更。今日は乗ったまま走る訓練だ」

「まだ飛ばないのですか?」

訊くと、やや呆れたような表情になる。

「飛ぶのはまだ早い。今は走る訓練からだ」

オスカーの目は厳しさと同時に、ヴィオレッタを心配する優しさが浮かんでいた。

「あのな、ヴィオ。空を飛ぶってのはすっごく大変なんだ。黒鋼鴉自身もな しかも! そこにお前を乗っけるんだから、そりゃもうすっっごく大変なわけだ」

「私、小さいですし重くないですよ?」

「言ってろ。お前はそう思ってても、クロはそう思ってないからな。重くて邪魔だなこいつ、振り落としてやりたいなって思ってるからな」

「そ、そうなの、クロ?」

クロは短く鳴く。その真意はヴィオレッタにはまだ読み取れない。

「――あとな、ヴィオ。乗るだけでもすげー大変だからな」

オスカーの含みのある笑い方に、嫌な予感がする。

「何か企んでいませんか?」

「まさか。妹思いの兄になんて言い草だ」

ますます嫌な予感がしたが。

ヴィオレッタは兄の指導の下、騎乗訓練をするしかないのである。

ヴィオレッタはオスカーの言葉を素直に受け入れ、深く息を吸い、しっかりと鞍に座る。

オスカーが指示を出し、クロはゆっくりと歩き始めた。ヴィオレッタはその動きに合わせて体を揺らし、徐々にリズムをつかんでいった。クロの大きな足音が、屋敷の裏庭に響き渡る。

「そうだ、ヴィオ。リラックスして、クロの動きを感じるんだ」

ヴィオレッタはオスカーの助言を心に留め、クロの背中に身を任せた。

徐々にクロの歩みは速くなり、やがては小さな走りに変わった。風がヴィオレッタの紫髪をなびかせる。

(すごい、すごい、速い!)

新鮮な感覚に、心が高揚する。走っているのに、飛んでいるような感覚だった。

このままどこまでも、風を切って走っていきたい。

そしていつか、空高く飛びたい。世界の果てまで。

――ようやくクロの速度が落ちてきて、脚がゆっくりと止まる。

息を切らせるヴィオレッタのところに、オスカーがやってくる。

「お前、才能あるな。立派にレイブンズ家の一員だな」

「お兄様、ありがとうございます」

「ほら、今日はもう終わりだ。ゆっくり降りろ」

「は、はい」

ヴィオレッタは慎重に鞍から降りると、そのままへなへなと地面に座り込んでしまった。

「あ、足が……」

足が立たない。

オスカーがにやりと笑う。

「騎乗には普段使わない筋肉を使うからな。しばらくは筋肉痛だ。勲章だと思え」

あの含みのある笑いは、このことを知っていたからだろう。

ヴィオレッタは何とか立ち上がろうとするが、足がぷるぷる震えて立つのがやっとだった。

「ほら、今日は特別に部屋まで背負ってやるよ」

「お兄様、ありがとうございます……私、すぐにもっと上達しますね。体力も付けます」

「まあ、頑張れ。焦らなくていいからな」

「はい」

しゃがんだオスカーの背によりかかり、そのまま背負い上げてもらう。

背中のあたたかさを感じながら、ヴィオレッタは軽く目を閉じる。

きっとすぐに飛べるようになって、両親を驚かせて。

どこまでも冒険していきたい。

そう、思った。