軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

18 夫婦として

――離婚。

最も恐れていた言葉を突きつけられて、ヴィオレッタは言葉を失った。

「持参金も、君が領地に注いでくれた投資分も全額返す。何年かかるかはわからないが……慰謝料も……」

「お待ちください!」

ヴィオレッタの叫びに、エルネストは驚いたように息を呑む。

「三年……いえ、二年。二年だけ待ってください! いえ――そもそも、どうして離婚という話が出てくるんですか? やっぱり、浮気をしているのですか?」

「なっ――?」

「いえ、浮気をしていてもいいのです。だから二年だけ待ってください。二年あれば、子ができなかったからという理由もできますし――」

とにかく、離婚はまだ駄目だ。

何とか思いとどまらせないと。

「――二年あれば、いまよりもっと四輪作の成果が出てくるんです! 黄金糖もたくさんできる予定なんです。わたくし、この地をもっともっと豊かにしたいのです!」

ヴィオレッタは必死に、思いつくまま言葉を並べ立てた。

「二年あれば、持参金分なんて軽く稼げています。待ってもらえた方が、お得です」

「ヴィオレッタ、落ち着いてくれ――」

「二年も待てないくらい、浮気相手に本気なのですかっ?」

「浮気なんてしていない!」

「王都に愛人がいらっしゃるんでしょう? 浮気でないのなら、本気ということですか? 別に、離婚が成立するまで第二夫人として迎えてくださっても結構ですけれど――」

「だから、そんなものはいない! 妄想も甚だしい……」

「妄想ですって? ではこれは?」

ヴィオレッタは手紙を突き出す。

エルネストが王都で浮気をしていると書かれている、匿名の手紙を。

それを読んだエルネストは、深いため息をついた。

「まさか、これを信じたのか?」

「……信じたくはありませんでしたが……」

「――誓って、浮気などしていない。ただ……仕事で女性といるところを、誰かに誤解をされたのだとしたら、こちらの落ち度だ。すまなかった」

その眼差しも、声も、真剣そのもので。

疑いようのない誠実さが伝わってきた。

ヴィオレッタの頭に上っていた血が急速に引いていく。

それが本当だとしたら、自分はとんでもなく失礼なことをしている。

不確かな情報で、不貞行為をしているのだと言い出してしまうなんて。

ヴィオレッタの噂を面白おかしく広めた人々と同じだ。

「こちらこそ、申し訳ございません……でも、どうして、離婚という話に……」

あんなに離婚を拒否していたのに。

エルネストは深いため息をつく。その瞳には、深い苦悩と悔いが浮かんでいた。

「ヴィオレッタ、当初私は……君の噂を真に受けてしまった。それに振り回されて、君の名誉や心に傷を与えてしまった」

「それは……」

まったく傷つかなかったと言ったら、嘘になる。

だがそれは、仕方のないことだと受け入れていた。

噂を否定しないと決めたときに。

傷つけられる痛みよりも、得られるメリットの方を選んだ時に。

それに、怖かった。

真実ではないと、妹のせいだと言ったとき、信じてもらえなかったらと思うと怖かった。

妹のせいにするのかと、思われるのが怖かった。

だからヴィオレッタは口を閉ざすことに決めた。

そのことが、夫になる人を――苦しめることになるのだとは、思ってもいなかった。

「私は、本当の君を見ようとしていなかった」

「…………」

「君がこれ以上、噂や私のために犠牲になることがないように。そして、私の過去の行為が君に与えた傷を少しでも癒せればと、君を自由にしたいと思った」

誠実であろうとするエルネストの姿に、ヴィオレッタの胸がずきずきと痛む。

(……ああ、わたくしは、この方のことを全然知らないのね……)

知ろうともしなかった。

そして、自分のことを知ってもらおうともしなかった。

「……エルネスト様、ごめんなさい」

ヴィオレッタは小さく頭を下げ、すぐに顔を上げた。

「わたくしのことをそこまで考えてくださって、ありがとうございます。ですが、そのお話は受け入れられません」

まっすぐに立ち、自分の意志をはっきりと口にする。

「わたくしは、覚悟を持ってあなたに嫁ぎました。犠牲になんてなった覚えもありません。それに、いまのわたくしは、過去のことよりも、明日のことの方が重要です」

脳裏に思い描かれるのは、領地の姿だ。

黄金の小麦畑。白い花の咲くクローバー畑。

来年用の種をつくるために、作付面積を増やしてもらった甘カブに、ジャガイモ。

「今年は幸い、豊作となりました。ですが、こんなもので終わらせるつもりはありません。もっと、もっと、この地は豊かになります」

ヴィオレッタには見える。

いままで以上に豊かに実る大地が。

笑顔の人々が。

ヴィオレッタは、その笑顔を実現したい。

させなければならない。

そのために、明日の夢を見続けなければならない。

何より自分が、夢を見続けたい。

「わたくしは、この地を愛しています。そして、わたくしたちはこの地の責任者なのですから、協力していくのがいいと思います」

この地の主であり、夫であるエルネストと。

同じ夢を見ていきたい。

「お互い信頼できる、そんな関係になりたいのです」

「……それで、構わないのか?」

「エルネスト様。これはわたくしの、心からのお願いです。聞いていただけますか?」

切実な願いを込めて、瞳を見つめる。

自分の気持ちが少しでも伝わるように、まっすぐに。

「――ああ。君の信頼が得られるように努めよう」

エルネストがわずかに微笑んだ瞬間、初めて心が通じ合ったかのような高揚感が胸に生まれる。

ほっとすると同時に、顔が熱くなってくる。

胸がどきどきと高鳴る。苦しいくらいに。なんだろうか、この感情は。

「――あ、あの、王都で新しく広まったという噂なのですが」

話題を変えるように、話題を引き戻す。

「わたくし地味で平凡ですし、社交界にも顔を出しませんし、わたくしの噂なんてして皆様楽しいのでしょうか? いったい誰が新しい噂をつくって広めたのでしょう?」

今度はルシアではない。

妹はあの件以来、ずっと籠の鳥だ。貴族学園には通えているが、学園内でも常に監視がついている。本人はつまらなさそうにしているらしいが、誰かとの縁談がまとまり、正式に嫁ぐまではそのままだろう。

「ヴィオレッタ。自分を低く置こうとしないでくれ。君は誰よりも聡明で、美しく、心優しい女性だ」

家族以外の相手から――家族にも、そんな風に褒められたことはない。

いや、エルネストは夫だから家族だが。

――そう。夫だ。

それを意識すると、ますます顔が熱くなってくる。

「……噂の出どころについては、調べがついている。シャドウメア子爵家のフェリクスだ」

エルネストはやや迷いながらも、硬い声でその名を口にする。

(誰? ――と言ったら、呆れられるかしら)

貴族の顔と名前を覚えておくのは社交界の礼儀だ。

社交界に出ていなかった弊害が。

「しかもこの男は、昔の件にも関わっているようだ。調査の間に名前が出た」

「…………」

「詳しく話を聞くつもりだったが、彼はいま姿を消している」

「――行方不明、ということですか?」

「そうだ」

一気に話が緊張感を帯びてくる。

心配でもあり、不穏な雰囲気もあった。

いったいヴィオレッタの知らないところで何が起こっているのか。

「……もしかしたら、君を狙っているのかもしれない」

「わたくしを? まさか」

自分に狙われるような価値なんてない。

笑って否定しようとして、エルネストの表情の真剣さに、顔が強張る。

「ヴィオレッタ。決して、一人きりにはならないでくれ」

「――はい」

落ち着かない気持ちになりながら、頷く。

「あくまで念のためだ。時間が許す限り、私が君を守ろう」

「エルネスト様がですか?」

「妻を守るのは、夫の役目だ」

当然のように発せられた言葉は、どこか落ち着かず、同時に嬉しく思った。