軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

希望のつぼみ

それから、しばらくして――

水上都市リプロアーニ。

かつて廃墟だった街とは違い、全て美しく創り直されている。

穴が空いていた道や橋は舗装され、崩れかけていた建物は建て直し、荒れ放題の農園には果樹や野菜が実っていた。

蘇った水上都市を幼い人影が走っていた。

ムルガである。

「パパーッ」

大きく手を振って、ムルガが駆け寄ってくる。

瞑想していたアムルの手をつかむと、ぐいっ、ぐいっと引っ張った。

「こっち、こっちこっち、こっち来て、来て!」

嬉しそうにムルガはまくしたてる。

アムルは立ち上がり、ムルガに手を引かれるまま走っていく。

二人がやってきたのは農園である。

その一角に、透き通った池がある。中心には草花のような一本の植物がつぼみをつけていた。

「見て見て」

と、ムルガが言う。

「見たことのない植物だ」

しゃがみ込んでそれを見つめ、アムルは言った。

「これはね、植物じゃないよっ。卵なの! 卵のつぼみって、デュエルニーガが言ってた」

「卵?」

アムルは首をひねる。

「 卵(らん) 樹(じゆ) です」

どこからともなく声が響く。

星の瞬きとともに、そこに姿を現したのはデュエルニーガだ。

「<|願望の星淵>にて育つ卵樹は、年月とともに成長し、大きな卵を実らせます。そこから孵化するのは、星の民、星雲族です」

「<願望の星淵>……? ではこの水は?」

アムルは池の水に手を触れる。

「ぼくが運んだ! <願望の星淵>のお水は悪意でいっぱいだけど、そうじゃないところがあるの。だから、それを少しずつすくって、お池にしたんだよ!」

「悪意があると、卵樹は育たない。ラーヴァシュネイクが深淵世界となる以前は、多くの星雲族が卵樹から生まれた。それをムルガに話したら、いつのまにか」

そうデュエルニーガは説明した。

「新しい民が生まれるのか?」

「それはまだわからない。滅びかけのこの世界に、新たな生命を育む力が残っているのか。だけど、これは私たちの希望のつぼみ。この卵樹が孵れば、ラーヴァシュネイク復興のきっかけになるかもしれない」

「孵るよっ! ぼく、たくさん、お世話するからっ。毎日、<願望の星淵>からお水を運ぶもんっ!」

目を輝かせて、ムルガは言う。

生まれたとしてもたった一人だ。まだまだ多くの困難が山積みだろう。

それでも、ムルガしか残されていなかった星雲族が、新しく生まれるのだ。

人が増えれば、できることも数多くある。

小さくとも、確実に復興につながる一歩だろう。

「だが……」

と、アムルは言葉を漏らす。

「だが?」

不思議そうにムルガが聞いた。

その先に続く言葉をアムルは口にすることはできなかった。

――だが、待てないかもしれない。

<願望の星淵>は日に日に、多くの悪意を集めている。全てが悪意に染まる前に、卵樹は孵化するのか。

その時間をどうやって作るのか、アムルは選択を迫られていた。

「二人に話がある」

そうアムルは切り出した。

「凡そは、わかっている」

デュエルニーガが言った。

「ぼくはわかんない! なに?」

と、ムルガが聞いてきた。

「<願望の星淵>は、悪意を集めている。正帝が名付けた通り、あれは悪意の大渦だ。やがて、外の世界に甚大な被害をもたらす」

そう遠くない未来に。

それほどまでに深淵世界に集まる力の量は莫大だ。

「正帝の思惑とは異なり、正義は統合されない。だが、各々の世界はそれぞれの正義の名のもと悪意の大渦を滅ぼすため、侵攻してくるだろう」

アムルは言った。

「とるべき手段は二つ。戦うか、話し合うか」

「悪い奴らがやってくるんでしょ?」

ムルガがそう聞いてきた。

「いや……奴らにとっては願望世界こそ、悪だろう」

「誤解してるってこと?」

「そうだな。それに、奴らを滅ぼせば、今度こそ俺たちは完全に銀水聖海の悪となるだろう」

「じゃ、話し合うのがいいねっ。誤解なら、わかってくれるよね?」

ムルガの言葉に、アムルは静かに首を横に振った。

「残念だが、そう簡単に信じてはもらえないだろう。深淵世界までやってくるとなれば、奴らの故郷にも危機が訪れている」

「じゃ、どうすればいいの?」

細かい話は理解できないのか、ムルガは問うた。

「つまり、私たちの道は二つ。他の世界を全て滅ぼし、願望世界の平和を願うか。それとも、願望世界が滅びるのを覚悟で全ての世界の平和を願うか」

アムルの説明を、デュエルニーガがそう結論づける。

深淵世界の主神デュエルニーガ、<絶渦>の申し子ムルガ、そして第一魔王アムル。三人の力を合わせれば、確かに全ての世界を滅ぼすことは決して絵空事ではない。

「でも、ラーヴァシュネイクに来るのは悪い奴らじゃないんでしょ?」

「……ああ」

「じゃ、ぼく、信じるよっ。きっと、話せば、ぼくたちが悪者じゃないってわかってくれるはずだよっ」

キラキラと瞳を星のように輝かせて、ムルガは言ったのだ。

「だって、ぼくは壊滅の暴君になって、銀水聖海の平和を守るんだからっ!」

あどけない希望だった。

奇跡のような願いだった。

しかし、それでも、その時、アムルは確かに思った。

どちらにしても、賭けなのだ。

「お前に賭けてみよう」

「やった!」

ムルガは嬉しそうに笑う。

アムルが視線を移せば、穏やかな表情でデュエルニーガはうなずいた。

「この世界では、人の願いがなにより強い。あなたたちが望んだことならば、きっと星は叶えてくれる」

本当は逃げる選択肢もあったはずだ。

恐らくはそれが一番確実な手段だったかもしれない。

それでも、彼らは現実を選ばなかった。

願望世界ラーヴァシュネイク。その世界の秩序と、その世界の誇りを胸に、銀水聖海は優しいはず、と願ったのだ。

そして――そんな彼らの願いをあざ笑うように、悪意は唐突にやってきた。

赤い光が一気に水上都市を覆いつくしたのだ。

否、水上都市だけではない。その光はラーヴァシュネイクの全てを覆いつくしていた。

「……<絶渦>……」

デュエルニーガがそう言葉をこぼす。

<願望の星淵>が膨張し、その赤い星々が世界を覆いつくす。更に外の世界にまで広がりを見せている。

まさに混沌の大爆発だった。

「う……あぁ……!!」

ムルガが頭を抑え、苦痛に表情を歪めた。

膨れ上がった悪意が、凶悪な憎悪が、幼い心を埋め尽くしていく。

だが、それでも、彼は堪えるようにして、足元の卵樹を手で覆った。悪意から、微かな希望を守ろうとするように。

アムルの<心火の魔眼>が発動し、ムルガの憎悪が彼に流れていく。

だが、収まらない。

<絶渦>には銀水聖海中から悪意が押し寄せてきた。