軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

数多の正義

――かくして、時は流れた。

ミリティア世界では、人間の国アゼシオンと魔族の国ディルヘイドの間で大きな戦いが繰り広げられていた。

ディルヘイドを統一した魔王アノス率いる魔王軍の進行を前に、アゼシオンは劣勢を強いられた。

圧倒的な力を誇る魔王に対抗する手段が、アゼシオン側にはなにもなかったからだ。

魔王が現れれば、その戦場は終わりだ。

疑う余地のない事実が、アゼシオン全軍の指揮を著しく低下させ、結果、魔王のいない戦場でさえ敗北が続いた。

真っ暗な闇がアゼシオン中を覆い尽くしていく中、一人の男が光を信じ、奔走していた。

勇者カノンである。

真の勇者にしか抜けないといわれる聖剣。それは人の名工が鍛え、剣の精霊が宿り、神々が祝福した、宿命さえも断ち切る刃――霊神人剣エヴァンスマナである。

古の神によりもたらされた伝承に記されていたというが、人間に味方する神々でさえ、噂に知る程度だった。

カノンは勇者にしか抜けないといわれる聖剣を、一七本抜いた。

その手の伝承、噂話はアゼシオンには数多く存在する。そのため、精霊が生まれ、抜けない聖剣が生まれるのだ。

しかし、カノンが抜いた一七本の聖剣はどれも霊神人剣エヴァンスマナではなかった。

強い力を宿してはいたものの、魔王アノスに対抗できるほどではなかったのだ。

だが、彼は諦めずに旅を続けた。

その聖剣は確かに存在する。そう思えてならなかったのだ。

そうして、なにかに導かれるように、カノンはとある山の断崖にやってきた。

現地の者の話では、魔法で隠された洞穴に抜けない剣が刺さっているそうだ。

彼はそこへ赴き、大地に突き刺さった聖剣に出会う。

手を伸ばし、それに触れた途端、カノンの脳裏にある言葉がよぎった。

――待っていた、勇者よ。さあ、霊神人剣を抜き、奪われし誇りを取り戻せ――

カノンが柄を握れば、すっと霊神人剣は抜けた。

それは紛れもなく魔王を滅ぼすための聖剣。アーツェノンの滅びの獅子を討つための刃であった――

虹水湖の水底で、レイははっと気がついた。

氷が溶けており、いつの間にか彼はハインリエル勲章を握りしめていた。

そこに込められていた< 聖遺言(バセラム) >は二つ分だった。

一つはレブラハルドの従者ノエインのもの。

そして、もう一つがレブラハルド本人のものだ。

二人のフレアドールの手により瀕死に陥った彼は、霊神人剣に導かれ、泡沫世界に落ちていった。

霊神人剣は< 転生(シリカ) >の魔法陣を描いた。その術式がわかるのは、剣身がルナ・アーツェノンの胎内にあったからだろう。

二律僭主ノアの影体が、その泡沫世界に転生の魔法律を構築しようとした瞬間をレブラハルドは見ていた。

聖剣世界ハイフォリアを救うため、彼は己の力と記憶を< 聖遺言(バセラム) >に込めた。

都合の良い奇跡が起こらねば叶わない、分の悪い賭け。

それでも、最早滅び去るしかなかった彼がその大博打を打てたのは最期の瞬間まで諦めず、一歩を踏み込む勇気があったからだ。

ゆえに、レブラハルドは――レイは、最後の賭けに勝つことができた。

「なにか見つけたのかな――」

レイの背中から声が聞こえた。

レブラハルドだ。

正確にはレブラハルドの首から力や記憶、外見を写し取った偽物である。

当初は霊神人剣を抜けなかったことを鑑みるに、写し取れるといっても完全ではないのだろう。

奴は本物のレブラハルドならば知っていることを知らなかった。

「――レイ」

偽レブラハルドが言う。

水底には異様な緊張感が立ち込めていた。

「まだ……名前を聞いてなかったね」

レイはそう返答した。

偽レブラハルドは動じず、無言で彼を見返している。

「君は誰だい?」

レイは問う。

一瞬の空白、二人の視線が交錯した。

彼は言った。

「私は正義を実行する者、正帝ヴラド」

レイが表情を険しくした瞬間、ヴラドはまっすぐ飛び込んできた。その手には霊神人剣エヴァンスマナが握られている。

今のレイには深層世界で対抗できるだけの剣がない。

猛然と正帝ヴラドが押し迫り、霊神人剣を振り下ろす――その寸前でピタリと足を止めた。

頭上から光の如く飛来した矢がヴラドの髪をかすめ、水底に突き刺さる。

「こんなときに仲間割れとはどういうことかっ!?」

湖の底に降りてきたのはバルツァロンドだ。彼はレイとヴラドに対して、舌鋒鋭く問い質した。

「「彼が正帝だ」」

レイとヴラドの言葉は同時だった。

バルツァロンドはなにも知らぬ。奴はレイに罪を着せるつもりなのだろう。

「……正帝……馬鹿な……」

弓を手に、バルツァロンドは両者を交互に見た。

彼にも事態は把握できただろう。

死地をともにくぐり抜けた戦友であるレイ、同じ世界で生まれ育った兄レブラハルド。そのどちらかが嘘をついており、どちらかが倒すべき敵、正帝だ。

しかし、まるで見分けがつかない。

バルツァロンドは弓を射る相手を選べずにいた。

すると、ヴラドは言った。

「見えるね? 霊神人剣は私の手にある。我が虹路は、敵を討てと訴えている」

正帝ヴラドの足元から虹路が現れ、まっすぐレイのもとまで伸びていった。

それは聖剣世界において良心が具象化したもの。狩猟貴族にとって、疑う余地はない。

その事実を突きつけるように、ヴラドは言った。

「バルツァロンドッ! そなたに虹路は見えないのかっ!?」

奴の言葉に呼応して、バルツァロンドの体が光り輝き、虹路が現れる。

それはまっすぐレイのもとへと伸びた。

「敵を討て。虹路に従うんだ」

ヴラドは霊神人剣の切っ先をレイに向ける。

あたかも敵を指し示すように。

「……レイ……私は……」

震える手で、バルツァロンドは弓に番えた矢を、レイに向ける。

名手である彼が、しかし狙いをつけられないでいた。

ヴラドは頭上を見上げ、奮い立たせるように言い放つ。

「撃つんだっ!!」

ぐっとバルツァロンドは矢を引き絞った。

「本物のレブラハルドなら、なんて言うと思う?」

レイはヴラドを見据えたまま、言葉を放つ。

「彼は説得しようとはしない。彼はその矢を警戒したりはしない。なぜなら彼の弟が自分を射抜くときは、自らが道を間違えた証明だからだ」

レイは頭上のバルツァロンドを見ていなければ、まったく警戒すらしていない。

「彼はその矢を受け入れると思うよ」

「それは幼い考えだ。人は過ちを犯す」

レブラハルドはそう言い、霊神人剣を構える。

「闇雲に信じればいいというものではないよ。少なくとも、事実というものがあるっ!」

水底を蹴って、レブラハルドは直進した。レイは丸腰のまま、迎え撃つように彼に接近した。

「違うよ。大事なのは信じることの方だ! 疑って、計算して、臆病になって、そんな聖王に新しい道など拓けやしないっ!!」

二人が激突する。

剣を持たないレイの脳天に、霊神人剣が振り下ろされようとして、直前で軌道を変えた。

自らに降り注いだ矢を斬り払ったのだ。

「はぁっ……!!」

レイはその足で、ヴラドの持ち手を蹴りつけ、反動を使って上に飛び上がった。

追いすがろうとしたヴラドに雨あられの如く、大量の矢が降り注ぐ。

それを奴は霊神人剣を盾にして弾いていく。

鋭い視線を放ち、ヴラドは霊神人剣に魔力を集中する。

「逃がさないよ」

蒼白の剣閃が降り注ぐ矢を全て斬り裂く。

後退するレイは魔法障壁を張り巡らせるが、それは脆くも両断された。

なおもその剣閃は止まらず、レイの腹部に直撃する。

「……!?」

バルツァロンドが血相を変え、咄嗟に声を上げた。

「兄上ーーっっ!!!」

血がどっと溢れ出る。吹き飛ばされたレイを追いかけ、バルツァロンドは水中を飛ぶ。どうにか彼の手をつかむと、その顔を覗いた。

「兄上っ……!!」

レイの瞳がバルツァロンドを見た。

生きている。

霊神人剣の直撃を受けたが、矢と魔法障壁がその威力を減衰させていたため、致命傷には至らなかった。

「あ……いや……これは咄嗟に……兄上のわけが……」

「ルッツ」

柔らかくレイは微笑んだ。

かつてのレブラハルドのように。

それだけで彼にはわかった。

兄と証明するのに、それ以上の言葉はいらなかった。

「聖剣世界は間違った道に進んでしまった」

レイは言った。

「取り返そう。僕たちの手で」

「了解した、兄上!」

魔法陣を描き、バルツァロンドはそこから聖剣を引き抜く。

聖剣を受け取り、レイは構える。

ヴラドを見据え、バルツァロンドは弓を引いた。

「霊神人剣、秘奥が壱――」

遙か剣の間合いの外、正帝ヴラドは霊神人剣を疾走させる。

「――<天牙刃断>!!」

白虹の剣閃が八つ、虹水湖を斬り裂きながら、襲いかかる。

レイは肩口をかすめながら、バルツァロンドは僅かに頬を斬り裂かれながら、かろうじてそれを回避する。

すぐさま反撃に転じようと、バルツァロンドが弓を引き絞る。

瞬間、彼は目を見張る。

白虹の剣閃が八つ、再び二人の目前に迫っていた。

「ルッツ!」

レイとバルツァロンドは同時に手を突き出し、魔法障壁を二つ重ねた。

ミシミシと亀裂が入り、ガラスが砕け散るように魔法障壁が割れた。

だが、剣閃の勢いも弱まっており、レイはそれを渾身の力で斬り払った。

しかし――

「<天牙刃断>」

三撃目。息つく間もなく繰り出される白虹の剣閃が、バルツァロンドとレイの鼻先に迫る。

回避する術も、防御する術も、二人には残されていない。

「< 深悪戯神隠(ティテジェーヌ) >」

レイとバルツァロンドの姿が消え、<天牙刃断>がそのまま湖の外まで飛んで行く。

「お迎えに上がりましたわ」

檳榔子黒(びんろうじぐろ) のドレスと、背には六枚の精霊の羽。二人の前に現れたのは真体を現した

ミサである。

いざという事態のために、彼女は深層十二界には行かず、パブロヘタラ宮殿で待機していたのだ。

「わたくしが霊神人剣を捌きますわ。お二人は挟撃して、手数を減らしてちょうだいな」

「わかった」

「了解した」

ミサが僅かに前に出て、その後ろにバルツァロンドとレイが並び、武器を構える。

ヴラドの一撃目を回避し、攻勢に転じるつもりなのだろう。

「できれば、もう少しレブラハルドでいたかったけれどね」

奴は言った。

「必要な火露は集まった」

その言葉と同時だった。

虹水湖全体が虹色に光り輝いた。そこに途方もない魔力が溢れかえる。凄まじい力の奔流に、聖剣世界が揺れている。

「……これは……なんですの……?」

ミサがバルツァロンドに問う。

「わからない……虹水湖がこんな光を放ったことは……」

困惑したように彼は、水中を見回した。

その時、声が聞こえた。

――お前のような悪はこの世に存在してはならないのだ――

――娘の敵、ここで貴様を討つ――

――亡き友ため、そして俺の正義のために――

――今こそ平和のために、我が世界を救う礎とならん――

――邪悪なる者を、邪悪なる意志を、我らは決して許しはしない――

それは正義を謳う声。

己の良心に従い、悪を討てと猛る声だ。

「まさか……」

レイは虹水湖から出て、上空へ飛び上がった。

虹水湖へは無数の虹が降り注いでいる。

その虹は空を超え、黒穹超え、銀泡の外へ道のように続いている。

人々の想い、人々の良心、人々の正義がそこに集まり、虹として具象化しているのだ。

つい先刻まで、それは聖剣世界には存在しなかった。

「< 淵(ふち) >が……ハイフォリアに……?」

彼方から降り注ぐ虹と、虹水湖を見つめながら、レイは呆然と言葉をこぼす。

「< 虹路(こうろ) の 泉淵(せんえん) >」

そう口にしながら、正帝ヴラドはゆっくりと浮上してきた。

「そなたが考えた通り、銀水聖海の正義が集まり、具象化された<淵>だよ」

「……そのために、火露を集めたのか……! 最初からそのつもりでっ……!?」

糾弾するようにバルツァロンドが言う。

より深淵に近い世界ほど<淵>が生まれやすい。元々、虹水湖には狩猟貴族たちの良心、虹路が集まる。<淵>に近い特性を持っていた。

言い換えれば、<淵>が生まれかけの状態だったのだ。

それを知っていて、正帝ヴラドは聖剣世界ハイフォリアに火露を集め、深淵化を進めた。虹水湖を完全な<淵>に進化させたのだ。

「正帝ヴラド。君の目的はなんだい?」

レイは問う。

「その質問に答える前に、私の方から一つ問おう。聖王レブラハルド、そなたの目にこの銀水聖海はどう見えている?」

逆にヴラドは問い返した。

「この海の正義は十分と言えるかな?」

「いいや」

迷わずレイは答える。

「多くの世界に混乱と滅びをもたらし、自らが都合の良いように支配しようとしている者がいる。正帝ヴラド、君が野放しになっているなら、この海の正義は成されているとは言えない」

「それだよ」

レイを指さし、ヴラドは言った。

「そなたにとって、私は悪に見えるのだろうね。けれども、私には大義の前に立ちはだかる君たちこそが、愚かさゆえの悪であるように思えてならない」

「僕の父、先王オルドフを滅ぼしたのは魔弾世界の大提督ジジ・ジェーンズ。あれは君たちの世界が作った偽者だった」

レイの言葉に、バルツァロンドは目を丸くする。

「先王オルドフがなんの罪を犯した? 罪なき者を滅ぼした者が悪でなくてなんだと言うんだい?」

「つまり、そういうことだよ。そなたは私の正義を受け入れられない。私もまた同様だ」

静かにヴラドはそう言った。

「正義の敵は、異なる正義にすぎない。この世に悪があるのは大した問題ではなかった。最も大きな問題は、我々は正義の名のもとに、この海に嵐をもたらすということ」

ヴラドの鋭い視線がまっすぐレイを射抜く。

「かつて、私は人々の正義に期待した。だが、それは裏切られた。だめだったのだよ。この銀水聖海の正義は不十分であり、つまり不完全だ。ゆえに――」

霊神人剣が光り輝いている。

まるで彼の心に呼応するかの如く。その正義を認めるかの如く。

「今度こそ、私は完全なる正義を実行する。それこそが絡繰世界デボロスタの元首、正帝ヴラドの使命だ!」

一点の曇りもない眼で、正帝ヴラドは言い放つ。

その次の瞬間だった。

ザバァッと<虹路の泉淵>から、絡繰神が浮上してくる。

一体目が胴体まで上がったかと思えば、水面の六十箇所が盛り上がった。

次いで、 六〇(ヽヽ) 体の絡繰神がゆっくりと浮上してくる。

<虹路の泉淵>から生じたものなのか? それとも、これまでに作っておいたのか。

考える間もなく、三人は動いた。

「ミサッ!」

「< 深悪戯神隠(ティテジェーヌ) >!」

その魔法で三人は姿を消して、<虹路の泉淵>から素早く離脱した。

彼らは黒穹に停めてあった銀水船ネフェウスに乗る。ミサが乗ってきたものだ。

「数が多すぎますわね。<虹路の泉淵>から生じているとすれば、倒してもキリがありませんし」

「では<虹路の泉淵>を滅ぼせばいいっ」

バルツァロンドが言った。

「アノス様ならどうにかなさるでしょうけど、三人だけではヴラドから霊神人剣を奪いでもしない限り難しいですわ」

銀水船を走らせながら、ミサと冷静に状況を分析する。

「第四ハイフォリア、パブロヘタラに行こう」

レイは言った。

「退くというのかっ!? 我ら狩猟貴族の世界をいいようにされたままっ!?」

強い口調で、バルツァロンドが反駁する。

「僕たちは彼のことをなにも知らない。彼の世界のことも。なにもわからないまま、敵をただ悪と決めつけ、戦いたくはない」

「奴は兄上を殺し、兄上に成り変わっていたのではないかっ? だから、兄上は転生したのだろうっ!? 父上も、先王オルドフも奴が――」

「それでも、知っておくべきだと思っている」

「それに、闇雲に滅ぼしても仕方ありませんもの。正帝ヴラドを倒しただけでは恐らく終わりませんわ」

舵を切りながら、ミサは言った。

隠者エルミデ――すなわち正帝は複数存在した。大提督ジジ然り、第三魔王ヒース然り、聖王レブラハルド然りだ。

絡繰神が体を写し取っているのはわかったが、どうやらその絡繰神自体、<淵>の力で作ることができるようだ。

ならば、全ての絡繰神と、それを生み出す手段を潰さなければ決着はつかぬ。

「絡繰世界のことを知るのが先決でしょう」

「……パブロヘタラに行けば、絡繰世界のことがわかるのか?」

バルツァロンドが問う。

「僕の考えが正しければ、恐らくね」

「……わかった。兄上を信じよう」

銀水船ネフェウスは第一ハイフォリアを離脱し、第四ハイフォリアの方角へ舵を切った。