軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

受け継がれしもの

奇跡は起こると信じていた――

「……ありが……とう……」

レブラハルドの目の前で、ルナ・アーツェノンは薄っすらと笑みを覗かせた。

彼の手には折れた霊神人剣がある。その剣身はルナの胎に食い込んでおり、溢れだしている闇を斬り裂いていた。

彼女はそのまま折れた霊神人剣とともに銀水聖海の水流に飲まれ、落ちていく。

それでいい、とレブラハルドは思った。

霊神人剣は自ら折れた、そんな気がしたのだ。 彼(か) の聖剣は彼女の宿命を断ち切るために、ともに泡沫世界へと赴く。

これからの彼女のために必要なものなのだ。

泡沫世界へ消えていったルナと霊神人剣を、レブラハルドはじっと見つめていた。

その時だ。

小さな影がその泡沫世界へ落ちていく。

子どもの形をした影体だ。

霊神人剣の柄が輝きを発し、レブラハルドに何事かを訴えかける。

彼はその泡沫世界へ接近し、魔眼を光らせた。

子どもの影が向かったのは神界である。

そこで見たのは、混沌とした滅びの力が膨れ上がり、その影体が弾け飛ぶ光景だ。

「これは、転生の……? 銀水聖海の秩序を覆そうというのか……」

レブラハルドはその時悟ったのだ。

小さな影がルナ・アーツェノンのために、避けられぬ死の壁に挑もうとしていることを。

「ジェインの恩人よ。そなたの勇気に幸あらんことを」

最も愚かで、最も尊いその挑戦に、レブラハルドは敬意を示さずにはいられなかった。

彼は名誉でも、力でも、探究心でもなく、ただ義のためにそれを実行したのだ。

遠い昔に受けた小さな恩を返す、それだけのために。

「いつか生まれ変わったそなたと、語り合ってみたいものだ」

レブラハルドはくるりと反転して、銀水船ネフェウスのもとへ戻っていく。

ルナ・アーツェノンを失ったからか、思った以上に損害が大きかったからか、イーヴェゼイノの獣たちはすでに退いている。

「レブラハルド卿」

甲板に着地したレブラハルドを、ノエインが出迎えた。

「上手くいったよ」

「それはなによりです」

ノエインはふとレブラハルドの手元を見た。

視線に気がつき、彼は剣身を失った霊神人剣の柄を持ち上げた。

「霊神人剣はあの泡沫世界で役目を果たすだろう。だが、あそこにあると知られれば、ハイフォリアの狩

猟貴族たちは必ず取り戻そうするはず」

「問題はありません」

ノエインは言った。

「霊神人剣の剣身がどこに落ちたのか、誰も知らないのですから」

決して他言はしないと言っているのだ。

レブラハルドが視線を巡らせれば、疲労でへたりこんでいた従者たちが皆こくりとうなずいた。

彼らはノエイン同様、レブラハルドが正しき道を歩んでいると信じている。主の判断に一人として疑いを向ける者はなかった。

「そなたたちの献身に感謝する」

深くレブラハルドは頭を下げた。

聖剣世界ハイフォリア。

聖王宮殿。虹路の間。

長い純白の絨毯が敷かれた部屋である。絨毯は三枚あり、それぞれが交差する中心にレブラハルドが立っていた。

「レブラハルド卿」

レブラハルドから見て、右斜め前に立っているのは叡爵ガルンゼストである。

長く五聖爵を務める、聖剣世界の重鎮だ。

「釈明はございますか?」

静かに目を閉じて、レブラハルドは答えた。

「釈明はないよ」

「では、ご説明を」

丁寧な口調ながらも、その言葉には圧があった。

「先程も申し上げた通りだ。すまないが、説明はできない」

「なにを馬鹿な!!」

二人の会話に割って入り、声を荒らげたのはレッグハイム侯爵。レブラハルドから見て、左斜め前の絨毯に立っている。

「霊神人剣を折っただけではなく、その剣身を失くしたのだぞっ! 説明ができないというのはあまりに無責任っ! 貴公は狩猟貴族の誇りさえ失くしたのかっ!?」

激昂しながら、彼はレブラハルドを強く糾弾した。

「……言い訳はできない。それは私の罪だ……」

「ならば、なぜっ……!!?」

詰め寄ろうとするようにレッグハイムは足を踏み出す。

「レッグハイム卿!」

鋭い声が飛び、レッグハイムは足を止めた。

「冷静に。激情に任せて飛び掛かるのでは獣と同じでございます。ここは己が良心をもって、話し合う場でしょう」

ガルンゼストが冷静に諭す。

「……申し訳ない……少々熱くなってしまった……」

謝罪の言葉を述べ、レッグハイムは元の位置に戻る。

「レブラハルド卿。罪ならば償うべきではないでしょうか?」

ガルンゼストは、今度はレブラハルドを諭すように問いかけた。

「償おう。失われた霊神人剣の剣身を探す以外の方法ならば」

堂々とレブラハルドは答えた。

「霊神人剣を失ったことが罪だと自らおっしゃったでしょう。ならば、それを取り戻すことこそが償いであるべきとは思いませんか?」

「それは違うよ、ガルンゼスト卿」

「なにが違うとおっしゃるのですか?」

話がかみ合わないことに、ガルンゼストからは僅かな苛立ちが見て取れる。

彼にはレブラハルドがわかっていてはぐらかしているようにしか見えなかったのだろう。

「この結果に至る方法しか取れなかったことが私の罪だ」

レブラハルドは言った。

「だからこそ、霊神人剣の剣身を探す以外の方法を見つけることが、償いになると私は思う」

「そんなことで、私やレッグハイム卿を、狩猟貴族を納得させることができるとお考えなのですか?」

「できるかできないかではない」

レブラハルドは言う。

「納得させなければならないのだ。ガルンゼスト卿、それが我が身可愛さに出た方便だとそなたが思ったならば、迷わずこの身を斬り捨てればいい」

まっすぐなレブラハルドの視線に気圧され、ガルンゼストは絶句していた。

その場しのぎのデマカセではない。彼が本気で自分に斬られても構わないと思っていることが、ガルンゼストにはわかったのだ。

霊神人剣を抜いた者が、その命を我が身に預けるというのだ。それを無下にすることは、彼の虹路が許さなかった。

「……わかりました……」

静かにガルンゼストは告げる。

「貴公の歩む道が誤っていると判明した時、我が剣はその身を斬りさくでしょう」

レブラハルドは感謝を示すように頭を下げた。

「あなたの処罰は天主と聖王が決めるでしょう。くれぐれも失礼のないように」

そう締めくくり、ガルンゼストとレッグハイムはこの場から転移していった。

レブラハルドは踵を返し、虹路の間から出た。

通路を歩いていき、向かった先は玉座の間である。ガルンゼストが言った通り、祝聖天主エイフェと聖王オルドフに判断を仰がなければならない。

扉の前でレブラハルドは立ち止まる。

短く息を吸い、ゆっくりと吐く。

彼が扉に手を伸ばすと――

「なぜ兄上が尋問紛いのことをされねばならないのですかっ!?」

玉座の間から聞こえてきたのはバルツァロンドの怒鳴り声だ。

「事情もなにもありはしないっ! 霊神人剣を折って、帰ってきたのだ。戦ったのだ、兄上は! 正義のために戦ったのだ! それ以外になにがあるというのですかっ!!?」

話している相手は祝聖天守か、聖王オルドフか。大声を上げているバルツァロンドの声だけが扉越しに響いている。

「説明がないからなんだというのだっ!? 言えぬ事情があるとは思わないのかっ!? 全てを大っぴらに打ち明けることが正しき道だというなら、父上っ! あなたこそ聖王失格ではないのかっ!!?」

途端に玉座の間が静まり返る。

災人イザークの件は公になっていない。バルツァロンドが失言してしまったと俯いているのが目に浮かぶようだった。

「とにかく、兄上を処罰しようものなら、このバルツァロンドを敵に回すと知れっ!!!」

ダンダンダンダンッと怒気のこもった足音が響き、勢いよく扉が開いた。

怒りの形相で出てきたバルツァロンドの瞳が、驚愕に染まるのがはっきりとわかった。

「あ……兄上……聞いていたのか……?」

「ルッツ。気持ちは有難いが、そなたまで立場を悪くする必要はない」

「なにを馬鹿なっ……!」

再び憤りをあらわにしながら、バルツァロンドは兄に言った。

「私は当然のことをしたまでだ! この心には一点の曇りもない! 言っておくが、兄上、処罰など受けたらただではすまさないっ!!」

ビシィッとレブラハルドを指さし、猛々しくバルツァロンドは釘を刺した。

彼は苦笑するしかなかった。処罰を受ける受けないは彼の胸三寸ではないのだから。

「肝に銘じておくよ」

「わかればいいのだ」

ぷいっとそっぽを向き、バルツァロンドは大股で歩いていった。

「――レブラハルド」

玉座の間から、聖王オルドフの声が響く。

「入るといい」

まっすぐ前を向いて、レブラハルドは口を開く。

「失礼します」

扉をくぐり、玉座の前まで歩いていく。

彼はそこに片膝をついた。

二つの玉座には、聖王オルドフと祝聖天主エイフェが座っている。

「霊神人剣の剣身を紛失した件ですが――」

「虹路は見えるか?」

説明はできない、とレブラハルドが告げる前に、聖王オルドフはそう問うた。

無論それは霊神人剣を半分失ったこと、ひいてはそれに至るまでの行動に対してのことを聞いているのだろう。

聖剣世界ハイフォリアの天敵たる災淵世界イーヴェゼイノ。アーツェノンの滅びの獅子を産む災禍の淵姫を救うという決断に対して、虹路は見えたのか?

此度のことは己の良心に従ってのことなのか、とオルドフは問うているのだ。

答えは決まっていた。

「見えません。今回の件に関しては、一瞬たりとも虹路を見ることはできませんでした」

はっきりとレブラハルドは言った。

聖剣世界ハイフォリアにおいて、虹路とは己の良心が具象化したもの。

それが見えないということは、自らが正しき道を歩んでいないと認めているも同然だった。

しかし――

「それでも、私はこの道が正しいと信じております。聖王陛下」

まっすぐレブラハルドはオルドフの目を見返した。

虹路は見えない。

狩猟貴族の常識では、間違っているはずなのだ。

それでも、彼は己の道を信じた。

虹路が指し示す正義よりも、己の良心よりも、正しき何かがあると信じたのだ。

柔らかく、オルドフは笑う。

「レブラハルド。大きくなったな」

そう口にした後、彼は静かに目を閉じた。

暗闇の中、勇者と呼ばれた男の胸に去来したのはいかなる想いだったのか。

彼はこの時を待っていた。そんな風にさえ見て取れた。

再び目を開き、聖王オルドフは言った。

「お前に聖王の座を譲ろう」