軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

プロローグ ~心力~

一万七〇〇〇年前――

個別世界(こべつせかい) グラウヴェノア。

灼熱の太陽が輝き、地上を熱している。一面に広がるのは熱砂である。

陽炎がゆらめくその砂漠は、静寂な死の気配に満ちている。虫や動物など、生息している生命がないのだ。

そんな熱砂の砂漠を若い夫婦が駆けていた。

母親は胸に赤ん坊を抱いており、父親は背後をしきりに警戒している。

何者かに追われているようだ。

「ミネア」

隣を走る母親に父親は言った。

「ここで時間を稼ぐ。先に行ってくれ」

母親は一瞬言葉に詰まり、じっと父親を見つめた。

その目は強くなにかを訴えている。

「……それなら、わたしが」

「一人なら俺の方が強い。二人ならばお前だ。お前だけが特別なのだ」

決意を秘めた瞳で、父親はそう口にした。

「お前が生き延びなければ、この世界は変わらん。たとえ、我が身が滅びようとも、お前だけは――」

「馬鹿なこと言わないで!」

強い口調で母親は叱咤する。

「あなたは個別世界グラウヴェノア最高の 孤影騎士(こえいきし) 。たとえ、相手が魔王であっても負けはしない!」

父親は目を丸くしていた。

だが、まるで怒っているようなミネアの顔を見て、フッと笑みを覗かせる。

「確かに、その通りだ」

父親は足を止めた。

母親は走ったまま、二人の距離が開いていく。

背中越しに彼は言った。

「アムルを任せた」

母親は目に涙を溜めながら、強く赤ん坊を抱く。

そうして、更に速く駆け出していった。

砂の大地が爆ぜ、砂煙が高く舞い上がるほどの速度で、彼女は砂漠を疾走していく。

やがて、目の前にオアシスが見えてきた。

ポタッ、ポタッと水滴が水辺に落ちていた。

いや、水滴ではない。

それは血だ。

水辺に立っている女――第一魔王ジゼルは父親の頭をわしづかみにしていた。

その全身は切り刻まれ、血が滴り落ちている。

「あなたっ!!」

その声と同時に、父親の体が放物線を描く。第一魔王が放り投げたのだ。

ドサッと砂地に父親は落下した。意識がないのか、呻き声一つあげない。

「 孤影騎士(こえいきし) ミネアさん。あなたは婚姻罪を犯しました」

第一魔王ジゼルは言った。

「人の物を盗んではならない。人を騙してはならない。人と絆を作ってはならない。子どもでも知っている道徳の話ですよ」

「……あなたは間違っている」

切迫した表情で、務めて平静さを保とうとしながら、絞り出すような声で彼女は言う。

「私が言っているわけではありませんよ。世界の常識でしょう」

「なら、世界が間違ってるわっ!」

母親は強く言い放った。。

「人と絆を作ることの、家族を作ることの、いったいなにが悪だと言うのっ!?」

「四つより三つ、三つよりも二つ、二つよりも一つ。単一に近くなればなるほど強くなる。それが私たちが住む個別世界グラウヴェノアの秩序です」

理路整然と第一魔王は答えた。

「家族を作れば私たちは弱くなる。家族はやがて、血族を作る。私たちは更に弱くなる。血族はやがて村になり、村はやがて都市になり、都市はやがて社会になるでしょう。そこまで行けば、私たちは野生動物に立ち向かうほどの力さえ失い、寿命は100年にも満たなくなるでしょう。この世界は衰退し、やがて海の泡となり消え去る」

第一魔王ジゼルは母親を眼光鋭く睨めつけた。

「家族とは滅びの一歩、甘い甘い毒なのです」

瞬間、魔剣が空から落下してきた。

それは父親の顔を僅かにかすめ、砂漠の大地に突き刺さった。

「ミネアさん。その剣で世界貢献を行ってください。三人の集団を解体し、一人の誇り高き 孤影族(こえいぞく) を取り戻すのです。勿論、誰を選んでもけっこうです」

母親は息を呑んだ。

家族を自ら二人殺せば一人は見逃す。助けたい者を一人を選べ、と第一魔王は言っているのだ。

彼女はゆっくりと片手を伸ばし、魔剣をつかんだ。

ぐっとその柄を握りしめ、大地に伏している父親に顔を向けた。

だが、それ以上は動かない。

動けなかった。

家族を殺せるはずがない。

彼女に残された手段は、その魔剣で第一魔王を斬ることのみだ。

息を一つ吐く。二つ吐き、吸って、止める。

覚悟を決め、母親は顔をあげた。

「――決められないようですね」

いつの間にか背後にいた第一魔王が母親の手の上から剣をつかんでいた。

「手伝ってあげましょう」

母親の手をつかんだまま、第一魔王はその剣を父親の首に振り下ろした。

「や……め……て……!!」

母親は必死に抵抗するも、その切っ先は父親の首に食い込んだ。

どくどくと赤い血が溢れ出してくる。

「うっ……ぐぁっ……!」

呻き声を上げながら、父親はうっすらと目を開けた。

「貴……様……第一魔王……!!」

「自ら絆を断ち切れば、孤影騎士の力は増します。孤高こそが、私たちの在り方なのです」

ぐじゅぅっ、と更に深く父親に刃が食い込む。

彼の目は鋭く第一魔王を睨む。

家族に家族を殺させようとするジゼルに対する憎悪が、その瞳にありありと見て取れた。

次の瞬間だ。

押し込まれる一方だった魔剣が、僅かに持ち上げられた。

母親の力が増しているのだ。

不思議そうに第一魔王が振り向けば、母親の視線が突き刺さる。

それは先程の父親とまったく同じ、憎悪の瞳だった。

「ああ、そうでしたか」

ぽつり、と第一魔王は呟く。

「ミネアさん。あなたは孤影族でありながら、他者と力を合わせることができるのですね」

「言ったでしょ」

第一魔王の手を母親は力づくで振り払う。

間髪容れず、その喉元に魔剣を打ち込んだ。

「世界が間違ってるわっ!」

「やはり、弱いものですね」

打ち込まれた一撃を難なく避け、第一魔王は新たにもう一本の魔剣を生み出す。

そして、母親の腹を容赦なく貫いた。

「う……ぐっ……」

魔剣が引き抜かれる。母親は僅かに後ずさった。

「人は孤高でなければなりません。あなたは他者に残酷な夢を見せる不適合者。ゆえに、ここで死ぬのです」

静かに第一魔王は魔剣を振りかぶった。

ぐっと魔剣を握りしめ、母親は第一魔王を睨む。

だが、その瞳からはすでに憎悪が薄れており、力が抜けるように彼女は片膝をついた。

(どうして……? 心力(しんりょく) が……?)

母親は倒れた父親を見た。

彼はまだ生きている。

その第一魔王への憎悪を吸い取り、彼女が戦うための力――心力に変えられるはずだった。しかし、母親にはなんの力も、なんの感情も湧いてこない。

はっとして、彼女は抱いている我が子に視線を向けた。

深淵を覗けば、その根源に赤黒い光が集っていた。

それは個別世界において、ミネアただ一人が有するはずの心力の輝きであった。

(アムル……あなたが……)

一歩、第一魔王ジゼルが踏み込む。

母親は意を決して、赤ん坊を庇うように背中を向けた。

「アムルッ!!」

重傷を負っていた父親が動く。

最後の力を振り絞るように立ち上がった彼は、第一魔王の刃の前でその身を盾にした。

一閃。

容赦なく振り下ろされた魔剣が父親の体を真っ二つにし、その後ろにいた母親の背中を斬り裂いた。

糸の切れた人形のように母親はその場に崩れ落ちる。

腕の中からこぼれた赤子は大地に落ちた。その子はそれでも、鳴き声一つあげなかった。

彼女は必死に手を伸ばす。

「……あなたが……最後の希望……生きて……」

赤子に指先が触れる直前、手首から先が斬り飛ばされた。

第一魔王ジゼルが冷酷な目で彼女を見下ろす。

「生まれた子は独り立ちするのが習わし。あなたが勝手に作られた家族に、なんの罪もない赤子を巻き込まないでいただきましょう」

言葉と同時に、第一魔王は母親の首を刎ねた。

「……ア……ム…………ル……」

父親と母親、二人の根源が完全に滅んだのを確認すると、第一魔王はその場から転移していった。

灼熱の砂漠にはただ一人、アムルと呼ばれた赤子だけがぽつんと取り残されていた。