軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

深淵に隠されしもの

災淵の底。

真っ暗な水の中には、ゆらゆらと蠢く影が見えていた。闇よりもなお暗きそれは、次第に姿を現し始める。

ぼんやりと象られた輪郭は、まるで人のようだ。

少しずつそれがあらわになっていく毎に、人の形をしているだけで人ではないことがわかってくる。

人形に近い。

だが、決して人形ではない。

その体は固形化した水銀でできている。

見覚えがあった。

「 絡繰神(からくりがみ) ……」

祝聖天主エイフェが呟く。

そいつは、< 絡繰淵盤(からくりえんばん) >上に具現化された追憶――廃墟のパブロヘタラ宮殿に鎮座していた 絶渦(ぜっか) の絡繰神にそっくりだった。

「エイフェ。お前はこいつになんの役割があるか知っているか?」

「いいえ。パブロヘタラ宮殿の石版に書かれていたこと以外には」

隠者エルミデが研究し、創っていた人工の神族。

深淵世界へ侵略するための兵器と仮説を立ててみたものの、実際のところはまだなにもわかっていない。

確かなことは、ここにこれが置かれている意味があるということだ。

「この絡繰神は壊れていない。調べるべきかな」

祝聖天主エイフェが、両翼を広げ、その神眼を向けた。

同時に彼女から無数の虹路が、絡繰神へ延びる。

<渇望の災淵>に置かれた未知の物体だ。危険は避けられぬ。それでも、彼女の良心は調べるべきだと言っているのだろう。

まっすぐ延びていた虹路は、しかし、突如なにかに巻き込まれたようにぐにゃりと曲がった。

「……虹路が干渉された?」

レオウルフが視線を険しくする。

油断のない所作で、その絡繰神への警戒を強めた。

「なにか問題か?」

問いかけたが、奴はこちらも警戒しており、答えようとはしない。

代わりに祝聖天主が言った。

「虹路とは狩猟貴族の良心。この道はなにものにも干渉せず、ゆえになにものからも干渉されない。ただ指し示すだけのもの」

なるほど。

「物体や魔力には左右されぬ、か」

良心に従い、進むべき道を具現化しているだけ。他者に危害を加えることも、敵の攻撃を防ぐこともできない。

自らの内にある心に手を触れることが叶わぬように、それをただ表しただけの虹路を曲げるなど本来は考えがたいことなのだろう。

「この絡繰神の権能と見て間違いあるまい」

曲げられた虹路は、無数の粒子となって、俺たちの周囲をぐるぐると回っている。

それはまるで逆巻く渦だ。

この水底に水の流れはほぼない。魔力の流れもだ。しかし、虹路だけがなにかの力に引き裂かれ、<渇望の災淵>の底で渦巻いている。

「災人の仕業か」

レオウルフが口を開く。

「考えがたきかな」

すぐさまエイフェが否定した。

「イーヴェゼイノがパブロヘタラの学院同盟に入って日は浅い。災人はその間、眠り続けていたがゆえに」

「だろうな。用意周到に策を練るような男とも思えぬ」

絡繰神は、パブロヘタラの――すなわち、今は滅びた銀水世界リステリアの魔法技術を駆使して創られたものだ。

不可侵領海、災人イザークといえど、ミリティア世界以外の者は己の世界の秩序に魔法を制限されてしまう。創造魔法の類が得意なようにも見えなかった。

奴一人で創ったと考えるには、どうにも疑問が残る。

「しかし、天主。パブロヘタラの石版には、絡繰神を創造する方法は書かれていません。別の経路より、それを創る方法を入手したとも」

レオウルフがそう進言する。

「そう考えるならば、これはハイフォリアを滅ぼすために用意した魔法具ということも」

「ないな」

否定してやれば、奴は俺に睨みを利かせてくる。

「災人は先王が来なければ、ハイフォリアを潰すと言った。我々に対抗する切り札を隠し持っていても不思議はない」

「奴はオルドフが来ると信じて疑わなかった」

レオウルフは険しい表情を浮かべたまま聞いている。

「オルドフが来なかったときの備えなど、用意しているとは思えぬ」

「……では、なんだというのだ?」

災淵の底へは災人イザーク以外訪れたことがない。不完全な体しか持たぬナーガやコーストリアでは、ここまで辿り着くことは難しい。よしんば辿り着いたとて、この場で自由に動くことはできまい。

つまり――

「何者かがここに絡繰神を仕掛けた。イーヴェゼイノの住人以外がな」

エイフェがその静謐な顔に疑問を滲ませる。

レオウルフは鋭い口調で問うた。

「イーヴェゼイノを滅ぼすためのものだと?」

「この絡繰神において、今、確実にわかっていることは一つ。こいつの権能は虹路に干渉するということだけだ」

レオウルフは唇を引き結び、思考を巡らせる。

「ここに仕掛けたのならば、十中八九狙いはイーヴェゼイノだ。それがたまたま虹路にも影響があったと考えた方がよい」

「……虹路と似た性質のものが、この災淵世界に存在すると?」

レオウルフがそう口にすれば、エイフェがはっとしたような表情を浮かべる。

そうして、ぽつりと呟いた。

「――幻獣」

俺はうなずく。

「良心が具現化したのが虹路ならば、渇望が具現化したのが幻獣だ。この絡繰神は目に見えぬ渦にて<渇望の災淵>に干渉し、一匹の巨大な獣を動かした」

息を呑む二人に、俺は告げた。

「災淵世界イーヴェゼイノという獣をな」

エイフェの瞳に驚きの色が浮かぶ。

目を丸くしたレオウルフが、信じがたいと言わんばかりに口を開く。

「……貴様はこう言いたいのか? 災淵世界イーヴェゼイノは何者かによって操られ、我らが聖剣世界に食らいついた、と」

「虹路に干渉する絡繰神の存在を、お前たちは知らなかった。災人イザークが災淵世界の渇望に干渉されていると思わずとも不思議はない」

よもや自らの世界の中枢に、こんな代物が仕掛けられているとは想像がつくまい。

災淵世界イーヴェゼイノに動き出す前兆があったのは、災人が起きていた頃だ。

奴の 魔眼(め) をかいくぐって、ここに持ってくるなど、不可能に近い。それを真っ向からやってのけたのならば、尋常ではないほどの隠蔽魔法の使い手だろう。

なにより、この隠された絡繰神を見つけるためには、虹路が必要だった。災淵世界の住人が気がつくのは至難だ。

「では――」

祝聖天主エイフェが、翼をはためかせ、すーっと絡繰神の前へ出た。

「こちらを封ずれば、災淵世界の捕食行為は止められるということかな」

彼女は両翼を胸の前で合わせる。そこに虹の光が集った。

光に包まれた翼はやがて消えていき、代わりに虹の輝きが増す。目映い光の中から現れたのは一振りの聖剣だ。

翼を模したような、虹の剣――

「 天道剣(てんどうけん) アテネ」

まっすぐエイフェは飛んでいき、天道剣アテネを振り下ろす。虹の剣閃が走り、絡繰神が頭から真っ二つに両断された。

切り離された水銀の体が、どろりと溶ける。

そして、その液体がどっとエイフェに押し寄せたかと思うと、天道剣アテネを飲み込んだ。

「……これは…………?」

溶けた水銀はそのまま剣を伝い、エイフェの腕に食らいつく。祝聖天主は天道剣に魔力を込めるも、その光は絡繰神に吸い込まれるばかりだ。

「天主っ……!!」

「< 極獄界滅灰燼魔砲(エギル・グローネ・アングドロア) >」

魔法陣の砲塔が照準を定め、黒き粒子が七重の螺旋を描く。

主神ならば、滅びはしまい。

エイフェごと焼き払う目算で、終末の火を撃ち放った。すると、液体状だった水銀が再び固形化し、右腕を象る。

その手から温かな虹の光が放たれる。

祝聖天主エイフェの力だ。

その祝福の光が< 極獄界滅灰燼魔砲(エギル・グローネ・アングドロア) >を包み込み、浄化していく。

その間にも、祝聖天主の体はみるみる水銀に飲まれていた。

「させんっ!」

すっ飛んでいったレオウルフが、祝聖天主の腕をつかむ。思いきり引くが、しかしびくともしない。奴は力を緩めず、そのまま融和剣を液体化した水銀に振り下ろした。

「せいっ!!」

一閃。

斬り離された水銀は、しかし、すぐまた接合した。

「ちぃっ……」

「心配なき。放しなさい、レオウルフ」

なにか目算があるのか、祝聖天主がそう告げる。

だが、絡繰神の力により彼女の体は水銀に変わっていき、今度は腕を掴んでいたレオウルフの体さえ飲み込み始めた。

一瞬、顔をしかめるもレオウルフは引かなかった。

「いいえ、天主! たとえ死せども、この手は――」

「やめておけ」

漆黒に染まった< 深源死殺(ベブズド) >の手刀にて、俺は容赦なく奴の肩を斬り離した。

「……がっ、あ………………」

更に水銀がレオウルフを飲み込もうと襲いかかってくるが、俺はその体を蹴りつけ、この場から強制的に距離を取らせた。

「そこで大人しくしていろ」

<深 掌魔灰燼紫滅雷火電界(ラヴィアズ・ギルグ・ガヴェリィズド) >を壁のようにして行く手を阻み、レオウルフの動きを封じる。

「余計な真似をっ……! たとえ死せどもっ、おれは……!!」

融和剣にて、奴は滅びの暴雷を斬りつける。その瞬間、紫電が牙を剥き、レオウルフの全身を撃ち抜いた。

「がっ、があぁあぁぁっっ……!!」

「お前の主は助けてやる。無駄死にしたくば、好きにせよ」

レオウルフは崩れ落ちるように、そこに膝を折る。荒い呼吸を繰り返し、暴雷の壁越しに俺を睨んでいた。

あの傷では、しばらく動けまい。

絡繰神に視線を移せば、祝聖天主を完全に飲み込み、またぐにゅぐにゅと人型を象り始めた。

固形化された水銀の体。

まるで絡繰り人形のような人工の神。

そいつの神眼が確かに光り、意思をもって俺の深淵を覗き始める。

そして、カタカタと音を響かせ、口を開いた。

「――それが今の姿か」

ゼンマイ仕掛けの音を響かせ、無機質な声が水底に木霊する。

「墜ちたものだな、魔王」

ほう。

俺を知っている、か。

「お前は何者だ?」

「忘却したか。貴様が探し続けていた男の存在すら」

絡繰神の神眼が俺をまっすぐ射貫く。

「我は隠者エルミデ。かつて、その忌まわしき手により滅ぼされた銀水世界リステリアが元首である」