軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

命の理由

災淵世界イーヴェゼイノが、ぐにゃりと変形した。

それは、あたかも猛獣の頭部が如く。

獰猛な牙を剥いた銀泡は、聖剣世界ハイフォリアにがっぷりと食らいついた。

青空と曇天が交差して――

虹と雨粒が交わり――

氷床と大地が激突した――

一方的に押しつぶされているのは、ハイフォリアだ。

青空は暗雲に覆われ、虹は雨粒にかき消され、大地を氷河が押しつぶす。

災淵世界が、聖剣世界を飲み込んでいく。

みるみる本来の形を失っていくハイフォリアの大地に、しかし、立つ者が二人いた。

聖剣を携えた聖王レブラハルド。

そしてハイフォリアが主神、祝聖天主エイフェである。

二人は向かってくる巨大な銀泡――災淵世界を迎え撃つように、その場を一歩たりとも引こうとはしない。

「エイフェ」

「問題なきかな。元首アノスの報せ通り、災淵世界は渇望で動いている。これは銀泡同士の衝突ではなく、餌食霊杯への捕食行為。なればこそ、聖剣世界が完全に飲み込まれるまで、一昼夜ほどの猶予がある」

祝聖天主エイフェは、背の翼を大きく広げる。

虹の光が聖剣世界ハイフォリアを暖かく照らし出す。

「ハイフォリアの聖王に防げぬ理由はなき」

エイフェがそう口にするや否や、レブラハルドは魔法陣を描き、その中心に手を入れる。

引き抜かれたのは、 赤白(せきはく) の聖剣だ。

「 祝聖礼剣(しゅくせいれいけん) エルドラムエクス」

聖王が名を告げれば、その聖剣から赤白の粒子が溢れ出す。

ゆらゆらと漂う神聖なる輝きは、辺り一帯を覆い尽くしていく。

一瞬、彼の魔眼が鋭く光ったかと思えば、祝聖礼剣エルドラムエクスが厳かに天へと掲げられた。

空を破り、黒穹を貫くほどの聖なる光が立ち上った。

「< 破邪聖剣王道神覇(レイボルド・アンジェラム) >」

神々しいまでの光が弾けるように膨れ上がった。

レブラハルドは祝聖礼剣をぐるりと回転させる。ハイフォリアの大地と空に、境界線を引くかのように、闇を払う純白の道が構築された。

直後、そこへ勢いよく災淵世界が食らいつく。かの世界からは、夥しい数の氷河と暗雲が、怒濤の如くなだれ込んでくる。

だが、通らない。

バチバチと耳を劈くけたたましい音を鳴り響かせながら、レブラハルドが構築した純白の道が、氷河、暗雲を阻んでいた。

銀泡が勢いのまま衝突してきたならば、難しかったやもしれぬ。

だが、災淵世界イーヴェゼイノが行ったのは、あくまで餌食霊杯に対する捕食行為。物質と物質の衝突とは異なる。

ならば、相応の魔力をもってすれば、幻獣を狩る魔法にて止めることができるのは道理。

< 破邪聖剣王道神覇(レイボルド・アンジェラム) >は、ハイフォリアを捕食せんとばかりに迫った災淵世界を阻む境界を作り出していた。

「祝聖天主エイフェの名のもと、我が聖剣世界に祝福を」

エイフェがそう口にして、自らの権能を発揮する。

輝く翼がハイフォリアを祝福し、氷河と暗雲に覆われた世界に、いくつもの純白の虹がかかる。

その光は闇を払い、氷を溶かす。

だが、それでも、聖剣世界ハイフォリアは完全に元に戻りはしなかった。

「――エイフェ。どれだけもっていかれた?」

祝聖天主はその神眼にて、聖剣世界の深淵を覗く。

「ハイフォリアの五分の一が、イーヴェゼイノの五分の一と交わった。されど、一方的に捕食されたわけではなく、互いの秩序は拮抗している」

二つ銀泡は接触しており、今、聖剣世界ハイフォリアと災淵世界イーヴェゼイノは地続きとなっている。

互いに五分の四の領土は平常通り、それぞれ世界の秩序が働く。

残り五分の一。両世界が交わるエリアでは、ハイフォリアとイーヴェゼイノの秩序が、今まさに鬩ぎ合っている。

抵抗が僅かでも弱まれば、イーヴェゼイノは更にハイフォリアを飲み込み、秩序のバランスが災淵世界側に傾くだろう。

つまり、レブラハルドの< 破邪聖剣王道神覇(レイボルド・アンジェラム) >を止めるため、幻獣や幻魔族が集まってくるはずだ。

ハイフォリア側がここを押さえれば、逆に災淵世界を祝福し、イーヴェゼイノの銀泡を奪い取ることもできる。

二つの世界が交わるこの合一エリアは、聖剣世界でも災淵世界でもない。

秩序はどちらにも味方せず、己の実力だけが勝敗を決める。

「彼のイーヴェゼイノ行きを止めなかったのは正解だったね」

レブラハルドは遠くを見つめる。

暗雲の中、一隻の銀水船を巡って、狩猟貴族と幻魔族が激しい攻防を繰り広げていた。

魔法砲撃が飛び交い、災亀が被弾覚悟で突進していく。

渦中の船に乗っているのは、ガルンゼスト叡爵とコーストリアだ。

銀水船ネフェウスは、ハイフォリアの領土へ入ろうと撤退を続けている。

「アーツェノンの滅びの獅子がこちらの手に落ちれば、災人はその渇望を抑えきれずにハイフォリア側へ向かってくる。そうなれば、滅ぼすことも不可能ではない」

ナーガの< 獅子災淵滅水衝黒渦(アッロ・レーネ・アロボロス) >が放たれる。

黒水の渦に飲み込まれ、銀水船ネフェウスがどろりと溶ける。だが、ガルンゼスト叡爵は間一髪、そこから脱出していた。

「――だから、アノスは敵に回るかもしれないって言ったのに」

ナーガがぼやきながら、ガルンゼストを追う。

しかし、玉砕覚悟とばかりに何人もの狩猟貴族たちが突っ込んできて彼女の行く手を阻んだ。

敵わずとも、僅かに時間が稼げればよい。捕らえたコーストリアさえ、ハイフォリア側へ連れ去ってしまえば、それで勝てる。

そう信じ、彼らはナーガに向かっていく。

その道は、狩猟貴族の良心、虹路によって彩られていた。

味方が決死の覚悟で時間をつなぐ中、ガルンゼスト叡爵は、守護剣で串刺しにしたコーストリアを運ぶ。

勢いよく< 飛行(フレス) >で暗雲を飛び抜け、そうしてハイフォリアの秩序が及ぶ空域にまで一気に離脱した。

「聖王陛下」

「ご苦労だったね、ガルンゼスト卿」

地上にいる祝聖天主エイフェ、そして聖王レブラハルドのもとへガルンゼストは、ゆっくりと降下していく。

瞬間、大地が光った。

飛び抜けてきた一隻の銀水船が、レブラハルドとガルンゼストの間を横切っていく。

味方の船のため、彼らはほんの僅かに対処が遅れた。

「…………!?」

ガルンゼストがコーストリアから守護剣を一本抜き、秘奥が弐<延>にて、目前に迫った赤い矢を打ち払う。

銀水船がそのまま空域を離脱していくと、なにかに引っ張られたかのように、守護剣からコーストリアが引き抜かれ、船の方へ飛んでいった。

「なに……!?」

コーストリアには赤い矢が刺さっていた。そこに魔力の糸がつけられていたのだろう。巻き取られるように、コーストリアはやってきた銀水船にさらわれた。

ガルンゼストの魔眼は、その船尾にいた射手を捉える。

同じ狩猟貴族だ。

だからこそ、ハイフォリアの秩序が及ぶ領域で十全な力を発揮できた。

「バルツァロンド卿。どういうおつもりですか? これは、れっきとした反逆行為でございます」

ガルンゼストは、< 思念通信(リークス) >を使う。

「争いをやめるのだ」

「なに?」

バルツァロンドは、< 思念通信(リークス) >を飛ばす。

そのエリア一帯へ。

「双方とも争いをやめるのだっ!!」

彼の声が大きく響き渡った。

魔力の糸に引っ張られたコーストリアは、バルツァロンドの船に回収される。

「我が父、先王オルドフの名誉のために。彼が目指した真の虹路のために。我々はここで災人を討つわけにはいかない。ハイフォリアを滅ぼすわけにもいかない! この道は間違っている!」

その言葉は空しく、二つの世界の空に飲まれていく。

幻魔族も狩猟貴族も、まるで聞く耳を持たず、戦闘は激化する一方だ。

止まるわけがない。

そんなことは、言葉を発したバルツァロンド自身が一番よくわかっているだろう。

それでも毅然と彼は己の主張を双方にぶつけた。

「剣を引け。牙を収めよ。さもなくば、このバルツァロンドが相手になろう!」

ドゴォォォッとバルツァロンドの船が揺れる。船底を鎖の盾がぶち破り、それがコーストリアにぐるぐると巻きついた。

「コーストリアを取り返してくれてありがとう、伯爵さん」

接近してくる災亀の上にナーガの姿が見えた。

「お礼に沢山の砲弾をあげるわね」

< 災炎業火灼熱砲(ジオル・ベズグム) >が乱射され、ネフェウスの船体に風穴を空けていく。

同時にナーガは鎖の盾を思いきり引く。

すると、鎖が巻き付いているコーストリアだけではなく、銀水船も引っ張られる。

コーストリアとつながっている魔力の糸が銀水船にくくりつけられているからだ。

「ぬうっ!? 全速後退っ!」

「りょ、了解っ!」

綱引きをするように、ナーガと銀水船はコーストリアを引っ張り合う。

だが、滅びの獅子の膂力は凄まじく、船はみるみるナーガの方へ引き寄せられていく。

「……ちょっと……助け方……!」

矢で貫かれ、鎖を巻きつけられ、双方から引っ張られるコーストリアは、苛立ったように言葉を漏らす。

「我が儘言わないの。ハイフォリアの住人になりたいの?」

「……それは、嫌……」

「じゃ、我慢しなさい」

一気にナーガが鎖を引けば、銀水船が制御を失い、二つの秩序が交わる合一エリアへ突っ込んだ。

そうはさせまいと、すかさずガルンゼストが飛び込んできて、鎖を真っ二つに切断する。

「させないわ」

ナーガとガルンゼストが同時に、宙に投げ出されたコーストリアのもとへ向かう。

彼女の体には鎖が巻かれており、思うように身動きを取ることができない。

「引けっ!」

「「「了解!」」」

バルツァロンドの指示で魔力の糸が引かれ、コーストリアの体は、再び彼の船に戻っていく。

「撃って!」

「撃ちなさい!」

ナーガとガルンゼストの号令により、ハイフォリアの船とイーヴェゼイノの災亀から、魔法砲撃が降り注ぐ。

両陣営からの容赦ない集中砲火を浴びせられたバルツァロンドの銀水船は、なす術もなく、破壊されていく。

「メインマスト被弾……!」

「船体損耗四割を超えました!」

「バルツァロンド卿、もうこれ以上はっ!」

炎上しながら落ちていく銀水船へ、ガルンゼストとナーガが迫る。

狙いはバルツァロンドだ。

「虹路を失ったなら、私が引導を渡して差し上げましょう、バルツァロンド卿」

「ほんと、争いをやめろなんて、今更どの口が言うのかしらね」

互いに互いを利用せんとする二人は、彼を先に始末し、その上でコーストリアを回収する算段を立てたのだろう。

長距離戦ならいざしらず、ここまで接近されては、バルツァロンドの力で、真っ向から凌ぎきることはできない。

だが、どちらにコーストリアを渡すわけにはいかなかった。

「来るがいい! 私は先王、オルドフの息子。決して引きはしないっ!!」

彼はとうに死に場所を決めている。

勝機がなくとも、その誇りが退くことを許さなかった。

あっという間に迫った滅びの獅子と、叡爵。

黒き獅子の脚とガルンゼストの守護剣が同時に一閃した。

「……………………な…………」

驚きの声がこぼれ落ちる。

ガルンゼストのものだ。

その二本の守護剣を、バルツァロンドはかろうじて弓と矢にて受け止めた。

そして、ナーガの黒き獅子の足を、白虹の聖剣が防いでいた。

「……霊神人剣……エヴァンスマナ……」

叡爵が呟く。

間に割って入ったのは、レイ・グランズドリィ。

乗員の少ない魔王列車で、どうにか追いついてきたのだろう。

聖剣を警戒するように、ナーガとガルンゼストは僅かに距離を取った。

船に着地したレイは、バルツァロンドと背中合わせになり、ナーガとガルンゼストに注意を払う。

「レイ……なぜ……?」

背中越しにバルツァロンドは、困惑した表情を浮かべる。

両世界を敵に回す死地へ、なぜわざわざ飛び込んできたのか、そう問いたいのだろう。

「きっと、君が正しいからね」

さらりとレイは言った。

「君と、君の父親オルドフが正しいと僕は思った」

「……だが、命をかけてまで手を貸してもらう義理などどこにも……」

「目の前に救えるかもしれない人がいる」

霊神人剣を目映く輝く。

本来の輝きを取り戻したその聖剣は、レイの意思に呼応するように力強い魔力を放つ。

背中越しに、彼は微笑んだ。

「これを見捨てるなら、命なんてないも同然だ」