作品タイトル不明
二千年前の婚姻交渉
ピリピリと張りつめた空気が、室内を覆いつくしていた。
切り株の椅子に浅く腰かけながら、ミサは気まずそうに、隣のレイへ視線をやった。
彼は大丈夫という風に笑い返したが、しかし、普段より幾分か表情が硬い。
「よかったね、シンのお仕事が早く終わって。せっかくカノンが来てくれたんだから、みんなそろってた方がいいよね」
和やかに、レノは言う。
「あ、あはは、ですねー……」
ぎこちない笑顔で、ミサが同意する。
まずはレノとレイの仲を取り持ち、外堀を十分に埋めた後に、本命のシンを攻略する。次はアハルトヘルンの精霊たちに紹介するつもりだったか、ミサが描いていたであろうプランは、脆くも崩れ去っていた。
「お待たせしました」
家の中にもかかわらず、シンが隙を見せぬ体捌きで歩いてくる。
その周囲には、羽を生やしたティーカップが四つ飛んでいた。
ふわふわと宙を漂い、ティーカップは机に着地し、すっと羽を閉じた。
そういう精霊なのだろう。
「紅茶の精霊ティルムンクです。カップにお湯を注げば、紅茶に変わります」
ケトルを傾け、ティルムンクにお湯を注ぐと、鮮やかに色づき、紅茶の香りが漂い始めた。
「どうぞ」
レイは軽く頭を下げ、ティーカップを手にする。
「でも、シンが紅茶を淹れてくれるの、初めてだよねっ」
上機嫌にレノが言うと、紅茶を飲もうとしていたレイが、ピタリと手を止めた。
彼はじっとその鮮やかな液体に視線を凝らす。
「いつも、家の中では、あなたにばかり負担をかけていますからね」
「あっ、うぅんっ。いいんだよ、それは。私がやりたくてやってるんだし」
少し慌て気味に、レノが弁解する。
「そうじゃなくて、こうやってミサがカノンを連れてきたときに、仕事を早く切り上げてくれて、紅茶も淹れてくれて、嬉しいなって」
静かにシンはうなずく。
「おもてなしをしなければいけませんからね」
その言葉にレノは和やかに笑った。
だが、レイを貫く彼の視線は、それだけで身を斬り裂くほどに鋭い。
場に合わせてレイも笑ったが、その瞳の奥には深刻な色が見てとれる。
「どうかしましたか、レイ・グランズドリィ?」
表情を崩さず、シンは言う。
「毒など入ってはいませんよ」
レイはまるで喉もとに刃を突きつけられているように、ごくりと唾を飲み込む。
「あはっ、シンが、そんな冗談を言うなんて、珍しいねっ」
レノは嬉しそうだが、レイは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
本当に冗談なのか、と今にも喉から言葉が出かかっているように見える。
「カノンもティルムンクの紅茶は飲んだことないよね? 美味しいんだよ。飲む人の心境に一番相応しい味と香りになるっていう噂と伝承があるんだ。落ちついた気分で飲めば飲むほど美味しいから、リラックスしてね」
「……へえ」
感心した風にレイが言う。
彼はひとまず、香りを楽しむように、鼻にカップを近づけた。
すっ、とシンが、何気なく手をあげ、柔らかく虚空をつかむような仕草を見せる。
レイが手にした紅茶の水面が、動揺したように揺れた。
「どうしたの、シン?」
「いえ、お気になさらず」
「ふふっ、変なシン。あのね、カノン。シンってたまによくわからないことするんだよ。堅物で融通の利かない人って思ってるかもしれないけど、実はちょっぴり天然なんだから」
レノには天然に見えたかもしれぬが、剣に精通したレイには、シンの仕草がなんなのかはっきりとわかっただろう。
洗練された所作は、魔法陣から一瞬にして剣を抜くための技。
彼がその気にさえなれば、瞬く間に魔剣がレイに突きつけられているはずだ。
いかなる状況、環境であっても素早く剣を抜くことは、剣士にとって修めておくべき術である。レイとて、十分に修練を積んでいる。
しかし、シンのその手技は、あまりに洗練されていた。
あの椅子に座り、あの机を挟んだ状況下に、特化している。
まるでこのご挨拶の場に、備えていたと言わんばかりに。
『レイ君、あれ、味がしないんじゃないかな?』
と、水溜まり窓から、様子を見守っていたエレオノールが言った。
『……緊張した気分で飲むとどうなるのかしら?』
サーシャが、興味深そうに言った。
『本の妖精リーランに記述があったな。緊張している場合はスッとする香りに、敵意や疑念を抱いている場合は甘くなる。落ちついている場合は、酸味と甘味、辛味が絶妙に混ざった至高の味がする、と』
『だっ、大ピンチだぞっ。あれを飲んで味の感想を聞かれたら、レイ君の今の心境がわかっちゃうってことだっ!』
エレオノールが心配そうに声を上げる。
『もてなしをしつつ、レイの人柄を見極めるといったところか。シンの奴も、ずいぶんと親らしい心を持つようになったものだ』
まったくもって微笑ましい。
『でも、シンは、レイに娘をとられたくないのよね?』
サーシャが言う。
『うんうん、ボクもそう思うぞ』
『じゃ、たとえば、毒じゃなくても、あのカップに砂糖とか忍ばせてないかしら?』
『あー、それでレイ君が甘いって言ったら、レノちゃんが敵意や疑念があるって勘違いするやつだっ!』
『ミサッ、気づいてっ……罠よ……』
サーシャが祈るように手を組んだ。
『なに、その心配はあるまい』
『どうして?』
と、サーシャが訊いてくる。
『複雑な親心はあろうがな。娘をとられる、そんな想いも存在しよう。それでも、シンがミサの幸せを願っていることは疑いようもない』
俺の言葉に、隣でミーシャがこくこくとうなずく。
『シンは俺の右腕だ。小細工など弄さぬ。真っ向勝負のもてなしにて、レイの深淵を見極める腹づもりだろう』
『んー、でも、これまでのシン先生を見てると、レイ君とミサちゃんの仲を祝福しているようには思えないぞっ』
『ミサがつれてきたのが、レイでなければ、あるいはシンも自分を曲げ、ミサのために、すぐにも祝福したのかもしれぬ』
不思議そうにエレオノールは首を捻った。
『どういうことだ?』
ふっと俺は笑った。
『ああ見えて、シンの奴も少なからず期待をしているということだ。自分が全力で立ちはだかったとしても、レイならばそれを超えていくだろう、と。なにせあの男は、一度きりとはいえ、剣技にてシンを打ち負かした唯一の人間だ』
もしかしたら、シンにとっても喜びであったかもしれぬ。
ミサが恋をした相手がレイだということが。
『どこまで自覚があるかわからぬがな。レイが心より娘の幸せを託せる男になることを、シンも願っているといったところか』
どうせならば、自分を誤魔化さず、心から祝福し、送り出したい。そんな親のわがままを受け止められるかもしれない男だったということだろう。
『あー、じゃ、あれだ。レイ君をけっこう認めちゃってるから、おかげでハードルが上がっちゃったんだ』
『レイとて、ミサの父に心より認めてもらいたいと思っているはずだ。ゆえに、心のまま全力で認めぬことこそが、彼に対する最大のもてなしとなる』
納得したようにエレオノールはうなずいている。
『……ミーシャ、世の中って、期待されてる人の方が大変なの? そんなのいいの?』
そうサーシャがぼやくと、ミーシャが言った。
『……試練?』
『うー……わたしはもっと簡単な方がいいわ……』
『サーシャは大丈夫』
『ほんと?』
『ん』
サーシャは嬉しそうに笑ったが、『あれ? わたしが期待されてないってこと……?』と疑問を浮かべた。
『まあ、レイもここに来たからには腹を据えているだろう。シンが現れたのが想定外だからといって、また出直しといった真似はするまい』
『じゃ、もしかして?』
エレオノールの問いに、確信を持って、俺は言った。
『無論、この場で決める気でいるだろう。ご挨拶をな』
『レイのご挨拶が通るか、シンのおもてなしが阻むか、勝負なんだわっ!』
緊迫した物言いで述べて、サーシャはじっと彼らの様子を見守る。
『ゼシアも……言いたいことが……あります……!』
これまで話に入って来られなかったゼシアが、手を挙げて発言を主張する。
『あの紅茶……です……!』
『……紅茶がどうしたの? なにか動きがあった?』
目を皿にして、サーシャがレイの手にした紅茶を見つめる。
『……ゼシアも、飲めますか……!?』
サーシャは肩すかしを食らったような顔になる。
『ふむ。後でもらって来よう』
『約束……ですっ……!』
嬉しそうに彼女は笑った。
『あ、見て、ミサちゃんが動いたぞっ!』
エレオノールが言う。
ミサはティーカップに入った紅茶を火傷も辞さない勢いで、ごくごくと飲み干し、机に置く。
少し驚いたように彼女を見ながら、レイは言った。
「喉が渇いてた?」
「そ、そうみたいですっ。よかったら、レイさんの分くれますか?」
シンの思惑を素早く察知し、ミサはそんな機転を利かせた。
紅茶をレイに飲ませなければ、彼の心境が知られる心配もない。
「こら。はしたない真似しないの。ミサのは新しいの入れてあげるから」
「……はい、すみません……」
レノに怒られ、ミサはしゅんとする。
空回りしている彼女に、しかし、レイは優しげな視線を向けた。
そうして、ティーカップの紅茶を飲む。
「美味しいね」
「よかった。たまにティルムンクの紅茶が美味しくない人がいるんだよ。心の持ちようだと思うんだけどね。でも、カノンにはそんな心配はないか」
もう一口、レイは紅茶を口に含み、机に置いた。
「ところで――」
あたかも殺気が込められたような鋭い視線を放ち、シンは問う。
「どんな味がしましたか?」
レイが笑顔でシンを見る。
二人の間に、ただならぬ緊張が走った。
「あ、あれですよねー。ティルムンクの紅茶は、気の持ちようで――」
ぱくぱくとミサが口を動かす。
なぜか声が出ていなかった。
「ミサ? どうしたの?」
レノが問う。
「あ、あれ? えーと、おかしいですね。ティ――」
見える。
ミサがティルムンクの紅茶について、レイにさりげなくアドバイスをしようとした瞬間、略奪剣にて、その言葉を斬り裂いているシンの姿が。
一瞬で魔法陣を展開し、抜くと同時に刃を放ち、斬り裂くや否や、魔法陣に略奪剣を収納している。
どうやら相当の修練を積んだようだ。
「どんな味がしましたか、レイ・グランズドリィ?」
鬼気迫る表情で、再びシンは問う。
とても紅茶の味を尋ねているとは思えぬ。
「ほどよく甘くて――」
「甘い?」
シンの方眉がぴくりと上下する。
宙をつかもうとする手は、今にも剣を抜きそうな気さえする。
「ほどよく酸味があって――」
ピタリ、とシンの手が、止まった。
「それでいて、ピリッとした辛さもあって、不思議な紅茶だよね。すごく美味しいよ」
「…………」
ギリッと奥歯を噛む音が、耳に響いた。
「それはなにより」
シンが手を下ろす。
この状況下で、レイはリラックスして紅茶を飲んだ。
並の胆力ではない。
あるいは、それは覚悟ゆえか。
恋人の親に疑心を抱くぐらいならば、死んでも構わないという強い想いが見てとれる。
『シンのおもてなしを真っ向から受けきったわ……』
サーシャが言う。
『うんうんっ、恋人の両親にご挨拶に来て、ものすごい平常心だぞっ。あれなら、シン先生も認めるしかないかもっ』
『見て』
ミーシャが指さす。
レイに視線をやれば、彼は居住まいを完璧にただしていた。
「シン、レノ」
二人に向かい、レイは言う。
「今日は、どうしても二人に伝えておきたいことがあって来たんだ」
非の打ち所のない誠意の言葉に、シンが険しい表情を浮かべる。
「僕はミサと交際している」
温かい表情を浮かべるレノとは裏腹に、シンはまるで吹雪が吹き荒ぶような寒々しい視線を返す。
『い、言ったわっ! シンの殺気をものともしないでっ!』
『偉いぞっ、レイ君っ! それでこそ男の子だぞっ!』
エレオノールとサーシャが騒ぎ立てる。
『まだ』
ミーシャが指摘する。
レイが両手を机についていた。
『もしかして、このまま一気に……!?』
頭を下げるような姿勢で、レイは言った。
「本気なんだ。僕は君たちのように――」
「レイ・グランズドリィ」
ぴしゃり、とシンが言い放ち、立ち上がった。
描いた魔法陣に手を入れ、取り出したのは一枚の魔法紙である。
それを指先でぴっと弾き、レイの手元に飛ばす。
彼はそこに記された魔法文字に視線を落とす。
『んー、あの紙は、なんだ? 魔法具みたいだけど?』
エレオノールが俺に尋ねる。
『ふむ。また懐かしい代物を持ち出したものだな。 血縁状(けつえんじょう) だ』
ミーシャが小首をかしげる。
『初めて聞いた』
『二千年前、婚約は主に< 契約(ゼクト) >にて行われていた。婚姻は家同士の存続のためといった理由が優勢でな。しかし、恋をする者もいる。恋をしたはいいが、すでに家同士が決めた許嫁がいる場合も多かった』
実力のある一族同士、あるいは弱点を補い合える一族同士が手を取り合うために、子供を結婚させるというのは、ごくごく一般的に行われていた。
今ではあまり考えにくいことだろうがな。
『そんなときに使われるのが、血縁状だ。あの魔法紙は、< 契約(ゼクト) >とほぼ同じ効果を持つ。一つ違うのは、魔族を殺した際の血で持って調印を成すところでな』
『わーお、すっごく嫌な予感がしてきたぞ』
『要は、恋愛結婚に反対する親や親族が自分を殺せる力があるのならば、婚姻を認めてやってもよい、と血縁状を持ち出すわけだ。これを婚姻交渉というが、早い話、婚姻と命を賭けた決闘だ』
恋人と添い遂げるためには、その親や親族を殺さねばならぬというのは、なんとも理不尽な話だ。
『専らどこの馬の骨かわからぬ不逞の輩を大っぴらに葬るために使われていたようだがな』
『とんだ 御愛殺(ごあいさつ) だわ……』
サーシャがぼやく。
「二千年前の借りを、まだ返していませんでしたね」
血縁状を見つめるレイに、シンは冷たく言った。
カノンに一度敗れたときの話だろう。
「どうですか、これから一本、本気で死合ってみるというのは?」
なにも、今更、二千年前の敗北にこだわっているわけではないだろう。
むしろ、逆か。
あの一戦がマグレではないことを、はっきりと確かめたいのだ。
どうしても踏ん切りがつかぬ。
ゆえに、力尽くでミサをさらっていってほしいと願った。
娘を任せるのならば、自分よりも強い男に、と。
一振りの剣として生きてきたシンの、それは不器用な親心なのかもしれぬ。
無論、神話の時代ならばともかく、今となってはその想いは少々時代後れではある。
だが――
「僕は構わないよ」
その不器用な想いに、真っ向から応えるとばかりにレイが立ち上がる。
誠心誠意、頭を下げれば、レノもミサもいることだ。シンとて、頑なに拒否するわけにはいかなかったはずだ。
それでも、レイは、父親としての彼の気持ちを汲んだ。
その不器用な想いを受け止めることを選んだ。
男と男、口に出さずとも、伝わる想いがあるものだ。
「ここを汚すと大変だから、裏庭にしようか?」
珍しくシンがその表情を綻ばせる。
そして――
「けっこうです」
レイが魔眼を見開く。
彼にすら、抜いた瞬間を見せぬほど迅速に、シンの手には美麗な刃文が浮く魔剣が握られていた。
流崩剣アルトコルアスタ。魔剣神の力を宿した一振りが、容赦なくレイに向けられていた。
せせらぎが響く。
シンとレイの間に、薄い水鏡が現れる。
ぽちゃん、と水滴が落ち、そこに映ったレイの体に七つの波紋が立てられた。
刹那、レイはその手に、霊神人剣エヴァンスマナを召喚していた。
それでも、彼の表情は焦燥に染まる。
水鏡に浮かぶ波紋、耳に響く小さなせせらぎ。
一分たりとも隙のないシンの構えと、強大な魔力。
たとえ霊神人剣にて一〇〇の宿命を断ちきろうとも、滅びの運命は免れられない。
流崩剣の秘奥は、七つの根源を持つレイをすら、ただの一度で 斬滅(ざんめつ) する。
そんな匂いを、レイは嗅ぎ取っていたのだろう。
なによりも凄まじいのは殺気だ。決して娘はやらぬというシンの殺気。必ず殺すとでも言わんばかりのその気迫が、彼に絶望的なまでの死の予感を突きつける。
あるいはそれは、魔王であるこの俺と対峙したとき以上に。
『あっ、あんなの無理だぞっ。シン先生、やっぱり全然、娘をあげるつもりはないんじゃっ……!?』
『……で、でも、大丈夫よね? そこまではしないわよねっ?』
サーシャが俺に尋ねる。
『ふむ』
『ふむじゃないわっ。どっちなのっ?』
エレオノールとサーシャは、二人の一挙手一投足に気を配る。
「流崩剣、秘奥が壱――< 波紋(はもん) >。おわかりでしょう。剣を打ち合うまでもございません」
「……いいや」
勝利を確信し、剣を引こうとしたシンに、レイは言った。
この御愛殺、勝機はゼロに等しい。
それを承知で、勇者はぐっと聖剣を握り締めた。
「いつだって、僕は絶望的な戦いに挑んできたよ」
「けっこうです。それでこそ勇――うっ……!」
ザパパパパァァァァンッと、突如、どこからともなく現れた大量の水がシンの足元をさらい、彼の頭まで飲み込んだ。
「馬鹿っ、馬鹿ぁぁっ! 馬鹿シンッ!」
頬を膨らませ、目を三角にして、怒鳴ったのはレノだった。
八つ首の水竜リニヨンの力を使い、邸宅の窓から、シンを裏庭へ押し流していく。
「せっかく、カノンが遊びに来てくれたのに、なんで剣のことばっかり。せっかくミサと仲よくしてくれてるのに、シンがそんな態度じゃ、離れていっちゃうんだから。そしたら、ミサにも嫌われるんだよっ!」
水の竜の上に座り、流されているシンを追いかけながら、レノはご立腹の様子だ。
「……いえ、レノ、これは、婚姻交がぼぼぼっ……!」
喋ろうとしたそばから、レノはシンの口の中に大量の水を注ぎ込んでいる
「こんな婚姻交渉ないよっ。もうっ、馬鹿っ、馬鹿ぁっ! カノンが怒って、もういいって言われたらどうするのっ? 責任とれるのっ? ミサになんて言うのっ?」
有無を言わせぬ気迫に、シンは押し黙った。
彼女は魔族の文化には疎い。血縁状も婚姻交渉も、知らぬのだろう。
「……彼は、そのような器の小さい男では」
「だ・か・ら、そうやってカノンに甘えてると、そのうちに愛想を尽かされちゃうって言ってるのぉぉっ!」
「しかし」
「しかし、じゃないのっ。返事は、はいっ。お説教だよ、お説教。さっきから、こそこそミサの言葉を斬って、私が気がつかないと思ったの?」
押し黙るシン。
しかし、レノは視線を光らせた。
「もっと速く剣を抜けるようにならなきゃって思ったでしょ」
「……いえ、そのような」
「シンのことは、なんでもわかってるんだからっ。そんな嘘ついてもだめっ。反省、はい、反省だよっ」
二人の声が遠ざかる。
そのまま彼らと一緒に、水はどこまでも流れていった。
「……あはは……行っちゃいましたね……」
「困ったね」
レイとミサは、半ば呆然と二人が流されていった方向を見る。
「初めての挨拶なのに、ちょっと急ぎすぎたかな?」
そう言って、レイはエヴァンスマナを魔法陣の中に収納する。
「えーと、な、なにを言おうとしたんですか……?」
恥ずかしげに、ミサが訊く。
「わかってるのに?」
「わ、わかりませんよー、そんなの。レイさんの口から言ってくれなきゃ、あたしはなんにもわかりませんー」
顔を赤らめながら、ミサはそっぽを向いた。
「こっちを向いたら、教えてあげるよ」
「ほんとです――……」
ミサが振り向くと、目前にレイの顔があった。
あと僅かというところで、唇が重なろうとしている。
「惜しかったね」
「……な、なにをしようとしたんですか……?」
「わからない?」
はにかみながら、ミサは言う。
「……教えてくれないと、わかりません……」
俯き、上目遣いでミサがレイを見る。
二人の唇が、今にも重なろうとしていた。
『わーお、すっごいぞ。ね、サーシャちゃ――』
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」
サーシャがなにかに気がついたといったように大声を上げると、目には<破滅の魔眼>が現れていた。
ピシピシと水溜まり窓にヒビが入り、レイとミサがピタリと止まった。
声が聞こえたのか、不思議そうに彼らは天井を見つめる。
『さ、サーシャちゃん? いきなり、どうしたんだ?』
エレオノールが問う。
『思い出した……かも……』
『え?』
その瞳は、再び蒼白く輝いていた。
『……いつか……どこかで……こんなことがあった気がするわ……』
サーシャが、記憶を探すようにしながらも、< 思念通信(リークス) >の魔法陣を描く。
『遠い昔……二千年前に……』
蘇った過去の映像が、俺たちの頭を通り過ぎていく――