軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

プロローグ ~魔王の片腕~

二千年前――

大精霊の森アハルトヘルン。

土砂降りの雨が降り注ぐ中、八つの首を持つ水の竜が荒れ狂っていた。

精霊というのは仮初めの姿と 真体(しんたい) を持つ。真体――すなわち真の姿を現すことで、より強大な魔力を得られる反面、その心が仮初めの姿のときとはかけ離れてしまうことも珍しくない。

精霊は奇妙な生き物だ。その存在は、数多無数の者の心から生み出されると言われている。伝承や伝説、噂、願望、恐怖、希望……それらが具象・具現化したものが精霊なのだ。

人々の炎への恐怖が極まり炎の精霊を生み出すことがあれば、水への信仰が高まり、水の精霊を生み出すこともある。

八つ首の水竜はアハルトヘルンに注がれた神の涙、この世に水を生み出した始まりの一滴という人々の言い伝えから生まれた。水の大精霊リニヨンの真体である。

大精霊の守り神でもあるリニヨンは、森を焼こうとしている侵入者に対して怒り狂っているのだ。

そして、リニヨンを恐れず、アハルトヘルンへ侵攻している者の名こそ、暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードである。

「ふむ。一撃で我が配下の半数をもっていったか。なかなかどうして、伝承に違わぬ力のようだ」

アノスが臨戦態勢に入ろうと、一歩足を踏み出す。だが、それを制するように一人の魔族が前に出た。鎧を纏い、腰に剣を提げている。白髪で色素のない瞳を持ち、この戦場にあってもどこか涼しげな表情をしていた。

彼は魔王の前で跪き、頭を垂れた。

「我が君、恐れ多くも進言の許可を賜りますよう」

「許す」

「このような雑魚に、御身を煩わせることはございません。ご命令とあらば、わたくしが刹那の間に斬り捨てましょう」

その言葉を聞き、アノスは笑った。

「なら、賭けるか? お前があれに手こずり、刹那以上の時をかければその堅苦しい喋り方をやめろ。もしも、お前が言葉通り刹那の間に倒したなら、どんな褒美でもくれてやるぞ」

すると、その魔族は言った。

「お戯れを。賭けにならぬことはご承知のはず」

キン、と剣を鞘に納める音が響いた。

次の瞬間、荒れ狂う八つ首の水竜は無数に斬り刻まれたかの如く霧散し、土砂降りの雨一粒一粒が弾け飛んで消えた。

遅れて、大精霊の森に晴れ間がさす。

「いかがでございましょうか」

「相変わらずの剣の冴えだ、シン」

彼は未だ跪き、頭を垂れたままだ。

その状態で、水の大精霊リニヨンを消滅させ、土砂降りの雨さえも斬り払ったのだ。

魔王の右腕、シン・レグリア。

千の魔剣の所有者にして、魔族最強の剣士。

腰に提げているのは鉄の剣であり、彼はリニヨンを倒すのに一本の魔剣すら抜いてはいない。

「お前と戦えば、俺も危ういかもしれぬな」

「いいえ。我が千剣をもってしても我が君の足下にも及びません」

忠義のすぎるシンの言葉に、アノスは笑声を漏らす。

「なら、剣だけの勝負ではどうだ?」

「恐れ多くも、かすり傷を負わせることができるかもしれません」

「なにを言う。お前は俺が認めた右腕だ。この腕の一本ぐらい持っていってもらわねば困るぞ」

シンは頭を下げたまま、静かに言った。

「ご命令とあらば」

それを聞き、くくく、とアノスが腹の底から声を漏らす。それでも、この忠義がすぎる配下が自らの腕を切り落とすことはないと魔王は知っていた。たとえ戯れでも、主君を相手に剣を向けるぐらいならば、自ら死を選ぶ。シン・レグリアはそういう男だ。

「なあ、シン。いつか平和な時代が来たら、お前と心置きなく剣で遊んでみたいものだ」

「御意」

その時代も遠いものではない、とアノスは思っていた。

「ああ、そういえば、賭けは俺の負けだな。褒美はなにが欲しい?」

「願わくば、転生する許しを賜りますよう」

「壁を作った後にか?」

「この千剣は、我が君に捧げたもの。転生のためとはいえ、我が君亡き後、おめおめと生きながらえるような真似はできません」

つくづく困った性分の男だ、とアノスは思う。

「お前は根源魔法が苦手ではなかったか?」

根源に影響を与える魔法を根源魔法と言い、< 転生(シリカ) >の魔法はその最上級に位置する。アノスならばその力や記憶をそのまま転生体に引き継ぐことができるが、根源魔法を苦手とする者は完全な状態では転生できない。力や記憶に欠損が出るだろう。

「新しい時代で、また一から新しい剣を始めるのも悪くはありません」

シンは剣の道をひたすら歩んできた求道者だ。魔族最強の剣士と言われてはいるものの、同じく剣を扱う勇者カノンに一度敗れている。今の器に限界を覚えているのかもしれない。

転生が不完全になるということは、裏を返せば更に強い力を得られる可能性があるということだ。あるいはそれに賭けたくなったのだろう。

「いいだろう。好きにするがいい」

「ありがたき幸せ。たとえ転生し、記憶を失ったとしても、この根源は我が君を忘れはしません」

「そう堅くなるな。お前の好きにしろ」

アノスはそう口にした後、< 思念通信(リークス) >でアハルトヘルン全域へ語りかけた。

「いつまで死んだフリをしている、我が配下よ。森を焼き、大精霊レノを炙り出せ」

アノスの呼びかけに応じ、一度はリニヨンに殺された配下たちが一斉に動き出す。< 蘇生(インガル) >で蘇っていたのだ。

森のそこかしこから、黒い炎が上がり、瞬く間にアハルトヘルンに燃え広がっていった。

「さて」

アノスは眼前を見据える。黒い炎に包まれた森の中、一直線にこちらへ向かってくる人影があった。

「来たか、勇者カノン」

距離にして約一○キロ。聖剣を携えた勇者カノンがこの場へ走ってきている。

「昨日、根源を消滅させてやったとは思えませんね」

シンが言う。根源を消滅させれば、どんな者も死ぬ。< 蘇生(インガル) >も効かない。例外がいるとすれば、それが勇者カノンだ。

奴は何度でも蘇る。そのカラクリはカノンが通常は一人一つの根源を、七つも持つからである。そして、一つでも根源が残っていれば、残り六つの根源を蘇生することができる。

ほぼすべての魔法を使いこなす魔王アノスが、唯一勇者に敵わぬ魔法があるとすれば、それが根源魔法である。

シンがカノンに遅れをとったのも、それが理由だ。奴は何度負けても何度でも蘇る。そして、ただ一度、こちらの根源を消滅させれば、それで勝ちなのだ。

なんとも不公平な勝負だが、そのぐらいでなくては魔王の敵になることなどできないだろう。

たとえ無限に勝負を繰り返したとしても、一度たりとて負ける気はしないとアノスは思っている。

「シン。カノンの相手は俺がする。お前は大精霊レノを捜せ」

「御意」

返事をするなり、シンは姿を消した。

「さて、勇者カノン。今日は何度殺せば死ぬんだ?」

アノスは魔法陣を六○門展開し、迫ってくる勇者めがけて< 獄炎殲滅砲(ジオ・グレイズ) >を一斉に放った。