軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

名もなき神の欲得

ジオルヘイゼ竜着き場の魔王城。

最下層奥にある木造の部屋に俺たちはいた。寝室だ。

外は暗く、今は極夜である。

地下遺跡リーガロンドロルに行くには白夜でなければならぬ。

明日の昼を待たねばならぬということだ。

「痕跡神は目前だが、まあ、夢の続きを見ておいて損はあるまい。教皇が嘘をついていないにしても、リーガロンドロルから痕跡神はとうに姿を消しているということも考えられよう」

「それは正しい」

寝室のベッドに俺は仰向けになる。

その上にアルカナが乗ってきた。

額と額をつけようとして、しかし、彼女は途中で止まる。

アルカナは俺の顔を間近で覗き込む。

「尋ねてもいいのだろうか?」

「なにか気になるか?」

「あなたは、救済者ゴルロアナを見逃した。ディードリッヒの預言によれば、彼はディルヘイドを危険に曝す。なぜ滅ぼさなかったのだろう?」

迷わず、俺は答えた。

「預言が確実だろうと、未来はまだきていないのだ。これから罪を犯すのだと言われ、裁かれてはたまったものではあるまい」

静かにうなずき、アルカナは言う。

「それは正しい」

「教皇にも言った通りだ。奴が死ねば、ジオルダルが荒れる。この国に生きる者たちの笑顔を曇らせることになろう。ゴルロアナが圧政を敷き、ただ民を苦しめるだけの愚かな王であれば、滅ぼしたがな」

来聖捧歌での信徒たちの歌声や笑顔を思い出す。

「どうやらそう単純ではないようだ。あの者はディルヘイドにとって敵なのかもしれぬが、それでもこの国の民にとっては王であろう」

「真の平和が欲しいとあなたは言った」

「ディルヘイドだけの平和など容易い。それ以外の世界のすべてを滅ぼし尽くせばいいのだからな」

アルカナは俺の言葉に真剣に耳を傾けている。

「だが、そんな世界は優しくはない」

「優しい世界をあなたは求めているのだろうか?」

「古い約束があってな。俺はその者に証明せねばならぬ」

じっとアルカナは俺の目を覗く。

「なにをだろう?」

「この世界は温かく、愛と希望に満ちている」

アルカナはその透明な表情を綻ばせた。

「あなたはわたしに贖罪の機会をくれた。あなたは神に許しを与え、刃向かうものさえ救おうとしている」

「ゴルロアナにも言ったが、そんな大層なものではない。俺が思っていることは、一つだ」

「それはなにか。わたしは知りたいと思っているのだろう」

神ゆえか、自分の感情を探るように、アルカナが言う。

「俺の思い通りにならぬすべてが気に入らぬ」

アルカナが目を丸くした。

「傲慢だと言ったはずだ」

「思ったことがある」

ぽつり、と彼女は呟いた。

「わたしは名もなき神となってから、一人だった。神が神と手を取り合うことはあまりない。人は神にすがる手を向けるが、救いの手を差し伸べることはないだろう。なぜなら、彼らは人であり、わたしが神だからである」

ごく一部の例外を除けば、神というのは超常の存在だ。

信仰と崇拝の対象にしかならぬだろう。

「同じく選定者であったアヒデも、それは同じ」

あいつは他の者よりも、質が悪かっただろうがな。

「初めて、わたしは誰かとともに、同じものを見て、事を為そうとしている。同じ目的を抱いている。肩を並べて」

清浄なその声音には、アルカナの温かい感情が宿っている。

「この感情に名をつけるのならば、なんと言えばいいのだろう?」

「お前は、なんだと思うのだ?」

「わたしは……」

言葉を切り、考えた後に、アルカナは言った。

「わたしは嬉しいのだと思う。恐らく、嬉しいのだろう。あなたに会えて。たぶん、わたしは救われたのだろう」

「そう結論を急くな」

「違うのだろうか?」

アルカナが疑問を向ける。

「そのようなささやかなものを、救いとは呼ぶまい」

「ささやかだろうか……」

不思議そうに彼女は呟く。

「ああ、ささやかにもほどがある。もっと強く求め、望むがいい。自らの救済を」

「この身は神であるがゆえに、欲はない。神の欲得は、罪となる。ただ救いだけが、わたしを満たしてくれるもの」

透明な言葉を発するアルカナに、俺は笑いかける。

「心があれば、欲も出る。欲得は俺に向けるがよい。それで誰も損はせぬ」

「あなたには、わたしの欲得が必要か?」

「平たく言えば、そうだ。人の心を知らねば、人は救えぬ。それがわからぬから、多くの神族が地上で人間や魔族を冒涜した。盟約により神の力を借りてきたこの地底とて、さほど大きな違いがあるとも思えぬ」

かつての罪を思い出したか、アルカナは憂いに満ちた表情を浮かべる。

長く考え込むように口を閉ざし、彼女は目を伏せる。

しばらして、アルカナはまた俺を見た。

「……あの夢の続きを、わたしは見たいと思っているのだろう……」

「俺とお前の記憶を辿る夢か?」

「そう。あの夢は、とても心地が良かった。夢の中のアルカナは、一人ではなかった。いつも、兄が守ってくれていた」

アルカナは夢の記憶に思いを馳せるような表情を浮かべる。

「あなたが……わたしを……守ってくれていた……」

一言、一言、思い出を噛みしめるように、彼女は言った。

「それが真実ならば……夢のように、アルカナがわたしならば、わたしの兄が、あなただというのならば、わたしにとって、それはこの上ない救いなのだろう」

俺の胸にアルカナの白い指先を触れる。

「それがわたしの欲得」

「兄が欲しいのか?」

アルカナがうなずく。

「一人ではなかったのだと思いたい。わたしを気にかけてくれている者がいた。わたしを気遣い、心配してくれる者が、一人でもいたのだと。それだけで、わたしはこの救いの道を力強く歩むことができる」

「そうか」

不安そうにアルカナが尋ねる。

「この身には、欲張りがすぎるだろうか?」

「なにを言う。依然としてささやかすぎて、涙が出るほどだ」

一瞬口を噤み、それからアルカナは言った。

「わたしがあの夢の中のアルカナだとして、どうしてわたしたちは別れることになってしまったのだろう?」

「それは、確かに疑問だな」

アルカナが今、名もなき神となっていることが関わっているのかもしれぬ。

「わたしは知りたい」

飾らぬ言葉でアルカナは言う。

「わたしのことを」

まっすぐ、その真摯な言葉を俺に向けて。

「あなたのことを」

神ゆえに、押さえられてきたその欲得を、彼女はあらわにする。

「もしも、わたしがあなたの妹ならば、あなたに言いたいことがある」

「なんだ?」

「……お兄ちゃん、と……」

ほんの僅か、羞恥心を持って、少女の姿をした神は囁く。

「また会えたね、と言いたいのだと思う」

「ならば、来い。今宵も夢の続きを見るとしよう」

アルカナが俺の額に額を重ね、魔法陣で二人の体を包み込む。

そのときだった。

「ねっ、ねえっ!」

椅子の方から、慌てたような声が響く。

「さっきから、わたしたちがいること忘れてないっ?」

サーシャが言う。

その隣でミーシャがこくこくとうなずいていた。

「なにを言っている? 早く来るがいい。今日も夢まで共をしてくれるのだろう」

「そうだけど……そういうことじゃないんだけど……」

ぶつぶつ言いながら、サーシャは俺の隣に入ってくる。

「でも、妹だし……妹だしね……」

自分に言い聞かせるように、サーシャは何度も呟く。

「サーシャ。あなたはわたしを、彼の妹と認めるのか?」

「えっ? あ、うん……そ、そうね、だって、夢の中だと妹っぽいでしょ? 妹だといいなって思うし……」

戸惑いながらも、サーシャはそう答える。

「あなたは、わたしを警戒していると思った」

「……それは、まあ、ちょっとはね……」

「ありがとう」

微笑みながら、そう礼を述べられ、気まずそうにサーシャは視線を逸らす。

「……ど、どういたしまして……」

言いながら、ぴたりとサーシャが俺にくっつく。

反対側にはミーシャがいる。

アルカナは俺たちの衣服を脱がそうと、魔法陣を展開する。

纏った服が光り、収納魔法に治められていく。

「ちょっ、だ、だから、あのっ……布団をっ……」

サーシャが声を上げたその瞬間、ガチャッと寝室のドアが開いた。

二つの人影が入ってきた。

「アノス君、サーシャちゃん、加勢に来たぞっ!」

「……ゼシアも、夢で戦いますっ……!」

満面の笑みで現れたのはエレオノールとゼシアだ。

彼女の視界には、一糸まとわぬ姿の俺たちが映ったことだろう。

「……わーおっ……!」

「……真っ裸……です……」

数瞬遅れ、ふわっと雪月花で作られた薄い布団がかけられる。

さすがのエレオノールも驚いているようだ。

「ふむ。加勢とはどういうことだ、エレオノール?」

「んー……? んーと、ほら、昨日、サーシャちゃんとミーシャちゃんが、アノス君のところに遊びに行ってたから、なにしてたのかって聞いたら、夢で戦ってた感じみたいなことを言ってたんだぞ」

「……ゼシアたちも……一緒に戦います……」

そういうことか。

「夢の番神の力を借りて、俺の記憶を思い出すところでな」

「あー、わかったぞ。裸が一番魔法効果を発揮するんだ。< 根源母胎(エレオノール) >の魔法と同じだっ」

ふむ。さすが、同じ魔法条件なだけあって理解が早い。

「別段、夢に危険があるわけではないが、まあ、お前も心配ならば見ておくか?」

「うんうんっ、仲間外れは嫌だぞっ」

エレオノールが自分とゼシアの体に魔法陣を描くと、ミーシャが咄嗟に照明を消し、ランプだけの薄明かりにした。

二人は夢の番神が最も効果を発揮できる姿となり、布団の中に潜り込んでくる。

「んー、狭いぞ」

「ていうか、このベッドそんなに大きくないし、全員入ったら、さすがに寝られないわ」

サーシャが困ったように言う。

「くすくすっ、そんなときのために、良い魔法があるんだぞっ」

エレオノールが魔法陣を描くと、俺たち全員の体を包み込むような水の球がそこに現れた。

水中に浮かぶ俺を中心として、左にサーシャ、右にミーシャ、背後にエレオノールとゼシアが来て、正面にはアルカナがいた。

「……なに、この魔法……?」

「< 水球寝台(リライム) >の魔法だぞっ。体の負担を水の浮力でなくして、ぐっすり快眠なんだっ」

「人間の魔法って、変なのあるわね……」

珍しそうにサーシャは< 水球寝台(リライム) >の魔法を見ている。

「でも、気持ちよくないかな?」

「……うーん、言われてみれば、なんか体が楽だけど……」

「でしょっ」

エレオノールが両手を俺の首に回して、ぴたりとくっついてくる。

俺は平和の存在を背中越しに強く感じていた。

「どお? アノス君も気持ちいーい?」

「ちょ、ちょっと、なにしているのよ、エレオノール」

サーシャが慌てたように言う。

「なにって? どーしたんだっ?」

「……だって……それっ、それっ」

「くすくすっ、いいんだぞ。サーシャちゃんも、くっつきたかったら、くっついて。ね、アノス君?」

エレオノールが俺の背後から顔を寄せてくる。

「接触せねば、同じ夢には入れぬ。遠慮はするな」

「そ、そう……」

恥ずかしそうにサーシャは顔を赤らめ、さっきよりもほんの少しだけ、俺に体を寄せた。

「待たせたな。準備ができたようだ」

すると、アルカナは提案するように言った。

「ここにいる者たちの魔力を集めてみたい」

「夢の続きが見やすくなるか?」

「そう。夢の番神の力を高める。眠りが深くなれば、より夢に沈み、記憶の深淵に潜り込める」

ふむ。やってみる価値はあるな。

「どうすればいい?」

「魔力をつなぎ、根源を重ねて」

アルカナの魔法陣が< 水球寝台(リライム) >を覆う。

俺たちは魔力と魔力をつなぎ、根源を重ね合わせる。

目で合図した後、アルカナは言う。

「夜は訪れ、眠りへ 誘(いざな) い、たゆたう記憶は、夢を重ねて、水面に浮かぶ」

以前と同様、全員の体が、淡く透明な光に包まれる。

誘うような眠気が訪れ、すうっと意識が遠のいていった。