軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

そして、愛は形をなして

婚姻の義より三日、夫婦は同じ時を過ごす。

これをもちて、不滅の絆を育むものなり。

ティティたちは、シンにそう吹き込んだ。

それは精霊たちの間で定められた婚姻のしきたりに違いなく、シンはその三日をレノと共にエニユニエンの天辺にある小さな城の中で暮らした。

そして、四日目の朝のことだ。

シンはエニユニエンの大樹の中を駆けていた。

同じ場所を何度か通った後に、勢いよく扉を開け放つ。

すると、本の森が姿を現す。

木々が並ぶその奥に、浅い泉があった。大きな蓮の葉が浮かび、その上にレノが横たわっている。

彼女が倒れたとの報を聞き、シンはすぐに駆けつけたのだ。

「……ご無事ですか?」

彼女のもとにシンは駆けよった。

「うん、セネテロがいるから」

レノの体が淡い翠の明かりに包まれている。治療蛍セネテロの癒しの光だ。

「……突然倒れたと聞きましたが、なにかありましたか?」

「うぅん。わからなくて。エニユニエンに調べてもらってるんだけど。でも、シンと結婚できたのが嬉しくて、はしゃぎすぎちゃったのかな……?」

少し辛そうな顔で、けれどもレノは笑みを見せた。

「大事がなければ、良いのですが」

「大丈夫だよ。ごめんね、心配させちゃって」

レノが伸ばした手を、シンは握った。

「治るまではおそばに」

「うぅん。大丈夫。もうずいぶん引き止めちゃったし。ね、エニユニエン」

彼女が呼びかけると、本の森に嗄れた声が響く。

「……うぅむ、どう説明すればいいものかのう……」

「悪いのですか?」

シンの問いに、エニユニエンの大樹は即答しなかった。

「……こんなことは前例がないのじゃ。とはいえ、わしは教育の大樹じゃからのう。精霊のことならば、大概はわかる。しかしのう……」

うーむ、と唸り声を上げ、エニユニエンの大樹は頭を悩ませている様子だ。

「いいよ。とりあえず言ってみて。どうしたの?」

レノがそう口にすると、エニユニエンの大樹は、神妙な声で言った。

「……それがのう。レノ様は、妊娠しておられるようなのじゃ……」

きょとん、とレノが表情を変えた。

「……妊娠……?」

「そうじゃ。どうも、間違いなさそうじゃのう」

「……だって、誰の子?」

「魔族の魔力を感じるのう。精霊王様との子に間違いなかろう」

「嘘……」

呆然とレノはシンの顔を見つめる。

彼はいつも通りの表情だが、すぐに言葉を発しないところから、動揺しているのかもしれない。

「……精霊と魔族の間に、子供は生まれないはずじゃ……?」

「うぅむ。そう思い込んでおったがのう。しかし、精霊は、魔族や人間たちの噂と伝承から生まれるものじゃ。精霊によっては、その体が魔族や人間に近いものだったとしても、不思議はないかもしれぬのう……」

考え込むようなエニユニエンの唸り声が響く。

「とはいえ、驚くべきことじゃて。精霊と魔族の血を半分ずつ受け継いだ半霊半魔など、恐らく長い精霊の歴史でも初めてのことじゃろう……」

「……そっか……」

そう言ったレノの表情は、どこか嬉しそうでもあった。

「レノ様がお倒れになったのは、半霊半魔の子をその身に宿したからに違いないじゃろう」

「どういうことでしょうか?」

と、シンが尋ねる。

「精霊は噂と伝承から生じる。多くの場合、大きな噂や確かな伝承から、生じ、生まれたときから成体じゃが、半霊半魔の子は違うようじゃ。半分が魔族の体を持つために、それに精霊の根源が引きずられておる。生まれたての小さな噂が、その子の根源を形作っておるのじゃて」

初夜から、まだ三日、レノが妊娠したのだとしても、そのお腹の子は胎児にすらなっていないはずだ。本来ならば、妊娠に気がつきもしないぐらいの微かな命だろう。それに応じて精霊の噂や伝承も不確かなものだということである。

「このままじゃ、生きられないの?」

レノは自らのお腹に、静かに手をおいた。

「今の時点では噂と伝承が弱すぎるのう。レノ様でも、その子の噂や伝承がなんなのか、感じとれぬのではなかろうか?」

僅かにレノは頷いた。

「今は母胎とつながっておる。魔族の場合、胎盤を通して母から子へ栄養が届けられるように、レノ様の根源が、その子の根源に変わっておるのじゃ。一気に魔力を奪われたことで、お倒れになったのじゃろう」

「じゃ、お腹の中にいる内は?」

「死ぬことはないじゃろうて。しかし、魔族の体はいつまでも胎内にあるわけにもいかん。十月十日ほどで生まれるはずじゃ。それまでに、噂と伝承が見つからなければ、見つかったとしても、それが潰えてしまえば、その子は長く生きられぬ……」

目元を険しくしたシンとは裏腹に、レノはニコッと微笑んだ。

「よかった」

「……なにが、でしょうか?」

「だって、十月十日もあるんだよ。それだけあれば、なんとかなるよ。私は母なる大精霊、子供がどんな子なのか見抜くのは得意なんだから」

一瞬考え、再びシンは訊いた。

「噂と伝承を突き止めたとしても、それを潰えないようにすることができますか?」

「大丈夫。きっと、なんとかできるよ。壁があるから、ちょっと大変だけど、でも、なんとかしてみせるんだから」

ゆっくりとレノは身を起こし、立ち上がった。

「あのね、シン」

蓮の葉から下りて、レノは静かに歩を進ませる。

「どうして、こんなことが起きたのかな?」

「……わかりません」

地面に置かれた翠の本が棒のような手足を生やし、レノのもとへちょこちょこと歩いてくる。

彼女に座れというように、手を上下に振っていた。

「私はシンのおかげだと思ったよ。私が寂しくないように、シンがこの子を残してくれたんだと思った」

レノはしゃがみ込み、リーランに手を伸ばす。本の妖精は、自らの一ページを破り、レノに手渡した。

その一ページに、一瞬、キラキラとした光が飛んできたのが見えた。

「奇跡みたいだね」

じっとシンは黙り込む。

「……奇跡など、起こるはずもありません。それはいつだって、我々が、この手で起こさなければならないものです」

「じゃ、奇跡を起こしたんだよ。ここに生まれた愛が、奇跡を起こしたんだ」

レノは傍らに立つシンに笑顔を向けた。

「絶対、なにがあっても、大事に育てるからね。だって、この子は、シンがくれた愛だから」

嬉しそうな、泣き出しそうな、なんとも言えぬ表情を、シンは浮かべた。

「……あなたはいつも、私に夢を見せてくれますね……」

「違うよ。シンがいつも私に夢をくれた。私に、私らしく生きる夢を、シンがくれたんだよ」

レノは立ち上がり、不意を突くようにシンにキスをした。

僅かに目を丸くするシンに、レノはふふっと笑った。

「この子の名前、つけて欲しいよ」

しばらく考え、シンは言った。

「男の子ならゴード、女の子ならミサ」

「どっちも良い名前だねっ。双子ならよかったのに」

嬉しそうに言ったレノにつられ、シンも彼らしく表情を緩める。

「レノ、あなたが――」

ニコッと彼女は笑顔を浮かべる。

「行かないで――なんて、私は絶対に言わないよ」

シンの言葉を遮るように、レノがそう口にする。

「私の夫は、魔王の右腕。誰よりも彼に恩義を抱き、それに報い、忠誠を尽くす。架空の魔王の噂が広まっていくのを、黙って見ていられるあなたじゃないよ」

送り出すようにレノは言う。

シンの後顧の憂いを断とうとするように。

「待ってるから。この子と一緒に。ここで待ってるからね、シン。転生したからって、私のこと、忘れちゃやだよ」

しっかりとうなずき、シンは答えた。

「たとえ剣を忘れても、それだけは忘れぬように心がけます」

二人は体を寄せ、抱きしめ合う。

どのぐらい、そうしていたか、レノは一枚の紙をシンに見せた。

「知ってる? 愛の妖精フランのこと」

シンは静かに首を横に振った。

「報われなかった愛を形にし、結びつける精霊だよ。欠けた愛の数だけ存在するって言われてるんだ。たとえば、愛になにか心残りがあって死んだ人がいたとするでしょ。根源が滅びて、もう二度と蘇らなくなっても、愛の妖精はそっと手助けしてくれる」

レノが手にしているのは、本の妖精リーランの一ページ。

二千年後に破られていた、愛の妖精フランが載っている部分だ。

「フランは、死んだ人に体を貸してくれるの。愛の妖精の体を借りて、その人は愛を伝えるためだけに蘇るんだよ。自分がフランだって自覚する、僅かな間だけ」

愛の妖精フランのページには、こう記されている。

愛の妖精フランの身を借り、蘇った人々は愛の記憶を忘れている。記憶を求めて、妖精として彼らは彷徨う。真実の愛を持つ者のみが、それを思い出し、伝えることができる。

言えなかった言葉を伝えるため、悲しみに決着をつけるために、愛の妖精はいつもこの世界を彷徨っている。

「私は精霊だから、潰えることもあると思う。だけど、もしものときは、愛の妖精になって、あなたに会いにいくからね。だから、絶対、また会えるよ」

愛の妖精フランのページを、レノはシンの手に握らせた。

「おまじない。リーランがくれたから。これを持っていたら、きっと私はフランになっても、シンがわかるはずだから。絶対、なくさないで持っててね」

二千年の別れだ。なにもないとは言い切れないだろう。

だから、レノはそんなことを口にしたのかもしれぬ。

「約束します」

シンは愛の妖精フランのページを懐にしまった。

彼の視線が、レノの瞳に向けられる。穏やかに彼女は笑う。

二人はそのまま、じっと見つめ合っていた。

「行ってらっしゃい」

「必ずここに戻って参ります。そのときは、きっと、あなたへの愛を手土産に」

そう口にし、シンは踵を返す。

振り返らずに、その場から去っていく彼の背中を、レノは静かに見つめていた。

アハルトヘルンを出た後、シンはディルヘイドを目指す。

俺は彼の後をつけてはいないが、その様子が見えていた。

なにやら悪戯を企んでいる者がいたので、ちょうど良いと思い、その者に魔法線をつなげておいたのだ。

シンは片時も休まず走り続け、半日後、ディルヘイドに入った。

ミッドヘイズの門をくぐり、デルゾゲード魔王城へ到着する。

そのまま彼は地下ダンジョンを下りていき、隠し通路を通って、宝物庫へ入った。

そして、そこに、一意剣シグシェスタを返す。

ふう、と一息つき、彼は魔法陣をその場に描く。

< 転生(シリカ) >の魔法だった。

根源魔法に劣るシンが使えば、力と記憶を完全には受け継ぐことができない。それでも、彼は躊躇いはしなかった。

シンが魔法陣に魔力を注ごうとした、ちょうどそのとき――

「苦しいー」

「もう限界っ」

「助けてっ」

「狭いよ-」

高い声が宝物庫に響く。

シンが険しい視線を覗かせながら、懐から愛の妖精フランのページを取り出す。

すると、そこから、ポンポポンッとティティたちが姿を現した。

「……どうやって隠れていたのですか?」

シンの問いに、ティティたちは首をかしげた。

「小さくなって?」

「字になって?」

「紙みたいになって?」

「隠れてたー」

どう考えても、紙に隠れる隙間などないが、悪戯好きな噂と伝承を持つティティには、あまり関係のないことなのだろう。

「ここはどこ?」

「ディルヘイドッ」

「どうしようー?」

「帰れないっ」

「国境の壁は越えられないよー」

「大変大変っ」

白々しく、ティティたちは騒ぎ立てる。

どうもシンをレノのもとへ帰す算段をつけているように見えた。

「精霊界はアハルトヘルンだけではありません。ディルヘイドにある精霊たちの住処へ行くといいでしょう」

ティティたちは大げさに驚いたようなポーズを取った。

「冷たいー」

「精霊王冷たいっ」

「帰らなきゃ」

「アハルトヘルンに早く早くっ」

「潰えるよっ」

「レノが、いなくなっちゃう」

構わず、< 転生(シリカ) >を使おうとしたシンが、魔法行使をやめる。

「なんの話ですか?」

妖精たちは、シンの周りを飛び回る。

「大変な話っ」

「レノのそばにいなきゃ」

「転生だめ」

「あと十月十日っ」

彼女たちの話は要領を得ない。

シンは小さく息を吐いた。

「いつもの悪戯でしたら、おしおきしますよ」

そう口にして、彼はまた宝物庫を出ていった。