軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

母なる大精霊と魔王の右腕

そこは広大な湖の中心だった。

ぼんやりとした月の光を反射する水面は、自然魔法陣の役割を担い、魔を退ける結界を作っている。

聖明湖だ。その透き通った湖の中心には人間たちの要塞都市、王都ガイラディーテがあった。

魔法の時代のその都市とは少々様子が違う。街をぐるっと覆う堅牢な城壁はボロボロで、いくつもの穴が空いている。

門の先に見える家も薄汚れ、外壁や屋根などが破損している。< 創造建築(アイビス) >で作った白い石で応急的に補修された跡がいくつもあった。

「わおっ、ガイラディーテだぞっ」

「……いつもと、違い……ます……」

エレオノールとゼシアが門の向こう側に視線を凝らし、少し楽しげに見物している。

「ふむ。どうやら無事に来られたようだな」

手にした<時神の大鎌>が、ボロボロと崩れ落ち、風化した。

ミーシャがじっとそれを見つめた。

「なに、時間を遡ってさえしまえば、元の時間に戻るのは容易い」

「よかった」

レイが俺のそばまで歩いてくる。

「街の様子からして二千年前には違いなさそうだけど、いつ頃かな?」

「壁を作り、俺が転生した少し後だな」

ミーシャとサーシャがディルヘイドの方向へ 魔眼(め) を向ける。

「……ていうか、あなたが作った壁、尋常じゃないわね……」

サーシャが呟くように言った。

「ここまで魔力の余波が届いてる」

ミーシャが驚いたように目をぱちぱちと瞬かせる。

「あんなのがあったんじゃ、国境へ行く気にすらなれないわ」

「それぐらいでなくては、この時代の者たちを隔てておくことはできぬ。とはいえ、二千年前の魔族には壁を越えられる者もいるのだがな」

メルヘイスがそうだったように、強い魔力を持つ者は< 四界牆壁(ベノ・イエヴン) >を越えられる。

「どうしてガイラディーテに来たの?」

国境の方へ視線を注いでいたサーシャが、金髪のツインテールをふわりと揺らし、振り向いた。

「デルゾゲードで俺が壁を作った後、大精霊レノはアハルトヘルンに戻ってくるはずだ。シンも俺の命で随行してくる」

「あ、そっか。そういえば、この時代のアハルトヘルンは、聖明湖にあるって言ってたわね」

納得したようにサーシャが言う。

「壁を作る際に、レノは魔力を使い果たしている。その状態では< 四界牆壁(ベノ・イエヴン) >を越えられぬだろうから、戻るのはしばらく経ってからだろう。ちょうど今頃のはずだ」

すでに戻っているか。それとも、今戻っている途中か、といったところだろう。

「一度、アハルトヘルンに行って確かめておくか」

「アノスの 魔眼(め) でも、どこにいるかわからないの?」

「この時代は、様々な魔族、人間が、様々な場所を魔眼で見ている。それを妨害する魔法も多くてな。無論、見ようとして見られぬわけではないが、俺の魔力だと気がつかれる恐れがある」

サーシャは、はっと気がついたような表情を浮かべる。

「暴虐の魔王は死んで転生したはずだから……?」

「生きていると誰かが気がつけば、この過去は本来のものとはまったく別物になるだろう」

「えーと、今回の魔法じゃ、過去でなにをしても、わたしたちがいた現在の歴史は変わらないのよね?」

確認するようにサーシャが尋ねる。

「ああ。時間を司る神族は、過去は過去として確定させる秩序を持つ。この< 時間遡航(レヴァロン) >の魔法効果が切れ、俺たちが現代に戻る際、時の秩序が働き、変えられた過去は元に戻る。小さなことなら、そのままかもしれぬがな。だから、この二千年前でなにをしようとも、現代に影響を与えることはない」

しかし、たとえば、この過去において、暴虐の魔王が生きている可能性が生じれば、本来あった過去とはまったく別物になるだろう。それでは、レノやシン、ミサになにがあったのかは確かめられなくなる恐れがある。

「とはいえ、すべては偶然ではなく、神族の企みだろうからな。よほどのことをしなければ、奴らは大精霊アヴォス・ディルヘヴィアが生まれるように行動するはずだ」

「大きく過去が変わることだけ、避ければいい?」

ミーシャの問いに、俺はうなずいた。

「それだとアノスが一番問題なんじゃないかな?」

レイが言う。

「僕は魔族の体だし、エレオノールはまだ生まれていない。当たり前だけど、ミーシャやサーシャ、ゼシアも、この時代じゃ名前が知られていないからね。派手なことをしなければ、過去に影響は与えられない」

「あー、確かに。アノス君の魔力だったら、わかる人にはわかっちゃうぞ」

エレオノールが人差し指を立てる。

続けてレイが言った。

「それに君の容姿は、二千年前とさほど変わらないからね。暴虐の魔王そっくりというのも、問題なんじゃないかな?」

「ひとまず、根源はお前の魔法で誤魔化してくれ」

言うと、レイは俺の首筋に二本の指をおき、魔法陣を展開する。

根源魔法に優れた勇者カノンの隠蔽魔法を見抜ける者はそうそういまい。

「後は< 幻影擬態(ライネル) >で隠れていればいいだろう」

「じっとしていれば問題ないと思うけど、近くで魔力を使ったら、この時代の僕にはバレるからね。気をつけた方がいいよ。確か、そろそろ戻ってきているはずだから」

ジェルガが勇者学院を設立しようとし、カノンがそれに反対している時期か。

勇者カノンに、魔王アノスが生きていると思われてしまえば、過去はまったく違ってしまうだろう。

「ふむ。気をつけておこう。それと一つ、忠告がある。< 時間遡航(レヴァロン) >の魔法効果が切れた後、過去は元に戻る。つまり、俺たちが二千年前に行った過去はなかったことになる。だが、俺たちからその記憶が消えることはない。それは記憶以外についても同様だ。この二千年前で傷を受ければ、元の時代に戻ったときもそのままだ。死ぬこともあるだろう。油断せぬことだ」

現代の俺たちが過去を変えることはできない。

だが、過去の誰かが俺たちに干渉し、影響を与えることはできる、というわけだ。

ここは人間の領土だしな。

魔族と知られれば、問答無用で襲われるだろう

「わかったぞ。とにかく、過去はなるべく変えないように注意して、死なないようにがんばればいいんだっ」

エレオノールが元気よく返事をした。

「今夜は朧月」

ミーシャが頭上の月を見つめる。

「水色の飴を創る?」

現在のアハルトヘルンの噂は、以前俺が口にした通り、朧月の出た真夜中、聖明湖の畔に霧が漂う。水色の飴をそこに放れば、悪戯好きの妖精が現れ、森の中へ案内してくれる、といったものだ。

俺が転生した直後に変わったということもあるまい。

「あいにくティティは好みにうるさいようでな。二千年前に試したが、魔法で創った飴には見向きもしなかった」

「水色の飴ってことは、 聖明飴(せいめいあめ) かな? 確か、この時代からあったはずだぞ?」

エレオノールが首を捻ると、ゼシアが少し微笑んだ。

「大好物……の一つです」

「それだな。屋台が出ているはずだ。買いに行くとしよう」

< 幻影擬態(ライネル) >の魔法で、エレオノールとゼシア以外を透明化する。

レイはミーシャとサーシャ、そして自分自身へ、魔力が人間のものに見えるよう、隠蔽魔法をかけていた。

リィナは精霊なので問題あるまい。

俺たちは城壁の門をくぐり、ガイラディーテの中へ入る。

「カノ――あ」

カノンと言いかけて、慌ててエレオノールは言い直す。

「レイ君、どこの屋台で売ってるか覚えてる?」

「この往来をまっすぐ行ったところにあるはずだよ」

辺りには人が行き交っている。

幾度となく魔族の襲撃に耐えてきた街は荒れ果てているが、人々には活気と笑顔があった。

夜だというのに開いている店も多く、沢山の屋台が並んでいる。

「……やっぱり、帰ってきてるみたいだね……」

レイが呟く。

「ふむ。勇者が魔王を倒した凱旋祝いというわけだ」

人間たちが明るい表情を浮かべているのもうなずける。

この時代では、悲しみ、恐怖、憎しみ、といった類の表情ばかりを見ていたものだが、なかなかどうして楽しそうにしているものだ。

「自分を倒したって喜んでる人たちの顔を見て、なにがそんなに楽しいのよ?」

サーシャが言った。

俺が彼女を見返すと、ミーシャが説明する。

「笑ってた」

「俺がか?」

「ん」

ふむ。

そんなに楽しそうにしていたか?

「やられた甲斐もあったというものだと思ってな」

「そ。ふーん。わたしはちょっと気に入らないけど……」

と、サーシャは嬉しそうに笑っている人間たちに、鋭い視線を向けた。

魔王を倒したと喜んでいるのが、気に食わないと見える。

「あ。聖明飴の屋台、あそこにあったぞ」

「……ゼシアが食べる分、ありますか……?」

「うんうん、買ってあげる」

エレオノールが屋台に向かおうとして、ぴたりと立ち止まる。

「そういえば、お金がなかったぞ?」

振り返ったエレオノールに金貨を数枚魔力で飛ばす。

「宝物庫からいくつか持ってきた。この時代の通貨だ」

「わおっ。贅沢できちゃうぞっ」

エレオノールがゼシアと手をつなぎ、屋台に向かった。

「こんばんは。おじちゃん、聖明飴が買いたいぞ」

「へい、毎度。何本だい?」

エレオノールが指折り数える。

「えっと、アノス君、ミーシャちゃん、サーシャちゃん……一〇本あるかな?」

「あいよ。ちょうど、これで最後だよ。一本おまけしとくよ」

「わおっ。おじちゃん、太っ腹。ありがとう!」

エレオノールが金貨を渡し、お釣りと聖明飴を一〇本受け取る。棒の先についた球状の飴で、なかなかの大きさだ。

聖水で作った聖なる飴という謳い文句だが、当然のことながら食べ物にはならないため、聖水は使われていない。

「ほら、あそこっ。あったよ、聖明飴」

嬉しそうな声が聞こえた。

見れば、翡翠色のドレスを身に纏った女性が駆けてくる。湖の如く透き通った髪と琥珀の瞳を持っていた。

大精霊レノだ。真体を現していないからか、背の六枚の羽は隠れている。

その後ろに、剣呑な視線を光らせる魔族がいた。彼は見覚えのある仮面をつけている。

「レノ。私から五メートル以上離れないようになさってください。敵が襲ってきた際、対処できなくなる恐れがあります」

くるりとレノは振り返り、仮面の男に言った。

「だったら、一緒に走ってきてよ。売り切れちゃったら、シンのせいだからね」

「走ればその分、気が逸れます。どんな敵にも対処できるようにするには、歩く速度が適切です」

「もうガイラディーテだよ。こんなところに、敵なんていないよ」

「油断なさらぬように」

男が仮面を僅かにズラし、周囲に険しい視線を向ける。

覗いた白髪と色素のない瞳は、確かにシン・レグリアその人である。

「この辺りに、途方もない魔力を持った者が潜んでいるような気配が致します。魔眼にはなんの反応もないところからすれば、かなりの手練れでしょう」

ふむ。魔力は< 秘匿魔力(ナジラ) >で完全に隠しているはずだがな。

魔眼でもなく、気配でそれを感じとるとはさすがはシンといったところか。

まあ、具体的な位置まではわかるまい。

「仮面、外さないの。魔族ってバレたら大変なんだから」

「ご安心を。私に敵意を向けた瞬間、首と胴体が永遠の別れを告げることとなるでしょうから」

はあ、とレノは盛大にため息をついた。

「イーヤン、もっとシンにくっついてて」

すると仮面の目の部分が光り、シンにくっついた。

彼の魔力が完全に隠される。

イーヤンと呼ばれたのは、恐らく仮面の精霊なのだろう。

「人間は斬らないでよ。もう敵は神族だけでしょ。それだって、もう現れないかもしれないんだから」

「あなたに害を及ぼさないようであれば、斬りませんが」

「……もう。でも、いいよ。もうアハルトヘルンだし」

レノは屋台までやってきて、店主に言った。

「こんばんは。聖明飴をちょうだいな」

「あー、すまねえな、お嬢ちゃん。今日はもうぜんぶ売れちまった」

「え……嘘……」

「わりい。また明日来てくんな」

レノは落ち込んだような表情で、その場に佇む。

「ティティが楽しみにしてたのに……」

「ないものは仕方がないでしょう。行きますよ」

ムッとしたように、レノがシンを睨む。

「シンが走ってくれたら、買えたかもしれないのに」

「申し訳ございません。護衛の任を優先いたしました」

「……ちょっと走るだけなのに……」

「申し訳ございません。護衛の任を優先いたしました」

とりつく島もない。

レノは唇を噛み、ぷいっとそっぽを向く。

そうして、行き場のない怒りをぶつけるように、地面を軽く蹴っていた。

「馬鹿っ、馬鹿シンッ……!」

返す言葉に困ったか、シンはしばし考えた後に言った。

「申し訳ございません。護衛の任を優先いたしました」

壊れた魔法人形のようにシンは繰り返す。

「なかなかどうして、道中に仲良くなったようだな」

「なにが?」

サーシャが隣で意味がわからないといった表情を浮かべている。

「答えが変わらぬというに、同じ言葉を二度口にするなど、滅多にあることではない。それが三度だぞ。一度説明すれば、次からは無言を貫くのがあの男だ」

「なにが?」

サーシャがやはり意味がわからないといった表情を浮かべたままだ。

「……あの……どうぞ……です……」

とことこ歩いていったゼシアが、レノに聖明飴を二本差し出す。

「え……? でも、お嬢ちゃんのでしょ?」

「……ゼシアは沢山、あります……」

エレオノールがゼシアの隣に並び、のほほんと笑った。

「いいんだぞ。おまけでもらったんだけど、食べきれないから」

「あ、じゃ、これ。ディルヘイドで買ってきたクッキー、あげるね。美味しいよ」

ゼシアの手の平に、レノがクッキーの包みを載せる。

「……ありがとう……ございます……」

「こちらこそ、ありがとうね」

「喧嘩は……終わりですか……?」

「え?」

ゼシアはレノとシンを交互に見た。

「うぅん。喧嘩はしてないよ。お姉ちゃんとお兄さんはね、仲良しなんだよ」

レノは笑顔で言った。

「そうでしたか?」

シンの冷たい言葉に、レノの笑顔が引きつった。

「シン。あなたは私と仲良し。これは命令だからね。護衛をしたいなら、ちゃんと守る」

「承知しました。私は彼女と仲良しです」

すると、安心したようにゼシアは笑った。

「仲良しで……よかったです……」

「じゃね。飴、ありがとう」

レノは手を振り、ガイラディーテの門へ向かう。

その後ろにシンは油断のない視線を放ちながら、ついていった。