軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

黒狼と白虎

外伝15話

新興都市ドニエスクに夜が訪れる。静かな夜だ。

「フリーデの話が止まらないので、後はアイリアに任せてきた」

俺は溜息をつきながら、ウォーロイの書斎に入った。

暖炉の前にはウォーロイが陣取り、早くも火酒を一杯やっている。

ウォーロイは苦笑した。

「それだけ多くのことを体験し、学んだということだ。慣れない土地は人を試すが、同時に鍛えてもくれる」

「よくわかるよ」

異世界に転生した身としては、実感せざるを得ない。

俺がしみじみとうなずいたのが面白かったのか、ウォーロイは小さな銀杯を傾ける。

「フリーデはリューンハイトを離れて暮らすのは初めてなのだろう? リューニエも、ミラルディアに来た頃は似たようなものだった」

「あれからもう十数年か。今ではリューニエ殿も、ミラルディアの希望の星だ」

「ああ、叔父として鼻が高い。まあ座れ」

ウォーロイの招きに応じて、俺も暖炉の前のテーブルに陣取ることにする。

「飲むか?」

「そうだな、今日の仕事はもう終わったし」

「相変わらず真面目な男だ」

俺以上に真面目な男に言われたくはないな。

俺とウォーロイはしばらく無言で火酒を酌み交わす。

何かしゃべってもいいが、もう十年以上になる長いつきあいだ。彼がどう返してくるかはわかるので、敢えて口を開く必要も感じない。

たぶん彼も同じことを考えているのだろう。くつろいだ表情で、火酒の香りと暖炉の音を楽しんでいるようだった。

前世では「沈黙が心地よく感じられたら本当の友達だ」という言葉を聞いたことがある。

だとすると、ウォーロイは本当の友達ということになるか。

一度は本気で戦った相手なのに、しみじみと不思議な気持ちがする。

そう思ってウォーロイを見ると、彼も苦笑していた。

「さては、また同じことを考えていたな?」

「歳のせいか、昔のことばかり思い出す。一度だけ味わった、ロルムンドのあの冬が忘れられない」

「俺もだ、黒狼卿」

彼が火酒の瓶を手にしたので、俺は無言で彼の酌を受ける。

ウォーロイは俺に注ぐ暇を与えず、手酌でやりながら言葉を続けた。

「俺も歳を取った。そろそろ隠居しようかと思っていてな」

「おいおい、まだ四十にもなっていないのにか?」

「リューニエの成長がめざましい。早いうちに太守にしてやって、もっと経験を積ませてやりたいのだ。それに」

ウォーロイは笑う。

「あいつも太守の副官よりは、太守になったほうが嫁も来るだろう?」

俺は呆れた。

「お前、甥っ子のことを何も知らないのか? リューニエ殿は今やミラルディア屈指の貴公子だぞ。若い娘たちが熱狂している。おかげで彼の学生時代、俺は教官として苦労させられた」

「どんなふうにだ?」

「女子生徒たちからの恋愛相談で忙殺されてな。研究どころではなかった」

既婚男性からのアドバイスをあてにしてたんだろうが、俺に恋愛相談をするなんて甲冑着て海に飛び込むより無謀だ。

ウォーロイがニヤニヤ笑っている。

「ドニエスクの男は誰が見てもいいものだからな。ミラルディアの淑女たちをときめかせてしまったか」

「お前もだいぶやったよな」

ウォーロイは女好きに見えるし、実際そうらしいのだが、女性関係は恐ろしく真面目だ。そのへんの線引きはドニエスク家仕込みらしい。

しかしそれでも女性側から一方的に言い寄られることが多いので、決闘騒ぎになったこともある。

そういえばこいつ、まだ独身だったな。

「ウォーロイ。今もお前に熱をあげている御婦人がたが多数いると聞いているが、相変わらずつれない返事をしているのか?」

「俺にはリューニエの養育がある」

「養育って、リューニエ殿はもう二十代も半ばだぞ。一人前の大人だ」

「まだまだ危なっかしくてな。目が離せん」

成長がめざましいんじゃなかったのか。

だいぶ過保護な叔父だな。

何か言い返してやろうと思ったとき、俺はふと、あることに気づいた。

本来ならこれは言うべきことではないのだろうが、「本当の友達」なら一度ぐらい言ってもいいだろう。

だから俺は慎重に言葉を選びながら、こう切り出す。

「お前、もしかして結婚が怖いのか? もっと正確に言えば、幸せになるのが怖いんじゃないのか?」

ウォーロイの手が止まる。

おそるおそる彼の表情をうかがうと、ウォーロイは苦笑していた。

「お前に隠し事はできんな。それも人狼の嗅覚か?」

「長いつきあいだ、お前の考えぐらいわかる」

「参ったな」

悪戯を見つけられた少年のように、頭を掻くウォーロイ。

彼は杯を置き、窓の外の星空を見た。

「俺は敗残者だ。領地も家名も守れず、父も兄も義姉上も守れなかった」

「そうでもないだろう。甥と大勢の家臣、それにドニエスク派の貴族や軍人を守れた」

俺はそう言ったが、彼は首を横に振る。

「それは違う。全てお前に守ってもらったのだ。お前がもし俺たちを助けないつもりだったら、誰一人として生きてはいまい」

「気にするな。俺はミラルディアの利益しか考えていなかった」

ウォーロイは笑う。

「だが俺たちの助命がミラルディアの利益となるよう、必死に考えたのだろう?」

それは否定しないけど。

ウォーロイは暖炉に新しい薪をくべながら、しみじみとつぶやく。

「なあヴァイトよ。俺なんかに幸せになる値打ちがあるのか?」

「あるに決まっているだろう。お前はバカか?」

「バカだとも。もう少し利口なら、今頃は親父か兄貴がロルムンドの皇帝になっていたさ」

それが良かったかどうかは、俺には何とも言い切れないところだ。

もっともそんなことはウォーロイにもわかっているので、彼はこう続けた。

「今の帝国は曲がりなりにも平和を保っている。大きな飢饉も起きていない。俺たちが負けて良かったとまでは言わんが、エレオラが皇帝になって悪かったとは思わんよ」

「ならもういいだろう。お前も過去のことは忘れろ。ミラルディアではお前は大功ある英雄なんだし、好きに生きていい頃合いだ」

俺はそう勧めたが、ウォーロイは苦笑いする。

「山ほど手柄を立てておきながら、いつまでも副官で苦労ばかり背負い込んでいるお前が言うことか?」

俺はこれが一番気楽なんだよ。

過去に何度もそう訴えたが、全く信じてもらえなかったので俺は諦めた。

代わりに俺はこう答えておく。

「あのとき俺は、ウォーロイという男を死なせたくないと思った。敵だろうが異邦人だろうが関係ない。これほどの男を死なせるのは、この世界の損失だとな」

「おいおい」

「そして今は、その男にもう少し幸せになってくれと思っている。そうでなければ、苦労して助けた甲斐がないだろう?」

俺は冗談っぽく言い、杯をあおってこの話題を締めくくる。

杯の陰からチラリとウォーロイの表情を見ると、彼は真剣な表情をして俺を見ていた。

「ならば教えてくれ、黒狼卿。俺は……俺は、偉大な男になれたか?」

呆れた。

このバカ野郎は自分の価値もわからないらしい。

だから俺は言ってやった。

「お前が偉大な男でなかったら、この国に偉大な男は一人もおらんよ。少しは自覚しろ」

「だからそれをお前が言うな」

ウォーロイは苦笑し、杯を手にした。

「あの決闘卿がそこまで言ってくれるのなら、俺もドニエスクの男として、やっと一人前になれたということか」

後世の歴史家はたぶん、親父さんや兄さんよりもお前の方を高く評価すると思うよ。

だからいつまでも負い目を感じて生きるのはやめてください。

それから話題は自然と、ドニエスクに留学しているフリーデたちへと移った。

ウォーロイがこう語る。

「魔族の子。人間の、それも輝陽教大司祭の孫。そして人間の太守と人狼の武将の間にできた子。その三人が親友として、互いに研鑽しあっている。不思議な光景だ」

そうつぶやいて、ウォーロイはこう続ける。

「フリーデたちはおそらく、人間と魔族が本当の意味で手を取り合う時代の嚆矢となるな。そしてミラルディアは強大な国家となる」

「そうだな。ミラルディアは人間の数だけならロルムンドより遙かに少ないが、魔族も合わせればそこそこだ。もし将来、ロルムンドが侵攻してきても、簡単に撃退できるだろう」

茸人族の戦士株による毒胞子攻撃とか、ロルムンド人がびっくりするような戦術も使える。

「エレオラのヤツは領土的野心を持っていないと思うが、あいつも帝国を背負う身だ。場合によっては、戦わねばならんだろう。それにエレオラの後継者が、あいつのように聡明である保証はどこにもない」

「どんな方法で指導者を選んでも、ハズレは必ずあるからな……」

俺は溜息をつく。

人間のやることに絶対はない。

「だから今のうちに、戦いづらい土壌を培っておこうと思ってな。百年先、千年先も、ロルムンドには良き隣人でいてもらいたい」

するとウォーロイも溜息をついた。

「千年先か。……そんなことを考えられるのが、お前という男の非凡なところだ」

別の世界の別の歴史も見てきたからな。

嫌でも考えてしまう。

俺は軽く首を横に振り、軽い口調で返した。

「俺にはフリーデがいる。あの子がどう生きていくかは、あの子が決めればいい。だから俺は親として、あの子が選べる未来を少しでも多くしておきたい。それだけだ」

平和な時代でなければ選べない道もあるし、豊かな社会でなければ存在できない職業もある。

「俺も今なら、お前の兄上……イヴァン殿の焦りがわかるような気がするんだ」

ウォーロイの兄、イヴァン皇子は妻を亡くし、自身も持病を患っていた。

そして一人息子と帝国の未来を案じて、帝国全土を揺るがす反乱を巻き起こした。

だが反乱は阻止され、彼はドニエスク家を滅亡においやってしまった。

生き残ったドニエスク家の男は、ウォーロイとリューニエだけ。しかも二人とも追放されてしまった。

「結果だけ見れば、あのときのイヴァン殿は判断を誤ったといえるだろう。だが彼と同じ立場だったら、俺も判断を誤ったかもしれない。最近は特にそう思うようになった」

順当にいけば親は子供より先に死ぬ。その後のことは子供が自力で何とかしなくてはいけない。

だから親として、子供に何かをしておいてやりたい。

そう思うのは自然な感情だ。

だが、それが裏目に出ることもある。

イヴァン皇子のようにだ。

ウォーロイは俺の顔をじっと見つめて、そして真顔で言った。

「お前は道を誤ってくれるなよ?」

「わからん。この世に生まれてこのかた、ずっと道に迷いっぱなしだ」

「おいおい」

呆れ顔のウォーロイを後目に、俺は火酒を一口飲む。

そして彼に笑ってみせた。

「だから今後も俺を助けてくれ、ウォーロイ」

「俺のほうが道に迷っているところなのだがな……」

困惑するウォーロイ。

だが彼はすぐ、頼もしげに笑う。

「まあいい。お前に助けを求められれば、俺も奮い立つというものだ」

ウォーロイはニヤリと笑って杯を掲げ、ぐっと火酒を飲み干した。