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作品タイトル不明

「多聞院談義」

277話(多聞院談義)

「ミホシ殿、それはまことですか?」

評定衆のヤクシ殿が落胆した声をあげたので、私はうなずくしかなかった。

「フミノの報告によりますと、ヴァイト殿は例の額を見ても全く動揺せず、ほとんど関心を示さなかったそうです」

私自身、いささか困惑している。

ヴァイト殿は、ワの国で途絶えて久しい神世人に間違いない。

魔族でありながらごく自然に人間の考え方を身につけており、しかもそれは極めて先進的だ。「人間のことを学んだ魔族」とは思えない。

人狼の肉体に人間の魂が宿っているとすれば、転生型の神世人である可能性が高い。

そしてワの文化への親しみ。

これだけ条件がそろっていれば、ほぼ間違いない。

彼こそが、我々の待ち望んだ「最後の神世人」のはずだ。

それなのに、あの額に反応しなかったのはどういうことだ。

同じことを思ったのか、評定衆のカイバラ殿が私に問いかける。

「ミホシ殿、あの額は神世人のウコン様がお書きになったものです。ウコン様は『神世の者なら皆知っておろう』と断言なさったそうですよ」

「ええ、私もそうお聞きしております」

多聞院の長を長年務めたウコンは神世人で、前世は武門の誉れ高い家柄であったと聞いている。

もっともあまり武人らしからぬ風流人であったと聞いているので、本当かどうかはわからない。

「前世は我が祖を侮る者ばかりであったが、いずれ再評価される日が来よう。次の神世人に見せるがいい。必ずや度肝を抜くはずだ」

晩年にウコンはあの書をしたため、そう快笑したそうだ。

それにあの書には神世人の秘密も記されている。崩した神世文字すら読める、我ら評定衆しか知らぬことだ。

実際にあの額を見た代々の神世人は、必ず何らかの反応を示した。

それゆえヴァイト殿も必ずや反応すると思ったのだが、予想が外れてしまった。

「単にヴァイト殿が一枚も二枚も上手だった、ということかもしれません」

「ふむ……」

「そうかもしれませんな」

私の答えに、皆がうなずく。

ヴァイト殿は自らが神世人だとは決して明かさないだろう。

彼はすでに、ワの国が神世人と密接な関わりがあることには気づいているはずだ。

自分が神世人だと認めてしまうと、ミラルディアの代表として交渉がやりづらくなる。

「だからこそ我が配下で最も警戒されにくいフミノを送り、彼の心の隙を探っていたのですが」

「それでもなお、隙を見せなかったと?」

「ええ」

評定衆は顔を見合わせたが、どうやら皆の意見は同じようだった。

「これ以上、余計な詮索をするとミラルディアとの関係がこじれるかもしれません」

「左様。ワに来ていただくことは無理としても、せめて敵にはしとうないものです」

神世人がどれほどまでに世を動かすか、我々はよく知っている。

実際、ヴァイト殿は世に出るとたちまち頭角を現したという。人狼の力を思うがままに操る神世人となれば、到底かなう相手ではない。

敵に回すことだけは絶対に避けたかった。

観星衆の長としては暗殺や失脚工作で彼を排除するという選択肢もあるが、成功する気はまるでしない。

そして失敗すれば、そのときは多聞院の破滅を招くだろう。

それに彼とは今後も良い関係を維持していたい。味方になれば心強い。

彼は穏和で理性的であり、つきあいやすさという点では歴代の神世人でも随一かもしれない。

それゆえ、私は皆にこう提案する。

「おそらくヴァイト殿には、こちらの手の内はおおよそ知れていることでしょう。いっそ手の内を全て明かしてしまうのも良いかもしれません」

「なんと」

「トキタカ殿、さすがにそれは……」

皆は驚いているが、私は強い口調で説得した。

「ヴァイト殿が神世人であれば、個人的にはワの国に親しみを感じているはずです。包み隠さず明かすことで、それをさらに強めることができるでしょう」

「まずこちらから胸襟を開く、ということですか」

「ええ」

我々の側から歩み寄れば、あの人の好い御仁は案外心を開いてくれそうな気がする。

評定衆はしばらく互いに相談しあっていたが、やがて私に向き直った。

「良い案かもしれません。トキタカ殿、具体的にいかがなされます?」

「『神世の大鳥居』をお見せしようかと思っております」

とたんに一同がざわめいた。

「お、おお……なんと大胆な」

「あれをお見せして大丈夫ですか!?」

評定衆の秘儀担当者であるカンベ殿が、難しい顔をしている。

「ヴァイト殿は熟達の魔術師ですぞ。あれをお見せすれば、必ずや全ての秘密が露見してしまいます」

「仕方ありますまい。人の心を打つために歩み寄るのなら、大股でなければ意味がありません」

ヴァイト殿の人柄については、フミノたちから報告を受けている。

彼は歩み寄ろうとする者とは立場を越えて協力しようとするという。

危険な賭けではあるが、やるなら彼がワに滞在している今しかない。

だがさすがに今度ばかりは一同も首肯しかねるようで、しばらく黙ってしまう。

それからようやく、最年長のタイラ殿が言った。

「どれだけ信頼に足る人物であろうとも、個人の人柄に頼る外交は危うい。人の心は移ろいやすく、人の立場もまた不安定なもの」

タイラ殿の言葉はもっともだ。

だが私も、そのことを危惧していない訳ではない。

「それを省みてもなお、今のミラルディアと良好な関係を結ぶためには良策かと思うております。かの国は今、北のロルムンドを意識して急成長しておりますゆえ、研ぎ澄まされた矛先がいずれワに向かぬとも限りません」

ワは砂漠に囲まれた小領のため、大きな発展はあまり望めない。

国土の広いミラルディアと国力争いになれば、十年以内に決定的な差がついてしまうだろう。

だがヴァイト殿は、ワと武力で争うつもりはなさそうだ。

ならば彼と良い関係を築き、その間に交易や文化で国同士の深いつながりを作ってしまえばいい。

ワと戦争すればミラルディアも打撃を受ける。そういう関係になるのだ。

他国に多くの間者を放っている観星衆の長として、私は一同にそう説く。

「小国であるワに、これより他に生き延びるすべはございますまい」

一同は沈黙する。だが私の提案に反対する者はいなかった。

タイラ殿が沈黙の内に評定衆の総意を読み取り、こう告げる。

「少し……考えさせてはくれませぬか。後戻りできぬ決断ゆえ、数日の猶予をいただきたい」

私は評定衆としては下位なので、長老格からそう言われれば拒否もできない。

「承知いたしました。私も今一度、考えてみます」

「ではひとまず散会といたしましょう」

皆がうなずき、ゆっくりと立ち上がった。

初夏の日が静かに暮れようとしている。

タイラ殿がふとつぶやく。

「神世の方々は皆、この季節になると『セミノネ』とやらを懐かしがっておられたそうですな」

私はそれにうなずいた。

「ええ、こちらにも似た虫はいるようですが、鳴きませんからな。騒々しくも懐かしいとは、いかような音色でしょうか」

するとタイラ殿が真顔でじっと私を見つめた。

「わからぬ。わからぬからこそ、慎重にせねばなりますまい」

そうだ。すっかり忘れていた。

神世人は遙かなる異界の住人。全てわかったつもりになっていると、思わぬ失敗を犯してしまう。

それは互いにとって不幸なことに違いない。

気をつけなくては。

「タイラ殿。有り難き御忠告、胸に刻みまする」

「いやなに、歳を取ると何もかも恐ろしゅうなりましてな。あれこれと余計な気ばかり揉んで何もできません。最終的は判断はトキタカ殿たち若手の方々に委ねましょう」

タイラ殿は軽く会釈して、廊下の奥へと消えていった。