軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

退屈な皇帝

185話

神聖ロルムンド帝国皇帝バハーゾフ四世。

俺は結局最後まで会えなかったが、その生涯は波瀾万丈に平凡だった。

「先帝が崩御したときに次期皇帝を誰にするかで、一悶着あったのだよ」

国葬の面倒な儀式を一通りを終え、屋敷に戻ったエレオラがほっと溜息をつく。

俺もさっきまで、外交官から弔問客にクラスチェンジしていた。

これでも一応ミラルディアからの国賓なので、カイトたちと文案を作成した弔辞を読んだりした。結構疲れた。

エレオラは側近のナタリアがいれてくれた紅茶を飲み、こう続ける。

「当時第一皇子であったバハーゾフ皇太子が、順当に帝位を継いだ。……表向きはな」

バハーゾフ皇太子に批判的な立場の貴族がスキャンダルで領地を失ったり、皇太子の愛人と噂されていた歌姫が電撃引退して修道院に入ったりもしたが、誰も死んでいないので大した問題ではない。

ただし戴冠式の数日後、バハーゾフの従兄が北ロルムンドの猟場で行方不明になっている。

翌日全く違う場所で死体が発見されたが、熊に襲われたということで事故死になった。

エレオラは薄く笑う。

「死体の検分記録は帝室内部でも限られた者しか閲覧できないが、どうやら北ロルムンドの熊は冬眠もしないで剣を使うらしいな。それも相当な達人だ」

剣の達人か。

俺はドニエスク公の腹心、剣聖と名高いバルナーク卿の顔を思い浮かべる。

彼は元々、北ロルムンドの小領主だ。

ロルムンドでは「凍寒節の大角鹿狩り」といえば、この事件を指すぐらい有名らしい。

最も帝位に執着していた従兄が「事故死」すると、他の従兄弟たちも波が引くように穏やかになったという。

「このときに従兄と一緒に狩りに出かけていたのが、あのドニエスク公だな。もちろん表向きは何の関係もないし、彼は自分も『熊』に襲われてバルナーク卿に助けられたと言っている」

だが世間では、ドニエスク公が兄の帝位を守るためにさっそく辣腕を振るったのだろうと噂されている。

それからもドニエスク公は自らは帝位に全く興味を示さず、兄であるバハーゾフをしっかり守っていた。

というよりも、兄を隠れ蓑にして好き放題やっていたというのが正しいようだ。

兄のほうはといえば野心の全くない人物だったので、周囲も安心して帝位を預けておけたらしい。

もっともバハーゾフが極端な前例主義者だったせいもあり、帝国はこの三十年ほどほとんど発展しなかったそうだが、次の世代にバトンを渡す役目はしっかり果たしている。

俺は「前例主義のボンクラ」だの「史上最もつまらない男」だのと呼ばれた故人をしのび、そっと溜息をついた。

「平和な時代なら余計なことをしないのもひとつの手だ。そういう意味では悪い皇帝ではなかったのかもしれない」

エレオラもうなずく。

「そうとも言えるな」

「あまり興味を惹かれる人物ではないが、それでも一度会ってみたかったな」

するとエレオラは困ったような顔をして、首を横に振った。

「貴殿はミラルディアの外交官だ。皇帝と謁見すれば、すぐにでも今後のミラルディアについて交渉せねばなるまい。だが皇帝の政治手腕は見ての通りだ。彼だけのせいではないが、帝国は壊れかけだよ」

帝室記録をひっくり返して、前例があれば許可、なければ不許可というスタイルだ。有能なはずがない。

周囲もそれはわかっていたので、「ミラルディアの処遇についてはアシュレイ皇子の代になってから」で合意していたのだろう。

おかげで俺はその猶予を使って、ロルムンド国内でそれなりに地盤を固めることができた。

レコーミャ卿をはじめとする若手の宮爵たちは帝都で勢力拡大のために励んでいるし、東ロルムンドではカストニエフ家が領主たちを束ねてくれているはずだ。

俺は今後のことを考えながら、ナタリアの紅茶を飲む。冷えた体が内側から温まっていくのを感じる。

「確かにこの帝国、もうあちこちガタガタだな。貴殿が前に言っていた通りだ。危機感を覚える者が出てくるのも当然だろう」

各地方の領主たち、輝陽教の宗派、宮爵たちの派閥、軍閥に学閥。派閥だらけだ。

みんな長年築いてきたものがあるので、おいそれと譲歩することもできない。

このへんはいずれ、エレオラにまとめて整理してもらう予定だ。

「さて、問題は次の皇帝だな。エレオラ殿、さっそく名乗りを挙げてみるか?」

「ふふ……」

俺の冗談に、エレオラが穏やかな笑みを浮かべる。

最近、彼女は少し態度が柔らかくなった気がする。味方が増えてきたせいだろう。

「競争相手を全て潰してからだな」

……まあ、言ってることは相変わらずだが。

今のところ次期皇帝はアシュレイ皇子だ。

ドニエスク公とその息子たちはもちろん、表向きそれを歓迎している。本心はわからない。

エレオラや他の者たちも同様だ。ここで異論を挟めば、まず間違いなく集中砲火をくらって沈められるからな。

今は服喪の期間らしいので正式な戴冠式は少し先だが、アシュレイ新皇帝の誕生はほぼ間違いないだろう。

「アシュレイ殿は帝都にいる宮爵たちの大半を従えている。西ロルムンドの領主たちも彼の味方だ。それと輝陽教上層部も掌握しているな」

輝陽教は民衆の精神面を支配する道具だから、次期皇帝としてはここを押さえておく必要がある。

そして帝都は西ロルムンドにある。帝都周辺の領主たちを味方につけておくのは軍事的に重要だ。

「アシュレイ皇子の権力継承は、今のところ安泰ということか」

「そうだ。武力で帝位を簒奪しようにも、そう簡単には攻め込めまい」

人狼隊が奇襲で制圧するには、帝都もロルムンドも広すぎる。

まだまだ準備が必要だな。

ちょうどそのとき、人狼隊のハマームが戻ってきた。彼はモンザと同様、人狼隊の諜報活動を引き受けている。急いでいる様子だ。

「副官。ドニエスク邸の監視任務の途中ですが、緊急の報告に戻りました」

「どうした?」

すると彼は肩の雪を払いながら、

「つい今しがた、ドニエスク公の馬車が出ていきました。ドニエスク公とイヴァン皇子が乗っているのを、分隊員が確認しています」

「なんだって?」

急すぎる。しかも予想外だ。

レコーミャ卿経由で、ドニエスク公はしばらく帝都に滞在するという情報をつかんでいたので、俺は不安を感じる。

この時期にドニエスク公ほどの大物が予定を変更したとなれば、警戒が必要だ。

「ハマーム、馬車の追跡は得意だな?」

ハマームは明らかにしていないが、おそらく彼は元々は砂漠の盗賊だ。

案の定、ハマームは真顔でうなずいた。

「はい、副官」

「追跡してくれ。ドニエスク邸の監視はモンザ隊が引き継がせる」

「わかりました」

いついかなるときでも冷静で寡黙なハマームは、軽く敬礼してそのまま出ていった。

俺はエレオラと顔を見合わせ、首を傾げながら訊ねた。

「何かあったのかな?」

「わからないが、今は宮廷内の地盤固めに最も重要な時期だ。帝都を離れるのはおかしい」

エレオラは眉をひそめる。

「それと不可解なのが、孫のリューニエ皇子を伴っていないことだな。帝都のドニエスク邸にはウォーロイ皇子が残っているが、組み合わせとしては不自然だろう」

確かにそうだ。

祖父と父が二人で出て、孫は叔父と留守番。

俺は首を傾げる。

「帝位簒奪のための反乱準備……にしては、リューニエ皇子が帝都に残っているのは妙だな」

しかも季節はこれから冬で、北ロルムンドへの街道がいつ雪に閉ざされるかわからない。

俺の知らないところで、何かが動いているのかもしれない。

俺は立ち上がると、分厚い毛皮のコートを羽織った。

「俺も出てくる。エレオラ、貴殿の護衛はファーン隊が責任を持つから安心してくれ」

「いや、それは問題ないが……用心しろ、ヴァイト卿」

「ああ、わかっている。カイト、行くぞ!」

俺は情報収集に長けた副官の魔術師カイトを呼びつつ、そのまま部屋を飛び出した。